百円と海の国
太陽が、人々の住まう地を抱くように煌々と降り注ぐ。
濃紺だった海は、次第に透き通るエメラルドグリーンの色へと変わってゆく。その上を滑るように、様々な方向から白い帆がその地を目指してやってくる。
蒼い色の家が立ち並ぶこの国は、大陸随一の貿易国と名高い。
朝も早いと言うのに既に港には何隻もの船が並び、人々の豪快な声が飛び交っていた。
「おい、あれ……」
「……アレ、王子さまの船じゃねえか?」
何隻もの船の中、一際大きく立派な船がやってくる。間違いなくこの国の紋章が刻まれており、人々の目を引いた。
船は静かに停まると、梯子が下ろされた。直ぐにふらりと人が降りてきた。が、その顔に生気がない。青ざめていた。
「……やっと着いた……」
ロレンは青ざめた顔で港を一瞥すると、安堵の表情を浮かべた。
他に乗っていた者達も皆、心なしか少しやつれた表情だ。
そんな中、飄々とした様で船から降りてきた人物は、思い切り伸びをする。
「ったくようやく着いたな。もうすっかり朝か」
赤いローブの少年はふわぁ、と大きな欠伸をした。その様子をロレンは恨みがましい目で見つめる。
「……僕のバカンスが」
「なんか言ったか」
ガチャリと金属音が聞こえると、ロレンは異常な速さで首を横に振る。レッドは満足げに、ヨシ、と頷いた。
「レッドーーーー!!!!!」
レッドとロレンと方へ、走ってくる人物がいた。レッドの名を呼ぶその人物は、この国で見ることのない黒髪だ。腰までありそうな、艶やかな黒の長い髪を後頭部のやや高い位置で1つに結ばれている。白と紺の重ねの衣服を紐でゆるく結び、『草履』を履いている。ここから遥か東の国の衣服だ。武器らしきものは持っていないが背に釣竿を背負っている。歳の頃はロレンより下の18か19歳くらいだろうか。小柄なレッドより頭1つ分ほど背が高く、髪と同じ黒い瞳からは滝のように涙が流れていた。
ガシィッ
「レッドーーーーお前無事だったんだな!!探したんだぞ!!」
黒髪の青年はレッドの肩を掴み、うわぁぁんと泣いていた。
レッドは表情を崩すことなく青年を見つめ、飄々と答えた。
「仕方ねぇだろ、海に100円落としたから探してたらいつの間にか沖に流されたんだ」
青年とロレンは耳を疑う。……え、100円?としばし固まる。穏やかな海風が吹き抜けた。
そして。
「「えぇぇぇぇぇぇ!?!?100円!?!?海に落としたから探してたぁぁぁぁ!?!?」」
青年とロレンは見事に同調した。台詞もタイミングもピッタリである。
「ちなみにちゃんと見つけたぞ」
「「しかも見つけたのかよ!!!!」」
黒髪の青年は頭を抱えて泣き叫ぶ。
「あぁぁもぉぉぉ!!レッド!!お前どこまでがめついんだよ!!100円落として夜の海にダイブする奴なんかいねーよ!!オレがどんだけ探し回ったと思ってんだよーー!!」
レッドの眉間にシワがよる。そして、右手に白銀の銃が握られた。
「うるせーーー!!!」
ドゥドゥドゥッ!!
「ぎゃあああ!!それ『アップルシード』ーーーっ!!!」
レッドは青年目掛けて躊躇なく銃を唸らせる。火薬の匂いが辺りに漂った。しかし青年は器用に避けた。連続で撃たれたにもかかわらず、傷1つもついていなかった。
「アップル……シード?あれも魔弾なのか……」
ロレンは呆然と呟く。見れば撃たれた地面は溶けたような後がついている。普通の銃弾跡ではない。『魔弾』とはきっと幾つか種類があるのだろう。
ぎゃあぎゃあと二人が言い争っているのをロレンが呆然として見ていると、黒髪の青年がふと、こちらを見やる。
「あれ、そーいやアンタ誰?大丈夫か?あいつ《レッド》に何かされなかったか?」
青年は苦笑しながらロレンに向き直る。穏やかで柔らかい物腰だ。その柔らかさに、ロレンは少し安堵した。
「ごめんな、アイツ本当に荒っぽいしワガママだしがめついし……根は悪い奴じゃないんだけど……あ、オレは浦島太郎。ウラシマでいいよ、よろしく」
青年ーーウラシマは、穏やかな笑みを浮かべた。人に警戒心を与えない、人懐こい青年だ。
「あ、あぁ……彼は海から這い上がって来たから驚いたよ。えーと……僕はロレン。ロレン・ヴィクトリアン・エルガー。……一応、この国の王子だ」
ロレンはすっ、と背筋を伸ばした。レッドに気圧されてしまっていたが、自分は王子。弱腰でいてはいけない、とロレンは自分に気合いをかける。
ウラシマはキョトンと目を見張る。そして、ゆっくりとレッドの方へ歩いていく。
バゴォッ
「ここここの不届き者ぉぉぉぉぉ!!!何で王子様の船に乗って来てんだぁぁぁーーー!?お前、これ、どうする気だぁぁあ!!!失礼にも程があるだろーーー!?」
ウラシマは力いっぱいにレッドの頭を叩く。その顔面は青く、冷や汗がとめどなく流れていた。
殴られたレッドは頭を抑えながら不服そうにウラシマを睨み付けた。
「何すんだてめぇっ!!仕方ねぇだろ!?船がそれしかなかったんだから!!やっとの思いで這い上がったんだぞ!!それとも何か!?俺に海の藻くずにでもなれってのか!?!?」
「いやむしろ藻くずになんなかったのが不思議だわ!!」
ウラシマは間髪いれずレッドに突っ込んだ。レッドは再び銃を構えようとしている。ロレンは慌てて制止しようとした。が、ロレンより先に制止の声音が港へ響く。
「おやめなさい!!」
凛と響く高い声音。レッドとウラシマは驚いて手を止めた。一方、ロレンには覚えのある響きだった。
コツ、コツ、とヒールの足音が近づく。足首まである灰色のロングスカートの裾が潮風に揺れる。首の詰まった白いブラウスに落ちる銀髪は肩の辺りで綺麗に揃えられている。銀縁のメガネの奥の瞳は猫のようにくっきり大きく、空の色をしていた。少し冷たげな印象の女性だ。そして、ロレンよりおそらく少し歳上と思われる。
女性はキラリとメガネの奥の瞳を光らせ、三人を見比べる。
「ロレン様、一体これはどういうことなのですか?貴方様は今頃船の上にいるはずですが?」
ロレンは横目でソロリとレッドを見た後、言いにくそうに女性の顔を伺う。
「サヴィナ……そ……それは、その……」
サヴィナ、と呼ばれた女性はロレンを真っ直ぐ見据えている。非常にピリピリとした空気が辺りを漂う。
「お……オレの連れが海で溺れていたのをロレン王子が助けて下さったのです!!」
空気に耐えかねたのか、ウラシマは明るく切り出した。
サヴィナの瞳がロレンからウラシマへ移る。ロレンは驚いたように目を大きく見開いていた。
「昨夜、海に落ちた連れを偶然王子様の船が発見して下さいまして……いやもう本当に王子様は素晴らしい方ですねー!!」
だから穏便に、と言いたげにウラシマはロレンを見る。ロレンは微かにうん、と頷く。
「あ……あぁ驚いたよ、その……ひ、人が溺れていると思わなかったし……」
ロレンは苦々しい笑みを浮かべた。サヴィナは無言で二人を見比べていた。
「……まあ宜しいでしょう」
サヴィナはため息混じりに呟き、スッと姿勢を正す。
「わたくし、サヴィナ・ネルソンと申します。ロレン王子の家庭教師謙、メイド長をさせて頂いております」
メイド長、ということはロレンの城のメイド達を取り仕切っている責任のある立場、ということ。だからこんなにもキッチリとした風貌なのかとウラシマは納得した。
「それで出迎えに来たって訳か。ご苦労なこったな、使用人」
レッドが変わらずの悪態をつく。サヴィナがギロリと睨んだ。
「まあ。その格好からするに貴方は旅人とか……賞金稼ぎ《ハンター》でしょう?その様な身分の者が、由緒正しきエルガー城のメイド長であるわたくしに、その様な口を利かないで頂戴」
「あぁ?何だと?そんなにメイド長様てのは偉いのかぁ?」
レッドの額に青筋が浮かぶ。ロレンとウラシマはマズイ、と顔を見合わせた。レッドの右手が銃にかかる。
「サヴィナ!!城へ戻ろう!!僕は疲れた!!!」
ロレンが少し大きく声をあげる。やや棒読みだが、サヴィナはレッドを一度睨み踵を返す。
「では、馬車を」
「てめっ話はまだ……」
「レッド!!!」
サヴィナに再び食って掛かろうとしたレッドをウラシマが抑える。その間にトコトコとやって来た、栗毛の馬がひく豪華な馬車に、ロレンとサヴィナはさっさと乗り込む。
「それでは」
ロレンは馬車の小窓から声を掛けた。ウラシマがレッドの首に腕を巻き付け抑えながら、会釈をした。馬車は潮風に押されるように、走りさっていった。
ウラシマは軽くため息をつく。勿論それは安堵のため息だ。もう王子様に会うことは無いだろう。
ドゴォッ
「おぶっっ!!!」
そんなことを思っているとふいに顔に頭突きを食らった。……勿論頭1つ分背の低いレッドから、だ。ウラシマは赤い液体を噴水のように盛大に吹き出し倒れる。レッドはまだ気が済まないのか馬車の去った方向を睨む。
太陽がジリジリと照りつける。もう昼近いのだろう。
カラリと乾いた暑さ。この国は今は夏だ。レッドはローブを脱ぎ、手に持った。
ーー乾いた暑さなのに、何故か生ぬるく不快な潮風を肌に感じた。