モブ転生
「来週、お前に見合いをしてもらうことになった」
部屋に呼び出された僕、キース・ツー・イグナシオは、突然の一言に面食らってしまった。
呼び出したのは、父であるロドリゲス・ツー・イグナシオ。伯爵の爵位を持つその容姿は、薄い髪と森林のような髭が特徴的で、膨らんだ腹には黒いものが詰まっている。
「お見合い? 僕はまだ十五ですが」
「それがどうした? 貴族として早すぎるということはないぞ。隣のパンサー家の倅は十四で婚約が決まったぞ。さらに隣のランス家は十三で式を挙げておる」
「急すぎて実感が湧きませんね。ところで相手は誰です?」
当然の質問を投げかけたが、なぜか父は面倒くさそうにこちらを睨んだ。何故だろう?
「ローゼシア公爵家の次女、アリスだ」
この時、僕は耳を疑った。アリス・フォン・ローゼシアという名は、僕だけではなく、同じ大陸に住む人なら誰でも知っている。
「あのアリス様が、この僕と?」
「ああ、そうだ。お前にとってこれほど素晴らしい話はあるまい。決して失敗するなよ」
どうもおかしい。この見合いをすんなり納得出来る者なんているだろうか。明らかに家柄が違いすぎる。
「確かに、この身には過ぎた幸運です。しかしなぜ名家ローゼシアのお嬢様が、このキースとお見合いしてくれるのでしょう」
父はうざったそうに首を横に振る。
「お前は理由など知らずとも良い。とにかく準備だけしていろ。俺に恥をかかせるなよ。それから婚約が確定するまで、他所に漏らすな。話は終わりだ」
「……そうですか。失礼します」
背を向けて部屋を出る時、舌打ちをする音が聞こえた。父は頑固な男で、自分が決めたことは絶対に曲げない。抗議をしても時間の無駄。
だからあっさりと身を引いたわけだが、恐らく父から執拗に、ローゼシア家に声をかけ続けていたのだろう。
イグナシオ家の子供は七人。男が五人に女が二人いるわけだが、うち三人は政略結婚をさせられ、今では遠い地方に行ってしまった。僕の婚約が決まれば四人目になる。
僕は家族の中で一番下であり、両親から見て一番いらない存在だと分かっていたが、それにしても急すぎる。父のやり方はいつも強引だと思う。
こうしたことは一度や二度ではないし、僕以外の家族も皆、父が決めたことに口を挟んだりはしない。
僕もまた反抗はしていない……今のところは。
でも、流石にあのアリスと結婚をするということになれば、反旗を翻すかもしれない。
彼女とまだ会ったことはない。でもよく知っているつもりだ。彼女の未来についても。
そんなことを考えながら、僕は一人で支度をして家を出た。
「坊ちゃん、どちらへ向かわれるのですか」
メイドの一人に遠くから声をかけられ、手を振って応える。
「湖の近くに面白い遺跡を見つけたんだ。夕方には戻るよ」
貴族は外出に馬を使うものだが、僕には必要ない。
この世界に生まれ落ちて以来、密かに磨き続けた魔法が、まだ未成熟な身に大きな行動範囲を与えている。
人気のない場所に行き、静かに瞳を閉じる。風を感じることが大事だ。やがて体から魔力を解き放つため、瞑想をしつつ瞳を開いた。
青い輝きが視界を満たしている。それはやがて新緑と同じ色に変わり、僕の体はふわりと空に浮いていく。
この動作ができるようになるまで、さほど時間はかからなかった。浮かんだ体を、望むように進ませることを想像し、魔力を放ちながら実行に移す。
やがて体は空高く飛び続け、僕は自由になる。飛行魔法と呼ばれるものの一つで、風我という名前だ。
まるで風と一つになったみたいに、空に身を任せて進むことができる。
魔法というのはなんて素晴らしいんだろう。そしてなんて奥深いことか。この尋常ならざる分野に僕はくびったけだ。
それともう一つ、この世界にある遺跡にも夢中だった。というか、世界全てが僕にとって夢そのものだ。
なぜならこの世界は、かつて前世で遊んだゲームと同じだったから。そして僕は、かつてそのゲームを愛していた。
まだ地球にいて、日本で暮らしていた頃、とにかくそれを遊んでいたんだ。
そのゲームの名前は、フリーズ・ファンタジー。
学園生活パートと冒険パートを繰り返して、どちらのパートでも成功を収めることが目的のRPGだ。
主人公は勇者見習いのような存在で、聖女や魔王といった中世風ファンタジーお馴染みの存在も多数登場する。
これだけ聞くとごく一般的なRPGだけど、このゲームはとにかく難解で刺激的だった。
行動するたびに時間を浪費し、どちらのパートであっても無駄な行動は許されない。かつ恋愛対象のキャラクターや、隠し要素も多く存在する。
初見のプレイ時は要領を得ない行動ばかりして、悲惨なバッドエンドばかり経験していたものだ。
とにかく戦う魔物も強く、レベル上げもしっかり行わなくてはならない。
まるで現実のように、やることはいっぱいあるが時間が足りなくなってしまうという、今振り返っても大変なゲームだった。そのせいか、あまり売り上げも芳しくなかった。
でも僕はフリーズ・ファンタジーを、数あるゲームの中で一番愛していた。
中学生の時に出会い、大学を卒業してサラリーマンになった後も、家に帰ればプレイすることが日常だった。
そんな毎日のことなんて、しばらくは忘れていたのに。この世界に生まれ変わって、六歳になった頃、僕は唐突に前世の記憶を取り戻した。
この世界について、いくつかの共通点と登場人物を目にしているうちに、フリーズ・ファンタジーだと思い出した。
続いて脳内に爆発が生じた。
あの時の衝撃は、言葉では到底伝えられない。記憶の濁流が巻き起こり、目の前が歪んで吐きそうになった。
しかし苦しみよりも、徐々に湧き上がる興奮が勝った。それと同時に、一体このキース・ツー・イグナシオとは誰なのか、という疑問を持つ。
僕が知る限り、フリーズ・ファンタジーの登場人物に同名のキャラクターはいなかったはずだ。
だがあのゲームには、名もなき登場人物が多数存在している。きっと僕は、その中の一人に生まれ変わったのだろうと予想した。
かつての記憶を総動員し、現在手にすることができる書斎の文献などを必死に調べた。
その結果、どうやら主人公達と同じ学園には通うことになるが、原作にはほぼ登場しないという結論に至った。いわゆるモブキャラだ。
最初はメインキャラではないことを悔しく思ったが、今では助かったと思っている。
あのゲームは難易度が高い。現実としてこなしていくのは、想像を遥かに超える苦労が伴うだろう。
そして恐らく、本当の殺し合いをしなくてはいけない。
戦闘は多少経験しているけど、ハイクラスの魔物や魔王を倒せるとは思えない。かつて穏やかな前世を過ごした男に、こなせる使命とは到底考えられなかった。
モブキャラならその心配はない。まさか戦いに駆り出されることはないだろう。この身に幸運を感じていた。
しかし、その幸運が今や崩壊しかかっている。アリスとの結婚話が浮上したことによって。
なぜなら、アリス・フォン・ローゼシアは原作において、主人公達を苦しめるとんでもない悪役令嬢だったからである。
……と、彼女のことを考えていたら、ふと目的の場所が近づいていることに気づいた。
僕は静かにその地へと降りていく。この世界にいくつも存在する、謎と刺激に満ちた遺跡の中へと。
ここからは憩いの時間だ。遺跡に潜って探し物をしながら、アリスという少女について改めて考えてみるとしよう。




