2話
2077年、世界は半世紀前とは大幅に変わった。
2017年の8月、とある国のとある科学者が、新しい元素を発見したのだ。
その元素の名は、【マナ】。
マナは、あらゆる生き物に進化をもたらすものとして世界的に話題になった。
それを取り込むことにより、大気中に漂う魔力を知覚でき、更にそれを使って超常現象、つまり【魔法】を使うことができるようになるのだ。
世界中の人々はこの力に注目した。
自分達もフィクションの世界の様な、夢の力を手に入れられるのではないかと期待したのである。
しかし、現実はそう甘くはなく、力を手に入れるには相応の対価を支払わなければならなかったのだ。
マナに適応するものしか、魔力を知覚することはできず、適応できなかったものは徐々に異形の化け物、いわゆる魔物になってしまう。
また、適応できたとしても、マナが肉体に与える負担は非常に大きく、どんな生物でも寿命はおよそ半分になってしまうことがわかった。
しかも、マナの恐るべき性質で、ウィルスや体液を運び屋にして、次々と感染を拡大していった。
気が付いた時には、すでに数千人の人類と、数万種類の動物が感染しており、世界の有識者達は苦悩した。
有識者だけではなく、一般の人々もまた、いつ隣人が化け物になるのか、それとも自分がなってしまうのかわからない恐怖の時代が訪れたのだった。
今日までのおよそ60年、マナを根絶しようという団体はいくつも立ち上がっているが、いまだ特効薬も見つからず、そして年々感染者の数を増やしている。
そこで人々が出した結論は、感染した者、感染者の近くにいた者を、特定の地域へと隔離すること。
当然感染者達は反対した。
しかし、世間の風当たりは強く、隔離か死を選択せざるを得ない状況にまで事態は発展していたのだ。
結果、各国に隔離用の都市を作ることとなった。
そうしてできたのが、感染者達の住む都市、【ケージ】。
黒麹サイもまた、日本のケージに住む感染者であり【魔法使い】の一人だった。
静岡県から南へ数十キロの地点。
周囲を海に囲まれた半径約二万キロメートルの人工島。
目くらましが効かなくなるという貧弱な魔法と引き換えに、彼はこの島にやってきた。
釣鐘型の柵に囲まれたその姿を、まだ十歳だったサイの脳裏に焼き付け、十八歳になった今でも鮮明に覚えている。
これまでで、たった一度見ただけだったがまるで鳥かごの様なその姿は、ケージという名前にとてもしっくりきた。
ケージには、島の外に出てはいけないなどのいくつかのルールが決められている。
その中の一つに、島民は、各々の特性を活かし島の生活を支える義務があるというものがある。
つまり、島の運営は、あくまでも感染者のみで行うといことであり、生産、加工、販売という流通の仕組みは、全て島の中だけで完結していた。
そういった一般社会の様な仕事とは別に、ケージ特有の仕事である、|魔物討伐組織、通称【MSO】である。
サイもまた、MSOの一員となるべく、日々訓練を重ねていた。
「だーかーらー、悪かったって言ってるだろ? それに少しからかっただけじゃないか。」
東の空から太陽が顔を出して三時間、午前九時。暖かい陽気と、さざめく木々の間から吹く、ひんやりとした風が、秋の訪れを感じさせていた。
MSOの戦闘員候補生訓練所、そこの中庭で、サイと長い赤髪を後頭部で一つに束ねた小柄な少女が、なにやらもめているようである。
「私だって今回のことだけで怒ってるわけじゃないわよ! いっつもいっつも、なにかあるたびからかってくるのがムカつくだけ! 」
めちゃくちゃ怒ってんじゃねーか、とサイは思ったが、今後の事を考えて発言は控えた。
それよりも今は機嫌を取っておくべきだと感じ、思考をフル回転させる。
「本当にすまん! このとーり!」
とりあえず謝ることにしたサイは、両手を合わせ深々と頭を下げた。
頬を膨らませながらそっぽを向いていた少女はちらりとサイを見て何かを考えている様だ。
「…蜜原屋のハニーチーズケーキ」
少女の発言に、サイは勝った、と小さく呟いた。
蜜原屋とはケージ内にあるケーキ屋で、特製のハチミツソースを使ったケーキが人気の店だ。
「もちろんおごらさせて頂きます、リサ様。」
その言葉にリサと呼ばれた少女、赤井リサは頬を緩ませ数歩サイに歩み寄った。
「本当!? 今度の土曜日だからね! 絶対だからね!」
リサの真っ赤な長い髪が風にたなびいた。彼女の瞳は、餌を与えられたばかりの猫のようにキラキラと輝いている。
「任せとけアリッサ! 俺がこの手の約束を破ったことなんてないだろ」
さっきまで深々と頭を下げていたサイは、親指を上げながら勢いよく頭を上げた。
はずだったが、彼の親指は、近寄っていたリサのスカートに引っかかり、彼女のスカートをまくり上げていた。
サイの目に飛び込んできた桜色のトライアングル。それが作り出す奇跡の造形美に、彼は宇宙の神秘を感じずにはいられなかった。
そして、みるみる赤くなるリサの顔と比例するように、サイの表情は青くなる。
「おお…、すまんすまん。でも、ちょーっと太ったんじゃないかお前? 」
「くたばれ! 」
鈍い音と共に宇宙の神秘とサイの視界は暗闇に包まれた。
「いてぇよ! 目はやめろ目は! 」
悶絶するサイを尻目に、リサは、鋭い視線を彼に向けていた。
「本当、信じられない事するわねあんた! 今の私じゃなかったら犯罪よ? 普通に変態よ!? この変態! 」
「事故だ、事故であって自己の意志でしたわけじゃないよ。ぶふぅ」
秋の空気も真冬のロンドン並みに冷えさせるサイの駄洒落。
今度は、ぱんっとはじけるような音が響いた。
「つまんない事言ってないでさっさと演習の準備するわよ」
そう言うとリサは、ぷいっと振り返り、グラウンドの隅にある小屋へ向かって歩いていく。
「はぁー、ちくしょうなんで俺がこんな目に」
頬に真っ赤な紅葉を咲かせたサイがうなだれる。
ある意味、お約束ともいえるその姿は、酷く滑稽だ。
「よくそんなこといえるわね……。あんたが二度寝しなければこんな事にならなかったわよ。私まで巻き込むなんて本当に信じられない! 」
サイは、今朝、リサから集合場所の変更を伝えられた後に時間を持て余したため、再び寝てしまった。
その結果遅刻してしまい、罰として今日の演習の準備をすることになってしまったのだ。
「いやー、候補生最強で、しかも成績優秀な学級院長がいて俺は嬉しいヨ」
「嫌味のつもり? なんか腹立つわ」
サイ一人では準備が遅くなってしまうということで、学級委員長であるリサが手伝うことになったのだ。
悪態こそついてはいるが、そのことに対して彼女はそこまで不満は感じていないようだ。
むしろ、どこか楽しんでいるような、そんな雰囲気さえ感じられる。
二人は秋の陽気を感じつつ、小屋の前へとたどり着いた。古ぼけたトタンでできたその小屋は、強い風が吹けば今にも崩れてしまいそうな程、老朽化が進んでいる。
二人は、教官から借りてきた鍵で、南京錠を外し、錆で重くなった扉を開いた。
ぐぎぎ、と獣鳴き声のような音が響き、小屋の中に光が差し込んでいく。
「えーと、たしか必要なものは銃と、ペイント弾だったわね」
リサは、薄暗い小屋の中へ、臆することなく入っていく。その後ろをサイが気だるげな足取りでついていく。
「すげー埃だな」
サイは、右手で口を覆った。
彼があまりの汚さに若干引いていると、リサが大きな段ボールを二つ、ふらふらと酔っぱらいの様な足取りで抱えてきた。そして、彼女は、サイの足元に段ボールをおくとふぅっと一呼吸おいた。
「これで全部だと思う。早く持ってっちゃお? 」
リサのくりくりとした大きな目が、サイを見上げる。
いつ見てもこいつはロリロリだなぁ、とサイは思ったが、また機嫌を損ねると思ったのか、本人には言わなかった。
よっこらせ、とサイがおっさんの様なことを言いながら段ボールを持ち上げる。普段から体を鍛えている彼には、それほど重く感じなかったが、リサにとっては少々重たいようで、腕がぷるぷると震えていた。
「おい、そっちのも乗せてくれ」
サイの言葉に、リサは不機嫌そうな顔で答えた。
「そ、そうゆう気遣いはいらないわ。私だってこのくらい持てるんだから……、ぎゃん! 」
リサがサイの申し出を断った直後、足元に落ちていたボールに躓き、盛大にこけた。
「パンツはさっき見たからもう十分だぞ? 」
「うるさーい! 私だって見せたくて見せてるわけじゃないんだからね!? 」
リサは、慌ててスカートの裾を直したが、顔は火が出る程真っ赤に染まっていた。
サイは、一度段ボールを置き、散らばってしまったペイント弾のマガジンを一つ一つ段ボールに詰め直していく。
「ごめん、ありがと」
リサの言葉に、サイは無言で親指を上げる。
結局、二つの段ボールはサイが持ち、戸締りはリサがするということで折り合いがついた。
終りが中途半端になっちゃったぜ