【BOG-9】鉄の雨
非常に残念だが、セシルは敵からの撤退勧告へ素直に従うほど純粋ではない。
「待て、状況を説明してもらわなければ納得がいかん」
「基地周辺が地獄になる……我々はそれが可能な超兵器を保有しており、窮地を見かねた友軍が引き金を引いたらしい」
スズランの表情を見れば事態の深刻さはよく分かるし、この状況で彼女が嘘をつくとは思えなかった。
「困ったら大量破壊兵器かよ……そういうのを『野蛮人』と言う!」
悪態を吐きながらもセシルはヘルメットを被り直し、上空待機中の部下2人へ撤退を告げる。
そして、スズランは好敵手と彼女の部下のために最後の忠告を行った。
「いいか? 撤退時は必ず高度3200メートルよりも上を飛行しろ。さもないと『鉄の雨』の餌食になるぞ」
「3200m!? どれだけ強力な超兵器なんだ、『鉄の雨』とやらは!」
ルナサリアンがメートル法を知っていることにも驚いたが、頭の中で単位換算を行ったセシルは思わず眉をひそめる。
3200mをオリエント国防空軍が使用するフィートに直すと約10500ftであり、これは層積雲よりも上の高度だ。
「地球侵攻作戦のために開発された超兵器だから―」
その時、スズランの言葉を遮るように猛烈な轟音が鳴り響き、ジブラルタルの大地を揺り動かす。
彼女の視線の先に見えたのは……鋼鉄の鳥たちに襲い掛かる「鉄の雨」だった。
一方、セシルたちよりも遥かに近い位置で「鉄の雨」を目撃したスターライガ。
数多くの友軍機が一瞬で砕け散るのを見たレガリアは、長年の経験とルナサリアンの様子から「戦略兵器による攻撃」だと看破。
即座に仲間たちと全ての友軍機へ上空退避を指示する。
「全機、上がれ上がれッ! あの攻撃はおそらく一定高度以下の目標を破壊するタイプよ!」
元エースにして大先輩であるレガリアを尊敬する国防空軍のドライバーやパイロットたちは素直に機体を急上昇させ、ルナサリアンの部隊と同じ高度13000ft付近で編隊を整え直す。
これで余程の事が無い限り彼女らは安全だろう。
問題は未だにジブラルタル基地への攻撃を続けているヨーロッパ人たちだ。
「Please do not chase it too far! Do you want to die!?(深追いは止めなさい! 死にたいの!?)」
彼らに対し英語で警告するレガリア。
だが、憎しみに呑まれた者たちへ彼女の声は届かなかった。
「姉さん! 方位3-1-4から高速で接近するアンノウン2機!」
ブランデルが叫んだ直後、「鉄の雨」を搭載していると思わしき飛翔体がタイフーンやハイパーホーネットを呑み込むように炸裂する。
言葉にし難い無数の断末魔がオープンチャンネルで音割れを起こし、攻撃範囲からは全ての航空機が消滅していた。
「何あれ……惨い……!」
「まだ1発残ってる! すぐに弾着が来るわよッ!」
未知の攻撃に動揺するニブルスを叱責しつつ、ヒナも愛機トリアキスのスロットルペダルを踏み抜く。
「チクショウ、これじゃ間に合わない!」
メインスラスターが不調なコマージのクオリアは速度が伸び悩んでおり、2発目の弾着を逃れられるか分からない。
「諦めないで! 要らない装備を全部捨てなさい!」
既に安全高度へ到達していたレガリアのバルトライヒは最後の賭けとして10500ftギリギリまで戻り、クオリアのために右手を差し出す。
そして、本日3回目の「鉄の雨」がスターライガの真下で炸裂した。
「姉さん!? コマージ!? 無事なら返事してくれ!」
蒼白い閃光で視界が眩む中、ブランデルは必死に姉と仲間の安否を確認する。
徐々に視力が回復し周囲の様子が分かるようになると、自分たちよりも少し低い高度でファイター形態のクオリアにバルトライヒが乗っているのが見えた。
「ふぅ……今回はさすがに死ぬかと思ったよ」
危機を脱したことで思わず肩の力が抜けるコマージ。
「あと1~2秒遅かったら砕け散っていたわね。とにかく……みんな無事で何よりだわ」
レガリアも仲間たちの機体が揃ったの見て安堵していたが、レーダーディスプレイに更なるアンノウンが映ったことで再び緊張が奔る。
「(3発目……そういえば、ゲイル隊はちゃんと逃げ切れたのかしら……?)」
彼女の心の中に一抹の不安がよぎった。
「早い!? 何を慌てているんだ、『ナキサワメ』は!」
予想以上に連発される「鉄の雨」を見たスズランは内心動揺していた。
存在と仕組み自体は知っていたのだが、ここまで執拗に頭上へ放たれるとは考えていなかったのだ。
「『ナキサワメ』? それがあの超兵器の名前なのか!?」
「そんなことはどうでもいい! 次の弾着はおそらく我々の頭上だ……!」
そう言い残すとスズランは愛機ツクヨミを浮上させ、日が昇り始めた空を垂直に近い角度で翔け上がる。
「私もつくづく運の無い女だな……スレイ、アヤネル! 聞こえるか!」
ツクヨミの姿を忌々しげに見上げていたセシルもすぐにスロットルペダルを踏み込み、ファイター形態へ機体を変形させ安全高度を目指す。
「さっきの攻撃は見たな? あれを確実に避けるためには高度10500……いや、13000付近まで上昇しろ!」
「ゲイル3からゲイル1へ、その高度なら私とゲイル2はすぐに到達できる。だが、あなたは間に合うのか?」
ヨミヅキ隊の取り巻きを相手取っていたアヤネルたちは元々高高度にいるため、今から指示を出されても十分間に合う。
問題はむしろ15ft程度の地上から雲の上へ向かう必要があるセシルのほうだ。
いくら可変機且つ機動力に優れるオーディールとはいえ、うかうかしていると「鉄の雨」に巻き込まれてしまうだろう。
「大丈夫だ、オーディールのスピードならいける」
部下に対し愛機への信頼を告げるセシル。
「……待ってろ、私には果たすべき役目があるようだ」
次の瞬間、彼女はスロットルを緩めて遥か下方にいる灰色と群青色のサキモリへ接近するのだった。
「(クソッ、こんな時に限って推進装置が不調になるとは……!)」
オーディール相手に繰り広げた激しい戦いが祟ったのか、スズランの駆るツクヨミはどうにも速度の伸びが悪い。
本来ならもっと速く飛べるはずなのに、今のツクヨミは死にかけの白鳥のような状態だ。
「(姿勢制御装置の推進剤を主推進器へ回せるか?)」
推力を取り戻すべく色々な手段を試すが、狭い操縦席の中でエイシができることは限られている。
推進剤の供給路を変えても上手くいかなかったことから、おそらく推進装置その物のメカニカルトラブルが原因なのだろう。
「(冗談じゃない、このままでは味方の超兵器に殺されるぞ!)」
手詰まりへ近い状況に対し首を横に振るスズラン。
だが、天は決して彼女を見捨ててなどいなかったのだ。
オーディールの……私の手に掴まれッ!
ふと上空を見上げると、失速寸前のツクヨミに対し右腕を伸ばす蒼いモビルフォーミュラがいた。
「お前……何をしている!? 早く安全高度まで行け!」
安堵感からかスズランの表情が一瞬だけ和らいだが、すぐに引き締め直し退避するよう促す。
理由はどうであれ、機体が不調をきたした責任は自ら清算しなければならないのだ。
なにより、敵に情けを掛けられたとなれば「不穏分子」として前線から遠ざけられ、軍歴や誇りに傷が付くことになるだろう。
「味方殺しなど認めるものか! お前が倒れるのは私の剣で貫かれた時だ!」
「2機分の重量を引っ張り上げるつもりだと!? 正気かお前は!?」
そう言われるとセシルはただ頷き、半ば強引に自機の右手とツクヨミの両手をガッチリ繋ぎ合わせる。
スズランはとくに抵抗すること無くその様子を見守っていた。
「互いの推力を最大限絞り出せばまだ間に合うはずだ! ……コード『G-FREE』!」
前回は強敵へ対抗するために使用した耐Gリミッター解除モード「G-FREE」。
だが、今回は好敵手を同士討ちから救うために封印を解く。
「すまん……手負いのツクヨミではこの推力が限界だ……」
「お前の状況よりも次の弾着までの猶予を教えろ!」
弱音を吐くスズランを窘め、セシルは今必要としている情報を聞き出そうとする。
「目測で残り20―いや、15秒も無い!」
「15秒もあれば十分届く! 私は私自身が乗る機体を信じるまでだ!」
愛機オーディールMに対し全幅の信頼を寄せるセシル。
彼女の想いに応えたのか、蒼いMFは驚異的なスピードで大空を翔け上がる。
「弾着まで8、7、6、5、4、3、2、1……来るぞッ!」
そして、凄まじい衝撃と蒼白い閃光がスズランとセシルを呑み込んだ。
「鉄の雨」の炸裂を心配そうに見つめるスレイとアヤネル。
「隊長……どうして敵なんかを助けに……」
「フッ……そんな顔するなよ。どうやら、ウチの隊長は賭けに勝ったみたいだぞ」
その時、蒼白い閃光の中から2機の人型ロボットが飛び出してくる。
外部から見る限り、どちらも特に目立った損傷は無さそうだった。
「あの状況で敵を助けながら生還だなんて……信じられない……」
目の前の出来事に驚きを隠せないスレイ。
決してセシルの死を望んでいたわけではないが、内心では生還を絶望視していたからだ。
「『騎士道は甘さではない』―か。あくまでも強敵は自らの手で仕留めたいらしいな」
一方、彼女との出会いを何かの縁だと思っていたアヤネルは、自分たちの上官が無事に戻って来てくれることを確信していた。
「……行け! 疑いを掛けられないよう言い訳するのを忘れるなよ!」
安全を確認したセシルはスズランへ撤退するよう促す。
「名前だけでも教えてくれ! 私の名前はヨミヅキ・スズラン、自慢ではないが月の民で5本の指に入るエイシだと自負している」
「セシル・アリアンロッド。オリエント国防空軍所属の少佐だ」
このやり取りにデジャヴを感じつつも、騎士道精神に基づき正々堂々名乗りを上げるセシル。
とはいえ、これから立ちはだかるであろう好敵手の名前が分かっただけでも大きな収穫といえる。
「今回は助けてもらったが、次に会う時は敵同士の関係に戻る。アリアンロッドよ、それまでに心の刃を研ぎ澄ましておくことだ」
「貴様こそもっと腕利きのメカニックに機体を整備してもらえ、ヨミヅキ!」
互いに名前の法則を理解できないままファミリーネームで呼び合う二人。
そして、ゲイル隊とヨミヅキ隊の距離が離れたことでオープンチャンネルの通信は途絶。
航空部隊も全て撤退を開始し、ジブラルタルには戦いの傷痕だけが遺されたのだった。
「(ん? 確か、モンツァで戦ったエースはルナサリアンの指導者の妹だと言っていたから……アイツのファーストネームは『スズラン』だったのか? 意外と可愛らしい名前をしているな)」
自分たちの母艦へ戻る道中、セシルは頭の中でそんなことを考えていた。
その頃、ジブラルタル基地陥落及びグレートブリテン島攻略失敗の一報は既にルナサリアンの本国まで伝わっていた。
「申し訳ない、姉上。言い訳をするつもりじゃないが……まさか、『星落とし』を邪魔した連中が知らぬ間に降下していたとは」
通信映像の中でユキヒメは姉のオリヒメに対し頭を下げている。
ちなみに、「星落とし」とは地球人が言う「コロニー落とし」の正式名称である。
「そちらの話は首脳会談で地球へ降りた時に聞くとして―ジブラルタルの方はどうだったのかしら?」
特徴的なウサ耳の手入れをしながら暗に「鉄の雨」の戦果を尋ねるオリヒメ。
「ナキサワメ艦長及び基地防衛部隊からの報告によると、ジブラルタル方面へ発射した『大陸間炸裂弾頭誘導弾』は敵航空戦力のおよそ60%を撃滅することに成功したらしい。もっとも、代償として基地は使い物にならなくなってしまったが」
そう、鉄の雨こと「大陸間炸裂弾頭誘導弾」はドーバー海峡方面にも放たれていたのだ。
不幸中の幸いか、そちらに関してはスターライガが迎撃を行ったことで効果的とは言い難かったが。
「ドイツのニュルブルクやホッケンハイムにも前線基地があるから問題無いでしょう。それより、今はナキサワメの炸裂弾の補給を優先しなさい。我々が得意とする寒冷な気候が続くうちに支配領域を広げないとね」
兎にも角にもオリヒメは北アメリカ大陸の攻略を重要視していた。
なぜなら、この地には月の民に匹敵する国力を誇る難敵「アメリカ合衆国」が存在するからである。
ヨーロッパ諸国は各々の国力が大したこと無いため楽勝だったが、アメリカとの総力戦はさすがに一筋縄ではいかないと予想される。
そのため、カナダやメキシコといった外堀を最初に制圧することで逃げ場を断ち、宇宙からの直接的な戦力降下による奇襲で主要都市を陥落させるという作戦を立案している。
大陸間炸裂弾頭誘導弾も本来は大都市に対する空襲を目的に開発した戦略兵器であり、今回のように対空迎撃へ転用できるのは副次的な使用用途にすぎないのだ。
「分かった、ナキサワメにはハドソン湾の前線基地へ戻るよう通達しておく―私は首脳会談が行われるスウェーデンで待っているよ、姉さん」
「ええ、明後日には司令部偵察機で月を発つわ。期待はしていないけど……戯言ぐらいは聞いてあげましょう」
久々の再会を約束しつつアキヅキ姉妹は通信回線を切り、互いに行うべき仕事へと戻る。
「(地球か……野蛮人にはもったいない星ね)」
執務室の窓から見える蒼い惑星を眺めながら、オリヒメは不敵な笑みを浮かべるのだった。