きしょうてんけつ
おはなしを書くときぼくはプロットとかいうものは深く考えない。
おおよそぼくは予定通りに物事を進められたためしがない。常に行き当たりばったりなのだ。
どうせ書いてるうちにあっちらこっちら脱線して意図せぬ方向へ行くと思っている。
脱線の方向はその時に見ているアニメとか動画とかに影響されている気がするからもしかしたらある程度コントロール出来るかもだけど、そういうのは特にしない。
書きたいように書くのだ。
ぼくの後ろでぼくに影響を与えたなにかが糸で繰っているんだろうなぁとぼんやり思いつつも少なくともぼく自身は自由に書いている、つもりだ。
ただいくら自由にうんちゃらかんちゃらとは言ってもある程度の道筋は考えてから書く。いわゆる起承転結くらいは考えてから書く。
起、はじまり。
承、なんか起きる。
転、予期せぬ事が起きる。
結、なんやかんやあって終わる。
この流れをすごく薄ぼんやりながらも考えるわけであるが、皆さんは起承転結、このいずれが一番重要だと思うだろうか? あるいは好きだろうか?
おはなしの始まりがなければなにも始まらないから起?
おはなしを広げるために無くてはならない承?
なんかあっておはなしがひっくり返る転?
終わり方次第でおはなしの質が定まるかもしれない結?
ぼくに関しては「転」を一番重視している気がする。
大なり小なり呼んでくれているヒトにサプライズを与える「転」を一番重きを置いている気がするのだ。
これは十人十色だと思うので、こういう人もいます、ああいうお方もおります。それでいいと思う。
どれが一番偉いかトーナメントとかをするつもりは特にありません。
みんな一等賞です。
ぼくは「転」が思いついてからおはなしを肉付けすることがままある。
「転」から逆算して起承結を考えることがままある。
短編だと特に顕著にその傾向が出る。
そんなおりふと思ったのだが、ぼくの考える「転」はどちらかと言うと上げてから落とすバットエンド気味な「転」が多い傾向にある。
なんやかんやあってがんばって死に物狂いで目的を達成したのに「転」で良くない方向へ舵を切る系が多いのだ。
これと逆のパターンで落とすだけ奈落の底まで叩き落として「転」で浮上するパターンもあるし、むしろそっちのほうが短編という短いおはなしでは向いていると思うのだけれど。
なんか思いつく「転」は落っこちる系ばかりなのだ。
たぶんだけど、「転」は転がり落ちるの「転」だと心の深い所で思っているふしがある。
いやわかっている、幸せになる転はあるし、そっちの方が読了した際のもやもやが少ない。
昔からアニメとかゲームとかでバットエンド気味に物語が閉じるともやもやする。ワンクール以上物語を追っかけてきたのにオチがこれ? 何十時間もかけたゲームの終わりがこれでは救いがなさ過ぎる、そりゃないぜとか思ったりもする。
でも書いちゃう、なんでだろう?
なんでかと考えてか、ふと思ったのはバットエンドのほうが心に残りやすいからかなぁと考える。
ぼくの幼少のころから触れてきたおはなしは基本的にハッピーエンドだ。手放しのハッピーエンドかは置いといて総合的に見ればどちらかと言うと幸せだよね?っていうエンドのほうが多い。
子供の頃はハッピーエンドで終わらなくちゃいけないルールみたいなものがあるとすら思っていた。
だからか、ときおり襲いかかってくるバットエンドがまぁ刺さること刺さること。
良いか悪いかを置いておいてとにかく心にフックしてくる。
当たり前だがバットエンドは少数で、おはなしにスパイスを過剰に振りたい、奇をてらいたい系にしてみればバットエンドを書くだけで少数派になれる。
少数派って響きがなんかいいよね。
今はバットエンドが溢れている、探せば先人の秀悦なやつがいくらでもあるだろう。
昔ほど希少種ではなくなってしまったのだろう。
でも幼少期に形成された型はそうそう破れまい。ましてや破る気もおんまりないので現状維持である。
だからまぁ気を抜くと「転」で落とすおはなしを書いてしまうんだろうなぁ。
まぁ脱線した。皆さんは起承転結どれが一番好き、或いは重要視してますか?




