プロローグ
「なんで、こんなことに」
嘆くように少女は言った。それは、きっと絶望だ。あるいは、これが本来あるべき正しさなのに、少女は確かに悲しんでいた。
だけど。どれだけ心を痛めようとも涙を流そうとも、滴る雨がとまってくれないのと同じく、状況なんてものは変わってはくれない。
わかっている。わかっていた。わかったつもりになっていた。
世界は優しくなくて、だからこそ優しくあろうとするのだと。わかっていたはずなのに。
「なんで、こんな、こんな……」
目の前に地獄が広がっている。ダグザの大釜の蓋でも開いたのかと呻きたくなる悪夢がそこにある。
都市が1つ、炎に包まれていた。決して消えぬ炎は周囲から徐々に中心に押し寄せて、あと1日もすれば、あるものすべてを燃やし尽くすことだろう。
木々も家も人も子供も未来も。すべては等しく灰燼とかす。発動した権能を強制的に解除する手段は1つしかない。
彼女はそれをなすためにここにいる。
それをなすために造られた。
だけど。
「なんで、あなたが!こんなことを!!」
血を吐き出すような咆哮を、この地獄の創設者にたたきつけた。目の前の悪魔は彼女を無表情に見つめている。
思えば彼のそんな顔を見るのははじめてかも知れない。表情豊かな男だった。よく笑い、よく怒り、よく泣く。
無表情は自分のものだったのに、これでは立場は逆転だ。いや、表情だけではなかったか。
はじめて会った時は本当に立場が逆だったのだから。だからきっと、これは因果応報なのだろう。
犯した罪は自分に返る。わかっている。だけど、返す相手が彼だと言うことが辛かった。
「答えて!答えなさい!シン!!」
名前を呼んだ。とても大事な名前を呼んだ。それは大事なものから手を放すと言うことだ。認めて否定すると言うことだ。
溢れた悲しみは器からこぼれて目から落ちる。だけど世界はいつでも厳しくて、聞こえたのは酷く冷たい声だった。
「俺は、俺のしたいことをしただけだ」
「したい、こと?」
違う。心が否定する。違う、そんなはずがない。違う。違う。違う。違う!
「こんな、こんなことをしたいなんて」
「知ってるはずだ。俺は自分のしたいこと以外はしない。それが俺の存在意義。在り方で、生き方だ」
だから、これこそが、したいことなのだ。冷ややかな声は少女の激情を一瞬にして凍結させた。
「そう。そうなの。わかった、よく、わかった。なら私もそうしましょう」
彼が存在意義を、在り方を、生き方を語るならば彼女もまた、そうするべきだと思った。なぜなら。
「私は私のするべきことをします」
それが彼女の存在意義。在り方で生き方だ。
「そうか。変わらないな、変わらない。変えられなかった。ならここで滅べよ、するべきことをして死ね。エル」
名前を呼ばれた。手を放されたのだ。互いに合わせた決別は彼らの関係を元に戻した。
はじめて出会った時と同じ。立場は逆ではあったけれど。
思い出を振り切るために剣を抜いた。義務を振りかざす様に、自由を振りかざす彼に鋒を向けて。
「あなたを殺すわ、シン」
「勝手に死ねよ、エル」
言葉と同時に駆け出した。
黒と白が交差する。
後に天魔大戦と呼ばれた戦いの終結の鐘がならされた。