表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
細川ガラシャになる前の明智玉でした。父の謀反を止めないと私が燃えるので必死です  作者: れんれん


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
80/223

八十話「婚姻の火種」

岐阜城の空気は、どこか落ち着かない。

細川が破綻し、都が沈黙した。

誰もが「終わった」と口では言う。

だが玉には分かっていた。

終わったのではない。

形が変わっただけだ。


細川が消えれば、次の者が現れる。

都が黙れば、別の鎖が伸びてくる。

そしてその鎖が狙うのは――自分。

玉は廊下を歩きながら、胸の奥に小さな痛みを抱えていた。

(また婚姻の話が出る)

(今度は誰が、どんな名分を持ち出す)

(細川よりも、もっと巧妙な相手かもしれない)


その考えが浮かんだ瞬間、喉が渇いた。

(嫌だ)

(私は、細川に嫁ぐ未来を知っている)

(あれは地獄だ)

玉は拳を握り、心の中で呟いた。

(私はガラシャになるために生きているわけじゃない)

(私は、未来を変えるためにここにいる)


「玉」

背後から声がした。

振り向くと女中が頭を下げている。

「帰蝶様がお呼びです」

玉の胸が跳ねた。

(帰蝶様……)

帰蝶は、玉を守ってくれている。

だが守りとは、時に縛りにもなる。

玉は静かに頷き、帰蝶の部屋へ向かった。

襖を開けた瞬間、玉は息を呑んだ。

帰蝶が座している。

そして、その隣に――信忠がいた。

信忠はいつもより姿勢が硬い。

目線が畳に落ち、膝の上で手を握りしめている。

ふと見上げた際には信長が居た。


玉は胸がざわつくのを感じた。

(信忠様……?)

(なぜここに)

嫌な予感が、背筋を撫でた。

玉は深く頭を下げる。

「帰蝶様、信忠様……」

帰蝶は扇を閉じ、淡々と告げた。

「玉。お前の処遇について話がある」


処遇。

その言葉だけで、玉の身体が固くなる。

(処遇……)

(まさか)

(婚姻……?)

玉は息を吸う。

だが肺がうまく膨らまない。


帰蝶は静かに続けた。

「織田としては、お前を織田のものとして扱う」

玉は目を伏せた。

織田のもの。

守られる。

それは救いだ。

だが同時に、逃げ道を失う言葉でもあった。

玉は心の中で呟く。

(織田のもの……)

(私は、道具になるのか)

(それとも、守られるのか)

どちらも同じに思えた。


帰蝶はさらに言った。

「明智も、殿への報告を欠かさぬ。

忠誠を誓う者として、真面目すぎるほどだ」

玉の胸が痛んだ。

父の忠義。

それがある限り、玉は守られる。

だが忠義は、時に刃にもなる。

(父上……)

(お願いだから、追い詰められないで)

(追い詰められた父上が選ぶ未来を、私は知っている)

玉は唇を噛んだ。

本能寺の火が、胸の奥で小さく揺れた気がした。


帰蝶は玉を見つめたまま、言葉を落とすように言った。

「そして……お前も、もうそろそろ十四だ」

玉の指先が冷たくなる。

十四。

戦国の女にとって、運命が決まる年齢。

玉は喉の奥が締め付けられる。

(十四……)

(私は、まだ何も成していない)

(本能寺を止めるためにここにいるのに)

帰蝶は続けた。

「またぞろ婚姻の話が出ぬとも限らぬ」

玉の胸が跳ねる。

(やっぱりだ)

(また婚姻の話……)

(細川じゃなくても、誰かが来る)

玉は背筋に汗が滲むのを感じた。

(嫌だ)

(私は、選ばれるだけの存在ではいたくない)

(私は……選びたい)

帰蝶はふと、信忠の方へ視線を向けた。

その瞬間、信忠の肩がわずかに揺れる。

信忠は緊張している。

それが玉にも分かった。

帰蝶は短く言った。

「信忠。申せ」

信忠は喉を鳴らした。

「……今回の事を受け、玉は織田に欠かせぬ存在で……」

言葉が回りくどい。

信忠は真面目すぎるほど真面目だ。

玉は信忠を見つめた。

(信忠様は……何を言おうとしている)

(まさか……)

帰蝶が即座に言った。

「信忠。男ならはっきりせよ」

その一喝に、信忠の背筋が跳ねた。

玉は思わず目を見開いた。

(帰蝶様……容赦がない)

だが、その容赦のなさは、信忠を守るためでもあるのだろう。

信忠は拳を握り、顔を上げた。

その視線は、玉を見ていない。

信忠は襖の奥――信長がいる方へ向かって言った。

「殿……!」

玉の心臓が跳ねた。

(殿!)

襖の向こうに気配がある。

確かに、誰かが座している。

信忠は息を吸い、言い切った。

「玉との婚姻を、認めてはいただけませぬか」

玉の身体が凍りついた。

(……え?)

(信忠様が……私を?)

頭が真っ白になる。

嬉しいのか、怖いのか分からない。

胸が熱くなるのに、指先は冷たい。

玉は小さく震えた。

(私が、信忠様の妻になる……?)

(そんな未来が……あるの?)

その未来は、細川に嫁ぐ未来よりは遥かに良い。

だが――それは歴史を変える未来なのか。

(私は織田の嫁になって、本能寺を止められるの?)

(それとも、歴史に飲み込まれてしまう?)

次の瞬間。

信長が腹を抱えて笑った。

「ははははは!」

部屋の空気が一気に崩れる。


信忠の顔が真っ赤になり、伏し目がちになる。

信長の声が響く。

「信忠、お前がか?」

信忠は唇を噛み、低く答えた。

「……はい」

玉は胸が苦しくなる。

(信忠様……)

(こんなに恥を晒してまで、言ってくれたのに)

帰蝶が微笑んだ。

「信忠、よく申した」

その声には確かな誇りがあった。


信長はまだ笑いを残しながら、帰蝶を見る。

帰蝶は淡々と言った。

「玉は織田家には欠かせぬ存在です」

「役職で縛ることも可能でしょう」

玉は息を呑む。

(役職で縛る……)

(私を、台所役にして、誰にも渡さない)

それは確かに安全だ。

だがそれでは、私は生きた道具だ。

帰蝶は続けた。

「ですが、それでは第二の細川が現れぬとも限りませぬ」

玉は背筋が冷えた。

(第二の細川……)

(そんな未来、考えたくもない)

帰蝶は信長へ視線を向け、言い切った。

「殿。玉では不足ですか?」

玉の胸が締め付けられた。

(帰蝶様……)

(私の価値を、殿に問うている)


信長はしばらく黙った。

その沈黙が、玉には永遠のように長く感じた。

(もし殿が断れば――)

(信忠様は……)

(私は……)

(次はどこへ嫁がされる?)

(細川ではなくとも、地獄はまた来る)

玉は喉が震えた。

やがて信長は口元を歪め、短く言った。

「……よし」

玉の呼吸が戻った。

信忠が顔を上げる。

信長は言った。

「婚姻の約、済ませてやる」

玉の胸が熱くなる。

(……助かった)

(守られた)

だが信長は続けた。

「だがすぐではない」

玉の身体が固くなる。

(条件……)

信長は帰蝶を見た。

「帰蝶。玉の教育を任せる」


帰蝶は微笑み、頷いた。

「承知いたしました」

信長は指を一本立てる。

「一年後だ」

玉は息を呑んだ。

一年。

その一年で、玉の人生が決まる。

信長は言い切った。

「それまでに武家の嫁としての教育を終えよ。

それを見て、かなうかどうか判断する」

玉は背筋を正した。

(私は試される)

(信忠様の嫁にふさわしいかどうか)

(織田の嫁に足るかどうか)


帰蝶が静かに頷く。

「はい、殿」

信長は立ち上がり、信忠を見下ろした。

「信忠。お前にしては、よく踏み込んだ」

信忠は小さく息を吐いた。

信長は笑った。

「だが良い」

そう言い残し、信長は笑いながら部屋を出て行った。

残されたのは、帰蝶と信忠と玉。

玉はまだ、現実を飲み込めずにいた。

(婚姻……)

(信忠様と……)

その言葉を心の中で繰り返すたびに、胸が熱くなる。

だが同時に、胸の奥に冷たい影が残る。

(これで細川は完全に消える)

(でも……本能寺は?)

(歴史は変わるの?)

玉はふと、信忠の横顔を見た。

信忠はまだ赤い顔をしている。

だが、その表情には安堵があった。

帰蝶が信忠を見て言った。

「信忠、よう言ったな」

信忠は顔を伏せたまま、ぽつりと答えた。

「……恐ろしゅうございました」

帰蝶は笑った。

「それでよい。恐れを超えて申したのだ」

帰蝶は続けた。

「綺羅びやかな着飾った娘より、

城の従者の着る飾り気のない玉ではあるが……」

帰蝶は玉を見た。

「お前はよく玉を見ていた」

「磨けば凄いぞ、あの娘は」

玉は胸が痛くなった。

(磨けば……)

(私は、磨かれる石なのか)

(それとも、火種なのか)

帰蝶の声が少し柔らかくなる。

「あの瞳には決意が出ている」

「そんな娘は探しても他に一人もおらぬ」

信忠は小さく息を吸った。

そして、言葉を絞るように言った。

「私は……あの瞳に引かれておりました」

玉の胸が跳ねる。

信忠は続ける。

「優しさだけではない……覚悟がある」

「なぜか……守りたいと思ってしまう」

信忠の拳が震えた。

「細川に取られると思った時……焦りました」

「怒りもありました」

そして信忠は、静かに言った。

「その時、分かったのです」

「私は玉を……欲しているのだと」

玉の頬が熱くなる。

(信忠様……)

(そんなふうに思ってくださっていた)

だが玉は、すぐに心を引き締めた。

(私は浮かれてはいけない)

(私は未来を知っている)

(この優しさを、火で焼かせてはいけない)

信忠は立ち上がり、帰蝶へ深く頭を下げた。

「母上玉のこと……これからも、よろしくお願い申し上げます」

帰蝶は微笑んだ。

「心配することはない」

「玉は賢い。

学べば必ず伸びる」

信忠は頷いた。

「……はい」

その夜。

玉は庭に面した縁側に座っていた。

夜風が頬を撫でる。

空は静かで、月が薄く光っている。

玉は膝の上で手を握りしめた。

(信忠様と婚姻……)

(これで私は細川から逃げられる)

それは確かに救いだ。

だが救いは、同時に重い責任でもある。

(私は織田の嫁になる)

(それは……信忠様を守るということ)

(信忠様の未来も、私が背負う)

玉の胸が苦しくなる。

本能寺。

あの火が燃えれば、信忠も焼かれる。

玉は月を見上げ、静かに呟いた。

(私は……止めなければ)

(光秀の謀反を)

(殿の苛烈さを)

(都の鎖を)

そして何より――

(信忠様を、死なせない)

玉の瞳に、決意が宿る。

婚姻は火種だ。

だが火種は、燃えるだけではない。

火種は、灯にもなる。

玉は胸の奥で誓った。

この一年で、私は変わる。

ただ守られるだけの娘では終わらない。

そして必ず――

未来を、書き換える。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ