第二十二節
ふと目が覚めた。
黒猫が珍しく、外に向かって威嚇をしている。
辺りはすっかり闇に包まれていた。
暖炉の炎だけが妙に明るい。
暗闇に目をやっても、私には何も見えない。
だが、黒猫は背中の毛を逆立てて、しきりに威嚇音を発している。
その場で耳を澄ませて辺りの様子を伺う。
確かに、さっきから森の方から物音がする……
嫌な予感がする……
私の勘もざわめいた。
これは、どうやら尋常ではない。
今回は蛇なんて生易しい者では無い、とてつもなく危険だ。
まだ姿は確認出来ないが、間違いなくヤバイ何者かに狙われているようだ。
肉の臭いに釣られたのだろうか?
鹿だけに……
いや……こんな時に、くだらない駄洒落は辞めておこう……
出来れば、シカトして欲しいなんて口が裂けても……
あっ、言っちゃった……
やがて、唸り声が聞こえてきた。
野犬か? やはり来たか……
私は、火の付いた薪で暗闇に向かって牽制するが、どうやら効き目が無いようだ。
思ったほど、炎を恐れていない……
これは、もしや以前に人間を襲った事があるのか?
まさかと思うが、ここに住んでいた人も……
やがて炎に照らされるように、ゆっくりと視界に現れる。
てっきり犬かと思ったが、あの精悍な顔付きからすると狼だろうか?
まぁ、考えている余裕は無さそうだ。
すでに人を襲っているとするなら、かなり強敵だ。
だが、逆にこれは仇討ちでもある。
そして、失敗は断じて許されない。そこには死が待ち受けるだけだ。
敵は3頭……
牙をむき出しにして威嚇してくる。
これは、懐いてくれそうに無い……
ほう……奴等、本気だな……
なかなか良い目付きをしている。
あれは、ハンターの目だ。
ならば私も、一切遠慮はするまい。
命を掛けたこの勝負、受けて立とう。
火の付いた薪を洞窟の両サイドに置き、なるべく入り口を狭くする。
これで、奴等は一頭づつしか襲って来ることは出来ない。
確実に、差しの勝負に持ち込める。
私は竹槍を、後ろに隠し気味に構えた。
黒猫もまだ威嚇を続けているが、ちょっと相手が悪すぎるだろう。
「お前は下がってろ……いいな?」
私が言うと、チラっと視線をこちらに向けて、洞窟の奥へと走って行った。
その時、一頭が真ん中から襲い掛かって来た。
かなり直線的で戦術には欠けるが、狩る自信があるのだろう。
その足は、確実に速い。
それを、私は限界まで待つ。
ここが勝負の分かれ道。
冷静な一撃を放つには、何処まで恐怖に絶えられるかが肝心だ。
奴が牙をむき出して飛びかかったその時、一気に竹槍を前へと突き出す。
「キャン!」という甲高い叫び声とともに
槍は口の中を突き抜けた。
痙攣を起こしたままの狼をおもむろに引き抜くと、すぐに次が襲ってきた。
奴が飛び跳ねる間合いを見極めて竹槍を真横に振りぬく。
深く切りつけられた目玉から血が飛び散り
視界を奪われた奴は一瞬怯んだ。
私は槍を構えなおし、真下に向けて一気に突いた。
「ギャン!」
叫びも虚しく、槍は頭蓋骨を貫通した。
突き刺さった槍をそのままにして、予備の竹槍に持ち替える。
頭上で一周回し、静かに構えなおす。
炎が揺らめく中、奴は低く唸り声を響かせて私の隙を狙っている。
お前が最後だ……いざ尋常に勝負……
張り詰めた空気を切り裂くように
奴は走り出した。
間合いを見極めて槍を突くが、
その瞬間に奴はステップを効かせて後ろへと飛び跳ねる。
ほう……やるな……
だが、それは織り込み済み。
さらに踏み込み、もう一度突いた。
奴は空中で首を振り、それを寸前の所で綺麗に交わす。
そして次の踏み込みに備えて着地体制に入った。
着地した瞬間、私の喉元に向かって飛び掛るつもりだ。
だが、甘い!
私は三段目の突きを放った。
これが、私の本当の狙い。
着地と同時に奴の喉元に、槍が深く食い込む。
全力の蹴り足と、腰の入った渾身の一撃は、
強烈なカウンターとなり奴を一瞬で絶命させた。
槍が刺さったまま、白目を向いてぐったりとしている。
必殺、三段突き。沖田 総司が得意だったとされている技だ。
もっとも、彼は日本刀だったが……
槍を引き抜きながら、奴に呟いた。
「相手が悪かったな……恨むなら、沖田を恨んでくれ……」
そして、狼との激戦が幕を閉じた。
鹿も凄かったが、さすがに3頭もいると血の量が凄い。
そして、鹿とは違う独特な臭いが鼻を突く。
素直に吐きそうだ……
そして、入り口に飛び散った血が強烈だが、
掃除は明るくなってからだ。
洞窟の横に3頭の残骸を逆さに吊るして放置した。
今日は、さすがに疲れた……
竹バケツの水で手と槍を洗って、そのまま眠る事にした。
「おいで」
私が呼ぶと、黒猫は走って来た。
「もう、たまらん……寝よう……」
黒猫を抱きしめて、静かに目を閉じた。
さすがに、あまり眠れなかった……
都会暮らしの欠点だ。
どうも、こういったリアルなスプラッタ系は苦手である。
明るくなると残骸を持って、速攻で川原へと向かう。
けっこう重い……
3頭を一気には持てなかった。
川原に付くと、革と肉を切断して、内蔵を取り除いてゆく。
少し慣れたとはいえ、昨日と違って今日は3頭連続だ……
やはり、たまらんな……
強烈な吐き気を我慢しながら、作業を続けた。
だが、この狼の襲撃によって、思わぬ食料が手に入った事は確かだ。
そしてこの革は確実に使える。
私は慎重に狼をさばいていった。
残したのは革と肉、そして骨だ。牙も取って置こう。
しかし、内蔵の量が半端ではない……
脳味噌も大量にある……
どうすっかな……これ……
少なくとも、食べる気にはならない。
目が合ったんですよ、こいつ等と……
さすがに、無理です……
またキツネが見ているので、取り出した内臓を持って行った。
一度に持ちきれないので、3回往復した。
こんなに持って行ってくれるだろうか?
ちょっと心配していたが、その必要は無かったようだ。
いつしか、キツネは6匹に増えている。
あんなに居たのか……
私が置いた内蔵を、全部咥えて森へと帰って行った。
綺麗になった肉を持ち帰って洞窟の中にぶら下げてから、
竹バケツを持って、何度も往復しながら入り口を掃除した。
血って、なかなか落ちないんだな……
そんな感想しか出てこなかった。
この日の食事は、狼の煮込み。
以外に塩気があるのが、妙にリアルだ。
だが、文句なしに美味い……
黒猫も、夢中で食べている。
決して、私の舌が可笑しい訳では無さそうだ。
それだけは間違いない。
だたし、味にクセはある。そして硬めだ。
鹿がマトンのような感じでクセが強い。
狼は少し豚に似ている感じだが、鹿よりはマシと言う程度で、
どちらにしても、一般受けはしない味だ。
牛肉が懐かしいとしか言いようが無い……
それでも、久々に私の舌を満足させてくれた。
そして、人は命を頂いて生きていると言う世の理と
それに伴う残酷さを実感していた。
せっかく頂いた命は、無駄に出来ない。
あちこちにぶら下げてあるのだが、
このまま放置しておけば、やがて腐ってしまうだろう。
鹿の肉と一緒に、火を通してみた。
少なくとも、生よりはマシなはずだ。
だが、保存に不安が残るのは確か。
これだけ肉があれば、本格的な燻製にも挑戦するべきかもしれない。
保存には、確実に燻製の方が適している。
近いうちにでも実験してみよう。
いずれにしても、今はすぐに狩りを再開する気にはなれそうもない。
多少は慣れていると言っても、かなり精神的にキツイのだ。
短時間に、あれだけ殺してしまった罪悪感であろうか?
だが、やらなければ私達がやられていた……
理屈では理解できるのだが、心のどこかで納得がいかないらしい。
これも、いずれは慣れて行くのだろうか?
さすがに、今日は笑顔の1つも出せなかった。
それを察してか黒猫は、先ほどから私の膝の上で寝ている。
少なくとも今は、この小さな黒猫に助けられているのは確かだ。
誰かを守りたいを願う時、人は驚くべき力を発揮するものだ。
きっとコイツが居なければ、狼を目の前にしてあんな勇気は出せなかっただろう。
今思えば、無謀極まりない……
今更ながら、背筋が寒くなった。
ひとまず、ゆっくりしよう。
肉の在庫を考えれば、焦って狩らずともしばらくは食べていける。
まぁ最悪の時は、黒猫も自分の食料は確保してくるだろうし……