【BTF-7】譲れない議論
直接会談で最初に話題に挙がったのは、この場にはいないライラック・ラヴェンツァリについてだ。
「ラヴェンツァリ博士は幅広い知識と深い教養を持つ、客将にしておくには勿体無い優秀な御方ですわ。にもかかわらず、あなた方は以前から彼女と敵対しているのかしら?」
オリヒメは優れた能力を持っていて尚且つウマが合うライラックを大変気に入っており、そんな彼女がなぜ地球を追われたのか全く理解できない。
「そちらが戦力として運用している人工生命体バイオロイド――今から31年前、ラヴェンツァリ博士はそれを用いた武力行使で地球人類の敵となりました」
「その時の最終決戦で自分は博士と直接戦う機会がありましたが、あと一歩のところまで追い詰めながら仕留め損ねてしまいました。まさか、当時は物理的に往来不可とされていた月へ逃げていたとは……」
それに対する回答として、レガリアとライガは31年前に当事者として関わったバイオロイド事件の顛末を簡潔に説明する。
当時の地球の天文学では月は「目視できるが辿り着けない場所」とされており、ライラックがそんな場所に逃げることなど全く想定できなかったのだ。
「ええ、あの人は何かしらの方法で空間を隔てる『世界線』の空白部分を見つけ出し、我々が暮らす月に辿り着いたのでしょう」
その見解についてはオリヒメも同意し、詳しくは本人に直接確認するしかないとタメ息を吐く。
「我々に保護された時は漂流者という感じではなかった。おそらく、貴様らに負けた後は初めから逃亡先として月を有力候補に入れていたのだろう」
一方、いつの間にか口調が素に戻っているユキヒメは貴重な意見を述べ、右隣に座る姉の表情を窺いながら本音をぶちまける。
「姉上は大層気に入っているようだが、私はあの女は好かぬ。ああいう腹に一物抱えていそうな女は信頼できん」
侍女が配膳していた月の伝統飲料「リョクチャ」を飲んで気持ちを落ち着かせると、今度はレガリアたちに向かって不敵な笑みを浮かべるのだった。
「……その点に限っては貴様らと同じだな」
このままライラックの話を続けていると自分以外の3人が不機嫌になりそうなので、オリヒメはもっと実りがありそうな議題へと話のネタを切り替える。
「……」
「(この女……なぜ俺のことを見ている? 逆にあの紫色の瞳を見返したら吸い込まれてしまいそうだ……)」
しかし、実際には特に話を切り出そうとはせず、彼女は無言のままジッとライガの蒼い瞳を見つめ続ける。
「なるほど……あなた、何となくだけどライラック博士に雰囲気が似ているのね」
「は? 俺が?」
沈黙を破ったオリヒメの唐突すぎる一言に思わず素の状態で返事してしまうライガ。
言葉には出さないものの、レガリアとユキヒメも頭の中に?マークを浮かべているはずだ。
「ええ、全体的な佇まいや瞳の色はそっくりだと思うわ」
「俺……いえ、自分は彼女とは血縁関係はありませんよ。幼馴染の母親という点では多少の交流はありましたがね」
確かに、ライガは鼻筋や蒼い瞳がライラック――厳密には彼女の娘であるリリーやサレナに似ていると言われることはたまにある。
だが、それだけでは両者に血縁関係があるという決定的証拠にはなり得ない。
「本当にそうかしら? ライラック博士は度々あなたのことを『地球人で最も警戒すべき人物の一人』として評価しているみたいだけど」
「さあ……何のことかサッパリ分かりませんな」
まだまだ続くオリヒメからの追究に困り果てたのか、ライガは面倒臭そうに頭を掻きながらしらばっくれる。
彼自身としては「要注意人物ならどうして会談に呼んだんだよ」と心の中で呆れていたが……。
「そうそう、博士から『ライガに会うのなら"めっせんじゃー"をお願い』って伝言を預かっているのよ」
結局、ライガは本当に何も知らないようなのでこれ以上の追究は諦め、その代わりにライラックから預かった伝言があることを教えるオリヒメ。
「伝言?」
「『人類の覚醒の時は近い。おそらくは次がその時となるでしょう』――これが何を意味しているのかは分からないけれど」
人類の覚醒――。
2度目のコロニー落としを巡る戦いの最中にもライラックが口にしていた言葉だが、その意味自体は彼女の同志であるオリヒメにも分からないらしい。
「……彼個人に関する話はこれくらいにして、もうそろそろ本題に入りませんか?」
貴重な時間を浪費することを恐れたレガリアは今の話題を半ば強引に切り上げさせ、直接会談の本題へ移るようアキヅキ姉妹に提案する。
「本題ね……私ばかりが話すのも不公平だし、今度はそちらからどうぞ」
「ありがとうございます……それでは、単刀直入に申し上げます」
会談の主導権を均衡状態に戻すという名目で先に議題を提示するようオリヒメに促されたのを受け、彼女の厚意に乗ずるカタチでレガリアはついに自分たちの要望を打ち明ける。
「あなた方が戦争の早期終結を望むのならば、今すぐにでも地球上の全戦力を引き揚げていただきたい」
ルナサリアンが現在地球上に展開している戦力を全て撤退させれば、遅かれ早かれ戦争は必然的に終了する。
今の地球側各国に撤退中の敵を深追いする執念など残されていないはずだ。
「……」
「誠に申し訳ないが、その要望には応じられん」
しかし、アキヅキ姉妹から返ってきたのは期待を裏切る答えであった。
「確かに、いくら独裁体制といえどあなた方の一存だけで軍を動かすことは難しいでしょう。それは分かります。ですが、指導者たるあなた方が戦争終結に対して努力する姿勢を見せなければ――」
軍隊に所属する将兵たちのイデオロギーは決して一つではない。
それはかつて軍に所属していたレガリア自身が一番よく知っている。
だからこそ、指揮系統の上位にいる者が影響力を発揮することで主義主張の違いを乗り越えさせ、共通のビジョンに向かって進む道を示さなければならないはずだ。
「そうではない!」
だが、彼女の真摯な説得はユキヒメの無礼な一言によって遮られてしまう。
この瞬間、会談の緊張感がピークに達したことは誰の目に見ても明らかだった。
「そうではないのだ……貴様らは半年前に起きた出来事を忘れているようだが、元はと言えば月に土足で踏み入ったのは地球人の方だろう?」
ルナサリアンによる宣戦布告の約2か月前、それよりも先に地球側の月面探査船が領土侵犯を行ったことを指摘するユキヒメ。
「当時の我々は『月に人が住んでいる』という事実を知りませんでした。あれは不幸な事故だったのです。そもそも、責められるべきはエクスプローラーとエンデバーの乗組員を皆殺しにしたそちらでしょう?」
戦争責任のなすり付け同然と言える彼女の発言にはさすがに頭に来たのか、ルナサリアン側の戦争犯罪に言及することで反論するレガリア。
「フンッ……月面を抉るための探査装備を積んでいたくせによく言う。貴様らが月の資源と技術を狙っており、戦争目的を『侵略行為に対する反撃』から『地球の利権拡大』にすり替えていることなどもはや明白!」
そして、ユキヒメのあまりに失礼な決めつけは、普段温厚なレガリアを怒らせるのに必要十分なモノであったに違いない。
たとえ、それが一部の国にとっては事実だったとしても……。
「地球人を一括りにしないでくださる!? 少なくとも我々は純粋に戦争終結を願って――」
自分たちと「一部の国」は同類では無いと言わんばかりにテーブルをバンと叩き、先ほどから失言が目立つユキヒメを忌々しげに睨みつけるレガリア。
一度ならず二度も発言を遮るような相手は正直言ってぶん殴りたいが、彼女は暴力に訴えるという最悪の手段だけは取らないよう気持ちを抑える。
「それだけではないッ! 地球人の中には捕虜となった我が同胞に非人道的行為を働いている輩もいると聞く。そんな連中に対して軍を引き上げることで配慮しろと言うのか?」
にもかかわらず、ユキヒメはその言動を改めるどころか逆に地球側の戦争犯罪を次々と指摘し、それを認めない敵に対しては徹底抗戦以外あり得ないと主張する。
「あなたがそうしてくれれば、地球の世論は反戦に傾く! 世論の後押しがあれば戦争犯罪人を陽の光の下に晒し、法的根拠を基に処罰することができるのよ!」
お互いに熱くなりやすい性格のためか、身振り手振りを交えた壮絶な舌戦でヒートアップしていくレガリアとユキヒメ。
「……それは、私たちも軍事裁判に突き出されるということかしら?」
一触即発の事態を収めたのは、静かに舌戦を聞いていたオリヒメのこの一言だった。
「……戦争が終わって最初にすべきことは復興支援、次に戦争犯罪の調査とその責任の追及だと考えています」
隣に座っているライガに落ち着くよう窘められ、レガリアはリョクチャを飲むことで熱くなっていた頭を一旦冷やす。
「勝てば英雄、負ければ罪人……か」
地球には「勝てば官軍負ければ賊軍」という達観を表現する言葉がある。
オリヒメがこの故事を知っているとは考えにくいが、ルナサリアンにも似たような考え方があるのだろう。
「戦争とはそういうものでしょう。単純な善悪では語れない概念にもかかわらず、長い歴史の中で『戦勝国は正義、敗戦国は悪』という端的な固定概念が形成され、それを根拠に断罪と責任逃れが行われてきた」
歴史を振り返るまでも無い。
第一次世界大戦のヴェルサイユ条約、そして第二次世界大戦のパリ条約もそうだった。
戦争が終わった後の軍事裁判では常に勝利者がイニシアティブを握り、法廷という一見すると公平な場所を復讐の道具として利用してきた。
自分たちが犯した罪は覆い隠しつつ、相手の罪は冤罪や証拠不十分でも「事実」として扱う。
敗北者を二度と立ち上がれなくなるまで徹底的に叩きのめし、戦後の世界を自分たちに有利なモノへと作り変えるために……。
「そこにあるのは平等主義に基づく審判ではなく、政治的意図に基づいた駆け引きでしかないのです」
それが、当主や実業家という立場から人間の性を見てきたレガリアの忠告であった。
「フフッ、あなたは人間という生き物をよく分かっていらっしゃる。自己保身のためならば同胞を追い落とすことさえ躊躇わない、この世界で最も愚かで醜い存在ですわ。『知的生命体』とはよく言ったものね」
人間の悪しき本質を突くレガリアの発言を気に入ったのか、くすくすと笑いながら初めて彼女の意見に同意するオリヒメ。
あるいは、権力を完全掌握するために妹以外の親族を皆殺しにした忌まわしき過去を顧みているのか。
「だからこそ我々はもう後には退けないのです。負ければ戦犯として裁かれる以上、この戦争に勝たねば正当性と未来を掴むことはできない」
月の専制君主として大罪を重ね続け、来るべきところまで来てしまった彼女に引き返すという選択肢は無い。
罪を知らなかった幼き日へ戻ることはもう叶わない。
進むも地獄、退くも地獄ならば……その果てに何が待っているのか見てみようではないか。
「2度のコロニー落としに極地への捕虜収容、そして占領地域での焦土作戦――これらは言い逃れのできない立派な戦争犯罪よ。勝っても負けてもそれは……犯した罪の大きさは変わらない」
軍事裁判で議題に挙がるであろう戦争犯罪の根拠は出揃っていることを指摘し、その時が来たら罪を認めて償うよう遠回しに促すレガリア。
「ああ、だから私と姉上は罪人として裁かれる覚悟がある。ただし、我々を裁く無慈悲な神が地球人であってはならない――それだけのことだ」
もちろん、ユキヒメもオリヒメも自分たちの所業を棚に上げるほど無責任な人間ではない。
この戦争に勝とうが負けようが、いずれは積み重ねた罪を清算すべき時が訪れる。
だが……3億2千万の民を守らなければならない以上、彼女たちにとって今はその時ではなかった。
【パリ条約】
この名前で呼ばれる条約は多数存在するが、作中世界では1946年に締結された日本・イギリスとアメリカの講和条約を指すことが多い。
条約締結に先立ち軍事裁判も行われたものの、その公平性については今もなお論争の的となっている。




