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勝山春記  作者: 李孟鑑
2/9

(一)

 御屋形様の起きられましたのは、春の短夜も未だ明けきらぬ朝まだきのうちでございました。日頃よりお目覚めの早い御屋形様でございますが、今朝方は(こと)に早うございました。やはり昨日までの出来事のくさぐさに心身を責められ、よくはお休みになれなかったのでございましょう。かく言うわたくしとても、前の晩は身を横たえても心は千々(ちぢ)に乱れて一向に休まらず、枕辺に灯した灯明の火影が壁板にちらちらと震える様を眺めながら、ほとんど眠れぬままに夜を明かしました。――わたくしは、周防大内家第三十二代当主義長(よしなが)様の小姓、杉民部(みんぶ)でございます。


 まんじりともせぬままにいつか灯油は尽き、部屋に満つる闇を受け止めようとするかに両の目を見開いていたわたくしの耳に、御屋形様の寝所の方より雨戸を()るような音が小さく聞こえ、わたくしは床の上に起き上がりました。身繕いし、急ぎ廊下を渡って行きますと、御屋形様の、寝所の濡れ縁に立っておられるのが見えました。早暁(そうぎょう)の蒼ざめた薄明の中に、身に(まと)われた寝装束ばかりが白く冴えております。宿直(とのい)の者が影のように周りを動いておりました。


 御屋形様はわたくしに気づかれると軽く頷いて見せられ、それから再び、庭の方へと目を戻されました。寝所の前には坪庭がしつらえてあるのでございます。三坪ばかりの内に白砂を敷き、石組みを幾つか配した枯山水の庭でございまして、周防大内家、豊後大友家、能登畠山家などが合力して建立致しました京大徳寺の塔頭(たっちゅう)龍源院(りょうげんいん)の庭を模したものと聞いたことがございます。石庭ですから樹木はございません。いえ、ごく数本ばかり、置石の陰にツゲやツツジの類があるにはありましたが、どの木も、かろうじて命を繋ぐことの出来る瀬戸際まで枝を刈り込まれ、樹木と申しますよりは庭石の如く変化(へんげ)させられておりました。ここ、勝山城のあります長門長府は、既に春も暮れようという頃を迎えておりましたが、その中にあってこの庭ばかりは何か、季節の移ろいというものからひとり置き忘れられたようでございました。ぼんやりと影を滲ませた石組みの周りに砂の色ばかりが白く目に沁みました。廊下の雨戸が次々と繰られていく音が、からからと遠く響きました。


 耳だらいなどが運ばれて来て、御屋形様は小姓らに手伝わせて身繕いをなさいました。顔を洗い口をすすぎ、髭なども整えてしまいますと、御屋形様は履きものの用意を命じられました。暁の七つ半辺りで、出歩くにはまだ少し足元のあやうい時分でございます。周りの者は驚きましたが、御屋形様は


「出かけると申しても、ただ主郭へ参るだけのことだ。案ずるには及ばぬ」


 そう申されて皆の心配を退けられ、わたくしに供を命じられました。わたくしは手燭を用意し、御屋形様の後に従って城館の門を出ました。館は勝山の山腹に立っております。裏手にはすぐ傾斜が迫り、急峻な山道を四半刻も上りますと、主郭のある頂に出るのでございました。夜明け前の静けさの中、空にはまだ星がわずかに残っておりました。ひんやりと湿った空気に包まれて流れる静寂は息をひそめるような深さに凝り固まって、それは何か、永久(とこしえ)の夜をわたくしに思わせました。御屋形様と、わたくしと、二つの足音が、一つに合わさってみたり、また二つに分かれてみたりしながら不規則な雨滴のようにひそひそと響き、峰々に漂う静けさを、否応なく我々の身の上に引き寄せるようでございました。

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