鳴高市の悪役事情④
その日の朝、テレビの占いは最悪だった。それも、普段なら重なることのない数多のチャンネルの星座占いや干支占い、生年月日や四つの箱から一つを選ぶ番組オリジナルの占いに至るまで、とにかくありとあらゆる占いが、俺を名指しして最下位と決めつけているかのようだった。
極めつけはこの一言。
『本日、最下位のあなた。この先もしかすると、とんでもない大波乱に巻き込まれることになるかも……。傍目からはチャンスに見えていても、その向こうには大きな落とし穴が待っているかもしれません。十分警戒をするといいでしょう』
……なんのこっちゃ?
全くもって意味がわからない。ま、いいか。
さ、学校に行かなくちゃな。
「あ、善斗、最近この辺りで事故があったから、十分に気をつけるのよ」
「わかってるって。じゃ、行ってくる」
母さんからのうるさい小言を聞きながら、俺は靴を履き、学校への道を急いだ。
◇◇◇◇
結局、その日一日なにも起こらず、いつも通りの日常が過ぎただけだった。
所詮、占いは占いだったな。
そんなことを頭の片隅で考えつつ、道中にあるコンビニへと立ち寄った。今日は週刊誌の発売日だ。
自動ドアが開くと、アルバイトらしき若い男の、無気力な挨拶が出迎えてくれた。
「あった、あった」
俺同様、立ち読みをする客の脇から手を伸ばし、目的の雑誌を掴むと、早速立ち読みに耽る。表紙は九月から始まる新連載のギャグ漫画だ。
あー、この新連載はダメだな。なんだか打ち切りの匂いがする。
そんな風に評論家気取りで、ぱらぱらとページを捲っていた時だった。
不意に声をかけられた。
「あの、すみません。鳴高高校の生徒さん、ですか?」
思わず周囲を確認する。
周りには、スーツ姿のサラリーマン、バイト帰りの大学生、配達会社のドライバー、多様な衣服を着ている人間が立ち読みをしていたものの、一見して高校生だと判断できるのは、俺以外にはいなかった。
ということは、声の主は、俺に声をかけているらしい。
「……そうですけど?」
一体誰だ、こんなところでそんな曖昧な質問してくるのは。それは俺の幸せな読書タイムを中断してまで聞く内容なんだろうな。もしくだらない用事だったら承知しないぞ。
精一杯につくった強面の顔で不機嫌さを演出し、声がした方を振り向く。
「なっ……!」
びっくりした。
むさ苦しいコンビニの中で、まるでそこだけが切り取られているかのようにキラキラと輝いていた。これが漫画なら、彼女とその周囲だけがカラーページになったかのよう。これがアニメなら、作画担当が彼女だけ気合いを入れたかのように。
要するに、なにが言いたいかというと――
「あ、ごめんなさい、いきなり声なんてかけて……」
「い、いや、大丈夫……です」
――か、可愛い!
なんだこれ、マジか。
普段顔を合わせているクラスの女子が、霞んで見える。いや、そもそも、お前らが本当に女の子なのかと問い詰めたくなるくらい、同じ生物とは思えなかった。
比較的高めのすらりとした身長、短いスカートから伸びた細い足。黒いニーソックスが、それをより引き立てている。小さな顔にやや切れ長の目元、肩よりもわずかに短い、思わず触れたくなる柔らかそうな髪の毛。なにからなにまで完璧で、目を逸らすことを躊躇うほどに、彼女は俺を一瞬で魅了した。
「あの、なにか?」
「え、あ、なんでもないよ」
「本当? それならいいんだけど……」
ぼんやりと惚けていた俺のことを気遣ってくれたらしい。なんと優しいのだろうか。
店に流れている音楽や店員の挨拶、立ち読み客の咳払いといった雑音など、もはや聞こえないほどに、彼女の声は俺の耳から入り、血液に混じって全身へと駆け巡り、満たしていく。
うわ、ヤバい。今の声、録音して目覚ましに使いたい。きっと毎朝、清々しい目覚めになること間違い無しだ。
「と、ところで、俺になにか用?」
心臓がバクバクと音を立て、忙しなく脈打っているのがわかった。顔が熱い。もしかして、赤くなってるのか、俺。
「あ、実は私、明日から転校することになったんだけど、生憎とこの辺りの地理がまだわからなくて……」
「て、転校?」
ここがコンビニだということも忘れて、やや大きな声が出た。周囲からの視線が、背中に突き刺さる。
「え、ええ。それで、良かったら案内してくれないかと……」
俺の過剰な反応に、戸惑ってしまったのだろうか。その笑みが、少しばかり引きつっている。
しっかりしろ、十代善斗。
「案内、ね。……別にいいけど?」
彼女の顔が直視できず、やや上方に顔を向け、素っ気なさを装った。
「本当? ありがとう、凄く助かる」
彼女の目元が柔らかく緩む。どうやら、引きつっていた顔も笑顔に戻ったようだ。危ない危ない、声をかけたのが失敗だと思われるのだけは避けられたかな。
「大船に乗った気でいろよ。この街は俺の庭みたいなもんだしさ、隅から隅まで案内するから」
その笑みに乗せられた俺は雑誌を棚に戻し、胸元を軽く叩く。俺の庭、なんて格好をつけて見得を切ったものの、あながち間違いじゃない。ジョーカー伯爵様々、抜け道小道、なんでもござれ。
「ええ、お願いするわ」
くすりと微笑むその笑顔は、本当に輝いていた。
クールビューティー、そのキャッチフレーズを考えた人間はきっと天才だと思う。
「そ、それじゃ行こうか。えっと、君の家はどの辺り?」
いつまでも見惚れるわけにもいかない。まずは案内だ。
と、その前に、コンビニから外に出るついでに、本当に、本っ当に興味なさそうに、彼女の家を訊ねる。
「ここから少し、この道を進んだところよ」
「へえ。俺もそっち方面だ。ついでに美味い飯屋とかも教えるよ」
「それは助かるわ。食事については考えていたところだったから」
ん、考えていた?
なにをだろう。今夜の献立かな?
ま、いいか。
「なら行きますか!」
さてと、どの道にするか。キャンキャンうるさい犬がいる道か、細いパイプを伝って綱渡りが楽しめる用水路か、はたまた物凄く狭いけど、学校まで一直線の脇道か。
軽く膝を曲げ伸ばししている俺を見て、彼女が一言漏らす。
「……スカートで通れない場所はやめてね」
「え?」
「比較的安全で、害のない通学路を頼むわ」
「わ、わかったよ」
先回りして妨害されてしまった。
ただ、なんとなく嬉しかったのは、今のやり取りが、テンポよく、心躍ったこと。会話や呼吸のテンポ、なんというか歯車が噛み合っているんじゃないかと、変に期待せざるを得なかった。
なんだよ、今日の運勢は最下位どころか、大吉じゃないか。
はっきり言って俺、完全にこの子のこと、好きになっちまったみたいだ!