【MOD-58】暗雲
Date:2132/05/11
Time:11:22(UTC-9)
Location:Alaska Range,USA
Operation Name:-
「こちらフライトデッキ、甲板上の全作業員は速やかに安全な場所まで退避せよ! これより『ラーレ』を発艦させる!」
スカーレット・ワルキューレの飛行甲板上に向けてアナウンスが行われると、作業員たちは駆け足で退避場所へと移動していく。
普段MFが発艦時に使用するカタパルトにはチューリップを横倒しにしたような物体が接続されているが、これこそが「ラーレ」という愛称を持つMF移送用使い捨てコンテナだ。
ラーレは同じく使い捨てのロケットエンジンを2基搭載しており、その大推力がもたらす飛行速度はマッハ3を超える。
本来はMFを安全に大気圏突入させるための手段として開発されたが、スターライガでは航続距離が短いMFを遠方へ投射する方法としても活用している。
ラーレを使えば2000km以上離れた敵地に対する奇襲など戦略の幅が大きく広がるため、本当に必要な時が来るまで温存されていたのだ。
それが今日訪れることはさすがに予想できなかったが……。
「全作業員退避完了!」
「進路オールクリア! カウントダウン開始!」
飛行甲板上の安全が確保されたことを受け、ラーレの運用を担当するスタッフはエンジン点火スイッチに指を掛けながらカウントダウンを始める。
カウントダウン中に何か問題が起こった場合は発艦を中止し、トラブルを解消してから再試行しなければならない。
「10、9、8、7、6……エンジン点火!」
幸いにも今回は何のトラブルも発生しなかったため、手順通りにエンジン点火スイッチを下げることができる。
ロケットエンジン2基も点火に成功しており、飛行甲板は強烈な熱風に晒されていることだろう。
人間程度の重さなら容易に吹き飛んでしまうほどの暴風だ。
「3、2、1……射出!」
スタッフがカタパルト作動用のスイッチを下げた次の瞬間、予めエネルギーを溜めていたラーレは凄まじい勢いで空中に打ち出され、ロケットエンジンの莫大な推力を以ってスカーレット・ワルキューレから離れていく。
作業員たちがぞろぞろと戻って来る頃には煙しか見えないほど遠くまで飛び去っていた。
「(頼んだわよ……まずはレーダーに映ったモノの正体を突き止めてちょうだい)」
その様子をミッコ艦長はブリッジから見守るのであった。
ラーレはコンテナ内に最大4機のMFを搭載することができ、それに加えてMFは1機ずつ耐熱カプセルに収められている。
つまり、マトリョーシカ人形的な二重構造で中身を守っているのだ。
戦闘空域に接近したらまず外装のコンテナをパージし、次に耐熱カプセルを鋼鉄製フレームから分離させる。
空中に飛び出した耐熱カプセルは数キロほど慣性飛行を続けた後、分離ボルトによってバラバラになることでその役割を終える。
全ての殻を破った搭載機はここでメインスラスターを作動させ、目前に迫っているであろう戦闘空域を目指すのだ。
オリエント語でチューリップを意味する「ラーレ」という愛称も、花が枯れて種子を飛ばすという植物の生態に因んだものである。
「バルトライヒより各機、『ラーレ』の乗り心地はいかがかしら?」
「こちらパルトナ、物置小屋の中みたいに真っ暗で最高の景色だぜ」
暇を持て余しているレガリアからの質問に最大限の皮肉で答えるライガ。
ちなみに、ノリが悪いサニーズは精神統一しているのか全く応答してくれなかった。
彼女らの機体は1機ずつ耐熱カプセルに収納されているが、カプセル内には明かりが無いので子どもだったら泣き出してしまいそうなほど暗い。
隙間から光が入ってくることもあり得ないため、裏面に貼られている作業者用の注意書きすら見えないのだ。
手元を見るには蓄光機能を持つ補助計器盤に近付けるか、あるいはHISの光量を上げてライト代わりにするしかない。
「そういえばレガリア、第4スロットには何を搭載させていたんだ? 俺らのための装備じゃないんだろ?」
所謂「エコノミークラス症候群」を予防するために首を軽く動かしつつ、ライガは出撃前から気になっていたことについて尋ね始める。
自分たちの装備ではないと予想しているのは、空中で分離させられると回収が極めて困難になるからだ。
運が良ければ追いついて回収できるかもしれないが、大抵は知らない場所に落下してそのまま紛失するケースが多い。
「ああ、あれね? あれは簡易的な大型通信傍受装置よ。技術部門が暇潰しで作っていたシロモノを持って来たんだけど……さすがは『プロの遊び』って感じね。ジャンクパーツを組み合わせた物とはいえ、傍受能力は結構侮れないわ」
「あ、そういうことか! 何となく英語っぽい音声が紛れ込んでくると思ったら、お前が地元のラジオ番組を傍受して聞いていたんだな?」
「その通り、これが暇潰しの集大成って言うんだから大したものよ」
レガリアがラジオ番組を傍受しているのは応用例にすぎない。
技術部門の傑作である大型通信傍受装置を持ち出した本当の目的は……。
「……ん? ちょっと待って、ラジオ放送以外の音声が混ざり始めたわ」
現在時刻を見るにラジオ番組の切り替わりとは考えにくい。
混線の正体を探るため、レガリアは大型通信傍受装置を遠隔操作し精度を引き上げることを試みる。
もう少し音質が良くなれば何の音か分かるかもしれない。
「(よく分からないわね――いや、今のは爆発音? それに男の怒声か断末魔みたいな声……かしら?)」
装置が拾っているのは何かが爆発したような音と、それに巻き込まれた可能性がある男の痛ましい声。
お世辞にも音質が良いとは言えないことから、この音声の発信源はかなり遠い場所である可能性が高い。
おそらく、出撃前にスカーレット・ワルキューレがレーダー波を照射していた空域――アラスカ山脈上空辺りだろう。
発信源に接近すれば電波状態が自ずと改善され、通信傍受も捗るのだが……。
「1機――! ――、パターン修正を!」
「慌てるな、相手は――だ。包囲網を――物量差で押し潰せ」
「「了解!」」
今回はかなりハッキリと聞き取ることができた。
アメリカ英語を話しているこの男たちは、圧倒的な物量差を以って何者かと戦っているようであった。
「(片方の勢力はアメリカ人か……アメリカ軍がアラスカで作戦行動をする予定は無いはずだから、WUSAの戦力と見てほぼ間違い無いわね)」
幅広い人脈を持つレガリアは世界各地に「信頼できる協力者」を用意しているが、その中にはアメリカ軍の内部事情に詳しい元国防総省関係者も含まれている。
退役後もある程度の影響力を有している彼によると、アメリカのギーズ大統領は本土防衛を最優先事項としており、そのためにアラスカやハワイに駐留している戦力を現地から引き上げ、本土へと再配置する計画を進めているらしい。
アメリカ本土さえ無事ならば、仮にルナサリアンに占領されても後から取り返せると考えているのだろう。
とにかく、現在アラスカ州に駐留しているアメリカ軍はわずかな防衛戦力だけだと思っていい。
よほど大規模な侵攻作戦が行われない限り、彼らが積極的にアラスカ山脈まで出向くとは考えにくいのだ。
「(仮に片方がWUSAだとして、彼らは何者と戦っているのかしら? ルナサリアンとは表向きは協力関係を結んでいるらしいけど……)」
北アメリカの山奥にWUSAが現れた理由がどうしても断定できず、思い悩むように何度も首を傾げるレガリア。
だが、その答えはすぐ近くにまで迫っていた。
目的の空域まで残り300kmを切った。
あと200kmほど飛んだらMFを格納している耐熱カプセルが「ラーレ」から切り離されてしまうため、通信傍受のチャンスは分離の直前までとなる。
役割を終えた大型通信傍受装置は自己破壊プログラムによって全データを消去した後、地上に叩きつけられ木っ端微塵となることで、電子的にも物理的にも回収される可能性を防いでいるのだ。
「(もう少しなのよ……! もっと確証的な通信を傍受しなさいよ!)」
何を思ったのかレガリアは傍受装置へ発破を掛け始める。
これではまるで盗聴マニアのようだ。
しかし、彼女の応援のおかげか装置はこれまでとは明らかに異なる通信を傍受し始めた。
「各機、――を――! ――にして――だ!」
「数が――! このままじゃ――!」
「二人とも、――東へ――! 私が――、お前たちは――!」
今度の無線は複数人の女がオリエント語で話している。
しかも、片方の女の声についてレガリアはどこかで聞き覚えがあった。
記憶を遡ってみた限り、わりと最近(過去数か月間のどこか)話した相手である可能性が非常に高い。
「……私に――、――がゲイル1だ」
「(ッ! ゲイル1ですって!? あの娘たちがなぜここに?)」
この瞬間、レガリアの疑問は完全に解決された。
WUSAが包囲網を作ってまで殲滅しようとしていた敵――それはオリエント国防空軍のエース部隊であるゲイル隊だったのだ。
そして、聞き覚えがある声の正体は……。
「(ゲイル1って確か……あの女性士官よね?)」
ゲイル1――セシル・アリアンロッド中佐についてはレガリアも知っている。
ヨーロッパでの戦いの時に直接言葉を交わす機会があったほか、サレナ救出作戦でもセシル率いるゲイル隊にサニーズたちが助けられたため、スターライガの最高責任者としていつか恩を返したいと思っていたのだ。
今がまさにその時だろう。
「(マズいわね……一刻も早くゲイル隊を助けに行かないと! それに国防軍への通報もしなくては! 若者たちをアメリカニズムの犠牲にしてはいけない!)」
そうと決まったらレガリアの行動は早い。
彼女はHISで簡潔な通信文を作成するとそれに傍受した音声データを添付し、まずは母艦スカーレット・ワルキューレへと送信する。
本当はゲイル隊の母艦へ直接送りつけるべきだが、肝心な母艦の位置が分からない以上ワルキューレ経由で転送してもらうしかない。
「(MFは航続距離が短い兵器だから、すぐ近くに母艦がいるはず。ミッコ艦長、頼んだわよ……!)」
重要証拠になり得るデータを送信し終えると、レガリアは耐熱カプセルのパージに備え愛機バルトライヒのE-OSドライヴを戦闘出力まで上昇させる。
コックピットの真後ろからソプラノのような高音が聞こえ始め、これで戦闘態勢へ移行する準備は整った。
「バルトライヒより各機、耐熱カプセルのパージ後はすぐに編隊を組むわよ! 足が遅いシルフシュヴァリエは私の機体の上に乗りなさい!」
「こちらシルフシュヴァリエ、了解」
「パルトナ了解! 俺はいつでも行けるぞ!」
耐熱カプセルが鋼鉄製フレームから分離し、成層圏の空へ放り出されるまであと30秒――。
【ハワイ】
作中世界におけるハワイ州は複雑な歴史を持つ。
現在はアメリカ合衆国50番目の州となっているが、1940年代後半~70年代前半にかけて日本の統治下に置かれ「ハワイ県」と呼ばれていた時期もある。




