第二十節
これまで肉と魚と沢蟹で凌いで来たが、野菜が食べたくなってきた。
今の食生活が長期に渡れば、ビタミンの不足も気になってくる。
だがこれまで森を見回ってきたが、キャベツや白菜など見慣れた野菜は存在しない。
まぁ野生のキャベツと言う物は見かけないし、
あったとしても見慣れた姿で自生しているとは考え難い。
多分、別の植物に見えるのだろう。
野菜に関しては詳しくないので、見つけられないのも素直に頷ける。
しかし、そんな私が密かに期待している物を見つけてある。
それは竹の子だ。
少なくとも、これだけは確実に判る。
何しろ土鍋が完成した今、遂に煮込みが出来る可能性が出てきたのである。
これなら、しっかりと灰汁も抜けるはず。
間違いなく、食料になるはずだ。
黒猫が、竹の子を食べられるかは非常に疑問なのだが……
玉葱が猫に良くないと聞いた事はあるが、竹の子は聞いた事が無い。
柔らかい先端部分を鳥と一緒に煮込めば、何とかいけると思うのだが……
まぁ、始める前から深く考えても仕方が無い。
とりあえず竹を半分にしただけの小さなスコップと竹槍を持って、
竹の子狩りへと出発した。
竹の子は、目に見える状態の物はすでに硬い。
少し伸びた竹の子を取って食べた事があるが、その硬さと言ったら半端ではない。
特に下の方なんて完全に木だ、木を食べていると言った方が早いくらいである。
歯には自信がある方だったが、そう言うレベルの問題ではなかった。
柔らかい竹の子はまだ土の中にあるので、それを見つけなければいけないが
枯葉に覆われた森の中では非常に困難である。
雑草のような小さな穂先を慎重に探して行った。
あった……
枯葉やら何やら良く判らない中に、ようやく見つけた。
この出ているのかどうなのか、良く判らない状態が素晴らしい。
さて、これからは大胆かつ繊細な作業になる。
竹の根はとても硬く、驚くほどに張り巡らされている。
これを上手く避けながら、深い穴を掘らなければならない。
以前に少しは掘った経験があるとは言え、慣れてはいない作業。
そして、このスコップはあまりに小さい。
少し、甘く見ていた……
これほどまでに掘れないとは……
根元まで掘るのに、1時間近く掛かってしまった。
すでに、腕が上がらないほどに痛い……
道具は、もう少し考えなければいけないようだ。
竹の子を左右に振りながら竹を当てて上手く力の掛かる所を探す。
ここかな?
下の方を持って力を込めると、綺麗に根から分離した。
よし、上手く取れた!
とりあえず、掘った土は元に戻しておく。
気休めかもしれないが、せめて根の保護にはなるだろう。
竹の子を持って、急いで洞窟へと向かった。
戻ってみると、すでに黒猫の前には鳥が置かれている。
さすがに早いな……
そうすると、まずは鳥が先だな……
私は獲物を手にすると、黒猫に話した。
「川に、鳥をさばきに行って来るね」
鳥の残り羽を焼き終えて水で流したら、竹の子の下準備に入る。
まずは先端を切り落として、縦にざっくりと切れ目を入れた。
その切れ目から、皮を剥いていった。
竹の子が見慣れた状態になったら、バケツの水で洗う。
ずいぶんと綺麗だな……これなら、もしかして……
試しに、小さく切って口に放り込んでみた。
おぉ……これは凄い。
灰汁が全く無いではないか。
そして、なかなか美味いぞ……
あの時の竹の子は相当にエグくて、灰汁抜きに米ぬかを使ったのだが
これなら、生のままでも十分に食べられてしまいそうだ。
さすがは、新鮮な竹の子である。
さらに口に放り込もうとした時に、冷たい視線を感じた……
横目に見ると、黒猫が私をひたすらに見つめている……
「判ってるってば……一緒に食べるんだよな……」
どうやら、独り占めは許してくれないらしい……
やはりここは、黒猫が捕まえてきた鳥肉と一緒に茹でる事にした。
とりあえず、昔ながらの灰汁抜き方法は覚えている。
暖炉の木炭が、米ぬかの変わりとして使えたはずだ。
だが、今回は出番が無さそうである。
でも確か他の山菜などにも応用できたはず、次の機会にでも試してみよう。
今回、下茹での必要は無いだろう。
だが、一応冷たい水から始めるのが無難だ。
適当に切った竹の子と、鳥肉を土鍋に入れて暖炉に置く。
あまり炎が強いと見事にふきこぼれるだろうと思い、炎の勢いを徐々に上げていった。
鍋がグツグツと言い出したので、そこで火力を慎重にキープする。
相当に火力を押さえて、尚且つ消えない状態を維持するのは意外に難しい。
だいぶ使い込んで調整に慣れているとは言え、予想以上に繊細な作業だ。
こんな事なら、小型暖炉で茹でた方が楽だった気がする……
ちょっと失敗したな……
一人で文句を言いながら一時間ほど茹でると、辺りに良い臭いが漂ってくる。
竹串で突付いてみると、すんなりと通った。
まぁ、こんなものだろう……
先に猫用の皿に、土鍋の中身を取り上げると白い煙が大量に湧き上がる。
おっと……これは、いくら何でも熱過ぎるだろうな……
「これは冷めるまで、結構掛かりそうだぞ?」
私の言葉に一声上げると、諦めたようにその場に伏せて居眠りを始めた。
何? 今の判ったの?
この猫は、言葉が判っているのではないだろうかと思う時が多々ある。
本当に不思議な猫である……
そろそろ冷えてきたので、暖炉の火力を上げたい。
だが、鍋を火に掛けたままでは良く無いだろう。
葉のミトンで、慎重に土鍋を下へと置いた。
まぁ保温力はありそうなので、猫用が冷めるまで待っても大丈夫だろう。
抑えていた暖炉に薪を放り込んで、炎の勢いを上げた。
暖炉の調整をしていると、黒猫が起き出してきた。
「ん? そろそろ冷めたか?」
猫用に手を当ててみると、良い感じに冷めている。
「さて、夕飯にするか」
私の言葉に答えるように黒猫は鳴いた。
箸で竹の子を摘みながら黒猫を見ると、美味しそうに食べている。
竹の子の柔らかい先端も入れたのだが、それにも食らい付いていた。
おぉ……竹の子も食べられるのね……
しかし、食べるの早いな……
スープも、物凄い勢いで飲んでいるぞ……
おいおい……これは、おかわりになりそうだな……
私は急いで予備の皿に次の分を入れて、息を吹きかけながら必死に冷ます。
その時、鳴き声が聞こえた。
「あらっ、間に合わなかったか。もう少しだからな」
まぁ食べられるであろう温度まで下げて、黒猫の前に置いた。
「このくらいで大丈夫か?」
一声鳴くと、また元気良く食べ始めた。
「そうか~、そんなに美味いか~」
確かに、スープは鳥の出汁だ。
猫にしてみれば、きっと美味いのだろう。
私には、かなり薄味なのだが……
それでも私は、今確かに微笑んでいる。
こんな気持ちは、ずいぶんと久々のような気がするな……
食事の材料に鳥や魚があると、アイツも良くおねだりをして来た。
ひたすらに見つめて来る視線があまりに痛いので、
いつも猫用に味付け無しで調理した物を用意していた。
私の横で美味しそうに食べる姿には、心から癒されたものだ。
今思えば、本当に懐かしい。
私が友人宅から帰ってきた深夜に、草むらに捨てられていた三毛の子猫。
ダンボールの中で、親を求め泣き続ける姿を見ていられなかった。
本当に、怖かったのだろう。
私の差し出した手に、激しく威嚇し攻撃してきた。
私は血が溢れる傷など気にせずにアイツを抱き上げた。
「いいからウチに来い……」
私はジョニーと名付け、その猫を心から可愛がった。
無邪気なジョニーは、母にも良く懐いていた。
あの時期だけは、私達に本当の笑顔が溢れていた。
確かに金は無く、間違いなく貧乏な生活ではあったが、
あれが一番幸せなひと時だったのではないかと心から想っている。
何故か面影が重なってしまう。
まぁ行儀の良さで言えば、さすがにこの黒猫ほどでは無いのだが、
その姿は、まるでジョニーが帰って来たように思えてならなかった。
しかし、私の腕で息を引き取ったあの姿は今も目に焼き付いている。
それは、変え様が無い事実。
ジョニーは、もう居ないのだ……
だが今は、すっかりこの黒猫に癒されてしまっている。
何時しか、この穏やかな時がずっと続いて欲しいと心の奥で願っていた。