鳴高市の悪役事情⑬
「また会ったわね。それに……」
伊月の視線が、影に隠れた那由多から俺へと向けられる。口元に、小悪魔ちっくな笑みを浮かべて。
「知らなかったわ、善斗くんに小学生を誘拐する趣味があったなんて」
「なっ、ち、違うって!」
「わかってるわよ。ちょっとからかってみただけ」
くすくすと笑う表情を食い入るように見つめていると、臀部に鋭い痛みが走った。那由多が尻をつねっているらしい。
「そ、そういえばさ、自己紹介がまだだろ。那由多、この人は永倉伊月さん。俺と祭の同級生だ」
話題を逸らすため、背後にいた那由多を押し出した。当然、尻の痛みも治まった。
「初めまして、永倉伊月です。貴女が那由多ちゃんだったのね。噂は、かねがね……」
那由多の背負っているランドセルと、アンバランスなスタイルの良さ。勘のいい伊月なら、祭のトラウマに気付いたことだろう。
「ほら、お前も自己紹介しろって」
「……古河、那由多」
背中を軽く押され、不機嫌そうに名前だけを小声で呟くと、那由多は視線を外した。
「わ、悪いな、伊月。那由多ってば人見知りだから」
「ううん、気にしないで」
そう言って寂しげに笑う伊月。
や、やばい、話題を変えないと!
「そ、そういえばさ、どうしてまだ制服のままなの?」
学校を出て、あの場所で遭遇してから、大体一時間程。とっくに家に帰っていてもおかしくない時間だった。それにも関わらず、未だに制服姿でいる伊月に違和感を覚え、ついでに問いかけてみる。
「それを言うなら善斗くんだって」
「ま、そうなんだけどさ」
俺の場合は特別だ。一度着替えていることだし。……ま、その時の姿でも、伊月とこうして話をしているのだけれど。
「私はその、ちょっと嫌なことがあったから。真っ直ぐ帰る気になれなくて……」
「嫌なこと?」
反射的にそう食いついてからハッとした。これってひょっとして、ジョーカー伯爵のことなんじゃないか。
「……善斗くんだって知ってるでしょ、私がジョーカー伯爵のこと嫌いなの」
はい、正解。
「ああ、そうだったな」
「それに遭遇しちゃって、もの凄く腹が立ったってこと」
嘆息。思い返して、再び苛立ちが込み上げてきているらしい。
「そうなんだ……」
分かってはいたものの、やはりいい感情は抱かれていなかった。むしろ、昨日よりも悪化すらしている。
「本当になんなのかしら、あの人。子供を誘拐したり、馬鹿みたいな狂言したり、頭がおかしいとしか思えないわ」
やはり散々な言われようだな。自業自得とはいえ、ちょっと悲しくなってくる。本当にダメージ大きいんだぞ、これ。
「……ねぇ、善斗」
そんな中、那由多が不機嫌そうに俺の袖口を引っ張った。
「ん、どうかしたのか?」
「私、つまらないから帰る」
つまらない――その厳しい言葉は、俺にではなく、明らかに伊月へと向けられていた。
「お、おい!」
諌めるべく声を上げた俺の制止を振り払い、那由多は自宅の方へと歩き出す。ご丁寧に、伊月の体に自分自身の肩をぶつけるという行為まで加えて。
「おい、那由多、なにするんだよ!」
小さく悲鳴をあげて、わずかによろけた伊月を支えつつ、去っていく那由多の背中に呼び掛けた。
「あ、そうだ……」
足を止め、顔だけを振り向かせて付け加える。
「善斗には悪いけど、私、その人とは仲良くなれない。アンタがどう思ったかは知らないけど、私は善斗や仁おじさんのことを否定するその女、大っ嫌いだから!」
感情に任せて、怒鳴りつける那由多を、俺は見届けることしかできなかった。さっきから、あいつがやたらと不機嫌だった理由が今にしてやっと分かったからだ。
那由多の父親は、海外出張が多く、ほとんど日本に帰ってこない。いくら強がってはいても、まだ小学生。本当は寂しいのかもしれない。俺の親父が那由多の事を本当の娘のように可愛がっているのと同じく、那由多もまた親父の事を慕っていた。それこそ、実の父親同然に。
伊月は、知らなかったとはいえ、その逆鱗に触れたのだろう。俺や、慕っている親父が扮するジョーカー伯爵を毛嫌いし、否定することによって。
「……善斗くん」
「ん?」
腕の中にいた伊月がそっと口を開く。
「私はいいから、那由多ちゃんのところに行ってあげて。なんだか、私が怒らせちゃったみたいだし」
「え、でも……」
「いいから、ね?」
そう優しく微笑んでくれたものの、やはりその顔はどことなく険しい。俺と顔を合わすことすら避けているようだ。それほど、那由多のことを気にしているのだろうか。
「……わかった。ごめんな、伊月」
小さく手を振り、俺は駆け出した。先を歩く那由多を目指して。
「げっ!」
少しして、ようやく捉えたその姿。那由多もまた、俺の姿を見るなり、逃げるように走り出した。
「おい、ちょっと待てって、那由多!」
「ちょ、ちょっと! なんで追いかけて来たのよ、善斗!」
家までのわずかな道程で繰り広げられる追いかけっこ。
「お前のことが心配だったんだよ!」
「心配してくれなんて、頼んでないでしょ!」
大声を発しながらも、お互いに足を止めることはない。男と女、高校生と小学生といえど、抱えている荷物やスタートの差など、明らかに分が悪い勝負であった。
「お、おいこら、待て!」
結局、この勝負を制したのは那由多だった。
マンション入り口のオートロックを解除し、いち早く中に飛び込んだ那由多。ワンテンポ遅く俺が到着すると、閉まったガラス戸の向こうであっかんべーと舌を出していた。
「ふふ、私の勝ちだね、善斗」
「はぁ、はぁ。つ、次は勝つからな……」
若いということは偉大なことだ。たったあれだけの距離を走っただけで、どっと汗が噴きだし、肩で息をしている俺とは違って、向こうは手を振る余裕すらあるらしい。ガラス戸を挟んで、負け犬の遠吠えとしか聞こえない台詞を吐きながら、膝に手を置く満身創痍の俺の姿をとても楽しそうに見つめている。
「さてと、帰ろうかなっと」
手をぱんと鳴らし、そう口にすると、那由多はエレベーターのボタンを押した。
「あー、あのさ、善斗……」
重々しい起動音と共に下りてくるエレベーターを待つ間、足をもじもじと動かし、なにやら言葉を探しているようだ。
「ん、なんだよ?」
俺の言葉に合わせるように、エレベーターの扉が開く。無言でそれに乗った那由多は、扉が閉まる直前にそっと顔を出し、どことなく恥ずかしそうにはにかみながら、俺に手を振った。
「……心配してくれてありがとう、善斗。またね」
言い終わると、赤くなった顔を隠すように引っ込めた那由多。
ああ、そうか。お礼を言うのが恥ずかしかったのか。中々可愛いところもあるんだな、あいつ。




