鳴高市の悪役事情⑪
夢中になって子供を追い回していた矢先、ふと顔を上げたそこに奴はいた。ガードレールに腰を下ろし、退屈そうにあくびなんてしている。
「あの馬鹿……」
舌打ちし、さりげなくその子の元へと近づいていくと、子供達が口々に彼女の名前を呼んだ。そりゃそうだ、怖い怪人が近寄っていくのだから。
「那由多ちゃん、逃げてー!」
「那由多ちゃん!」
そう、『那由多』と。
「くくく、捕まえたぞ、小娘。まずは貴様から私の部下にしてやろう」
忠告も空しく、ガードレールに腰掛けていた少女――古河那由多は俺の腕の中に。
自分で言っておいてなんだが、那由多のことを小娘と呼ぶにはなんとなく違和感があった。小学五年生ではありながら、中学生、いや、高校生だと言われても納得できる高い身長に、大人びた態度。背中まである髪の毛を左右で縛ったツインテールからも、あどけなさよりもむしろ美しさを感じさせる。私服登校が許されている小学校だけに、着ている衣服も雑誌に載っていてもおかしくないようなものばかりで、目の前にいる男子の着ているキャラクターもののTシャツに半ズボン姿と見比べて、改めて女子の成長の早さを思い知らされる。はっきり言って、高校の制服を着て、伊月と並んで歩いていても全く違和感がない程だ。
祭が那由多のことでトラウマを感じるのも、この容姿のせいだった。祭の身長を越えたのが、丁度一年前。以来、那由多は祭を文字通り見下している。
「子供達よ、そこから一歩でも動いてみろ。この娘が、ひどい目に遭うことになるぞ……」
その言葉に、子供達は石化したように動かない。ただ口々に、那由多の名前を呼ぶばかり。とりあえず、あちらは一安心。
問題はこっち。
「あのさ、那由多。せっかく人質にしたんだから、少しばかりは悲鳴を上げてくれませんかね?」
腕の中にいる那由多の耳元で、俺は小声で訴えた。
「えー、面倒くさい」
しかし、同じく小声で返ってきたのは見も蓋もない答え。どうやら、こうなることを見越して、ガードレールにて待機していたらしい。
「いや、面倒くさいって……」
「善斗が勝手に私を巻き込んだんじゃん」
「黙って傍観を決め込んでたのは、お前だろうが!」
「だって、知り合いに脅えるとか……笑えるし」
那由多は俺の腕を使って顔を隠し、我慢していたらしき笑いを表に出していた。
善斗、と彼女が俺を呼ぶことから分かる通り、那由多はジョーカー伯爵の正体を知っている。これは俺だけに限った話ではなく、親父のことも。
那由多の家は、伊月同様に俺の向かい側のマンションにある。そのせいか親父は、小さな頃から那由多を自分の娘のように可愛がっていた。そんな親父が、那由多に対して、自慢気に自分の秘密を話すのは、別段珍しいことではない。その後、こっぴどく母さんに叱られたことで、慌てて口止めをしていたみたいだが。
とは言っても、那由多の方も誰かに言いふらしたりするつもりはなかったらしく、おっちゃん同様に影の協力者として落ち着くことになった。協力、などと言われても、首を傾げるしかない。
「いいからなんかリアクションしろよ。今のままじゃ、めちゃくちゃ痛い奴に見られるだろ、俺!」
お互いにのみ聞こえる小さな声での会話故、周りの子供達には聞こえない。だが、いつまでも那由多が反応をとらず、悲鳴すら上げなかったら、不自然極まりないだろう。
「……今更それ言っちゃう?」
「いいから早く!」
「……はーい」
俺の要求に、平然と痛いところを突いてきた那由多を黙殺すると、ようやく観念したのか溜め息をついた。
「きゃあ、助けて。怖いおじさんに捕まっちゃったわ」
な、なんという棒読み。こいつ、絶対やる気ないな。
「ふ、ふふふ。ど、どうだ、怖いおじさんだぞ?」
仕方なく便乗し、子供達の恐怖心を煽る。ああ、向こうの子供はいちいち叫んでくれて可愛いな。それに比べて、こいつは……。
「おい、もっとやる気出せ」
「チッ……」
「舌打ちすんな!」
「ああ、もう! いや、放して。犯されちゃう!」
「ぶっ!」
おい、止めろ。途端にリアリティが出過ぎだ。一体、どこでそんな言葉を覚えた、小学生女子!
「ほら、善斗。次、次!」
俺のあたふたとする姿が面白くなったのか、那由多は小声でそそのかしてくる。こいつ、いきなりやる気出してきやがった。
「くっ。こ、この娘を、お、犯しちゃうぞ?」
生まれて始めて、犯すなんて言葉を使ってしまいました。いや、こんなこと言ったって、子供には分からないか。
「ああん、助けて。私が可愛すぎるせいで伯爵が興奮してる……」
「ちょ、お前。なにを言い出すんだよ!」
ああ、人質の人選ミスだ。
頼むから早く! ヒーローよ、来てくれ!
「……ちょっと、なにしてるのよ、あなた!」
その時、俺の背後から厳しい口調にて叱責する声がした。このタイミングでヒーローの到着か。今からなら十分に巻き返せる。
待ってましたとばかりに振り返った。
「なっ!」
次の瞬間、俺は硬直。
振り返った先には、激昂し、こちらを睨み付ける伊月の姿があった。
いや、ちょっと待て。なんだってこんな場所に伊月が?
「善斗、どうかした?」
「あ、いや、その……」
話の展開を忘れて立ち尽くしている俺を、不思議そうに見つめている那由多。
「あなた、小学生の女の子を捕まえてなにをするつもりよ、変態!」
よほど怒っているのか、カツカツとローファーの踵を鳴らして歩いてきた伊月。それはもう、もの凄い威圧感を放っている。
くそ、出来ることなら、正体がばれないように、今すぐここから逃げ出したい。しかし、そんなことをしたら、せっかくのこのショーが中途半端になってしまう。学校の先生も、もうすぐヒーローとして駆け付けてくれるはず。それまでは、逃げ帰るわけにはいかない。
では、どうすればいい。どうすればこの場を綺麗に治めることができるのだろう。
この街の住人ならばまだしも、相手は引っ越してきたばかりの伊月。それもとびきりのジョーカー伯爵嫌いときている。うまく彼女を巻き込んで、展開するのが正解なのだろうか。それとも、いっその事、子供達を巻き沿いに学校方面へと場所を移していき、先生達との合流を狙った方が得策か。
そうやって、迷ってしまったのが一番の失態だったのかもしれない。
「その子を放しなさい、変質者!」
伊月の右の手の平が、俺の頬を引っ叩いた。
「ちょっと、大丈夫?」
心配してくれる那由多を、そっと手で制する。
「早くこっちへ!」
俺の腕の中から引き剥がした那由多との間に、割って入る伊月。依然としてその目は鋭く、明らかな敵意を向けている。
子供達は、突然乱入してきた伊月の存在に戸惑っているようだ。いつものヒーローショーとは違う本物の暴力に、泣いてしまっている子までいる。
本当なら、今この状況においても、いつものように高笑いして、ジョーカー伯爵としての役目を全うしなくてはならないのかもしれない。
「ふふふ、今の一撃、いい攻撃だったぞ!」とか、「その程度でやられるジョーカー伯爵ではないわ!」だとか。
だけど俺には、そんなことはできなかった。
好きな女の子に平手打ちをされ、こうして睨みつけられる。
それでもまだ、顔を隠す仮面がある分よかった。これすらも無かったら、俺は絶対に心が粉々に砕けていただろう。
「そこまでだ、ジョーカー伯爵!」
そして幸いなことに、ここにきてようやく先生達がヒーローとして駆け付けてくれた。男性三人、女性二人で構成された先生の戦隊は、白いヘルメットの側面に、鳥の羽をモチーフにした厚紙を貼り付け、それぞれがカラフルな布をマントとして纏っていた。その下がスーツだったり、ジャージだったりと、子供達が見て、先生だとすぐに分かってもらえるようなお茶目さも残している。
その効果のおかげか、先生の登場に、途端に湧き立つ子供達。さっきまでの戸惑いは勿論、泣いていた子も皆笑顔になり、先生を大声で応援している。
「……待ちわびたぞ。今からこの子供達を我が部下にしようと考えていたところだ。止められるものなら止めてみるがいい!」
腕を大きく振り、伊月が現れる前のテンションと重々しい口調にて、先生達と向き直った。こうなったら伊月の存在はなかったことにするしかない。
彼女の方も、俺がこれ以上触れてこないことを悟ったらしく、那由多を連れてその場を離れていく。とりあえずはひと安心、かな。
戦いが始まったことで、周囲にはギャラリーが集まりだした。皆の顔には笑顔が戻り、活気みなぎる応援が俺達を包み込む。
よかった、これでいつもの馬鹿馬鹿しいショーに戻ることができた。
そう安堵の息をつきながらも、俺の頭の中は伊月のことで一杯だった。




