8話
--翌日、午前九時三十分。MSO本部正面玄関。
医療室にいたサイは、リサと合流する為に、外に出てきた。
「ふぁあ、おっすアリッサ」
とても眠そうな様子のサイに、リサはため息をつく。
「あんた、今日が大事な日だってわかってる? もう少ししゃんとしなさいよね」
昨日の晩府抜けきっていたリサが、優等生の仮面と常識の剣を装備してサイをつつく。
「体中痛くてよく眠れなかったんだよ。アリッサは、朝強いよな」
「そりゃー、毎日家でリフレッシュしてるしね」
「へぇ、どんなことしてるんだ? 」
サイの質問にリサの表情が固まる。
「な、長湯とか、ストレッチよ! 血行を良くするの! 」
なるほどなぁ、とあまり興味なさそうに返事をするサイ。
当然、彼女の血行は別の理由で良くなっていたが常識の刃が彼女の喉元に切っ先をつきつけ、制御した。
「ほら、そんなことよりさっさと第三会議室にいくわよ! 」
そういうと、リサは規則正しい足取りで歩いていく。
その後ろを、サイが気だるそうについていった。
MSO本部は、地上六階と地下三階の建物だ。
リサ達の目指す第三会議室は、地上三階に位置している。
リサ達が、エレベータの前にくると、ちょうど扉が開いた。
中は、かなり人が密集していたが、詰めれば何とか乗れそうな状況だ。
「こりゃ、次を待った方がよさそうだな」
そう言うサイを無視してエレベーターに向かうリサ。
その表情は、生き生きとしている。
「何言ってるのよ、このまま上の階に行ったら帰ってくるのがいつになるかわからないでしょ? 乗っちゃいましょう」
サイは、階段で行けばいいじゃん、と思ったが、強引な時のリサには逆らわない方がいいなと思い強引に乗り込んだ。
密着するリサとサイ。
リサは、でゅふふ、と心の中で笑っていた。
「ちょっとくっつきすぎじゃないか」
サイは、体のあちこちに触れるリサの柔らかさにどぎまぎしてしまう。
「しょうがないじゃない、満員なんだから」
「そりゃそうだけどよ」
二人がそんな他愛もない話をしていると、チンっという音とエレベータは三階に到着した。
病院の様な、リノリウム製の床。
その上をきゅっきゅっと音を鳴らし、二人は第三会議室を目指した。
指定の時間より一五分ほど早い到着だが、中にはすでに人がいるようで、話し声が廊下に漏れてきていた。
サイは、扉を三回、ノックする。
すると、会議室の中から、入れという声が聞こえた。
「「失礼します」」
サイとリサは声をそろえて扉を開く。
そしてまず目に入ってきたのが、東山に胸倉をつかまれている冴えない男性だった。
「チホにゃん、苦しい、苦しいって」
「その呼び方はやめろと行っているんだ高崎」
「いい加減にせんか貴様らぁ! 」
体格のいい、スキンヘッドの男性が、東山と高崎と呼ばれた男性の仲裁に入っていた。
「あ、すいません。間違えました」
サイはそう言うと扉をぱたんと閉める。
「なに、今の」
リサの顔はげんなりと沈んでいる。
「わからん、ただ、俺達は何も見なかった。あとあれだ、俺お腹痛くなってきちゃったから後は任せたぞアリッサ」
「え、ちょっと! 」
サイが、さっさと踵を返し先ほど降りてきたエレベーターに向かって歩きだす。
その時、会議室の扉がゆっくりと開き、凄まじいプレッシャーをサイは感じた。
「黒麹、貴様、帰るつもりか? 」
東山の、腹に響く声がサイに聞こえる。
彼は、全身に汗を流し、さっと振り向いた。
「ひ、東山教官。おはようございます! なにやらお取込み中だったようなので、不肖黒麹、時間を改めさせて頂こうかと思った次第であります」
びしっと背筋を伸ばしたサイが、東山に答える。
「どれほど時間を改めるつもりだったのだ? 」
東山の更なる問いかけ。
「え、明日のこの時間くらいまで……」
「馬鹿者ぉ! 」
扉を開け、駆け出し、サイの元に東山が到着するまでおよそ、0.5秒。
そのあまりの速さに、廊下に一陣の風が吹いた。
サイと鼻がくっつきそうなほど近寄る東山。
チョコレートのような、甘い香りが、サイの鼻腔をくすぐる。
「貴様はつまり、私の指示を無視してサボタージュしようとしたのだな? 」
「い、いえ、それは」
言い淀むサイの額に、東山は折り曲げた中指を突きつけた。
「タメ《・・》は無しにしてやる。脳みそがダメになるかもしれんからな」
「ちょ、ちょっと待って! 」
サイの懇願も虚しく、まっすぐにのばされた東山の中指は、サイの額に強烈な衝撃を与えた。
サイは、あまりの衝撃に、首から鳴る嫌な音を聞きながら、後ろに倒れた。
半泣きでサイに駆け寄るリサ。
その時、エレベータから、金髪の女性と黒い着物を着た少女が下りてきて、今の惨状を呆然と眺めていた。
「遅れてごめーん、ところでなにこの状況? 」
彼女たちの登場により一旦落ち着いた東山は、会議室の椅子にどかっと座る。
「ほら貴様ら、なに寝ているのだ、さっさと顔合わせを始めるぞ」
東山は、何事もなかったかのようにサイと高崎に命令する。
その姿にサイは、暴君だ……、と思ったが、口には出さなかった。
渋々、痛む額を押さえながら椅子に座ると、洗面所でハンカチを濡らしてきたリサが駆け寄る。
そのまま、額を押さえてもらうサイ。
じぶんでやるといってもリサは引かなかった。
二人の様子を伺っていた、金髪の女性が、つまらなそうに口を開いた。
「チホちゃん、この二人が、あなたの推薦した候補生なの? 」
金髪の女性は、軽い口調で東山に尋ねる。
「セラフィ、その呼び方はやめてくれ。それと質問の答えだが、そのとおりだ」
東山は早口で答える。
「ふーん、こんないちゃいちゃしてるだけのカップルが、本当に役にたつのかしら」
セラフィと呼ばれた女性の言葉に、リサの表情が固まる。
「え、か、カップル!? 」
「あ、俺達、そうゆう関係じゃないっす」
きょどるリサなどお構いなしに、サイはきっぱりと断言した。
「あ、そう。まぁ、どっちでもいいわ。あんまり興味ないし」
そう言うと、セラフィは、ぷいっとそっぽを向いてしまった。
サイはこの時、次に失礼な態度とったらビンタしよう、と心に決めた。
「まぁまぁ、セラフィ、そんないい方しなくてもいいじゃないか。彼らの能力については、東山から聞いているだろ? 」
何が面白いのか、先ほどまで東山にシバかれていた高崎が、にこにこしながら彼女をなだめた。
「ふん」
「やれやれ、ごめんね、二人とも。せっかく来てもらったのに、みんな曲者だらけだけど、悪い人はいないから安心して」
はぁ、というサイの返事を聞いて、高崎は話を続けた。
「じゃあ、とりあえず、みんな自己紹介から始めようか。僕は、高崎ノボル。一応、このチームのリーダーを任されたよ。二つ名は、『人形劇』、その名のとおり、人形を自由に動かすことができるのさ」
そういうと、彼は、ポケットの中から小さなカエルの人形をとりだした。
高崎が、手をかざすと、そのカエルは起き上がり、動き始める。
「うわぁ、かわいい! 」
リサは目を輝かせて、カエルを眺めた。
「ふふふ、こんなこともできるんだよ」
高崎がそう言うと、カエルの人形は、急にブレイクダンスを踊り始める。
ウィンドミルからのヘッドスピン。
リサとサイは、その繊細な動きに思わず見とれていた。
そして、最後に両手で体を支え、フリーズしたところで、東山のゲンコツが机ごとカエルを叩き潰す。
「目障りだ」
「ああああ、ぴょんたぁぁ! 」
高崎の悲痛な叫びが会議室に木霊した。
サイは、南無さん、と心の中で合掌する。
「さて、次は私の番だが、今更自己紹介もなにもないだろう」
「それじゃダメだよチホにゃん、君がつれてきたんだから、ちゃんと自己紹介しないと二人に失礼だろう? 」
高崎が、東山を諭す。
チホにゃんと呼ばれたことが癇に障ったのか、高崎の顔をがしっと掴むと、ぎりぎりと力を入れた。
「その呼び方はやめろ、殺すぞ。しかし、まぁ不本意ではあるが一理あるな。では、改めて。私の名は、東山チホ。二つ名は『鬼の拳』だ。知ってのとおり、体を強化して拳の威力を高めるシンプルな魔法だ」
「「はい、ご説明ありがとうございます、教官! 」」
サイとリサは、息の合った動きで敬礼をした。
「ああ、そういえば、これからは同じチームのメンバーだ。そう硬くなる必要は無い。東山さん、もしくは、東山様と呼ぶと言い」
その二択なんだ、と会議室にいる誰もが思った。
「それでは、東山さんと呼ばせていただきます」
リサの返事に、東山は、無言で頷く。
「それじゃあ、俺も、東山さ……」
東山が、無言でサイを睨み付ける。
この時サイは、最後の一文字を発音する刹那の時間の中で、過去の思い出を振り返っていた。
楽しかった事、悲しかった事それらすべての経験と、彼に備わっている野性的動体神経が、最後の一文字を言い換えた。
「ま! 東山様! と、どうか呼ばせてくださいませ! 」
「ふ、よかろう」
東山は、長くすらりと伸びた足を組み、不敵な笑みを浮かべた。
サイは、ぎこちない笑顔でほっと胸をなでおろす。
「チホにゃん、そんなだから男の人にモテないんだよ」
高崎が、東山の横暴に見かねて口を出した。
「だまれ、私はレズだ」
東山の突然のカミングアウトに、会議室は静まり返る。
「さ、さて、次は俺かな」
肌が浅黒い、スキンヘッドの大男が、気まずい雰囲気に耐えかねたのか自己紹介を始めた。
「俺の名前は、海道タケル。二つ名は、『変な巨顔』だ」
「ファニーフェイス? どんな魔法をつかうんだ? 」
サイの質問に、海道はにやりと笑った。
「こんな魔法だ」
海道が、手のひらを上に向けると、今現在の海道の表情と全く同じ顔が出てきた。
金属でできたそれは、てらてらと黒光りして、本人の顔よりもより一層不気味さ増しているように見える。
「うわ、気持ち悪……」
「なんだと貴様ぁぁ! 」
つい本音が漏れてしまったサイに、海道が怒り狂う。
「貴様、この魔法のすごさを分かっていないな? この顔はな、どんな場所でも出すことができる上に、大きさも自由自在。そして強度は、チタン合金並みだ。つまり最強の矛であり、最強の盾にもなる万能の能力なのだ」
「でもよ、キモいものは、キモい」
「貴様ぁぁ! 」
譲らないサイに、海道の血管は切れる寸前だ。
そして彼は、セラフィと、黒い着物の少女を見つめた。
セラフィは、はぁっとため息をついて、そして言った。
「あたしも、正直その魔法はキモいと思うわ」
「ぐ! 」
「わしも、ずっと黙っておったが、その顔はキモいぞ」
「魔法じゃなくて顔!? 」
海道は、期待を込めた瞳で、リサを見つめた。
「えっと、ごめんなさい」
「くおぉ! 」
海道は、触り心地のよさそうな頭を抱え、うずくまった。
「海道よ、私は貴様の魔法、好きだぞ」
東山が、海道の肩に手を置いた。
「……どうせ、殴りやすそうとかだろう」
「すごいな、なぜわかったんだ」
「ぐおおおおお! 」
ばっと立ち上がり、窓ガラスを頭突きでぶち破る海道を、皆白い目で見ていたのだった。
「落ち着けよ海道」
「ナチュラルに呼び捨てって、舐めすぎじゃないか!? 」
サイの言葉が、海道にとどめを刺したのか、彼は、部屋の隅で悲しみに暮れる自分の顔を量産していた。
「おいおい、大丈夫なのかあいつは」
サイは、高崎に尋ねる。
「大丈夫、彼はいつもあんな感じだけど、本当に頼りになる人だよ。実力も、実績もある」
海道の作る顔が、半笑い気味の照れた表情になった。
「気持わるいのぉ……」
黒い着物の少女は、汚物を見る目で海道を見下している。
「あなたも、このチームのメンバーなの? 私達より年下に見えるけど」
リサは、着物の少女に尋ねる。
「そうじゃ、わしは、朱里セキ。今年一五歳になる。そして二つ名は、『多目的処理』じゃ」
セキは薄い胸を張って自慢気に自己紹介をする。
「えっと、セキ……ちゃんは、どんな魔法なの? 」
リサはセキの呼び方に一瞬戸惑ったが、年下といこともあり、少しフランクな話し方で尋ねた。
「わしの魔法は、一度に複数の情報を処理できるのじゃ。例えば、かの聖徳太子のように、一度に十人に話しかけられても全て把握することができる。わしは、この魔法で、MSOの後方支援部隊に所属しておる」
「後方支援部隊? てことは、戦闘はしないのか? 」
セキは、その通りじゃ、と言いサイを指さした。
彼女の夜空のように黒いショートカットの髪が、ふわりと持ち上がり、やがて重力に引っ張られる。
「わしは、本部に残って、お主達をバックアップするのが仕事じゃ。それと、バイタルのチェック、精神状態のチェックもわしが行うぞ」
「精神状態のチェック? そんなこともできるのか」
驚いた顔のサイに、セキは気分が良くなったのか、更に話を続けた。
「もっちろんじゃ! セキは才女であるがゆえ、人の内面を知ることができる。それは、敵の思考を読み取ることにもつうづるのじゃ。例えば----」
セキは、偶然目があったリサを、じっと見つめた。
「うーん、お主は、普段はいたって真面目。しかし、本心では人を信用しておらず、常に自分をすり減らしながら他人に合わせている様じゃの。じゃが、それゆえ一度信用した者には狂気的な愛情を注ぐタイプじゃな! 」
「え、私!? 」
リサは、まさか自分の事を分析されるとはおもっていなかった様で、目を白黒させていた。
「ああ、俺それ知ってるぞ。よく占い師とかがやる奴だろ? 」
おそらくバーナム効果の事を言っているサイに、セキはフグのように頬を膨らませる。
「そんないかがわしいものとは違うわ! わしのは、心理学に基づく、動物としての人間の深層心理の推理をしているのじゃ。例えば、この赤髪は、先ほど、わしの名前を呼ぶ時にどもっておった。その一瞬の迷いで、この女子が、互いの立場や状況をよく吟味するタイプだと推測したまでじゃ! 」
セキは、着物の袖をぎゅっと握り、サイを睨み付ける。
髪と同じ、真っ黒な瞳が、サイを射抜く。
彼は思わず、目を背けた。
そのサイの反応にセキは、なにかを確信したのか、にやりと笑った。
「ははん、お主のことがわかったぞ。ほほぅ、そーかそーか」
「な、なんだよ」
突然態度の変わったセキに、サイは戸惑った。
しかし、そんな彼の様子を見るのも愉快だと言わんばかりに、セキは不敵な笑みを浮かべ続けている。
「お主は、いっけんふらふらとしていて頼りがいのなさそうな男じゃが、その実、内には熱いものを持っているようじゃ。信念、というか自分のこだわりに執着しているようじゃな。じゃが、いまだになにか迷いがあるように見える。いや、見えていたが、その正体がわかったぞ」
セキは、どこから出したのか、紫色の扇子をばっと開き、口元を隠した。
「お主、わしに惚れたな? 」
「え、お前そういう感じのキャラなの? 」
サイが、めんどくさそうに返事をした後ろで、リサが口をあんぐりと開けて固まっていた。
その様子を、セキはしっかりと観察し、扇子に隠れた口がまたしても笑みを作った。
「まぁ、冗談はさておき、お主に悩みがあるであろうことは間違いないのぉ。ここじゃ、話づらいじゃろうし、いつでも相談に乗るからとりあえずLEINEを交換しようぞ」
「見た目と話し方のわりに妙に近代的だな」
セキは帯からじゃらじゃらとアニメのキーホルダーを大量につけたスマホを取り出すと、LEINEを起動させ、サイと連絡先を交換した。
その大量のキーホルダーの中に、サイは、知っているキャラクターがいることに気が付いた。
「あ、それ『ばくおれ』じゃん」
「お、お主、まさか知っておるのか!? 」
セキが、ぽとりと扇子を落し、サイのブレザーを掴んだ。
淡い、桜の香りが、サイの鼻腔をくすぐる。
「お、おお。普段そうゆうの見ないけど、友達にすすめられてな。熱い展開が多くて結構面白いよな」
「ふおおおお! 」
『ばくおれ』とは、ケージ内のアニメーション会社が作成している深夜アニメである。
正式名称は、『幕末っぽい世界に転移した俺は、歴史の節目を攻略できるのか』というタイトルの異世界転移物で、主人公が、トラックに轢かれて目が覚めたら幕末っぽい異世界にいたという設定である。
実在の歴史上の人物のオマージュらしきキャラクターと、ファンタジーなオリジナルキャラが歴史の節目におりなす人間模様を描いた作品である。
「どどど、どのシーンが好きなんじゃ!? 」
セキが興奮した様子で、サイに詰め寄る。
「そりゃー、坂本竜一が暗殺されそうになったところを、佐助と門左衛門が助けたところだろ。最後に佐助と竜一がお互いの拳をぶつけるシーンは感動したぜ」
セキが興奮のあまり、鼻血を噴き出した。
「ぶふぅ、お主わかっとるのぉ! あのシーン、佐助が倒れた竜一を抱き起すところは特に刺激的じゃったのぉ! 」
「お、おぅ。そうだな? 」
ぼたぼたと流れ落ちる鼻血を必死に抑えるセキ。
その鼻息は、ぶふぅぶふぅと荒いままだった。
「ここ、今度一緒に茶でも飲まんか!? おすすめしたい作品があるんじゃよー! 」
「あ、ああ、別にいいぞ」
「絶対じゃからな! わし、止血せねばならんから今日はもうお暇させてもらう、それじゃあの! 」
びしっと手を上げたセキの表情は、年相応の子供のように生き生きとしていた。
ばたん、と勢いよく扉が閉まった後、会議室は静寂に包まれる。
「なんか、今日は静かになってばっかりだな、なあ、アリッサ。アリッサ? 」