【BOG-15】戦争に最も近い町(後編)
「……つくづく男というモノは御し難いな」
そう吐き捨てながらセシルは丁寧に鍛えられた男の左腕を容赦無く捩じ上げる。
「ぐっ……この女、なんて馬鹿力だ……!」
無理矢理力を掛けられている男は苦痛で顔を歪めていたが、その直後崩れ落ちるように倒れ込んだ。
理由は明白、セシルが強引に彼の腕を曲げて骨折させたからである。
いや、正確には「へし折った」という表現が適切だろうか。
とにかく、ホワイトウォーターUSAの面々は目の前で起きた出来事を最初は理解できなかった。
外国から来た金髪のカワイ子ちゃんをナンパしようとしたら、その連れの女に仲間を1人潰されていたのだから。
その場に居合わせた一般客でも察することができた。
――この状況はヤバい、と。
「こいつゥ……! 俺たちが天下のホワイトウォーターUSA様だと知っているのかぁ?」
椅子から乱暴に立ち上がった男が拳をポキポキ鳴らしながらセシルへと迫る。
それに対し彼女は臆することなく相手の目を睨みつけた。
「ああ、よく知っているさ。アメリカニズムと白人至上主義を振りかざし、戦場で一般市民や民間機相手に『実弾演習』を行っているが、CIAが不都合な真実を揉み消しているらしいな」
相手を挑発するようにイギリス英語で語り始めるセシル。
無論、こういった「事実」は世間一般には知られておらず、普通の一般客たちはキョトンとしている。
一方、ズヴァルツを除くホワイトウォーターのメンバーたちは彼女の発言を「宣戦布告」と受け取り、フライトジャケットを脱ぎ捨て臨戦態勢に入っていた。
「おい、女ぁ……ちっとばかし痛い目に合わんと分からんようだな……!」
「顔は悪くないが口の利き方が気に食わねえ、俺の○○○で黙らせてやろうか」
「ボコられて泣いて謝っても許さねえからな? まあ……金髪ちゃんの代わりにヤらせてくれたら考えてやってもいい」
「へへへ……お前が負けたら金髪ちゃんと2人で俺のナニをしゃぶってくれよぉ……?」
ホワイトウォーターの男たちは身長170cm程度のオリエント人女を完全に侮っており、勝った前提で辱めることしか考えていない。
私をサンドバッグかオナホールと勘違いするぐらいなら別にいい。
妄想の中で好きなだけ楽しんでろ。
だが、スレイを……大切な部下であり友でもある彼女を、貴様らヤンキー崩れ如きに触れさせるワケにはさせない!
「ミキ、お前はスレイと一緒に後ろへ下がれ」
一触即発の状態の中、セシルはミキへスレイを守るよう頼んだ。
「警察沙汰になったらヤバいぞ……と言っても無駄だろうな。4対1の白兵戦で勝てる算段はあるのか?」
親友の白兵戦能力を知らないため、彼女の身を案じるミキ。
「私は負けるケンカはしない主義だ。1人1分――4分もあればヤンキー程度は黙らせられるさ」
それに対してウィンクで答えるセシル。
当然、この言動はホワイトウォーターのメンバーを憤らせるのに必要十分な挑発である。
「てめぇ……その綺麗な顔を凹ましてやる!」
その言葉と同時に一番短気そうな男がセシルへと殴り掛かるのだった。
屈強な男の右フックがセシルの顔面に向かって放たれる。
彼はこれまでのケンカの経験からクリティカルヒットを確信していた。
しかし、気が付くと右腕を完全に止められ、逆に投げ技の体勢を許していたのである。
そして、右腕を掴まれた男はジャイアントスイングの要領で振り回された末、店内のお洒落な壁へ思いっ切り叩き付けられる。
セシルとしては命を奪うつもりは無かったが、後頭部を強打した男はなかなか立ち上がらない。
……スレイに粗相を働いたことで多少殺意があったことは認めるものの、まさかこの程度で半殺しになるほど軟弱だとは思ってもみなかった。
「え……殺す必要は無かったのに……!」
ピクリとも動かない男の姿に悪い予感を抱くスレイ。
周囲の一般客たちもざわつき始めている。
「落ち着け、たぶん気絶しているだけだ」
一方、ミキやコーヒーを飲んでいるズヴァルツは冷静に状況を見守っていた。
「クソッたれ! 1人やったぐらいで図に乗るなよ!」
仲間をやられ激昂した別の男がセシルに向かって吠える。
彼はアメリカンフットボールを彷彿とさせるタックルを狙おうとしていた。
だが、いくら大柄といえど単純な直線運動など当たるわけがない。
テーブルや椅子を吹き飛ばしながら迫って来る男に対しセシルは姿勢を下げ、相手の懐へと潜り込むように突撃する。
間近にいた客には「ミートテンダライザで生肉を叩いたような音」が微かに聞こえていた。
「ぐふっ……!?」
次の瞬間、男は腹を押さえ呻き声を上げながらその場に倒れ込む。
セシルの強烈なストマックブローをまともに食らって耐えられるはずが無く、この男は仲間の二の舞を演じるだけに終わった。
「所詮は筋肉の固まりか……もっと『ここ』を使ってはどうだ」
彼女はそう言いながら右側頭部を指し示し、わざとらしい仕草で相手を煽り立てる。
ホワイトウォーターの男たちの怒りは限界に達しつつあった。
「もう許さねぇぞオイ……もう許さねぇからなぁ!」
いかにも「アメリカン」といった風貌の男は手近にあったテーブルを持ち上げ、それをセシルの脳天めがけて振り下ろす。
それに対して彼女はフランス発祥の護身術「サバット」を思わせる鋭い蹴り上げで木製テーブルを粉砕し、続けざまに繰り出すトルネードキックが相手の左側頭部へ炸裂した。
「……!?」
強烈且つ素早い一撃を受けた男は何が起きたのか分からないまま崩れ落ちる。
ここまでに経過した時間、わずか2分半。
そう、セシルは自らの予想を上回るハイペースでホワイトウォーターを蹂躙していたのだ。
最後に残された細身の男はもはや戦意を失っており、情けないことに震え声で命乞いを始めている。
「な……なあ、俺たちが悪かったからよぉ……これ以上争うのはよそうや……」
彼の泣き言を静かに聞くセシル。
まあ、彼女が本当にこの男の話を聞いているのかは分からないが。
「オリエントの姉ちゃん、確かにあんたは強いぜ……でもなぁ!」
その時、表情を豹変させた男の手元に銀色の光が奔った。
「Ka-Bar(ケイバー)……! こいつ、素手で勝てないと知って武器を持ち出したか!」
店の奥の方で静観していたミキは光の正体が戦闘用ナイフの照り返しであることを即座に見抜く。
もちろん、相手がアンフェアな武器を取り出したのはセシルからも見えていた。
「へ、へへへ……バラバラに切り裂いてから、じっくりと犯してやるよ……!」
猟奇的な言葉で相手を委縮させるつもりなのだろうが、言動とは裏腹にナイフを構えた男の両手はガタガタと震えている。
「あんたをヤったら次は金髪ちゃんも――」
「F**k yourself(黙れ)」
男の妄言をFワードで完全に遮るセシル。
どうやら、スレイを「そういう対象」のように扱った時点で火に油を注いでしまったらしい。
「……このクソ〇ッチ、ぶっ殺してやらぁ!」
逆ギレした男は雄叫びを上げながら目の前の「クソ〇ッチ」ことセシルへナイフを向ける。
だが、彼は相手へ突撃することなくその場に倒れたのであった。
気が付くと先ほどまでブラックコーヒーをすすっていたズヴァルツが立ち上がっている。
「……ストリートファイトで武器を使うなど、聞いたことが無いな」
よく見ると彼の左手は手刀の形をしていた。
醜態を見かねたズヴァルツは自らの手で仲間に引導を渡していたのだ。
「店長、こいつらは警察に突き出してくれて構わん。きっと余罪が呆れるほどに出てくるぜ。そして、これは美味かったコーヒーの代金だ。テーブルと壁は……保険でどうかにしてくれ」
呆然とする店長へ2ドル硬貨を投げ渡し、退店する前にヨーロッパ系の男はセシルの方を振り向いた。
「お前、腕利きのMFドライバーだな?」
ズヴァルツの問いに対して沈黙を貫くセシル。
「ダンマリってワケかよ……まあいい。MF乗りならMF乗りらしく、いずれはドックファイトで雌雄を決することにしよう。『その時』は近いうちに訪れるだろうからな」
そう言い残すとズヴァルツは今度こそ店から出て行くのだった。
扉に掛けられている看板が「CLOSED」へ変わり、警察による現場検証を終えたオールド・アダムはかなり早めに営業を切り上げる。
「……あんたたち、ホワイトウォーターの連中を追い払ってくれたことは感謝する。奴らのタチの悪さは北アメリカじゃ有名でね。しかし、まさかこんな寂れた店にまで押し寄せて来るとは思わなかった」
散らかった店内の片付けを行っていた店長は『コーヒーブレイク』と称し、作業を手伝うセシルたちにとっておきのスペシャルブレンドコーヒーを淹れてくれた。
深い知識と長年の経験に基づいて焙煎・粉砕が行われたコーヒーは非常に美味であり、元々コーヒーが好きなミキは2杯目に突入している。
「今回の一件は連中が引き金になったものである以上、あんたたちを裁判へ巻き込むことはしないつもりだ。その代わり……」
一息入れた後、コーヒーミルを片付けながら店長は言葉を続ける。
「二度とこの店には来ないでくれ。『オリエント人のいる所に災いあり』とはよく言ったものだな。これからは関わり合わんほうが互いの身のためだろう」
店長の言っていることは別に当て付けではない。
フロリア星人とのファーストコンタクト、バイオロイド事件、2年前にやって来た「宇宙からの脅威」に今起きているルナサリアンとの戦争――。
21世紀以降、人類が直面してきた困難の中心には大抵オリエント人がいた。
バイオロイド事件に至ってはオリエント人の天才科学者が黒幕であったことがよく知られている。
それゆえ、オリエント人の多くは自分たちを「疫病神」だと皮肉るのだ。
「……ご馳走様でした、店長。それじゃ、『疫病神』たちは大人しく仕事場へ帰るとするよ」
連れの2人がコーヒーを飲み干しているのを確認したセシルは立ち上がり、3人分の代金をカウンターへ差し出す。
彼女へ続くようにスレイはペコリと会釈し、奢られるとは思っていなかったミキもとりあえず一礼しておく。
「『オールド・アダム・スペシャル』の代金はあんたが持っててくれ。あと、俺がこう言うのもなんだが……早死にするなよ。『生きて帰った者こそが真の英雄』だというからな」
店長の言葉――オリエント連邦が誇る伝説的エースドライバー「レティ・シルバーストン」の名言を聞いたセシルは微笑みでそれに応え、スレイたちと共にオールド・アダムを後にするのであった。
その頃、セント・ジョンズの港ではメルトが忘れてはならない「大切な作業」を行っていた。
「――では、捕虜の人たちのことはお任せします。相手の軍事行動の口実にされないよう、くれぐれも丁寧に扱ってあげてください。異星人とはいえ、女の子はデリケートな生き物ですから」
先日の海戦で救助したルナサリアンたちを「捕虜として」適切な扱いができるほど、アドミラル・エイトケンの居住区画に余裕は無い。
軽巡洋艦ベースの船体に多数の弾薬庫を設置しているうえ、MF格納庫が甲板下に配される構造なので結果的に乗組員の生活へしわ寄せが来ているのだ。
当然、そのような状況下で捕虜たちにあてがう部屋など存在しないのである。
そのため、捕虜の扱いについて定義している「ジュネーヴ条約」への抵触を考慮したオリエント連邦政府は、第8艦隊へ捕虜を人道的に扱うよう通達していたのだ。
それを受けた艦隊司令官のサビーヌは彼女らをカナダ軍へ引き渡すことを決定。
補給作業の合間に捕虜たちはマンバ装甲兵員輸送車へ乗せられており、これから軍艦の中よりも環境が良い場所に連れて行かれることだろう。
兵員輸送車の車列が走り去るのを見送ったメルトは副長のシギノへ業務の引き継ぎを行い、艦長室の隣にある自室へと戻っていた。
シギノが夜間勤務の時間分眠っていたため、午前中から昼間の業務は彼女の担当部分も全てメルトが片付けておいたのだ。
午後からはその代わりとしてシギノに仕事を任せ、自分がぐっすり休む。
想定外の夜戦でシフトに少なからず狂いが生じてしまったが、明日には元通りになるだろう。
――いや、後日決行予定の作戦のためにシフトは戻しておかなければならない。
「(はぁ……今月はずっと戦いの連続だったわね。あの娘たちも半舷上陸で少しは休めるといいんだけど)」
シャワーを浴びながら物思いに耽るメルト。
オリエント圏の国々ではバスタブに湯を張って浸かる習慣があまり無いほか、入浴の際は髪を下ろすことがマナーとされている。
女性らしさに満ち溢れる彼女が白い湯気を纏い、均整の取れた肢体から水を滴らせる姿は「絶景」と呼ぶに相応しい。
その気になればアイドルや女優を目指せるほど恵まれた容姿を持ちながら、なぜ軍人になったのかはセシルでさえ知らないという。
「(……ごめんね、ゲイル隊のみんな。次はとても危険な作戦へ送り出すことになるかもしれない)」
メルトが心の中で詫びるほど危険だという作戦。
その内容は……「超兵器潜水艦の撃沈」であった。
ミートテンダライザ
所謂「ミートハンマー(肉叩き)」のこと。
英語圏ではこちらの呼び方が主流である。




