アリスの肖像画
遺跡から出ると、すぐ近くに姉上達の馬車があった。
貴族っていうのはいい。普段からこういう乗り物が使えるんだから。
荷台に揺られながら雑談をして、今日の予定はもう終わり……だと思っていたんだけど。
何気ない雑談の中で、僕を大きく動揺させた知らせがあったんだ。
ちょうどお見合いをすると話した時のこと。
姉上はこれ以上ないほど目を輝かせ、「良かったじゃない! 上手くいくことを願っているわ」とか「結婚式が楽しみ!」とか祝福の言葉を送ってくれる。
僕としても、ここまで喜ばれると悪い気はしない。だが、
「じゃあ私たちは、ほぼ同じ時期に結婚するかもしれないわね」
という一言で、脳内に稲妻が走ったのだ。
「え、結婚って……姉上……それは……」
「あれ? 言ってなかった? 私もお父様からお話をいただいているの。ヴァトラス伯爵家の長男よ、知っているでしょう」
僕は普段から貴族間の付き合いには興味がない。その長男とは以前会っていたが、顔は記憶になかった。
「驚かせちゃったみたいね! ごめんね」
「いえ、お気になさらず。ただ、突然のことで……自分のこと以上に驚いたというのが正直なところでした。おめでとうございます」
姉上はずっと前から家を出たがっていた。口にこそ出さないが、両親に不信感を持っているのは傍目からでも分かっていた。
長女として家の恥とならないよう、必要以上に厳しい教育を受けてきた姿を、幼少の僕はつらい思いで見ていた。
その身はもうすぐヴァトラス家に捧げられる。願ってもないことだったのかもしれない。
(爵位は同じ伯爵で、うちより土地を多く所有している名家か。父上は子供達を売り出しにかかっているというわけだ)
姉上との雑談がいっそう華やかになる中、僕は心の中で父に苛立っていた。
子供を出世の道具として使う。そのやり方が好きではない。
ただ、この世界では珍しい話でもないので、父だけを非難するのも不公平かもしれなかった。
メイはほとんど黙っていたが、元気な姉上に話しかけられると、戸惑いながらも輪に入るようになった。
家に帰った頃には夕方で、少しばかり気まずい一家団欒となった。食事を済ませ、その日は静かに眠りにつく。
驚きばかりの一日だったが、なんだかんだ僕は冷静になった。
なぜかといえば、将来設計は変わることがないと思ったから。
お見合い相手が原作屈指のヤバイキャラであったことは衝撃だが、彼女と結ばれることはない。
理由は大きく二つある。
まず一つは家の格が違い過ぎること。父がどんな条件で見合いを申し込んだのか知らないが、向こうは本当に婚約を進めるつもりなどないだろう。
通常、この世界で貴族間の婚約は、家柄がほぼ同じであることが重要な条件となる。
あまりに格上であるローゼシア家が、本気で僕との結婚を進める気があるとは思えない。
恐らくは何か貢物があり、それを受け取ったら理由をつけてあしらうつもりではないか。またはもう渡しているかも。
もう一つは、あまり気分の良い事実ではないけれど、彼女が僕に魅力を感じるとは思えないから。
そうであれば普通は、自分を良く見せるべく頑張るものだが、取り繕う気はなかった。
誰かに好かれようと自身を飾ることは、人間関係を構築する上で必要なことではある。
だが、今回はありのままでいく。普通に接して普通にダメだったという話であれば、結果的に誰も傷つけることはない筈だ。
そう考えていたので、いつもと同じように落ち着いていられた。静かな夜だった。
◇
次の日、父と母に広間に呼び出された。
どうやらお見合い相手の絵が届いたという。前世でいえばA4サイズほどの絵画で、無表情のアリスが描かれていた。
これと同じ絵を、イグナシオ家もローゼシア家に送ることになっている。
お互いにまずはどういった人物であるかを、改めて絵をみて確認するという風習がこの世界にはある。
「ほう。やはりモノが違う。将来は絶世の美女になること請け合いだな」
「そうねえ。私の次に美しい女になるかもしれないわね」
両親がまじまじと見つめるなか、僕もその絵画を眺めた。
「どうだ?」と父が尋ねてくるが、そう言われてもどう答えればと悩んでしまう。
「とても綺麗ですね」
と答えるのがやっとだった。
しかし、両親はまんざらでもない顔をしていた。
今まで一緒に暮らしていて、淡白な返事ばかりしていることが、むしろ美しい誤解を生んだのかもしれない。
僕はこの絵画は、半分偽物だと思っている。確かにここに写っているドレス姿の少女は、可憐そのものだ。
前世で見たアイドルを思わせる、可愛らしさが狭い絵全体から発せられていた。でも、そんなことは当たり前だ。
だって、ローゼシア公爵家の娘を誰より美しく描かなければ、その絵師はどうなるか分かったものではないんだから。
この後、僕も同じように絵師についてもらって絵画を作ることになった。案の定というか、父が絵師を始終睨みつけている。
なんて可哀想な仕事なんだろうと、僕は彼に同情してしまった。そして作り上げられた自画像は、あまりに本物と違う。
かつて前世でネット上に溢れていた、盛りまくりの加工画像といい勝負である。いや、それ以上かもしれないな。
っていうか誰? そんなことを思わずにはいられない絵が出来上がり、なんとなく恥ずかしくなった。
「じゃあ、そろそろ外出します」
「おお。外に出る時は気をつけるのだぞ。近頃は物騒な輩が多いと聞くからな」
心配する素振りを見せながらも、護衛は一人もつけようとしない。とにかく放置されている。
でもそのほうが気楽でいい。一人鼻歌を口ずさみながら、僕はイグナシオ家が持つ数少ない領地の一つ、ライラックの街へと向かった。
歩いて十五分くらいで入り口に着いたわけだが、ここからでも大体の全貌は分かる。人口にして一千人程度の小さな町なんだ。
正直にいって、大陸中のどの町よりも活気がないかもしれない、静かな土地柄である。
でも僕はこの落ち着いた街が好きだった。大抵の領民は優しくしてくれるし、必要以上に干渉されることもない。
向かった先は、街で一番大きな公園だった。中心には一本の大木が生えていて、陽光に照らされまるで光っているようだ。
今日ここにやってきたのは、日課の一つをこなす為だった。日向ぼっこをしたいわけじゃなく、真面目な用事である。
大木の前に腰を下ろすと、厚くて重い感触が背中に広がった。あぐらを掻いて姿勢を正し、僕はただ瞳を閉じた。