鳴高市の悪役事情⑲
「な、な、な、なんですって!」
その叫びが教室中に響き渡ったのは、腹が膨れて瞼が重くなる、昼下がりのことだった。先生に隠れてこっそりと携帯を触っていた祭が、授業中にも関わらず大声で騒ぎ立てたのだ。
「な、何事ですか、片桐さん?」
突然の事態に驚いた花畑先生は、黒板に英単語を書いている途中で、チョークをへし折ってしまう。祭の奇行に驚いたのは先生だけではなく、クラスメートも同様であった。ただ一人、この俺を除いて。
「先生、伯爵の――ジョーカー伯爵のアカウントに、新しい呟きが!」
「え? あ、皆さん、授業中ですよ。授業を聞いてくださーい!」
祭が息を荒げて奇行の詳細を話すと、誰もが驚き、携帯を取り出して確認を始める。教壇に立つ先生が止めるのも聞かず。
『本日、午後六時、鳴高総合病院にて、なにかが起こる
※注意
公共の場につき、迷惑行為は私だけの専売特許であり、他の者は決してしてはならない』
これこそが、俺がおっちゃんに呟くように頼んでおいた内容だった。
今日は金曜日。結局、またも一週間が経過してしまった。
けれど、その間、おっちゃんや那由多、柚月さんと、綿密な打ち合わせを重ねた。それが長引き、今日までかかってしまったものの、これから始まるのが、俺の伯爵としての最終舞台。俺と伊月の物語は、よくもまぁ、金曜日に縁があることだ。
ここ二週間、まったくといっていいほど動きのなかった伯爵からの呟き、それは授業すらも中断してしまう程で。それだけ、皆が伯爵の刺激に飢え、渇望していたのかもしれない。
「いつもは五時からなのに、どうして今日は六時なんだ?」
「いや、それよりも、なにかって一体、なにをするつもりだろうな?」
ざわついた教室内は、時間経過によって鎮まるどころか、各々がたてる推測によって一層の盛り上がりを見せる。もはや、先生一人では収拾がつかない。
ここまでは俺の予定通り。
「……今更、なんのつもりよ……」
そう、活動を再開した俺に、伊月が動揺することまでも。
「まぁまぁ、慌てるなって!」
一旦、その騒ぎをおさめるべく、俺は手を叩き、皆の注目を集めた。
「こんなところであれこれ考えていても仕方ないだろ。六時になればわかることだし、今はそのワクワクを胸に、眠い授業を乗り切ることを優先すべきじゃないか?」
「また善斗くんは、そういう悟ったようなことを……」
誰もが呆気にとられていた。無理もない話だ。いつもなら、真っ先に眠っていてもおかしくない俺が、そんな熱い言葉を言ったのだから。
「と、十代くんの言うとおりですよ。今は、英語の授業に集中してくださいね」
ここぞとばかりに便乗してきた先生の柔らかな注意にほっこりと癒されつつ、携帯をしまうクラスメート達。とはいえ、皆の心は共通して、一刻も早く時が過ぎるのを待っているに違いない。
この光景、どこかで見たことがあると思ったら、伊月が転校してきた初日にそっくりだった。早く伊月に話し掛けたくて、誰しもがうずうずとしていたっけ。
あの時は、脇目も振らず授業に集中していた伊月。しかし、今ばかりはそうもいかないようだ。
信じられないとばかりに、前にいる俺の方をぼんやりと見つめていたり、壁にある時計を事あるごとに確認したりと落ち着きがない。
そんな伊月に対し、先生の隙をついて、四つ折りにしたノートの切れ端をそっと机に置く。すぐさまそれに気づいた伊月が、その切れ端に手を伸ばすのがわかった。
少しして、制服の袖が引っ張られた。切れ端のお返しだ。
『今日の五時、鳴高総合病院の屋上で待っている』との誘いに、『行かない』とだけの短い返事。だが、俺は慌てない。驚く程に、想定の範囲内。さすがは柚月さんの予測。
その切れ端を破棄し、新しく作った切れ端を先程同様に机へ。
今度の返事は、時間がかかった。投げ付けるように返ってきたぐちゃぐちゃに潰された切れ端。開いてみると、俺の書いた文面は黒く塗り潰され、その下には書き殴ったような『わかったわよ』との承諾の返事。
挑発成功。『逃げるんだ?』とだけ書いて渡したラブレターの威力は絶大だ。
まずは第一段階。伊月を舞台に上げることはできた。ここから先は、皆の協力にかかっている。
クラスの皆とは違う、逸る気持ちをなんとか抑えて、上の空のまま時間が経つのを待った。
それから、授業の終わりを告げるチャイムを聞いた時の皆の歓声といったらなかった。驚いたのは、それがうちのクラスだけでなく、学校中から聞こえてきたことだった。どこのクラスでも、同じようなやり取りが繰り広げられていたのだろうか。
「では、皆さん、しっかりと復習を……って、聞いていませんね。うぅ……」
わずかに延長しかかった先生の授業。それを生徒達からの無言の圧力によって強制終了され、しょんぼりとしながら教室を後にした。
その後、担任教師によるホームルームが行われ、ようやく一日の時間割が終了となる。
本来ならば、ここからは部活動やバイトと各々が自由に時間を使うのだが、今日ばかりは皆が揃って帰宅準備を進めている。大方、行き先も同じに違いない。
「さて、と」
座りっ放しですっかりと固くなってしまった体をほぐす意味合いで、大きく立ち上がり伸びをした俺を、じっと見つめる視線があった。言うまでもなく、伊月である。
その目に宿る彼女の感情は一体なにか。憎しみ、戸惑い、怒り、そして秘めた悲しみ……、色々とあれど、そんなもの、今日限りで終わらせてやるさ、絶対に。
「……待ってるよ、伊月」
鞄に荷物を詰めて、早々と帰宅準備を終え、すれ違いざまに小さく言い残し、そのまま教室を後にした。
さて、ここからは時間との勝負だ。
もうすぐ四時を回る。そこから病院へと行き、着替えをして、屋上にて準備をしなくてはならない。できれば、伊月が到着する頃には、仁王立ちで腕組をして待っていたい。となると、病院へは四時半迄には到着しておきたい。
そんな風に時間のやり繰りを考えてぶつぶつと呟きながら、昇降口を駆け下り、校門を出る。
「十代くん!」
俺の姿を見つけるなり、校門前に停まっていた黒い軽自動車の助手席の窓が開き、柚月さんが顔を覗かせた。
「柚月さん? もしかして、待っててくれたんですか?」
「ま、今日はサボっても大丈夫な講義だったし。ほら、乗って?」
顎をくいっとしゃくり上げ、乗車を促す柚月さん。
ありがたい。これで大幅な時間短縮に繋がる。
「あ、はい!」
「病院まで飛ばすわよ。……私、運転荒いから、しっかりと掴まってなさい!」
「え、ちょ……!」
扉を閉めた瞬間、シートベルトすら締める間もなく、俺の体は前のめりに傾いた。く、車ってのは、発進の段階でこんなに飛ばすものじゃないと思うんだけどな……。
「……伊月、来るって?」
シートベルトを締めるのに四苦八苦していると、柚月さんから少しばかり神妙そうに、そう聞かれた。
「柚月さんの教えてくれた通りにしましたから、おそらくは。っていうか、来てくれないと、大問題ですけどね?」
ようやく締めることに成功し、シートに身体を預けて気を落ち着かせる。
「そうね。ま、大丈夫でしょ。あの子が、あれだけ言われておめおめと家に帰るなんてことありえないだろうし。あー、でも、十代くんに手紙を渡された時の伊月の顔、見てみたかったわ」
「……あの、お願いですから、運転に集中してもらっていいですかね?」
恍惚の笑みを浮かべて、うっとりと酔い知れるように微笑んでいる柚月さんを横目に、小さく呟く。
「大丈夫、大丈夫。任せときなさいって!」
「ちょ、全然大丈夫じゃないでしょ!」
嬉々としてアクセルを踏み込み、前を走る車の波をくぐり抜けていくのを、シートにしがみつきながら見届ける他なかった。
その甲斐あってか、大幅な時間短縮を行うことはできた。その間、頭ががんがんと揺らされ、若干の気持ち悪さを感じざるを得なかったが。
「……十代くん、大丈夫? 顔、死んでるわよ?」
「うぐ、へ、平気っス……」
病院の駐車場に車を停めた柚月さんが、艶々とした表情をしながらも不安そうに問いかけてくる。震える右手を上げて、そう返答すると、シートベルトを外して降車した。
「うわ、凄いな……」
病院の周囲には、既にたくさんの人影がある。
「これって皆、伯爵目当て?」
俺に続き、運転席から降りては周囲を見渡し、呆気にとられる柚月さん。
「……そうみたいですね」
俺が残した呟きに従って、建物内に入ることはしていないものの、敷地の中にはカメラを抱えたサラリーマンや、ヒーローに扮した学生など、明らかに見舞いではない人間の方が多い。中には、子供連れの主婦など、見舞い帰りに、この騒ぎに便乗していると思われる人の姿もあった。
「これだけの人数がいて大丈夫?」
「……多分。でも、ま、さすがに建物の中に入るなんてことはしないと思いますよ。お互いが抑止力になってくれるでしょうし」
少数だけならば、先走って病院内に突撃する馬鹿をする者が出てくるかもしれない。けれど、こうして複数の人間を集めれば、誰かしらが暴走したとしても、しっかりと注意をしてくれるに違いない。
俺は、鳴高市民を信じている。……ま、これだけ人を集めたのは、それだけじゃないんだけど。
「そう、ならいいわ。行きましょうか?」
「はい。……その、すみません。こんなお願いしちゃって……」
柚月さんの隣に駆け寄りつつ、謝罪の言葉を口にする。着替えをする場所の候補として、お父さんの病室を借りることになっていたのだ。
「なに言ってるのよ。私から言い出したことだし、お父さんならきっと、喜んで貸してくれると思うわ。そんなつまんないこと気にしなくていいから、あんたはこれからのことだけを考えなさい」
コツン、と軽く頭を叩かれた。
「……はい」
その気遣いに、遠慮なく甘えておくことにする。
「こんにちは、柚月ちゃん」
「どうも。……大盛況ですね」
「そうね。病院が大盛況ってことに、素直に喜んでいいのかはわからないけれど。でも、普段は沈んだ病院という場所だからこそ、たまにはこういうのもいいかもしれないわね」
自動ドアを潜り、総合受付と書かれた窓口へと向かう。業務をしていた看護師さんが、柚月さんに気付き、親しげに声をかけてきた。
いつもよりも賑わう待合室の様子に軽く肩を竦めた看護師さんは、皮肉った言い方をしたものの、悪い気はしていないようだ。良かった、内側で働いている人のことが、少し気にかかっていたんだ。
「それに、不審者が侵入しないように、お見舞い先の部屋番号やフルネームをしっかりと確認するようにとの通達もあったし、防犯上の見直しもできてある意味よかったかしら。ところで柚月ちゃん、そちらは?」
柚月さんの隣で、黙って話を聞いていた俺に気付いたのか、看護師さんが意味深に微笑む。
「ああ、妹の彼氏です」
「ぶふっ!」
「あら、伊月ちゃんの?」
さも当たり前のように答えた柚月さんに、思わず吹いてしまいながらも、敢えてなにも突っ込まない。もの凄く、否定するには惜しかったから。
「じゃあ、私達はこれで」
「ええ、伯爵がなにをしてくれるのか楽しみね」
手を振って見送ってくれる看護師さんに一礼し、そのまま脇にあるエレベーターのボタンを押した柚月さん。俺もそれに倣い、下りてきたエレベーターにそのまま足を踏み入れる。
上がっていく最中、柚月さんが悪戯っぽくこちらを見ているのに気がついたが、素知らぬ顔をし、沈黙を決め込むこととする。
「……着いたわよ」
最上階の三階。そこの突き当りが、伊月達のお父さんの病室だった。
スライド式のドアを滑らし、中へと入る。
真っ白なカーテンがしかれ、枕際のクローゼットの上には、小さな花が一輪、花瓶に活けてある。正方形の机を挟んで、向かい合うように一人用のソファが一つずつ置かれているだけで、言い方は悪いが、生活臭がまるで感じられなかった。唯一動くものといったら、風にそよぐカーテンと、規則的に下へと落ちる点滴の滴だけ。
その光景は、俺に伊月の悲しみを、よりはっきりと認識させた。
「どうかした?」
入口にて立ち尽くしていた俺を見て、不思議に思ったのか、柚月さんが呼び掛けてくれる。
「あ、いえ。ちょっと……」
言葉がでてこずに、曖昧にそう誤魔化す。それでも、柚月さんは薄々と勘づいているみたいだ。俺ってわかり易いのかな。
「そんなに固くなることないでしょ。それより、早く着替えたら?」
「そ、そうですね。それで、あの……」
伯爵としての仕事に集中すべく、頭を切り替える。すると、ふと気づいてしまった。
柚月さんが、ソファに座ってじっとこちらを見ていたことに。
「恥ずかしいから出ていってもらっていいですかね?」
「あ、そう? 気にしなくてもいいのに」
「俺が気にするんですよ!」
渋々、といった表情で病室を出ていく後ろ姿に、ため息が漏れた。
見ず知らずの人が寝ているベッドの隣で、制服を脱ぎ捨て黒いタキシード姿に着替えるという、なんともシュールな光景。ボタンを一つ外しては、お父さんの方を気にして、ベルトを緩めては、お父さんがいつ目を覚ますんじゃないかとびくびくとし。
そんな状況下にて、そそくさと着替えを済ませると、一転して気まずさが襲ってきた。俺ってば、なにしてるんだ。
それにしても、随分と優しそうな顔つきの人だ。伊月が、お父さんのことを大好きだとはっきりと言える理由も頷ける。そのお父さんが、帰ってこないと冷たく言い張るのは、もしものことを考えると、不安で仕方ないから。柚月さんのように気丈に信じることができず、極力ショックを受けないように、あらかじめ最悪な結末に逃げている。
そんなんじゃ、駄目だろ、伊月……。
「……終わったかしら?」
いつしか、柚月さんが俺の背後に立っていた。
「……はい」
「伊月のこと、よろしく頼むわね?」
本能的に握っていた拳をそのままに、背中にてはためくマントを靡かせながら、柚月さんの横をすれ違う。
「任せておけ、娘よ。妹の悲しみ、吾輩が断ち切ってくれる!」
マスクを着けて、そう口調を変えた俺の体には、今までにないやる気が満ち溢れていた。




