鳴高市の悪役事情⑥
続いて放たれた言葉はあまりにも厳しく、俺の心に突き刺さる。テンポよく続いていた会話のリズムを途切れさせてしまうぐらいに。
幸せの風がどこかに吹き去ってしまったようだ。
「……どうかした?」
「あ、いや、その、そんな言い方はちょっとひどいんじゃないかな……?」
精一杯の笑みと共に冗談めかしく注意するも、伊月は腕を組み、尚も厳しい批判を続ける。
「どうして? 私は事実を言ったまでよ。ヒーローになれる、なんて謳ったところで、その彼らはなにをしてくれているの? せいぜい、そのジョーカー伯爵とやらを追い返すだけでしょ」
語調こそ荒げてはいないものの、冷ややかにしてトゲのある態度は、先ほどまでと同一人物とはとても思えない。
「本当に悪い奴を退治してくれるわけでも、裁いてくれるわけでもない。困っている時に、泣いている時には助けてくれない。そのくせして、ヒーローだの伯爵だの、くだらない憧れを追いかける者もいる。……いい迷惑だわ」
吐き捨てるように呟く彼女の顔は強張り、また鬼気迫るものがあった。
「でも、それだってジョーカー伯爵が悪いってわけじゃ……」
自然と、俺の声が荒くなっていく。
「そうね。でも、あれがいることで、役に立たないヒーローがどんどんと増えているわけでしょ。同時に、くだらない夢を追い続ける人間も現れる。それに、聞くところによると、廃れかかったこの風習を、もう一度立て直したのがジョーカー伯爵なんだってね」
次第に鋭さを増す伊月の言葉。
「あ、ああ。そうだけど?」
「なら、私にとってあれこそが害悪だわ」
「害悪って、そんな言い方ないだろ! 俺だって……」
「俺だって……?」
あ、ヤベ……!
「俺だって、こ、子供っぽいとは思ってるけど……」
思わず口走りそうになり、慌てて誤魔化した俺。伊月は目を細めながらわずかに視線を逸らし、一息に言って捨てた。まるで、哀れむように。
「なにをそんなに怒っているのかはわからない。私がこの街の風習というか、ウリを馬鹿にしたこと。それともジョーカー伯爵を個人的に蔑んだこと。色々あるとは思うけど、善斗くんに好きという気持ちがあるのと同様に、私にも嫌いという気持ちがあるの。貴方が好きだから、私にもそれを好きになれと? 鳴高市に引っ越してきた以上、ヒーローは好きであるべきだと? それはとんだ勘違いよ、迷惑な押し付けに過ぎないわ」
俺がもう少し頭が良かったら。俺にもっと語彙力があったなら。その場をうまく乗り切ることができたのかもしれない。
しかし、こんな風に感情を露わにし、なにかを否定、拒絶している異性というのは初めてであり、尚且つ事情もろくに知らない以上、俺になにができるのだろうか。下手に取り繕えば、それだけ深みにはまって伊月を傷つけてしまいそうだった。
「……ごめんなさい。こんなところで大声を出して。善斗くんには直接関係のないことだったわね」
うなだれたままでいる俺を見て、勢いに圧倒されていると勘違いしたらしく、我に返った彼女はすまなさそうに声を潜めて謝罪した。
「いや、いいよ。大丈夫……」
俺は引きつった笑みを浮かべるだけで精一杯だった。
正直に言って、ショックだった。この街に来れば、この街の一員になれば、きっと誰しもがヒーローを好きになってくれると思っていた。そして、必然的にジョーカー伯爵のことも同様に受け入れてくれるものだと。
でも違った。それはなんだか、とてもショックで虚無感を感じた。伊月の評価が全てではないとわかってはいる。俺自身の勝手な願望であることも。それでも、なんだか悔しかった。
「……行きましょうか?」
「……そう、だな」
それからは、お互いに口を開くことはなかった。俺が避けているわけではなく、どちらかといえば彼女の方が、こちらを不快にさせてしまったかと遠慮している素振りが見られた。
一体何故、彼女があそこまで嫌悪感を露わにしたのかはわからない。しかし、確実にジョーカー伯爵に、そして鳴高市にいるヒーロー達にいい感情を抱いてはいないようだ。
ただ、少なくとも今の俺自身に対してはそういった感情は持っていないらしい。とはいえ、ジョーカー伯爵の正体が、この俺だということを知られたら、それもどうなるかはわからないが。
好きになった女の子から嫌われるのはとても辛い。彼女の前で、ジョーカー伯爵はおろか、ヒーローの話は絶対にご法度みたいだ。この恋を成就させるためには、俺自身の秘密をなんとかして死守しなくてはならない。
そう固く誓った。
しかし、こういう状況に限って、神様って奴は意地悪を吹っかけてくるわけで。
「ここまででいいわ。ありがとう」
不意に伊月がそう切り出した。考えことをしていたせいか、ここで初めて、いつの間にか出会ったコンビニを通り過ぎ、自宅の近所まで来ていたことに気付く。
「そ、そう?」
ひょっとして、無言の空気に耐え切れなくなったのだろうか。
「ええ。もうすぐだし。わざわざありがとう、助かったわ」
今までは嬉しかったはずの、柔らかな彼女の微笑みが、俺には少し痛かった。
「あ、でも俺もこの辺りなんだ。せっかくだし、送っていくよ」
むしろ、俺の家も目の前だ。
気を遣わせたままでは悪いと感じ、こう誘ったものの、生憎と彼女はゆっくりと首を振る。
「気持ちは嬉しいけど、送ってもらうような距離もないわ。それに、善斗くんが帰るのが遅れちゃうし」
「ん、ああ、それに関しては大丈夫だよ。ほら、あそこにある茶色い屋根の家、あれが俺ン家だから」
「え、そうなの?」
俺が指差す屋根に目を向けた伊月が驚いて目を丸くした。
「私の家、向かいにあるマンションなんだけど……」
空気が固まった。
一瞬、言葉の意味がわからなかった。
ムカイニアルマンション?
そ、それってつまり……
「お、お向かいさん?」
俺の悪役生活もどうやら楽ではなさそうだ。