二人で船に
アリスとの二度目のお見合いは、側から見れば順調に進んだ。
まずは湖を眺めながら、イグナシオ領に伝わる伝統料理をみんなで食べることになった。
料理はメイドと、今回はなんとリディア姉上までが参加して作っている。姉上の料理は本当に上手で、僕はたまに作ってもらえると嬉しくてしょうがなかった。
両家とも、食事の中で少しずつ打ち解けてきている。
父と母も徐々に気持ちが高揚しており、姉上のローゼシア家への配慮は素晴らしい。
ただ、問題なのは僕とアリスだろう。
二人の間には、以前とほぼ同じ程度の会話しか生まれていない。時折姉上が話題を振ってくれるのだが、アリスは言葉少なげになりがちだった。
何だか馬車にいた時と反応が違うな? と不思議に思っていた時、ふと気がつく。
彼女が気にしているのは、左右を固めている両親ではないか、と。
様子を見ているうちに、アリスの返答一つ一つを、フランソワ公爵と夫人は逐一気にしていることが分かった。これは彼女もやりづらくて堪らないだろう。
下手なことを言うんじゃないぞ、という無言の圧が……アリスという少女の翼をむしっている。
正直、僕としては今回の見合いに成功は求めていない。ただ、あまりに苦痛まみれの時間を過ごしてもらうのも、それはそれで嫌だった。
だからここで、ふと立ち上がってみた。
「さて、皆さん。お集まりのところ大変申し訳ないのですが、少々僕はこの楽しい見合いで熱が上がってしまったようです。少し頭を冷やす必要があります。散歩でもして、失礼がないよう落ち着きたいと思うのですが……よろしいでしょうか」
そう言いつつ、顔と視線は一点にむけている。もちろん公爵家令嬢へ向けていた。
「やるわね……その意気よ」
隣で嬉しそうに囁くリディア姉さん。聞こえたら恥ずかしいからやめてくれ。周囲の人々もみんな察している。
これはつまり、僕はアリスを連れ立って、二人きりで話したいという切り出しである。
ただ、彼女だけは理解できていなかったようで、大きい目を丸くしてパチパチさせていた。
「アリス、行ってきなさい」
「え……はいっ」
すると、やれやれという雰囲気を出しながら、フランソワ公爵が指示を出し、彼女は慌てて立ち上がった。
その仕草がぎこちなかったことで、彼女の母が冷たい流し目を送っている。すぐに気づいたのか、アリスは普段と変わらない優雅な動きに戻り、僕とともに湖のほうへと歩き出した。
この時は彼女が哀れに思えてならなかった。もしかしたら、こういう辛いことが積み重なって、それが爆発して怪物へと変わるのかも。
しかし、僕に何かができるわけではなかった。フランソワ公爵の目を見れば分かる。今回で終わりにするつもりだ。
だけど、せめて少しの息抜きくらいはいいだろう。隣を歩く時、しばらく彼女は沈黙していた。
そのため息を漏らしたくなるほど整った横顔に、まずは笑いかけてみる。
「やっぱり緊張してますね。あまり楽しんではいないようで」
「お見合い……楽しくない」
ふと本音が漏れ出た。直後、彼女はあっと口を押さえて、「あ、ち……ちが」と何かを伝えようとしたが、僕はただ笑う。それでいいからだ。
「大丈夫ですよ。それより、あの湖を見てください。綺麗でしょう」
水面がまるで鏡のようになり、あらゆる風景を映し出す湖に、彼女は思わず目を見張っていた。
少しずつ、まずは力みを解いてもらうことが、こうした機会を楽しむことに必要な気がする。
「綺麗……」
彼女からようやく、自然な声が漏れ出ていた。僕はとりあえず、この湖のことを語りながら、ぐるりと周辺を周っていく。
もうちょっとで、招きたかった場所に到着する頃だ。
「ここは元々は、誰でも利用できたところなんです。イグナシオ家が領地をいただいてからは、当主からの許可が必要になっていますが。例えば、昔はみんな小舟に乗って遊んだりしていました」
「素敵。私も乗ってみたかった」
「では、乗りましょうか」
「え?」
アリスは不思議そうに首を傾げた。僕は昔使われていた小さな船着場へと進む。ここは隠れて見えづらい場所になっているので、今回の場合ちょうど良かった。
念の為かけておいた布を取り払うと、白い小舟が姿を現す。オールが二本付いていて、前世でいうボートそのもの。
「……え、え。キース、これって」
「遠くから眺めているだけじゃ面白くない。湖も、あなたも」
まずは自分が船に乗り込み、手を伸ばす。すると無表情な人形のようだったアリスが、目に見えて慌てていた。
「でも、私……乗ったこと……なくて」
ちょっともじもじし出したので、僕は思わず苦笑した。
「大丈夫です。僕が漕ぐので、あなたは前に座っていればいいだけです。さあ」
その時、数秒ほど彼女はためらったが、やがて小さく頷く。そしてこちらに手を伸ばしつつ、同時に船に乗り込もうとした……ところで、不意に転びそうになった。
すぐに危ないと分かる動きだ。彼女は意外とドジかもしれない。作中のような器用さはまだないのだろうか。
「あっ!?」
「おっと」
僕はすぐに彼女の手を掴み、そのまま引き寄せた。あのままだったら水面に落ちてしまっただろう。
「ごめんなさい! あ、あ!」
「大丈夫です。最初はみんなそう。じゃあ、そこに座ってみて」
この時、僕の胸にアリスの顔が触れていた。彼女はどうやら赤くなっていて、すぐに言われたとおりの位置に座る。
不思議だなぁ、と思わず考えてしまう自分がいた。こんなに恥ずかしがり屋で奥手そうに見える彼女が、どうして将来あんな暴挙に走るのだろう。
ただ、この姿が仮面でないとは言いきれない。だとしたらやはり怖い悪役令嬢だし、警戒するに越したことはない。
僕はオールを操る位置に腰を下ろした。彼女と向かい合う形になり、そのまま船を漕ぎ始める。
「す、凄い。こんなに速いの?」
「ええ。とはいえ、まだまだ普通の速度ですよ。もっと飛ばしてみますか」
「ううん。このままでお願い」
思わずからかってしまったが、アリスは特に気にしていないようだ。興味深げに周囲を見回している。
これは打ち合わせにない。僕が密かに進めていた、退屈しのぎのイベントだ。当然、湖の向こうにいた両家が騒いでいた。姉上だけが楽しげに手を振っている。
「もしかして、みんな怒ってる?」
「うちの親はね。でも、あなたの家は流石に違いますね。遠くからでも分かります」
僕の家は少しのことで騒ぐ。父は領民がちょっと勝手な真似をしただけで鞭で打ったことがあるし、母は自分の望みが叶わないとすぐに喚き出してしまう。
だが、流石にローゼシア家は違う。どっしりと構えているし、ちょっとした趣向に寛容な空気が出ている。
アリスはできる限り、みんなの方を見ないようにしていた。
「キース様……キースは、怒られたりしない?」
「怒られるでしょうね」
「え……」
「平気ですよ。言ったでしょう、将来は探検家ですから。箔が付くだろうし、むしろ追い出してほしいなぁ」
多分この発言は冗談に聞こえたのだろう。アリスは今までにない、自然な笑みを浮かべた。
少しして、彼女は周囲をもう一度見まわした後、上目遣いにこう囁いたのを覚えている。
「素敵」
どうやらうちの湖を、とても気に入ってくれたらしい。普通なら帰る頃合いだろう。だがイベントは、ここで終わりじゃない。
いや、終わりにするはずが予定が狂ったというのが正確なところだった。
小舟は湖をぐるりと回った後、ある場所に到着していた。




