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『夏の奇跡』

作者: 桜坂 恵

『夏の奇跡』


 第1章「出逢い」


 彼女と出会ったのは、一昨年の八月だった。

 

 俺は、その年の六月まで、離婚後の二年間を、実家で母親と二人で暮らしていた。親父は十五年も前に死んでしまっていた。俺が実家にいたのは、母親の体調が余りよくなく、心配であったから、と言うよりは、一人暮らしの経験のなかった俺が、離婚後すぐに、不慣れな一人暮らしをする気にはなれなかった、と言うのが本当のところだった。だが、この歳になって、二年も母親と顔を付き合わせて生活することにも、少し気詰まりを感じていた。幸いにして、母親の病状もよくなり、元のように元気で、口うるさい母親に戻ってくれていた。ようやくといった感じで、俺は新しい自分のねぐらを、持つことにした。


 大阪南部の住宅街。中古マンションが、ぎりぎり手の届く価格で、売りに出されていた。不動産屋の案内で、一度見に行き、その場で決めた。

いざ一人暮らしを始めてみると、やはり何かと大変だった。それまでの俺は、親の世話になり、その後すぐ嫁の世話になって、家事など自分で、何一つしたことがなかった。そのつけを払わされている気がした。食事は、ほとんど外で済ませて帰った。休みで家にいる日は、マンションの一階のコンビニに行けば、腹はふくれた。


 困ったのは、掃除と洗濯だった。掃除機は、一応買った。買ってはみたが、掃除そのものが嫌だった。引っ越しの後、一、二度使っただけで、掃除機は部屋の隅で、ホースを巻き付けられて、じっとしていた。洗濯は、しないわけにはいかなかった。全自動洗濯機を買った。説明書を読めば、使い方は簡単だった。ボタン一つ押せば、後は洗濯機が全てやってくれた。問題はその後だった。干さなければならず、干せば、取り入れなければならなかった。結局のところ、下着と、ワイシャツを、安い物で、かなりの数買った。それを着尽くすと、実家に持って行った。母親には呆れられたが、そのうち洗濯してくれる人を捜すよ、と言った。


 春物のスーツを、クリーニングに出そうと思いながら、ズルズルと放って置いたのも、ただの無精だった。店など、どこでもよかったが、出す機会を失っていた。随分長い間、スーツを車に積んだままにして、忘れていた。その日、トランクを開けた時に目についた。今日は必ず出そうと思った。結局、毎日仕事中に通りがかる、幹線道路沿いのクリーニング店に立ち寄った。

 その店で受付のパートをしていたのが、彼女だった。


 クリーニング店など初めての俺に、彼女は愛想良く、しかもてきぱきと、店のメンバーカードを作り、少しばかりのシミを鋭く見つけて、それが落ちにくい質のものであることを丁寧に説明してくれた。


 色白で細身。指先の使い方が女らしかった。

 少し俯き加減に、優しく話す声が、時折少しかすれて、妙に官能的だった。。

 瞳が涼しげに見えた。清潔感にあふれていた。

 一目惚れだった。


 翌日から俺は、家中の洗濯物を全部クリーニングするがごとく勢いで、その店に通った。

彼女の勤務日が月・火・木・金曜の週四日であることは、一週間毎日通えば、すぐに判ってしまった。俺はその四日間のほとんどの日に、彼女と言葉を交わすようになっていた。

彼女はそんな俺を当初はかなりいぶかしく見ていたようだった。


 スタンプカードに店の印が二十個貯まった日に、俺は「今日はお仕事何時までですか?もしよかったら帰りにお茶でも?」後で考えても、顔から火が出そうなくらい、恥ずかしくもありきたりな、そんな言葉で、彼女を誘った。


 「はい。少しの時間でよければ。」彼女はそう言って、つたない誘いを受けてくれた。彼女には夫がいて、子供が一人いることがわかった。人妻だろうとは、彼女に会った初めから思っていた。ネームプレートに書いてあった「内田」と言う姓しか知らなかった俺が、「内田さん」と呼ぶと、「菜美です。」名前で呼んでくれてかまわないと言った。内田という姓は好きではないと重ねていった。旦那と上手くいってないのだと理解した。

 俺は思いきって、もっとゆっくりと会いたいと言った。次に会える日を聞いた。「水曜なら。」彼女はそう言った。


 次の水曜、十時に住之江区のホームセンターで待ち合わせた。あそこは駐車場が無料だから。彼女が笑いながら、そう教えてくれた。ちょうど、お互いの家の中間辺りだった。

 彼女がホームセンターの駐車場に自分の車を置いて、俺の車に乗り換える。それ以降、俺達が会うときは、ほとんどそうした。その日、菜美は白地に薄い花柄のワンピースでやってきた。白いレースの半袖のカーディガンを合わせていた。清楚な感じがした。白く細い腕が眩しかった。


 どれくらい時間があるの?と聞くと、夕方六時までに帰って来られればと彼女が言った。

「明日香へ行きませんか?」と言ってみた。彼女は、「はい。」と言ったあと、明日香には行ったことがないのと言った。一度行きたかったから嬉しい、と微笑んだ。素直な受け答えが心地よかった。平日で、高速道路を使えば、片道一時間の適当なドライブになる。


 明日香村は、観光客もまばらだった。幸いにも曇り空で、日差しが緩やかであった。型どおり、石舞台や、飛鳥寺を訪ねたあと、「とっておきの場所があるから」と彼女を誘った。「とっておきって?どこ?行きたい。」と彼女は言った。

 石舞台から車で十分ばかり山道を上がると、川沿いに「男綱」がある。おそらくはずっと古代から伝わる、子孫繁栄の祈りを込めた神事に使うものであろうか。そこから、さらに数キロ上流にさかのぼると、今度は「女綱」がある。「とっておきの場所」は、ちょうどその中間辺りにあった。


 山道のカーブに沿って車を止めた。「ここだよ。」そう言って降りた。あとから彼女が降りた。八月とは思えないほど、爽やかな風が吹き抜けた。ひんやりと心地よい風だった。「気をつけて。」そう声を掛けて、川辺への降り口を探した。彼女の足下が気になった。

「大丈夫。あたし、こんなの平気よ。」そう言うと、彼女は先に降りようとした。「待て待て。」俺は慌てて先にたった。下から、手を伸ばして、彼女の手を取った。彼女は俺の手をしっかりと握って、降りてきた。


 「どう?」俺はそう言って彼女をみた。清流がすぐそばにあった。透き通った水は、澱むことなく、流れていた。涼やかな風が、木立の間を抜けて、通り過ぎた。見上げると、頭上には大きく張り出したもみじの葉が、今は青々と生い茂り、夏の日差しを遮ってくれていた。

 「素敵。きれいね。すごく素敵。」彼女はそう言って、足下の流れに白い手をそっと入れた。「わあ、冷たい。気持ちいいよ。」そう言って俺をみた。下から見上げた彼女の顔は、無邪気な子供のように、輝いていた。俺はそっとかがみ込んだ。初めてのキスをした。


 その次の水曜には、和歌山へ出かけた。阪和道を使えば、片道一時間もかからないで行けた。浜辺はどこも海水浴シーズンで、人が大勢いた。海水浴場から離れた岩場で、少しの時間過ごした。海の見えるレストランで食事をした。帰り道、26号線沿いのホテルに車を入れた。


 初めて見た菜美は、本当にきれいだった。透き通るような白い肌が、薄く赤みを差して染まって行った。得難いものの様に思えた。細くて、しなやかなその躰の、全てが愛おしく思えた。



神戸には特によく行った。神戸なら、海も山も街もあった。お互いの知人に出会わない場所であることも、俺達にとっては大切な事だった。初めて菜美にプレゼントを買ったのも、神戸だった。三宮のアクセサリーショップでイヤリングを買った。秋らしく、色づいた葉っぱがいくつか連なったデザインだった。彼女が選んだいくつかの中から、俺が決めた。高価なものではなかった。大人の女性へのプレゼントとしては、安物の部類だろう。それでも彼女はとても喜んだ。本当に大切にした。次のデートの時から、ずっと付けていた。


 その日も神戸に出かけていた。珍しく、電車で行った。三宮からぶらぶらと元町まで、歩いた。途中で食事などしながら、ゆっくりと過ごした。そろそろ帰ろうと、元町の駅のホームで、梅田行きの電車を待っていた。その時、彼女が急に「ない!」と言った。イヤリングが片方なくなっていた。どこかで落としたのだった。付近を見回したが、なかった。電車がきた。「仕方ないじゃないか。また買おう。」と俺は言った。すると、菜美は「ねえ、探しに戻っちゃだめ?」と聞いた。「今から?歩いた道を?」驚いた。時間がないし、どこだか全くわからないのに無理だよ。と言うと、彼女は、時間は大丈夫だから、一度探させて、お願い。と言った。俺は内心そこまでしなくてもと思ったが、彼女の真剣さに負けた。


 来た道を、探しに戻った。「この辺りでは確かにあった。」と彼女が言う場所まで戻ったが、見つからなかった。仕方なく、もう一度、元町に向かって歩いた。駅のホームで電車を待った。彼女は随分落ち込んでいた。ごめんなさい。と何度も言った。ふいに、俺は、さっきはあちらの階段から上がって来たのでは?と思った。急ぎ足に見に行った。階段を上りきったところに、それはあった。誰にも踏みつけられることなく、壊れてもいなかった。菜美のところに持って行った。


 「じゃーん。」イヤリングを見せた。

「えっ!あったの?どこに?」「よかったあ。ありがとう。」そう言うと、菜美の目がみるみる潤んできた。ちょうど、電車が来た。「怖いから持ってる。」そう言って、彼女は二つのイヤリングをバッグに仕舞った。そのすぐあとで、菜美は耳にピアスの穴を開けた。あのイヤリングは、わざわざ店に出向いて、ピアスに作り変えてもらってきた。

 

 その後も、時折、出かけた先で、ネックレスなどを買った。菜美は、そのどれもが、よく似合った。そして、とても大切にした。六甲で買った「ブルーの天然石トップのネックレス」は特によく付けていた。菜美の白い肌によく似合った。


 ある時、俺が「菜美は何でも大事にするよな。」と言うと、彼女は「どれもみんな、あなたとの大切な思い出だから。」と言った。俺は彼女を力一杯抱きしめた。


 菜美と過ごした一年、俺は、本当に幸せだった。菜美は、俺の知る中で、全ての点で、最高の女だった。彼女といると、心から安らげた。彼女は水曜日には決して予定を入れなかった。それは一年間、ずっと変わらなかった。「あなたといる時間が一番大切。」そう言って、俺を喜ばせた。彼女が本心からそう言ってくれていると、俺にはわかった。俺も同じ気持ちだった。俺の仕事の都合で会えない水曜日には、電話で話した。彼女を思うだけで、声を聞くだけで、充分に幸せだった。


 俺は、いずれ時期を見て、将来の事を話し合いたいと、そう思っていた。だが、独身の俺はともかく、彼女には家庭があった。子供の事を考えれば、おいそれと口に出せる話ではなかった。俺は、自分の考えを、まだ彼女に伝えることが出来ずにいた。



 終わりは、唐突にやって来た。


 俺達は毎日必ず連絡を取り合っていた。そのほとんどはメールで。そのメールが二日間途切れた時、俺は、彼女の身に何かあったのでは、と思った。だが、立場上、家への電話などは憚られた。さらに二日、俺はただイライラと、彼女からの連絡を待った。

 彼女専用のメールボックスに新着メールの印が付いたのは、四日目の昼過ぎだった。

「連絡しなくてごめんなさい。会えなくなりました。お別れです。今までありがとう。」


 〈お別れ?〉・・・俺にはとても信じられなかった。連絡の途切れる前日まで、そんな素振りは一切なかった。理由はなんだ?訳が知りたい。そう思ったが、問いただすことは出来なかった。俺達はつき合う前にいくつかの約束をしていた。

 「どちらかが別れを切り出したときは、あれこれ詮索せずに、あっさりと別れること。」彼女が言い出し、俺が納得していた「約束」だった。


 俺に出来ることは、彼女を「忘れる」ことしかなかった。











第二章「試練」


天保山マーケットプレイス。中に得意先の店舗があった。婦人服メーカー直営のブティック。その店舗デザインが、俺の仕事だった。朝から天満橋の本社に出向くと、天保山の改装現場で、トラブルがあったから、すぐ向かって欲しいと言われた。内容を聞けば、電話で済みそうな事だったが、それでもわざわざ足を運んだのは、ほとんど担当部長の顔を立てての事だった。


 現場での作業は、ものの十分で終わった。折角来たのだから、少し他店を見て、ついでに、遅い昼食でも取ろうと思った。そう決めると、急に腹が減ってきた。先に食事をする事にして、二階へ上がった。お好み焼きにした。


 去年、彼女と来た。その時にもこの店に入った。彼女とはお好み焼きをよく食べた。いろんな店で。一口に「お好み焼き」と言っても、店によって、結構違うのだと初めて知った。自分一人で食べていた時には、トッピングなど考えもしなかったが、彼女と一緒に食べるようになってから、チーズだの餅だの、いろいろ試した。お好み焼きを食う、そんな何でもない、極普通のことが、彼女と一緒だと、とても楽しいことになった。何をしても「イベント」になった。ふいに寂しさが込み上げてきた。もう一年になるのだ。それでも彼女との想い出に出会う場所は、大阪中、どこにでもあった。今日のお好み焼きは、ただの昼飯だった。


 他店の偵察は全く気乗りがせず、そこそこにして終わらせた。駐車場に戻った。入り口近くに止めていた。ここだと、出口にも近かった。シートに座り、タバコをくわえた。ジッポーの火を移した。視野の片隅に一台の車が入った。何故か気になって、じっと見た。

赤いワゴンR。ナンバーなど見えなかったが、リアガラスの内側に、見覚えのある飾りが揺れていた。ドンと心臓が鳴った。見間違いかも知れない。それでも確かめるべきだった。ワゴンRは、今まさに出口のゲートを抜けた所だった。タバコを消しながら、あわてて車を出した。危うく左の車に当てそうになった。


 車道に出たとき、ワゴンRが中央大通りを左折するのが見えた。そちらは弁天町から市内中心部方面だった。信号二つの差。アクセルを踏み込んだ。が、今しがたワゴンRが左折した信号で、引っかかった。長かった。イライラする気持ちを抑えるように、タバコをくわえた。ジッポーの火が付かない。三度目でやっと付いた。信号が変わった。


 中央大通りに入った。幸い車は少なかった。すぐにアクセルを踏み込んで、一気に百キロまで出した。目標は見えなかった。少し行くと、道路は二股に別れていた。中央大通りは緩やかに左にカーブしていた。右斜めに入ると、みなと通りだった。彼女がどちらに行ったのかは、見当が付かなかった。迷っている暇はなかった。「右だ。」とっさに決めた。ウインカーも出さずに右車線に入った。これで会えないなら、それもまた運命だ。そう思った。あの車はきっと彼女だと、走り初めてから、確信していた。みなと通りに入ると急に混んでいた。遠くまで見通すことは出来なかった。しばらく我慢して走った。43号線の交差点まで来て、諦めた。ここからは、大きな道が三方向に出ていた。完全に見失った。

 

 天保山で彼女とすれ違ってから、いや、正確には、彼女の車らしきものを見かけてからだが、ともかく、仕事が手に着かなくなった。

 一年前、彼女を失った当初も、こんな感じだった。なにもかもが嫌になり、少なくとも一ヶ月は死んだように過ごした。その後、少しずつ、まさに薄皮を剥がすように、心の傷が癒えてきた。それでも、彼女を、完全に想い出にしてしまうには、まだまだ時間が必要だと感じていた。その心の傷に出来た「かさぶた」が剥がされた。心が血を流していた。

会いたかった。会って、話したかった。別れの理由は、もうどうでもよかった。ただ、抱きしめたかった。


 その夜は、眠れなかった。明け方に「決断」をした。

「どちらかが別れを切り出したときは、あれこれ詮索せずに、あっさりと別れること。」

その約束を反故にして、彼女を捜そうと決めた。そうせずにはいられなかった。その結果、彼女を傷つけるかも知れない。俺の傷が、ますます深く、癒えることのないものになるかも知れない。それでも、いいと思った。このままでは、次に進めない、そう思った。

決して、大袈裟ではなく、俺が生きていくために必要な決断だった。




 次の日から、菜美を探した。一年振りに架けた携帯は、解約されていた。きっと、俺へのメールを最後に解約したのだろうと思った。彼女はもともと携帯を持っていなかった。俺と付き合うようになって、初めて携帯を持ったのだ。意を決して、自宅に電話をした。一度も架けたことはなかったが、電話番号は知っていた。NTTの自動メッセージが流れた。今は、使われていなかった。


 自宅へ向かった。此花区のマンション。三つの棟が、コの字型に建っていた。そのうちの真ん中の棟だと聞いていた。1107号。ドアポストの表札が違っていた。すぐぞばの管理人室に行った。内田さんの知人だと名乗って、行方を尋ねた。一年程前に、売却されて、出て行かれました、転居先はわかりません。と言った。転居先は教えられないのかも知れないと思った。

 その時、管理人が、「事件のことですか?」と口を滑らせた。「えっ?」と聞き返すと、慌てた様子で、さも「しまった」と言うように、「いえ、関係ないのでしたら。なんでもありません。ここでは何もわかりませんから。」と言ってガラス窓をピシャっと閉めた。


 「事件?」思わぬ単語に動揺した。やっぱり何かあったのだ。菜美の身に、もしくは家族の誰かの身に。それが原因で、彼女は姿を消したのだ。いや、消さざるを得なかったのだ。その事件とは、いったいどんな事なのか?どうすれば調べられるのか?彼女の行き先はどこなのか?俺の頭の中で、様々な疑問が、真っ黒な渦となって回り始めた。


 翌日、梅雨の、どしゃ降りの雨の中、もう一度マンションに行った。隣近所の人に尋ねてみるつもりだった。無駄だった。彼女は、ほとんど近所の人と、付き合いがなかった。

都会のマンションでは、何も不思議なことではなかった。子供の同級生の親ならば、なにがしか付き合いがあったかも知れないが、それは、探しようがなかった。同じ階の横並びの数軒を訪ねて、この線は諦めた。



 昨日の管理人の言葉を思い出した。「事件。」事故ではなく、事件と言った。その言い様は何かしら、犯罪に関する事のような響きがあった。であるならば、その当時、ニュースになっていたかも知れない。俺はテレビを、ほとんど見ない。新聞も細かな記事までは読まないから、気づかずにいたのかも知れない。


 まず、インターネットで探そうと思った。だが、菜美の名前では、それらしいものは、何もヒットしなかった。夫の名前はわからない。事件の内容もわからないのでは、検索のしようがなかった。


 次に、図書館に行った。過去の新聞記事をあたることにした。ちょうど一年前。どんな類の事件なのか、見当も付かないままに探すのだ。念のため、去年の四月から八月までに絞って、虱潰しに見ていった。気の遠くなる作業だった。新聞に載る「事件」は、大阪府下だけに限定しても、無数にあった。その記事の中から、「内田」「此花区」などのキーワードを探す。縮刷版の文字は、数時間で霞んできた。目が充血した。一日目は、何の収穫もないまま、五時になり、図書館を出された。 

 

 二日目、朝からただひたすらに、縮刷版のページを繰った。集中力がなくなっていた。何か見逃したのではないかと不安になる。午後も黙々と同じ作業を続けた。三時過ぎ、疲労感が限界近くなった頃、それは見つかった。


 去年の七月二十五日の記事。探していたキーワードが、突然目に飛び込んできた。それは、ある贈収賄事件の続報記事だった。「内田一郎」「此花区」「横領」などの文字があった。扱いが小さいことから、詳細は、それ以前の日の紙面から探した。すぐに見つかった。

午前中に一度目を通した事件だった。


 七月十八日付、東亜新報。『焼却場建設で贈収賄!』「大阪市建設局・担当課長任意同行」「光山建設本社、昭和建設本社など贈賄容疑で家宅捜索!」「揺れる大阪市。局内ぐるみで関与か?」など大小の見出しが躍っていた。

 その事件については、微かな記憶があった。当時は、ニュースで大々的に取り上げられていた。しかし、最近はこの手の「事件」が、多すぎた。完全に麻痺してしまっていた。だから、微かにしか記憶に残らないのだ。


 第一報が一面トップで報じられたのは、十八日。その後、約一週間はかなりのスペースを割いて報じられていた。だが、十日目になると、その扱いは、突然小さくなり、二週間を過ぎると、関連記事はほぼ載らなくなった。今の日本では、連日もっとインパクトのある事件、事故が起こっている。この国は、この街はそこまで病んでいた。

 当初の記事には、「内田一郎」の名前は出てこない。この事件で、内田の名前が紙面に出るのは、二十五日が初めてだった。連日の記事を丁寧に読んだ。








 平成十年、市議会で新たな焼却場の建設が決まった。国、府からも相当の援助を受け、建設に着手する事になった。建設に付いては、大手建設会社5社の協同企業体で請け負うこととなった。その下請けには、多くの建設会社が入ったが、「昭和建設」はそのうちの一社であり、かなりの規模の工事を受け持った。昭和建設が焼却場の建設工事に携わるのは、今回が初めてであった。どんな会社であれ、「始めて」であることは、別に珍しくはない。ただ、今回、異常であったのは、その「始めての」昭和建設が、工事費の中の、かなりの金額を受注していたことであった。結果的には、この異常さが今回の事件が明るみに出るきっかけとなった。要は、「目立ちすぎた」のだ。「もう少し、控え目であれば、おそらくは表面化しなかったのではないか?」皮肉を込めて、その様な記述をした記者があったが、全くその通りであったろう。


 贈賄側の昭和建設では、大阪支店の支店長、営業部長他、三名が起訴・送検された。収賄側では、元請けの光山建設から二名、大阪市側では、建設局課長の罪が問われた。結果的に、この事件で逮捕、送検される者は、計六名に及んだ。


 内田の役どころは、事件の大筋とは違ったところにあった。内田は、昭和建設の大阪支店経理課の社員であった。肩書きは「主任」。事件の中枢に関係する立場ではなかった。しかし、逮捕された。罪状は「横領罪」。贈賄の為に、昭和建設側が、裏金口座を作っていた。その口座の金を着服していたのだ。今回の事件によって、裏金口座の存在が明らかになった時、内田の行為も同時に表に出た。着服した金は裏金であったが、それでも横領には違いなかった。金額は一億円余り、使い道は主にギャンブルだとあった。


 不思議なことに、この内田の「横領行為」は、かなりのスペースを割いて報じられた。紙上では、「昭和建設全体の体質に問題があり、この内田の行為が、その象徴的なものである」との報じ方であった。格好の週刊誌ネタにもなったようだ。「裏金を横領。贈賄会社のとんでもない社員!」と揶揄する見出しが、新聞下段の週刊誌広告に見られた。  


 二十五日の新聞には、内田一郎の写真、住所が載っていた。妻である菜美や、子供が、どれ程の衝撃を受けたかは、想像出来る。いや、他人が思う以上の、辛い立場であったろう。

 去年の記憶を辿った。菜美からの連絡が途切れたのは、七月の終わりだった。おそらくは七月二十六日。三十日には「お別れです。」とのメールがあった。菜美も、夫の会社が事件を起こしたことは、七月十八日には知っていたはずだ。だが、自分の夫は、経理部の主任、事件には無関係だと思っていたことだろう。だから、俺にも何も言わなかったし、いつもと変わらぬ様子でいられたのだ。ところが、二十五日になって、事態が一変した。 


 その時の菜美の気持ちを考えると、言葉がなかった。新聞社、テレビ局、週刊誌、ありとあらゆるメディアが、取材と称して、菜美と子供達に襲いかかったのだろう。彼ら取材側の言葉と態度は、見えないナイフとなって、菜美を切り刻んだに違いない。

 マスコミの報道が、事件の加害者を糾弾するだけに飽きたらず、その家族をも罪人のごとく扱うことは、過去、幾度も問題視されてきた。それでも、いまだにマスコミの姿勢が改まったとは言えない。


 菜美やその子供のような立場の人間が、マスコミの襲撃から、自己を守る手段は、ただ一つだった。逃げること。自分の作り上げた人間関係や、守って来た生活の全てを捨て、マスコミの手の届かぬところへ、他人の目の届かぬところへ、ただ逃げる、それしかない。そして、菜美もそうしたのだ。小学校四年の娘をも友達から引き離して、菜美自身も、俺から自分を引き離して。人々の記憶の中から、自分達を抹消しようとしたのだ。


 哀れだった。哀しみがあふれた。親娘の泣き叫ぶ声が、聞こえた気がした。と同時に、俺は、気づいてやれなかった自分の、無力を悔やんだ。一年前に、もっと早くに、このことをわかってやれていたら、何か手助けが出来たはずだ。

「菜美、どうして言わなかった?」菜美の心はわかった。それを言う女ではなかった。






第三章「故郷」


 菜美と娘は、どこへいったのか?おそらくは、菜美の実家。そうでなくては、もう探せない気がした。ただ、俺は確信していた。菜美の行き先は「萩」だと。

 山口県・萩市。人口五万九千人の小さな城下町。吉田松陰はじめ、桂小五郎、高杉晋作、伊藤博文など、幕末から明治維新・明治新政府誕生まで、近代日本の夜明けに、大きな働きをした人々を、数多く排出した。  


 菜美は時折、萩の話をした。幼い頃の想い出話には、菜美が愛した祖母の話、よく遊んだ城跡の公園の話が多かった。公園の亀や鯉の話を、楽しそうに俺に聞かせた。故郷を懐かしんでいる時の菜美を思い出すと、他に行き先は考えられなかった。両親も健在のはずだった。

   

 萩へ行く。俺はすぐに準備をした。菜美の旧姓はわからない。小さな町だと菜美は言っていたが、それでも、「市」だ。すぐに、菜美の実家がわかるとも思えない。最低、二、三日のつもりで行かなくてはならない。仕事の段取りを付けるのに、二日を要した。飛行機の切符を手配した。

 


 七月六日火曜、伊丹発石見空港行きANA。定刻の九時に飛んだ。石見空港からはレンタカーを走らせた。日本海を右に見ながら、9号線を走った。夏の海はほとんど波がなく、穏やかな面もちで、俺を迎えてくれていた。


 一度離れた海岸線が、もう一度戻ってきた。右に見える海は、もう彼女の故郷の海だった。道路沿いに展望スペースがあった。車を止めた。水面がキラキラと光っていた。美しい海だった。タバコをくわえ、ジッポーの火を移した。


 ブルーのシェル張り。中央には白いシェルでイルカが泳いでいる。菜美からの贈り物だった。彼女がこのジッポーを選んだ気持ちが、解った。この海の色だった。


 市街へは向かわず、城跡へ行った。長州藩・三十六万石の城。ここが菜美のいつも話した指月公園だった。菜美に会う前に、一度見ておきたかった。公園の入り口に、大きな駐車場のある土産物店があった。そこに車を置き、城跡へ向かって歩いた。平日で人通りは、ほとんどなかった。堀に架かる橋の手前に、小さな売店があった。「コイのエサ50円」と書いてあった。堀の水面を見た。碧色の水。鯉がいた。色とりどりの錦鯉。悠然と泳いでいた。エサを買った。五粒程投げてみた。投げ込んだエサの、何十倍もの数の、鯉が集まってきた。


 鯉は口をパクパクさせて集まったが、エサにありついたのは、幸運なほんの数匹だった。

しばらくは、少しずつ投げて、鯉と戯れた。袋の中身が半分程になったところで、試しに、片手に握れるだけ投げてみた。堀の中は、戦場のようになった。それでも騒ぎはほどなく落ち着いた。残っていたエサを、全部一度に投げ込んだ。また騒がしくなった。


 橋を渡ることはしなかった。車に引き返した。エンジンをかけると、ラジオから「シングルベッド」が聞こえてきた。【あの頃に戻れるなら、お前を離さない】じっと聞いた。

 「もう、すぐ近くだよ。」心の中で菜美に語りかけた。伝えたい言葉があった。ゆっくりと車を走らせた。彼女が生まれ育った、萩の町は、静かな、きれいな町だった。



 まず、市役所に行った。住民票の係に相談をした。

「大阪から転入してきた人を捜しているのだが、調べられないですか?」と聞いてみた。

だが、本人の許可もなく、住民票を出すことは出来ないと言われた。

「そもそも姓もわからないのでは、お手伝いのしようがないですね。」と、係の女性が言った。もっともだった。親切な人なのだろう。同情したような口振りだった。


 次に菜美の母校へ行った。「高校は女子校だったの。」菜美がそう言ったことがあった。 校名は記憶になかったが、萩に女子校は、一つしかなかった。事務室を訪ねた。一計を案じた。「私の妻が病で、余命幾ばくもない。萩市の実家に行ってしまった、内田菜美という友に会いたがっているが、その友の旧姓がわからない。こちらの卒業生で、今の年令は三十三才。その人の、住所が知りたい。該当年度の卒業者名簿を、見せていただきたい。」自分の名刺と免許証で、身分を明かした上、そのように頼んだ。


 応対に出た女性が、「お待ち下さい。」と言い置いて、奥の席の男に説明に行った。説明を聞いた男は、俺の方をちらっと見てから、首を振った。俺のところに戻ってきた女性が、さも申し訳なさそうに「すみません。規則で、お見せ出来ないことになっています。」と言った。俺は礼を言って、事務所を出た。


 校門のところまで来たときに、呼び止められた。先ほどの女性だった。「卒業名簿はお見せできませんが、私が調べておきます。後でお電話します。その人、おひとりでいいのですね。」と言ってくれた。驚いた。俺は急いで、自分の携帯番号をメモにして渡した。「ありがとうございます。よろしくお願いします。」と言うと、その女性は「自分の姉と同い年だから。姉も今、大病をしていて、他人事に思えないから。」と言った。別れ際、その女性が、「奥様、お大事に。」と言った。俺は黙って、頭を下げた。心が痛んだ。心の中で詫びた。


 事務所の女性から電話が入ったのは、翌七日の昼前だった。六日の中に連絡があるものと、勝手に解釈していた俺は、夜遅くまで電話を待っていた。七日も、朝から何度も携帯ばかりを見ていた。待ちくたびれた頃だった。俺は喫茶店にいた。


 その電話で女性は言った。「遅くなりました。昨日名簿を見ましたが、お尋ねの年度に、菜美と言う名の人は、おられませんでした。そこで、昨夜、同い年の姉に聞いてみました。そうしたら、二年の時、確かそんな名前の同級生がいたが、病気で一年遅れて卒業したはずだと言うのです。それで、今朝、その翌年の名簿を見ましたら、おひとりおられました。多分、この方だと思うのですが。」と言い、旧姓と住所を 教えてくれた。


 萩市幸町**、岩田菜美。そうメモをした。これだ。間違いがないと思った。いつか菜美が、子供の頃は病弱だった、と言ったことがある。菜美はその病気について、詳しいことは言わなかったし、俺も聞きはしなかった。その時、菜美は、「今は健康だから」と笑っていた。

 俺は、携帯の先の相手に向かって、礼を言いながら、何度も頭を下げた。もし、この女性が応対をしてくれなかったら、また、もし、あっさりと名簿が手に入っていたなら、何もわからないままに、俺は萩をあとにせざるを得なかったのだ。「奇跡」だと思った。








最終章「抱擁」


 「岩田」の表札が掛かった家は、住所どおりの場所で、すぐに見つかった。こぢんまりとした、木造平屋建ての家。小さな門柱の陰に、子供用の赤い自転車が見えた。菜美の娘のものかも知れないと思った。門柱の呼び鈴を押した。家の中でブザーが鳴っているのが聞こえた。しばらく待ったが、応答がないので、もう一度押した。二度目を待っていたように、引き戸が半分開いた。六十才前後の女性。たぶん菜美の母親だろう、いぶかしげにこちらを見て、「はい」とだけ言った。


 俺は名前を名乗ってから言った。「奈美さんのお母さんですか?」

「はい。」と母親が応えた。「大阪から来ました。奈美さんはこちらにおいでですね?」と訊いた。母親は曖昧な表情のまま、無言で頷いて、「菜美に何か?」と言った。俺は、「奈美さんと親しくさせていただいておりましたが、こちらに引っ越されたと知り、訪ねてまいりました。事件の事は聞いております。心配していました。」と言った。母親は、ちょっと驚いた様子だったが、もう一度俺の顔をじっと見た後、引き戸を大きく開けて、「どうぞお入り下さい。」と言った。

 

 玄関を入ってすぐの和室に通された。母親は一度奥に下がって、すぐまた出てきた。母親の後ろに、菜美がいた。俺の姿を見た菜美は、一瞬大きく目を見開いて、それから、うっと声を詰まらせた。母親の横を抜けて、俺の前に来た。俺は、母親の手前も憚らず、菜美を抱きしめた。菜美の躰が、大きく震えていた。声を出さずに泣いていた。俺の頬にも熱いものが流れた。


 それをじっと見ていた母親が、震える声で言った。「この子、しゃべれないんです。声が出ないんです。」俺は「えっ」と言ったきり、言葉が出なかった。母親の顔には、涙はなかった。穏やかだが、意志の強い表情で、俺と菜美を見ていた。俺はのぞき込むように菜美の顔を見た。涙で濡れた菜美の顔。「うん。」と無言で頷いた。哀しそうな目だった。菜美の胸元で、ブルーのネックレスが揺れていた。

 事件が菜美に与えたショックは、俺の想像をはるかに超えていた。

 今日までのいきさつを、母親が話し、菜美が筆談で補足した。

 


 去年の、七月二十五日。いつもと同じ朝だった。夫が出勤する気配がしたその時、玄関先で、人の話し声が聞こえた。何だろうと、玄関へ出たところに、二人の男がいた。奥さんですね?と聞かれ、頷くと、「ご主人を逮捕しました。今から連行します。合わせて、お宅の中を捜索させていただきます。」と言われた。その時には、夫の手には手錠がはまっていたと言う。事態が飲み込めず、呆然としているところへ、五、六人の男が入って来た。家中をかき回し、夫の部屋から、書類や、通帳の類を、いくつかの箱に入れ、持っていった。


 マスコミが押し掛けて来たのは、その日の夕方だった。次々とやって来ては、同じ質問を投げかけていった。「金は何に使ったのか?奥さんも知っていたのでしょう?」「近所の人が、派手な生活をしていたと言ってますが、奥さんの物も買ったのでしょう?」 菜美は、わけがわからないまま、「知りません。ごめんなさい。」を繰り返した。


翌日には、マスコミの数が増えた。朝、子供が学校へ行く前から押し掛けてきた。娘は、その日から、学校を休ませた。娘は怯えるばかりで、理由は何も聞かなかった。ドアにチェーンをし、カーテンを閉め、じっと夜を待った。中古で買ったマンションは、ドアの前まで誰でも来られた。鳴り続くインターフォンは、配線を抜いて止めたが、ドアを叩く音は止めようがなかった。恐怖と悲しさで、気が狂いそうだった。


 外に出たかったが、それは無理だった。娘をおいては出られない。自分はともかく、娘をマスコミの標的にさせることは絶対に出来なかった。ほぼ三日間、冷蔵庫のあり合わせの物だけで、食事を作った。自分はほとんど、食事が喉を通らなかった。二十八日の朝、表のマスコミの質が変わった。前日までは、テレビ局、新聞社のマークがほとんどだった。 それが、この日から、明らかに週刊誌やフリーの記者とおぼしき者が増えた。ドア越しに、大声で怒鳴る声がした。「おい、家の中に、金、まだ隠してるんだろう。」警察が、家宅捜索をしたあとで、そんな事はあり得ない。それでも、罵声は続いた。「いいよな。俺もこんなマンション欲しいよ。ねえ、奥さん、買ってよ。」

「他の記者や取材陣で、誰か、たしなめる者がいなかったのか。」と聞いた俺に、菜美は、「いなかった。」と書いた。


 四日目の朝、冷蔵庫も空になり、どうしようもなくなった。とにかく外に出たかったが、娘のことが心配だった。意を決して警察に助けを求めた。「安全に外に出して欲しい。」そう頼むつもりで、警察に電話をした。その時、自分の声が出ないことに気づいた。


 無言電話になってしまった。声を出そうと思えば思うほど、喉に何かが詰まった感じがした。娘にむけてメモをみせた。「助けて下さい、と言って。」娘に受話器を渡した。娘が泣きながら訴えた。しばらくして、マスコミを押しのけるように、数名の警官が来た。

 警察に警護されながら、表に出た。覆面パトカーで、新大阪駅に向かった。マスコミの追跡は、警察の車が引き離してくれた。「あなた方に、罪はないのに。」と、菜美の声が出なくなった事を知った警官が、言った。

 四日間で、唯一聞いた「人間らしい言葉」だったと、菜美が書いた。


 新幹線と在来線を乗り継ぎ、萩に着いたのは、二十八日の夕方だった。「あなたへの最後のメールは、こっちに来てから送ったの。」と書いて、菜美は俺を見た。

「その後、大阪に来たか?」俺の問いかけに、菜美は首を振った。天保山の一件を話して聞かせた。全くの人違い、おれの勘違いだった。しかし、その勘違いのお陰で、俺はここまで来たのだ。菜美に逢うことが出来たのだ。 



 菜美の声が出なくなった理由は、やはり心因性のものだった。医者は、菜美と母親に言った。「少し時間が必要です。急激に、大きなストレスを受けた場合、起こる症状です。外見上は何の異常も見えません。安定剤などの薬と、カウンセリングで、気長に治療しましょう。」そう言ったという。だが、それから一年経つのに治らない。母親はそう言って少し涙ぐんだ。母親はさらに言った。「こちらに来てから、すぐに離婚の手続きをさせました。この子も、孫も、今の姓は「岩田」です。」と。


 母親の話が終わった時、菜美がメモを見せた。「今日は七夕ね。」

 俺は菜美をそっと抱き寄せた。七夕に、俺の願いは一つだった。



 菜美の家に一晩泊めてもらった。ホテルは取ってあったが、菜美の母親が、どうしてもといって聞かなかった。翌朝、菜美の携帯を買いに行った。菜美が話せない以上、何かの時には母親に架けてもらわねばならない。母親に俺への電話のかけ方を教えたが、理解した様には見えなかった。菜美の新しいアドレスを、俺の携帯に入れた。メールを送った。


「毎日連絡しろよな。またすぐに来るよ。」俺の隣で、菜美が返信を打った。

「うん。待ってる。でも、無理はしないで。ごめんね。」


 その日の夕方の飛行機を取ってあった。外で食事をした。萩を三時には出ないといけなかった。それまでの時間を指月公園で静かに過ごした。



 自宅に帰り着いたのは、九時前だった。下のコンビニで、弁当を買って帰った。

 食事の前に菜美にメールをした。返信メールがすぐに来た。食事は後回しにした。


 俺 「今着いた。会えてよかった。」

 菜美「無事でよかった。本当にありがとう。お疲れさまでした。」

 俺 「お母さんによろしく言っておいて。」

 菜美「うん。わかった。」  俺  俺 「菜美、大阪は怖いか?」

 菜美「うん。大阪のせいじゃないけど。私って、弱虫ね。」

 俺 「いや、そんなことないよ。そうか、怖いか。また、行くよ。出来るだけ早く。」

菜美「ありがとう。でもほんとに無理はしないで。萩は遠いよ。お仕事ガンバって。」

 俺 「大丈夫。また行く。」

 それから、三時間ばかり、食事も取らず、メールに没頭した。おやすみの文字を打つのが嫌だった。日付が変わって、ようやく、携帯をおいた。話したいことは、いくらでもあった。




 午前二時。携帯が鳴った。まだ眠れずにいたが、時計を見て胸騒ぎがした。菜美の携帯からだった。


「はい。・・・もしもし、お母さんですか?」向こうからは、何も聞こえなかった。

「もしもし、菜美に何かありましたか?」俺は猛烈な不安に襲われた。

 

 何か聞こえた。耳を澄ました。咽び泣く声が聞こえた。


「菜美なのか?」その時かすかに、声が聞こえた。

「うん。あたし。菜美。」そう言うと、電話の向こうの泣き声が大きくなった。

「おい。菜美。声が出たのか?」

「うん。」菜美の声は、少しかすれていた。


 泣きながら話す時の、あの菜美の声だった。

 俺は、聞き逃すまいと、携帯を耳に押しつけた。それでも聞き取りにくかった。

 俺も泣いているからだと気づいた。


 「あなたのところへ、行きたい。」


 菜美は今、確かにそう言った。


 「ああ、ああ、・・・おいで。」


 携帯の向こうで、しゃくり上げて泣いている菜美に、

 俺の声は届いただろうか。


              

              完







最後までお読み下さり、ありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[一言] 引き込まれて読みました。続編もこれから読みますね。
[一言] どんな展開になるのかと、ドキドキしながら読んじゃいました。どんな思い入れがおありなのでしょうか? それもまた、気になるところですね・・・
2006/12/08 02:12 後藤 依子
[一言] 素晴らしい、の一言に尽きます。短編にしては長く、携帯で読む身としては大変ではありましたが二日間かけて読ませていただきました。まず、文章がすでに出来上がっていてとても気のきいた文章です。ここは…
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