饒舌になる
フリーズ・ファンタジーにおいて、アリス・フォン・ローゼシアとはなんだったのか。
少しだけ、その点について話す必要があると思う。
原作が開始した時、彼女は初めこそ学園に咲いた華であり、物静かながら主人公とヒロインに対して味方という姿勢を見せていた。
しかし、それは表向きの顔。裏では彼らを潰さんとする魔の者達と手を組み、あの手この手で命を奪おうと画策する。
半年もすると偽善の仮面すら脱ぎ捨て、堂々と主人公達に嫌がらせを始め、誰の目からも分かりやすい悪党になっていく。
物語が中盤に差し掛かろうとした頃、一度は学園をダンジョン化させるという荒技を使い、多くの人々を道連れにしつつヒロインを殺そうとした。
しかし、救出に現れた主人公に倒されてダンジョンの大穴へと落とされ、本編での活躍は終了する。主人公達は彼女が死んだことを疑わなかった。
そこからようやく物語は後半に入っていくのだが、誰しもアリスは二度と登場しないと思っていたし、初見では僕もそう考えていた。役目を終えたという印象が強かったのだ。
しかしどういうわけか彼女は、エンディング後に再び主人公達と再会することになる。
隠しダンジョンの一番奥、裏のラスボスとして。
再登場したアリスは、本編とは比較にならないほど強く規格外だった。多くのプレイヤーが数えきれないほどの敗北を繰り返してしまう。
ネットでゲームの最強ボスは誰か、という論争が始まると必ず名前が上がっていたし、実際僕も一回しか勝てなかった。どうしても運が絡むというか、必勝法が解明されなかったのだ。
あの頃の記憶を思い出す度、頭がおかしくなった気がしてくる。だって今の彼女は全然違う。
僕はその悪党であり未来の裏ボスと、優雅に食事をしている。悪意や殺気などまるで感じない、ただ淡々とした少女にしか映らない。
僕も彼女もほとんど会話をしないので、父は慌てていた。母はフランソワ婦人との雑談に夢中になっている。
しかし、不思議と僕らの間に気まずい空気は流れていない。公爵は穏やかな顔で見守っていたようだが、頃合いとでも思ったのか、一つの提案をした。
「アリス。彼にうちの庭園を案内してあげなさい」
「はい。では……こちらに」
スッと立ち上がり、彼女は僕を誘ってきたのだが、この時も言葉足らずというか、何かぎこちなさがあった。
僕は言われるがまま、白いパラソルの向こう側に映る大きな庭園へと向かう。要するに公爵は二人だけの時間が必要だと配慮したのだろう。
後は若い二人に任せて、ということらしい。
当初こそ会話がない状態が続いた。僕としては特に気にはしていなかったが、そろそろ何かしら話題を振るべきだろう。善戦したという程は作らないと。
でも、意外なことに声をかけてきたのは、アリスのほうからだった。
「その、キース様は……お花とかお好きですか」
「嫌いではないですね。それから、キースと呼んでいただいて構いませんよ。あなたと僕は、そういう立場ですから」
「あ、えっと……承知しました。その、ご趣味は」
その話題なら、さっきみんなの前で答えていた。どうやら相当緊張しているように見える。
「音楽と馬術を少々嗜んでいます。それから、週に一度は演劇場へ通い、感性を磨くことにしています」
父から吹き込まれた公の場専用の趣味を淡々と語ってみたところ、アリスは白い首を小さく傾げたようだった。
「あ、その。申し訳ありません。他にも、お好きなものがあるかも……と思って」
最後の声は消え入りそうだった。どうやら僕の一度目の回答は覚えていたらしい。その上で、本当の趣味を知りたがっているようだ。
嘘がバレていたことがわかり、僕は苦笑した。やはり鋭いというか、油断ならないところがあると思う。
原作でも結局のところ、彼女は掴みどころのない存在だったっけ。そもそも、何も隠す必要はない。ここからは正直に答えればいいだろう。
「魔法を少々。それから遺跡巡りが好きです」
「魔法と遺跡……!」
この時、アリスは目を丸くしていた。今日初めて明確に興味を示している。
「正確に言えば、魔法は遺跡巡りで見つけた副産物です。実は遺跡巡りに一番熱を上げています。イグナシオ領だけではなく、大陸にある遺跡なら大抵は潜っています。それでも全然足りないですね。発見が多すぎて、これは一生かかっても無理かもしれないです」
僕の話を聞いているその瞳は、陽光に照らされてまさに宝石のよう。彼女は遺跡に強い関心を抱いたかもしれない。
「す、すごい……遺跡には、どんな風に潜っているのです? お一人ではありませんよね」
「いえ、一人です」
「え」
「僕は一人で潜っています。誰もついてこないですし、気楽でいいものですよ。おかげで長く自由に探し物ができます。この前なんて、とても興味深い発見がありました」
少しずつ、僕は饒舌になっていった。こういうのは本来良くないらしい。女性の話を引き出す聞き上手でなければならない、とかつての訳知り顔の友人は語っていたっけ。
しかし、そうも言ってられなくなってきた。自分でも不思議なことに、心に火がつき始めている。
「面白そう……! 興味があります。遺跡のこと、もっと教えてくれませんか」
「いいんですか、長い話になりますよ」
「はいっ」
僕は前世も現世もオタクそのものだ。だから自分の趣味領域に興味津々になっている人がいると、語りたくて堪らなくなる。
庭園の端にある小さなベンチに並んで座った後、僕は熱弁を振るってしまった。彼女は話を遮るようなことはせず、実に気持ちよく聞いてくれる。
これはきっと才能なのだろう。むしろ彼女がアリスじゃなかったら、もっと仲良くなれたろうに。
そんなことがふと頭を過ったが、口から出る遺跡談義は止まらなかった。
◇
両親とローゼシア夫婦の元に帰ってきたのは、それから一時間以上してからだった。
まさかここまで長びくと思っていなかったのか、両家は驚いた様子である。
僕はといえば、正直なところ反省していた。
たしかにこのお見合いは、破談してくれて何ら問題がない。というか善戦しつつも負けてしまった、というルートでいくつもりだった。
しかし、それは自分があくまで取り繕った貴族の仮面を付けた上で、綺麗にフラれる姿こそが理想であり、本来持っている趣味や考えを全面に出してフラれることを想定していない。
僕はあまりに語り過ぎた。深く反省しているが、これほど会話が楽しいと感じたのは久しぶりで、遺跡オタク全開の……自分自身をほぼ曝け出したようなトークを展開してフラれるのはさすがに辛い。
だが、アリスは少しだけ微笑んでいることがあった。楽しんでくれてるかもしれない、と思っていたけれど、女の子はそもそも男より演技が上手い。
僕は猛烈な恥ずかしさに身を焼かれそうになっていた。
満足げに去る両親の後に続きながら、ふと背後を振り返ると、彼女はずっと僕を見つめていた。
そして名画もかくやとばかりの笑みを浮かべ、控えめに手を振ってくるのだ。手を振りかえし、馬車に乗っても気持ちは鎮まらない。
でも結局のところしょうがないのだ。自分が恥を感じるか感じないか、それだけの違いでしかない。
フラれるという秘密の目標は果たしたはず。アリスの視線が、なんとなく邸を去った後も背中に残っているような気がした。




