【MOD-37】北極点を越えて
4月18日午前5時にアゼルバイジャンのヘイダル・アリエフ国際空港を出港したスカーレット・ワルキューレは、5日後の23日時点でスヴァールバル諸島とグリーンランドの間にあるフラム海峡――その上空10万メートルという高高度を巡航していた。
国際航空連盟では高度10万メートル(=100キロメートル)――所謂「カーマン・ライン」を超えたら宇宙空間だと定義されているため、ワルキューレはギリギリ宇宙飛行を行っていることになる。
ワルキューレがこのような特殊な飛行経路を取っているのには大きな理由があった。
というのも、せいぜい350km/h程度しか出せないワルキューレでは「バクー~ロシア本土~バレンツ海~スヴァールバル諸島~グリーンランド~カナダ・サスカチュワン州」のルートを抜けるのに1か月弱も掛かり、その時間が無駄になってしまうからだ。
しかも、サスカチュワン州のウラン鉱山奪還を依頼してきたカナダ政府は「4月中に達成できなければ報酬を減額する」と言ってきている。
当然ながら母艦の性能以上の速度では移動できないスターライガ。
「報酬の減額は致し方ない」という意見も出てくる中、レガリアが提示した打開策とは……?
「――しかし、ロシア軍から型落ちの艦艇用ロケットブースターを急遽取り寄せ、それを利用して速度を稼ぐとは……そういうアイデアが咄嗟に思い付くのも凄いが、実行に移せる発言力や財力には脱帽させられるね」
「ええ、『ロケットブースターを買う』なんて言い出す人、生まれて初めて見ましたよ」
「大体、艦艇用ロケットブースターなんて一個人で取り扱えるシロモノじゃないやろ?」
ブリッジでトランプ遊びに興じているのは、操舵士のラウラとオペレーターのキョウカ――そして、オリエント連邦南部の訛りが特徴的な主任火器管制官アルフェッタ・メルツァリオの3名だ。
自動操縦中且つ会敵の可能性も低いとはいえ、万が一に備えブリッジに常駐しなければならない彼女らはこうやって暇な時間を潰していた。
ちなみに、このトリオの話題に上がっている人物はもちろんレガリアである。
移動時間を短縮する打開策として、彼女はロシアの武器商人から艦艇用ロケットブースターと「ロシア海軍基地のドック使用権」を購入。
ロケットブースター取り付け作業のためにロシア・ムルマンスク州のザーパドナヤ・リッツァ海軍基地へ寄港し、約8時間という突貫工事でとりあえず装着。
動作確認中にトラブルが出たため結局丸一日潰すことになってしまったが、ロケットブースターによる速度向上効果は非常に大きく、最新の計算では遅くとも4月29日にはカナダ入りできるという結果が出ていた。
……なお、一連の「買い物」によりレガリアの口座から数十億もの大金が吹き飛んだことは言うまでも無い。
ブリッジクルーたちが暇を持て余していた頃、飛行甲板下に位置する格納庫ではメカニックが総出で整備作業に当たっていた。
とてもじゃないが、30機近いMFの保守整備を担当する彼女らに暇な時間など存在しない。
「スターシーカーの再塗装作業は順調に進んでいるよ。君が以前乗っていたスパイラルを踏襲したカラーパターンに――そこ、気を付けろ! その機体は特に繊細なんだぞ!」
スターシーカーの専任ドライバーとなったソフィに色々と説明している、どことなくサニーズと似た容姿の彼女の名はロサノヴァ・コンチェルト。
スターライガ製MFのほぼ全てに携わっている天才技術者にして、あのγ小隊に所属する腕利きのMFドライバー――そして、サニーズとチルドの一人娘である。
元々アークバード社に在籍していたロサノヴァはバイオロイド事件の時にスターライガへ引き抜かれ、それ以来「主任MF設計者」としてパルトナ系列機などの開発を手掛けている。
もっとも、組織拡大により30年前よりも多忙となった今では、負担軽減を目的に彼女以外のMF設計者も複数人雇われているため、ロサノヴァは一部を除き「初期設計を終えたら別のプロジェクトへ移る」というスタンスを取っていた。
「ロサノヴァさん」
「うん?」
「スターシーカーって本当はレカミエさんの搭乗機になる予定だったんですよね? どうして経験が浅い私に回されたんですか?」
ソフィからの質問に対して少しだけ考え込んだ後、例の繊細な機体――シルフシュヴァリエを眺めながらロサノヴァは答える。
「それは上の人たちが決めたことだから、私は知らん。良い機体を作り上げ、最高の状態で送り出す――それが私たち技術屋の仕事だからな。誰がどの機体に乗るかまでは決められんよ」
「い、言われてみれば確かにそうですよね……」
「そして、メカニックたちが仕上げてくれた機体の性能を最大限引き出すのが君の仕事だ。だから……機体の遣り繰りとかは気にしないでいい。君は実戦経験を積み重ねることで操縦技術を磨き、この戦争で生き残ることを優先するんだ」
最後に、ソフィの左肩をポンッと叩きながらロサノヴァは笑顔でこう続けるのだった。
「若い連中に死なれたら、威張れる相手が減ってしまうからね!」
メカニックたちが忙しいのは先ほど説明した通りだが、じつを言うとライガやレガリアといった「上の人たち」も同じぐらい忙しい。
彼女らMF部隊の小隊長とミッコ艦長は次の戦いの作戦立案を行うため、ここ数日は必ずブリーフィングルームへ集まり3~4時間に亘る会議を繰り広げていた。
というのも、4月末に決行されるウラン鉱山奪還作戦――この戦いには一つの「大きな懸念」があったからだ。
「――それで、ウラン鉱山に近付いても本当に放射能汚染は無いのか? 私たちが使っているコンバットスーツが十分な防護力を持っているにしても、『安全である』という具体的な確証が無ければ出撃を躊躇っても致し方あるまい」
「私もルナールさんと同意見です。我々には『通常戦闘以外の大きなリスクを抱える作戦は拒否できる』という権利があります。場合によってはその権利の行使も止む無しかと……」
ルナールとヒナが指摘している通り、ウラン鉱山で主に採掘されているウラニウム鉱石は放射能を発することで知られている。
それについてはルナサリアンも重々承知しているはずだが、どこまで放射能対策を施しているのか分からない以上、今回の作戦に乗り気でない者は決して少なくなかった。
「皆まで言うな! こんなこともあろうかと、次の戦場が安全であるという証拠を掻き集めてきたんだ。テア、戦闘地域付近の放射能レベルを纏めた書類を出してくれ」
ざわつき始めるブリーフィングルームの面々を静めつつ、ライガはテアという名の女性メンバーに資料提出を指示するのであった。
テア――テア・イナバウアー医学博士はスカーレット・ワルキューレのメディカルチーム総責任者である。
太めのウサ耳が特徴的な彼女は「オリシア平原よりも広く、ヴワル湖よりも深い」と称されるほど豊富な医療知識を活かし、部下の薬剤師リリア・デル・ヴァリエと共にスターライガメンバーの治療や健康維持に多大な貢献をしていた。
「これが昨年6月にカナダ政府が行った調査の報告書だ。少なくともこの時点では放射能レベルは許容範囲内とされており、約10か月間で大きな変化が起こったとは考えにくい。また、ルナサリアンによる占領直前まで勤務していた作業員の被曝量は、安全基準を大幅に下回る数値だったらしい」
上層部の頼みで集めてきた資料を各員のタブレット端末へ送信し、医学的な見地から「作戦遂行に支障は無い」と証明してみせるテア。
「ふむ……まあ、この程度の放射能は一般人でも浴びてそうだな。これで騒ぐのはよほどの――」
「いいだろう、これだけ下調べされているのなら問題無い」
元医学生としてそれなりに知識があるサニーズの発言を遮り、資料を確認したルナールは作戦参加の意向を固める。
「……分かりました、ここまで調査されているのであれば行くしかありませんね」
今回の作戦に対して懸念を抱いていたのはルナールとヒナの2人だけだったため、これで「不参加部隊の発生」という可能性は回避された。
……もっとも、仮に不参加者がいたとしてもライガやレガリアは残りの面子で出撃するつもりだったのだが。
「それにしても……よくここまで英語の資料を集め、しかもオリエント語に翻訳できたものね」
ブリーフィング時に渡された資料を再確認しながら感心するレンカ。
「へッ、開業医時代の人脈をナメてもらっては困る! 昔手術をしてやったカナダの億万長者に頼み込み、彼を経由するカタチでウラン鉱山周辺の調査報告書を入手してもらったのさ。ウチらが直接カナダ政府にねだるのはあまりよろしくないだろ?」
それに対し自慢げに入手方法を答えてみせるテア。
同じ「イナバウアー」というファミリーネームを持っていることからも分かる通り、レンカとテアはかなり歳が離れた姉妹である。
年齢差を考慮しても容姿が似ているとは言い難いが、少なくとも本人たちはあまり気にしていなかった。
むしろ、一卵性双生児のラヴェンツァリ姉妹が似すぎているだけとも言える。
「(間接的な資料だけでここまで詳細に調べ上げるなんて……やはり、『ユリヅキ博士最後の弟子』は侮れないわね)」
「(また難しい表情をしているな、姉貴のヤツ……ルナサリアンと戦う直前は大抵これだ)」
そんなことを考えながら互いに顔を見合わせるイナバウアー姉妹。
いくつか不審な点が見受けられる姉の「正体」をテアが知るのは、もっとずっと後――それはあまりにも遅すぎるタイミングであった。
【オリシア平原】
オリエント連邦北部に広がる国内最大級の平野で、世界有数の豪雪地帯として有名。
レティシアやチルノイルといった100万人都市を擁しており、過酷な環境ながら開発はかなり進んでいる。
【ヴワル湖】
オリエント連邦中部に位置する世界最大級の淡水湖。
軌道エレベータやヴワル王城跡と並ぶヴワル市の象徴とされており、湖の中央部にはシャルラハロート家の私有地である「トランシルヴァニア島」が浮かんでいる。




