【BTF-3】家族たち、恋人たち
「(ヴェレンディアは元々人通りが多くない閑静な住宅街だが……今はいつにも増して人がいないな。ま、非常事態宣言が出された戦時下じゃ仕方のないことか)」
愛車の青い日本製スポーツワゴンを走らせながら街路の様子を窺うライガ。
普段は道行く人々を振り向かせる水平対向エンジンの排気音も、今はただ空しく響き渡っているにすぎない。
ライガが生まれ育ったヴェレンディア区はヴワル市南部の郊外地を占める高級住宅街であり、彼は実家を出た後もこの地に家を建て暮らしている。
目的地――2階建てのそこそこ大きな自宅のガレージに車を停め、助手席に置いてある土産物の袋を取り出してから玄関前へと向かう。
一応、妻と子どもたちには今日帰ってくると伝えているが……。
「ただいま。俺なんだけど……玄関の鍵を開けてくれないか?」
「はーい、今開けまーす」
約3か月ぶりにインターホンのボタンを押すと、すぐに玄関を開けてくれたのは実家に帰省していた娘のライカであった。
「父さん……おかえりなさい」
ライガには妻と2人の子どもがいる。
妻のルチルはかつて国民的アイドルとして知られていた人気歌手であったが、ライガとの結婚を機に芸能活動からは引退。
現在は指導者として後進の育成を行っており、オリエント連邦の芸能界に多大な貢献を果たしている。
息子のクラウス(73歳)は20代の時に「自分探し」と称してヨーロッパ巡りの旅に出てしまうなど、両親の頭を悩ませるタイプの自由奔放な子どもだった。
しかし、そのおかげで帰国後は名の知れた建築デザイナーとなり、今では旅先で出会ったオーストリア人女性との間に家庭を持つ立派な父親となっている。
国境を越えて愛を育んだ妻は数年前から闘病生活に入っているため、今日は一人で帰省しているはずだ。
娘のライカ(70歳)は父とは異なるジャーナリズムの道を志し、危険な紛争地帯に自ら赴くなど勇気ある女性ジャーナリストとして知られている。
じつはエレブルー首脳会談の一件で偶然ライガと再会を果たしていたのだが、その後は取材記録をまとめることも兼ねて実家へと戻ってきていた。
「そういえば父さん、兄さんの部屋の片付けを手伝ってたらこんな写真を見つけたんだけど」
「ほう、随分と古びた写真だな。確かにクラウスは写真を撮るのが好きな奴だが……」
よほど見せたくて仕方なかったのか、少し肌寒い廊下で上着の内ポケットから一枚の古びた写真を差し出すライカ。
「……おいおい、こいつは懐かしいな。これみたいに『5人』で写真を撮る機会はもう叶わない、か」
それを見たライガは家族全員が健在だった頃を思い出し、不意にこみ上げてきた涙を堪える。
その写真には彼自身とルチル、クラウス、ライカの4人に加えて、息子と瓜二つの真面目そうな青年――もうこの世にはいない人物が写っていた。
「ただいま――って、お前たちも来ていたのか」
「あ……お邪魔してますライガさん」
ライガが久々に自宅の居間へ足を踏み入れると、そこには意外な先客がいた。
「書斎で仕事をしてる母さんたちを呼んでくるね」
そう言い残しながら2階に登っていく娘を見送りつつ、自らも二人組の先客たちが座るダイニングテーブルへと腰を下ろすライガ。
元々中性的且つ童顔なのでいかつい顔立ちではない彼だが、この先客たちと会う時はどうしても顔が綻んでしまう。
「久しぶりだな、ニキ。こんな大変な時期によくウチを訪ねてくれた」
「いえ、妹から『おじいちゃんによろしく』っていう伝言を預かっていますから」
「ああそうか、ニコは警察官だもんな。いざとなったら軍人と同じく市民を守らなければならない職業か……」
ライガの向かい側に座っている若い女性の名はニキ・フレスベルグ。
彼女とその妹ニコはクラウスの娘――つまり、血縁関係で言えばライガの孫娘だ。
初孫ということで彼はニキとニコを大変可愛がり、彼女たちも優しい祖父であるライガによく懐いている。
昔のライガは母レティがクラウスとライカを甘やかす理由がイマイチ分からなかったが、自らも孫娘ができたことでようやく母親の気持ちを理解するに至ったのである。
そして今、36歳となったニキが妊娠4か月を迎えたことでライガは「ひいおじいちゃん」になろうとしていた。
「大変といえば……君も今は仕事どころじゃなくて辛いな」
可愛い孫娘を「ママ」にした張本人である女性の職業を思い出し、戦時下では仕事が無いことについて同情するライガ。
「ボクだけじゃなくてレース業界全体が似たような感じですよ。今はあらゆるスポーツが自粛自粛です」
ニキの夫であるグン=ブリット・フレスベルグは世界選手権で優勝経験を持つラリードライバーとして知られ、モータースポーツ好きのライガとは良好な関係を築いている。
とはいえ、レース業界が自粛ムードとなっている現状ではレーサーとして腕を振るう機会は無く、所属チームのスポンサーである軍需企業への慰問活動で何とか食い扶持を稼いでいるらしい。
「俺たちスターライガや軍の連中は戦争終結のために頑張っている。近いうちに必ず戦争を終わらせてやるから、平和な世界が戻ってきたら今度はチャンピオンになる姿を見せてくれよ」
「ええ、今度は最終戦で同郷のチームメイトに逆転されないよう気を付けます……」
義理の孫娘とそんな他愛のない遣り取りをしていると、2階へ繋がる階段辺りから3人分の足音が聞こえてくる。
そのうちの一人はライカの足音だろう。
「――まあ、母さんの仕事用PCも結構長いから……」
ライガの予想通り、最初に2階から降りてきたのは母親のパソコンのトラブルについて話しているライカだった。
「ああ、OSの再インストールとコンポーネント交換で直ると思う。後で交換用のパーツを探してみるよ」
「ありがとう。お母さんは21世紀生まれの人間だから、最近のコンピュータはよく分からないのよ」
「ハハッ、『何もしてないのに壊れた』って言い訳しない分マシさ!」
それに続いて降りてきた二人のピンク髪――クラウスとルチルはライガの姿を見つけると、満面の笑みを浮かべながら愛する人のもとに駆け寄るのであった。
ダーステイ家はクラウスが既に独立しており、ライガとライカも仕事の都合で長期間家を空けることが多いため、普段から自宅にいるのはルチル及び家事手伝いとして雇っているメイドぐらいだ。
そういった特殊な事情もあり、家族全員+一部の親戚で食卓を囲むのは去年のクリスマス以来約半年ぶりのこととなる。
「ごめんなさいね、食料品が軍隊に回されてるせいでこんな料理しか用意できなくて」
「気にするなよ、他の国の食糧事情はもっと悲惨なんだぜ。それに比べたらお前の料理はご馳走だよ」
平時よりもワンランク落ちる食材しか使えなかったことを謝るルチルをフォローし、土産物のアイスワインを注いだグラスを彼女へと差し出すライガ。
このワインはレガリアが趣味で運営しているワイナリーで作られた「エンバディメント・オブ・スカーレット」であり、本来は非売品だが彼女が特別にプレゼントしてくれた物だ。
妊娠中のニキは残念ながら飲むことができないため、フレスベルグ家には出産祝いとして後々贈答する予定である。
「そもそも、庶民育ちの身からすれば高級食材じゃなくても満足できるしな」
スカーレット・ワルキューレの艦内食堂で出される料理も悪くないが、愛妻の手作り料理にはどう逆立ちしても敵わないだろう。
ダイニングテーブルに座る全員と乾杯をした後、ライガはルチルの手料理と相性が良い超高級オリエンティアワインを少しずつ味わっていく。
戦時下という世知辛い世の中ではあるが、今は一時の幸せを精一杯楽しむ。
この休暇が終わったら次はいつ帰って来れるか――無事に生き延びられるかさえ分からないのだ。
戦士が愛する人のもとから旅立つ時、そこに未練を置いていくべきではない。
「(レガリアやリリーやルナール先輩はまだ結婚すらしてないのに、俺はこうして子どもや孫に囲まれている。何と言うか、自分だけ時間が進んでいるみたいで少し悲しいな……)」
自分がロートルの領域に入ったことを改めて実感させられたライガは、その不安を振り払うように深紅の液体が入ったワイングラスを呷るのだった。
スターライガメンバーの中には天涯孤独で帰る場所が無い者――あるいは何かしらの理由で帰省しない者も決して少なくない。
「荷物持ちを引き受けてくれるのはありがたいんですけど……いいんですか? ルナールさんって一応貴族の跡継ぎなんでしょ?」
「フッ、こっちの方が楽しいからね。それに……私は父とあまり仲が良くないのでな」
ヴワル市内の複合商業施設に繰り出しているリリーとルナールもそうした者たちの一人である。
リリーは30年前のバイオロイド事件で色々なことが起こった後、スターライガでの活動に本腰を入れるため本拠地内の社員寮へ引っ越しており、帰省する必要性自体が存在しない。
かつてラヴェンツァリ家は広大な土地を持つ名門貴族であったと云われているが、一族が貴族階級から除名された後に生まれたリリー(とサレナ)には関係の無い話だ。
一方、ルナールはオリエンティア貴族の序列3位に君臨するオロルクリフ家の現当主ルナッサの娘であり、長女として一族を継ぐ可能性が最も高い人物である。
本当はこんなところでデートにかまけている場合ではないのだが、オロルクリフ親子は過去の出来事が理由で互いに確執を持っているとされ、特にルナールが父を好いていないことは親族以外にもよく知られている。
実家に戻ったメルリンとリリカは姉が帰省しない理由について父から詰問されているに違いない。
「(悪いな妹たちよ。だが、今はどうしても父上と顔を合わせる気にはなれないんだ)」
その光景を想像していたルナールが表情を曇らせたことに気付いたのか、彼女の隣を歩いていたリリーはワイシャツの袖を引っ張りながら「ある店」を指差していた。
「いやはや、君のオタク趣味に付き合うつもりが逆に私好みの店を見つけてしまうとはね」
ヴァイオリン演奏を本業としているルナールにとって、弦楽器専門店はまさに天国のような場所であった。
彼女は試奏ができる中では最も高価なヴァイオリン(約113万円)を手に取り、リリーが好きそうなアニメソングを奏でるというカタチで礼を述べる。
「以前君のスマートフォンから漏れていた音を思い出しながらコピーしたから、少しズレているかもしれないが……」
専門外の曲且つ記憶を頼りにした耳コピでは納得できるクオリティを引き出せず、もしかしたら原曲のイメージを損ねたかもしれないと謝るルナール。
「いえ、そんなことありませんよ! あの曲をそのままヴァイオリンアレンジした感じだったと思います!」
しかし、彼女がマイナーな名作アニメの「あの曲」を知っていたことの方がリリーは嬉しかったらしく、今にも溢れんばかりの笑顔で喜びを表す。
バカップルや新婚さんと勘違いされているのか、レジカウンターに座っている店主は口元を押さえ必死に笑いを堪えている。
そう見られていることにようやく気付いたリリーとルナールは顔を赤らめ、互いに苦笑いしながら弦楽器専門店を後にするのであった。
「(今までは単に女好きなしつこい人だと思ってたけど、本当に私のことを本命として見てくれているのかな? そうだとしたら本格的にお付き合いをしても……)」
「(素っ気無いから一時は脈無しだと諦めかけていたが、このトキめきはライガと付き合っていた時以来だ。もう自分の心に嘘は吐けないな……私はリリーが欲しい)」
弦楽器専門店を出ると、二人は初めて無意識のうちに手を繋いでいた。
決して少なくない困難が立ち塞がるであろう身分違いの恋――。
だが、かつてライガとの結婚話を父親に拒否された苦々しい経験を持つルナールは、今度こそ自由恋愛を最高のカタチで成就させたいと強く願っていたのだ。




