招かれざる者
濃紺の、暗い夜の海に暖かな灯りが浮かぶ。
波はぱしゃり、ぱしゃりと穏やかな旋律を奏で、灯りの上で白い帆が濃紺にゆらりと揺れた。大きな白い帆の船は、ガヤガヤとたくさんの人が酒を酌み交わし、歌い踊っている。屈強そうな男たちや、美しく着飾った貴婦人、綺麗な身なりの子供もいる。
「王子さま、二十歳のお誕生日おめでとうございます!!」
「ハッピーバースディ、ロレン王子!!」
皆、歌いながら1人の青年を見ていた。中央でアンティークの椅子に座る青年は、嬉しそうに微笑む。
切れ長の瞳に、海と同じ色の濃紺の髪を結い、横に垂らしている。細身ながらもしっかりとした体格だ。何かしらの武芸などで鍛えているのだろうか。やや日に焼けていて、男らしくたくましい印象のある青年だ。
「ありがとう!皆」
ロレンは、グラスを上に突き上げ高らかに叫ぶ。
「僕が生まれたこの日を共に祝ってくれて嬉しく思う。皆、今宵は存分に楽しんでくれ!」
おぉ!!と歓喜の声が上がる。更に灯りは煌々と明るく海を照らした。
その波間に、ふいに影が揺れた。
同時にぱしゃり、と魚の跳ねる様な音も。
「……?」
今夜はあまり風は強くない。そして波も穏やかだ。
「魚が跳ねただけか……」
気がついたのはロレンだけのようで、皆は構わず歌い、踊り、とても賑やかだった。
ロレンはまさか鮫でも、と思い船首の方へと足を進める。
賑わう人々と言葉を交わしながら、ほの暗い船首へたどり着く。
さすがにこちらがわには人気がなく、先ほどの賑わいがほんの少し遠くに感じた。
「やはり気のせいか……」
ロレンは涼やかな潮風を頬に浴びながら海を確認する。潮風で酒の熱が冷めてきたようで、頭がすっきりしてきた。
バシャッ
「!?」
今度は先ほどより大きな水音が傍で聞こえた。ロレンは少し驚いて後退する。
「……やっぱり何かいるのか!?」
ロレンは腰の剣に手をかけ、ゆっくりと船首へ近づく。ギィ、ギィと波に揺られて船が鳴く。穏やかな波の旋律は変わらないと言うのに、ロレンの心臓の鼓動は激しく鳴り始めていた。
バシャァッ!!
船首に飛沫が飛んだ。
「うわぁっ!!」
ロレンは驚いて飛び上がる。飛沫の元は、船首の上にいた。
暗くてよくは見えない。だが、船首の先に何かが這い上がってきたのだ。ビシャ、と水音と共に濃い海水の匂いが鼻先をかすめた。
ロレンは胸の激しい鼓動を抑えながら、剣を構えた。
剣の切っ先が月明かりで白く光る。
「そこにいるのは何だ!?」
白く光る切っ先の前に、何かが寄ってくる。
しかし寄ってきたものを見て、ロレンは目を見張った。
そこに居たのは、月明かりに輝く絹糸の様な金の髪。ルビーの様な紅い瞳。それを縁取る長いまつ毛は水に濡れてより艶やかで黒く映える。そして血のような真っ赤なローブを纏っている人間。
何故海から這い上がってきたのか。
一体何者なのか。
ロレンの中では様々な考えが巡るが、口から出る言葉はーーー
「美しい……」
ロレンは、得体のしれないその赤いローブの人物に見惚れていた。妖精のように儚げなその容貌から視線を外すことが出来なかった。そしてロレンはふと、とある考えに至る。
「そなた……もしや!!」
ロレンはズカズカと赤いローブに近付いていく。紅い瞳がロレンをチロリと捉えた。
ガシッ
ロレンは力強く赤いローブの者の手を握る。
「そなたが噂の人魚姫かっ!?!?」
ローブの人物は驚いたように大きく紅い瞳を見開く。ーーそして直ぐ様その眉間には盛大にシワが寄せられた。
「…………てめぇの目は節穴かぁぁあぁああ!!!」
男にしては高い、女にしては低い声音が辺りに響く。そしてロレンの額でガチャリと冷たい感覚と金属音がした。
見れば、白銀の銃がロレンの額に向けられている。ローブの人物はロレンの手を乱暴に振り払った。
「この俺は男だ!!残念だったなぁ!?つまりニンギョヒメとやらじゃねーんだよ!!赤頭巾!!それが俺の名だ!!通称はレッドだけどな」
レッドは何とも偉そうな態度でわかったか、とロレンを睨み付ける。
ロレンは先ほどの印象を覆すその饒舌ぶりと、かつ荒々しいレッドについていけず何度も瞬きをするばかりだった。
そんなロレンを気にもせずレッドは船を見回す。気づけばロレンの後ろには、何だ何だ、と人が集まって来ていた。
「ロレン様、どうされたのだ」
「その者は一体……?」
「おい、銃を持ってないか?」
人々はガヤガヤと騒ぎ出す。レッドはそれらを一瞥すると、白銀の銃口を高く上に向けた。
ドゥンッ!!
白銀の銃が灰白の煙を吐き出す。ガヤガヤと騒いでいた人々は、微かな火薬の匂いに口をつぐんだ。波の静かなる旋律だけが辺りをつつむ。
レッドはくす、と妖しげな笑みを浮かべる。
「おい、この船どこに向かってんだ?」
ロレンはハッと気がついたようにビクリと体を揺らす。
「み……南の島に……僕の誕生祝いに購入した島へバカンスに行く予定なので……あと3日もすれば着くと思うが」
「3日?」
レッドは静かに白銀の銃を下ろす。そして冷ややかな笑みを浮かべて再びロレンへ銃口を向けた。
「このまま元の港へ戻れ。俺は人を待たせてる」
「えぇっ!?」
あまりに身勝手なレッドの言葉に、ロレンは顔をひきつらせた。
「あぁ?何か不服か?屍だらけの幽霊船として港へ帰ってもいいんだぞ」
レッドは悪びれる様子もなく更に言い放つ。
「……っ!!そなた、いい加減に……!!」
ロレンは、みるみる顔を赤くして憤怒の表情を浮かべた。そして、剣をレッド目掛けて降り下ろす。
しかし、レッドはひらりと交わす。そして月明かりに、白銀が一瞬煌めく。
「いい加減に、何だ?」
ドゥンッ!
言うより先に銃が叫ぶ。ロレンの顔の横の木製の手すりが白煙をあげた。
そして、その部分はきらきらと光っている。ロレンは震える指先で恐る恐るそこをなぞった。
「こ、凍っているっ!?」
銃弾の当たったところだけ、冷たく凍りついていた。ーーもし今自分に当たっていたら……とロレンは顔を青くする。
「ディープスノウ……当たった生き物を一瞬で凍てつかせる魔弾だ」
レッドは冷ややかな笑みを崩さず答える。
「俺の銃は 魔銃 ブランシュネージュ……つまり、魔力の籠った特殊な銃だ。……勿論誰でも扱えるシロモノじゃねー、この俺だけが扱える特別なモノだ」
月明かりで白く輝く魔銃は、レッドの笑みと同じく冷たく美しい。
彼は一体何者なのか。
ロレンは先ほどまでの恐怖より、疑問の念が強く浮かんだ。
「……そなたは……レッド、そなたは一体何者なのだ……?」
レッドはその言葉に紅い瞳を愉しげに細め、はっきりと告げる。
「さっきも言っただろ、俺は赤頭巾。……魔銃使いの賞金稼ぎ、レッドだ!!さっさと船を港へ戻せ」
レッドは船上の人間達をゆっくりと見回した。
「凍てついた屍になりたくねーだろ、なぁ?」
ーー濃紺の、暗い海の上に白い帆が揺れる。穏やかな波の旋律はまるで優しい子守唄のようだ。白い帆の船は、涼やかな潮風を受けて港への帰り路へついたのだった。
ーー半泣きの人々と、儚げで傍若無人な賞金稼ぎを乗せて。