最終話「肉好き男と菜好き爺」
青空を、分厚い雲が覆っていた。
「ふむ……もうすぐ雨が降りそうじゃな」
ドルゴは髭を撫で、その微妙な湿気を感じ取った。
最近は雨が少なくて土が乾いていたので、ドルゴは少しホッとしたようにテーブルにつき、彼自慢の野菜で作ったジュースと煮込み料理にパンを用意して豪華な昼食を楽しむ。
野菜の美味しさに口元を緩めたドルゴ。しかし、視界の隅にフィン特性の薬瓶が入った瞬間顔をしかめ、そっと目を逸らした。
「むぅ。……いや、食後じゃ、食後。今は気にせんでええんじゃ」
そして一旦薬のことは忘れることにし、食事を再開する。途端に再びほころぶ頬。
食事に満足したドルゴは……最後に薬瓶を見て「ぬぅぉっ」と唸り、瓶を振ってみた。中身は――ある! まだ残っている。
「飲まんとダメかのぉ」
つい声にも出してしまう。よほど嫌らしい。その薬を嫌がる顔が、人参を嫌がるフィンと瓜二つだということを、当人たちだけが知らない。
はぁっとため息を付いたドルゴは薬瓶からスプーンで粉をすくい、しっかりと分量を計って飲んだ。
「うぐっ……フィンのやつめ。苦くないと言いおったのに、苦いではないか。次来た時はあやつにも人参食べさせてやるとしよう」
ドルゴはそんな風に文句を言いつつ、食器を片付ける。その棚の一角に、空の瓶がたくさん詰まった箱があった。瓶に貼られたラベルはすべてフィンの手書きのものだった。ドルゴはその空き瓶たちを見ると目を嬉しそうに細めたが
「まったく、あやつと来たら薬ばかり贈ってきよって」
と、口では逆のことを言うのだから、フィンが誰に似たのかはよく分かる。
そんな時、トントンっ、と玄関のドアが叩かれた。それはとても控えめで、雨の音にかき消されそうなほどだったが、ドルゴは聞き逃さなかった。
やれやれと彼は立ち上がり、ドアを開ける。
風はそう強くないが、肌寒い空気を感じてドルゴのヒゲが震えた。しかし、そこを塞ぐ大男がいるからドアを閉められない。
「なんじゃ、ギル坊。わしは寒がりなんじゃぞ! 風邪引いたらどうしてくれるっ! レイヴン坊やに慰謝料請求してやるぞ!」
「! ……はは、そいつは止めてくれ。後で俺がレイヴン……や、フィンたちにどやされる」
無言で突っ立っていた大男が外套のフードを外しながらニカッと笑い、ドルゴに言われるままに中に入った。
大男――ギルド長のギルバートは慣れた様子で外套をかけ、まるで自分の家のように暖炉の前のソファに座った。
「うおっさむさむ……ふぅ、暖まるぜ」
「これギル坊! そこはわしの特等席じゃぞ!」
「いいじゃねえかよ、ちょっとくらい。俺は今まで外にいたんだぞ」
良い年した大男と、ドワーフの老爺が年甲斐もなく争い、暖炉前の温かいポジションを取り合った。――ドルゴが勝った。
ギルバートが恨めしそうにドルゴを見て、カッと笑う。
「ほんと、爺は変わらねぇなぁ」
しみじみとしたようでいて、何かをこらえているような声に、ドルゴは気持ち悪そうな顔をした。
「なんじゃ、気持ち悪いのぉ」
いや、顔だけじゃなくて声にも出した。
ギルバートがそんなドルゴに苦笑する。天下のギルド長も、昔から面倒を見てもらっていた相手には頭が上がらない。
「……逃げろって言ったら、逃げるか?」
だからギルバートは言葉を濁さずに言った。理由も言い訳も他には何も言わない。
そうして欲しい、とも言わない。
「逃げん」
ドルゴの返事は短い。ギルバートは驚かない。だよな、と笑う。生まれ育った大地を離れたがる者はそう多くない。
しかし、ドルゴが逃げない理由はそうではない。
「お前さんがおるのに、逃げる必要などなかろうよ」
何の問題もない、と言い切ったドルゴ。そんな彼の言葉にギルバートの右目が大きく見開き、細められ、最後は彼が俯いて見えなくなった。
ただ……その巨躯がかすかに震え、膝に置かれた手がぎゅっと握られた。
ドルゴは髭を撫で「ほっほっ」と笑うと立ち上がった。
「お前さんも寒がりなのは変わらぬのぉ。どれ、わし特製の野菜たっぷりスープを作ってやろう」
厨房に向かうドルゴの背後から、「……肉も入れてくれ」というギルバートの声がした。ドルゴはベーコンに伸ばしていた手を止めてちらっとギルバートを見る。彼が俯いてこちらを見ていないことを確認すると、「仕方ないのぉ」とヒゲを撫でるのだった。




