氷の令嬢
白塗りの馬車が、王都グルガンの中心を優雅に進んでいた。
沢山の警備兵が付き従い、厳重すぎるほどに守られている。
馬車の中には一人の少女がいた。外の景色すら見えない車内は、退屈というより苦痛に満ちている。
銀色に輝く髪と、空よりも濃い青の瞳。白い肌はドレスで覆われ、少女は人形よりも人形らしい。
彼女はほとんどの時間において、自由を与えられていない。
王都有数の公爵家の娘というだけで、誰もが羨む存在だ。しかし貴族の厳格さは外目には分かりづらいものがあった。
馬車が目的の地に到着し、白地に金枠の扉が開かれる。
細くしなやかな足が地面を踏み締めた時、通りにいた民衆が感動の声を上げた。
「王都に咲き誇るどんな華よりも、かの令嬢は美しく可能性に満ちている」
ある詩人がこの時したためた詩は、なんとも平凡で捻りがなかったが、それ以上の言葉が浮かばないこともまた事実であった。
少女は護衛に囲まれながら、教会の中へと入っていく。中にはすでに父であるフランソワ・フォン・ローゼシア公爵がおり、他貴族家の面々と祈りを捧げていた。
少女もまた彼らの中に入っていき、静かに瞳を閉じる。その姿はやはり人形のよう。
しかし心は落ち着きとは真逆であり、不安に包まれていた。
(遅れてきちゃったけど、普通に参加して良かったのかな?)
内心では父や兄、姉に怒られてしまうのではないかと、ビクビクしていたのである。
遅れてしまった原因は彼女にはないのだが、理不尽な怒りを当てられることがよくあるのだ。
祈りの時間が終わると、周囲は穏やかな雰囲気に包まれていく。
この後は一家や親戚が揃って食事に行くことになるだろう。護衛を含めれば軽く百人を超える大人数だ。
「アリス。話がある」
「……はい」
しかし、ローゼシア家の現当主であるフランソワは、食事の前に彼女だけを連れて教会を出た。
どうやら秘密の話らしく、教会から少し離れたローゼシア家所有の別荘まで移動している。
(も、もしかして。お父様、遅刻したのをすっごく怒ってる?)
まさかここまでの連れ出しになるとは予想していなかった彼女は、人知れず震えていた。
父は護衛すらも別荘の外に待機させ、防音のきいた室内に招き入れた。
そして椅子に座るように命じると、自らも向かいにどっかりと腰をおろす。
(お、怒られる! 怖い!)
彼女はなかなか感情が表に出ない。
もし露骨に嫌な顔をして、相手を激高させてしまったら……そんな不安を抱き、いつしか自分を抑えるようになっていた。
「家庭教師から、近頃のお前のことを聞いているぞ。随分と覚えが早いらしいな。一般的学問だけではない、魔法についても比類なき才能を持っていると、大層評価しておったわ。鼻が高いとはこのことだ」
「……」
何と返して良いのか分からず、言葉が出ない。フランソワはいつものことだとばかりに気にしない。
「お前の評判は年を追うごとに増している。今日も教会でお前のことを聞かれたぞ。世間の連中はお前のことを何でも知りたがる。色恋沙汰などは特に」
(……え? なんの話?)
どうやら遅刻したことを説教するつもりではなさそうだ。だが、この話は一体どこに向かっているのだろうか。彼女は困惑していた。
しかしずっと黙っていたら怒られるので、とにかく謙遜をしなくてはいけないと思う。
「とんでもありません」
「ん? とにかくアリスよ、お前は今王都どころではなく、大陸中で注目を浴びている。今後の人生を決めていける頃合いだと、私は考えている。そこで一つ、提案があるのだ」
彼女は椅子に座った人形と化していた。緊張のあまり微動だにできない。
かろうじて、消え入りそうな声で「はい」と答えるのみ。
「お前は婚約者を決めるべきだ。来週まず一人目の男と会ってもらうことにしよう。まあそいつは小さい家の奴だ、練習とでも思えばいい」
「……お見合い、ですか」
頭の中が真っ白になった。まさかお見合いの話だったなんて。
しかし、本音を言えばまだ早いし、とても自分にはできそうにないと彼女は思っている。
「そうだ! 来週以降、有望な貴族の倅と順番に会ってもらう。ひととおりの男と知り合った上で、どこに嫁ぐかを決めるとしよう」
「あ……あの」
「ん? どうした」
「……上手くは、進みません」
嫌ですと言いたかったが、なんとも分かりにくい言葉になって外に出る。彼女はいつも、思ったことを上手く話せなかった。
「大丈夫だ。公爵家の連中に、下手なエスコートをする男などおらん。何も気にする必要などない。さあ話は終わりだ。お前に見合った、良き男がきっと見つかるぞ」
フランソワはイグナシオ伯爵家とのお見合いについては、初めから断るつもりでいる。
ただ娘を見合いの場で慣れさせようと利用するだけだ。
お見合いを受けてやった報酬だけを、かの家から貰うつもりでいる。
そういうことをしても構わないと、彼は本気で考えていたし、立場の強い貴族が往々にして行うことだった。
さらに彼は娘のことを誤解している。自己評価が高く、どこか冷徹さのある女子になりつつあると勘違いしていた。
しかし、こういう言葉遣いの失敗が、彼女の印象を形作ってしまったとも言える。
父は強引に娘を婚約させようとしている。しかし多くの場合、貴族というものは当主が決めたことに逆らえないのだ。娘ならば尚更。
少女は別荘から出た時、青い顔になっていた。不安のあまり倒れそうである。
(無理、無理無理無理。お見合いなんて絶対無理)
心の中に響く叫びは、誰にも聞こえない。
彼女の名前はアリス・フォン・ローゼシア。
キースとお見合いをすることになる、大陸一の公爵の娘。
そして遠くない未来、氷の悪役令嬢として恐れられるはずの少女である。




