【BOG-14】戦争に最も近い町(前編)
ここはカナダのニューファンドランド・ラブラドール州にある港町「セント・ジョンズ」。
カラフルに彩られた住宅街が目を引く町だが、数百km北に行けばルナサリアンの哨戒部隊と出くわすかもしれない「戦争に最も近い町」でもある。
そして、この町の港には風景に不釣り合いな軍艦が数十隻も停泊していた。
オリエント国防海軍第8艦隊は北極圏を越えた先にあるルナサリアンの前線基地を叩くべく、カナダ海軍協力の下で応急修理及び補給作業を進めている。
本来ならカナダの隣国にして世界最大級の軍事大国であるアメリカが果たすべき役割だが、彼らは本土と太平洋の防衛で手一杯なのだ。
半舷上陸を認められたセシル、スレイ、ミキの3人はセント・ジョンズの町でちょっとした観光を楽しんでいた。
規則により半舷上陸中は制服の着用が認められていないため、彼女らは国防海軍指定のシャツの上に冬物の上着を羽織っている。
なお、アヤネルはアドミラル・エイトケン唯一のMFドライバーとして艦内に居残りしてもらっているため、彼女には何かお土産を差し入れる予定だ。
「もう11時かぁ……お昼ご飯はどうします?」
スマートフォンで時間を確認したスレイが上官たちへ問い掛ける。
おそらく、お腹が空いているのだろう。
「そうだな……カナダなんて滅多に来ないし、どうせなら名物料理と洒落込みたいところだ。あそこの老夫婦にでも尋ねてみるか」
カナダの公用語である英語とフランス語を両方話せるセシルはベンチで談笑している老夫婦の所へ歩み寄り、まずは流暢なイギリス英語で「少し尋ねたい事があるのですが」と話し掛けた。
「すまないねぇ、綺麗なお嬢さん。ワシらはモントリオールから越してきたから、フランス語のほうが話しやすいんじゃよ」
どうやら、この老夫婦はフランス語圏の地域から定年退職後に移住してきたらしい。
そうと分かったらセシルもフランス語に切り替えるまでだ。
「分かりました、フランス語には多少自信があるので大丈夫です。この辺りに外国人観光客でも入りやすい飲食店はありますか?」
彼女が話すフランス語は若干オリエント訛りが残っているものの、老夫婦に対してはしっかりと伝わった。
質問の意図を理解した老婆は通りの向かい側にある喫茶店らしき店舗を指し示す。
「あそこに『オールド・アダム』というお店があるでしょう? 貴女たちのような若い外国人向けのお洒落な店内だし、プーティンやピエロギはきっと口に合うと思うわ」
「オールド・アダム?」
その名前は初めて聞くはずだが、セシルはどこかで聞き覚えがあった。
確か、ヴワル市内の似たような名前のバーに姉が連れて行ってくれたことがある。
……それはともかく、今日のランチタイムはいかにもお洒落そうな「オールド・アダム」にしよう。
「ありがとうございました、ご老人方」
「お嬢さん、君はどこの国からやって来たのじゃ?」
丁寧に一礼し仲間たちの所へ戻ろうとするセシルを老夫婦のお爺さんが呼び止める。
「私と連れの2人はオリエント連邦出身です」
それを聞いたお爺さんは数回頷き、「お嬢さん」の黒い瞳を静かに見つめた。
「ふむ……現役の職業軍人か。近頃の若者にしては良い目をしておるな」
「は、はあ……ありがとうございます」
好々爺のような雰囲気から一転、戦士を彷彿とさせる鋭い眼差しに思わず姿勢を正すセシル。
自身を職業軍人であると見抜いたのはもちろん、普通の退役軍人とは思えない佇まいに彼女は内心驚いていた。
「自慢ではないが、こう見えても昔はカナダ空軍のエースパイロットだったんじゃ。バイオロイドとの戦いでは勲章を貰い、退役間際には教官をしておった。若者の才能を見極めるのには自信がある」
そう言いながら右手で戦闘機のジェスチャーを見せるお爺さん。
若き日の記憶を思い出しているであろうその顔はとても生き生きしていた。
「本当はスペースインベーダーどもを蹴散らしたいところじゃが、如何せんワシもジジイじゃ。これからは君のような若者に未来を託すしかあるまい」
「ええ、一日でも早く平和が訪れるよう努力します。私たち若者に任せてください」
老夫婦に別れを告げ、今度こそセシルは仲間たちの所へ戻り「オールド・アダム」を目指すのだった。
老夫婦が薦めてくれた「オールド・アダム」は確かに20代の外国人女3人でも入りやすい、落ち着いた雰囲気の店であった。
テーブル席に腰を下ろした3人はとりあえず店長のオススメを注文し、プーティンやピエロギといったカナダの名物料理に舌鼓を打つ。
とにかく、セシルが英語とフランス語を理解できるおかげでコミュニケーションには全く困らない。
「セシル、さっきの老夫婦とはやけに話が弾んでいたようだが?」
カナダが発祥とされるジンジャーエールを味わいながら問い掛けるミキ。
彼女とスレイは英語こそ多少理解できるが、大学の外国語教育でフランス語を選ばなかったため会話自体が聞き取れなかったのだ。
ちなみに、オリエント連邦の大学は外国語を最低1種類修得しないと卒業できないため、ミキはフィンランド語と日本語、スレイはラテン語を卒業資格として学んでいる。
「ん? ああ、『軍務頑張ってね、お嬢さん』的なことを言われただけさ」
「お嬢さんって……」
「失礼な、お前よりはイイとこの生まれだぞ」
不服そうな表情を浮かべたスレイを睨みつけるセシル。
別にスレイの実家が悪いわけではないが、名門アリアンロッド家と比べるのはさすがに酷というものだろう。
「フランス語でお嬢さんは……『マドモアゼル』かな?」
「マドモアゼル・セシル……意外に悪くない響きじゃないか、『お嬢さん』?」
「お嬢さんは止めてくれ、性に合わん」
美味しい食事にありつきながら友人たちと過ごす時間。
こんな楽しい時がずっと続いて欲しいとセシルは願っていた。
だが……。
店の扉が突然バンッと開けられ、屈強な男たちがなだれ込むように「オールド・アダム」へ入店してくる。
多くの客が不満げに入り口の方へ目を向けるが、彼らの姿を見ると慌てて視線を逸らした。
セシルは迫力に臆することなく睨み続けた、勇気ある客の一人だった。
「い、いらっしゃいませ……」
「店長、酒だ! 酒を持って来い! 俺たちゃ一般市民様のために働く『ホワイトウォーターUSA』だぞ!」
リーダー格と思わしきガラの悪い白人男性が怒鳴ると、店長は恐る恐る大量のビール瓶をテーブルへと運ぶ。
「ホワイトウォーターUSA」なるグループはたまたま空いていたテーブル席―セシルたちの隣に座るのだった。
「(ホワイトウォーター? なんて運が悪い……最悪の客がやって来たぞ)」
ジンジャーエールを飲み干しながら眉をひそめるセシル。
本当ならさっさと会計を済ませて出て行きたいところだが、店長が怖がっているのでそれどころではない。
―ホワイトウォーターUSA。
ドイツ系アメリカ人の元Navy SEALs隊員「エーリッヒ・プリンツ」と代表取締役を務める日系アメリカ人の元CIA職員「ショーン・ゴトー」によって創設された民間軍事会社である。
請け負う事業内容はスターライガに代表されるプライベーターとほぼ同様だが、活動内容や軍事作戦における扱いなどについてのルールを制定する国際機関「国際プライベーター協会」には加盟していない。
いや、厳密にはオリエント連邦の影響力が強い協会から拒否されたと言うべきか。
そのため、スターライガなど協会加盟済みのプライベーターからは同業者と認められていないのだ。
いがみ合っている理由については諸説あるが、ミリタリー系の雑誌やウェブサイトでは「政治思想の違い」「ホワイトウォーター側の社風や勤務態度」「オリエント人が抱く反米感情」が要因として挙げられている。
もっとも、噂ではスターライガの主要人物であるライガ・ダーステイがアメリカニズムを振りかざすホワイトウォーターUSAを毛嫌いしており、プリンツやゴトーも21世紀以降各分野でホモ・サピエンスの立場を奪うようになったオリエント人ことホモ・ステッラ・トランスウォランスに差別意識を抱いているという。
ホワイトウォーターUSAの「仕事ぶり」についてはセシルら正規軍もよく知っていた。
男たちが着ているフライトジャケットはおそらくアメリカ軍から払い下げられた物だ。
袖に付けられたワッペンが彼らの所属組織をハッキリと示していた。
饒舌な中年男が各人の本日の戦果を発表していく。
「我らがエース『ラウ・ズヴァルツ』はスペリオル湖上空の航空戦で7匹のルナサリアンを仕留め、通算撃墜数を33とした!」
ホワイトウォーターのメンバーたちの視線は「ラウ・ズヴァルツ」と呼ばれた男へ向けられた。
ヨーロッパ人のような顔立ちをした彼は静かに店のメニュー表を眺めている。
ズヴァルツのことは別にどうでもいい。
問題は中年男が発した「7匹」という言葉だ。
「(何が『匹』だ。こいつらはルナサリアンを撃墜スコア程度にしか思っていないのか)」
ジブラルタルの戦いで敵もまた人間であるという事実を知ったセシルにとって、ホワイトウォーターの考え方は不愉快そのものであった。
それを感じ取ったのかズヴァルツは少しだけ彼女の方を見やるが、すぐにメニュー表へと視線を戻す。
「さすがはオランダ空軍の元エースドライバーだ! な? そこのカワイ子ちゃんもそう思うだろ?」
ビール瓶を持った男が近くにいたスレイへ絡みだす。
苦笑いしつつも対応していた彼女に対し、セシルはアイコンタクトで「相手にするな」と注意を促した。
「(これ以上この場にいるのは不愉快この上ない。ミキ、会計を済ませてくるからスレイに何かあったら教えてくれ)」
イライラが限界に達しつつあったセシルはミキにこの場を任せ、会計のため席から立ち上がろうとした。
「嬢ちゃんはオリエントから来たのかい? へへへ、やっぱイイ身体してるねぇ……」
「おい、顔もめちゃくちゃ可愛いぜ。しかもオリエント人にしちゃお淑やかだしよぉ、最高じゃねえか」
男たちはスレイの金髪とボリューミーな胸を嘗め回すように見る。
暢気な彼女もこのレベルになるとさすがに嫌そうな表情を浮かべていた。
「なあ、カナダ旅行の記念に俺たちと少し遊ぼうぜ……!」
無骨な太い腕がスレイの胸へ伸ばされようとしているのをセシルは見逃さない。
次の瞬間、彼女は財布を放り出し粗相を働く男へ飛び掛かっていた。