第四十五話
各自に割り当てられた個室で、直美が寛いでいると、セバスが呼びに来てくれた。
どうやらフェルマント侯爵の用意が整ったようだ。セバスの話では、侯爵と会うのは艦長の直美とセレナだけのようであった。
ふかふかの絨毯が敷き詰められた長い廊下をセバスの後に付いて歩いて行くと、重厚な木の扉が見えた。どうやら、ここで侯爵と会うようだ。
「グレゴール様、直美艦長をお連れしました」
静かで丁寧なノックの後、セバスが扉の向こうに声を掛ける。
「うむ。お通ししろ」
グリムリーパーのモニター越しで聞いた声は、セレナが無事だったことを確認できた喜びと、敵対してきたヴァルクライネ辺境伯への怒りが滲んでいたが、今は侯爵としての威厳と自信に満ちたバリトンの渋い声が扉の向こうから聞こえてくる。
セバスが扉を開けると、静かな執務室に、古い時計の振り子の音が規則正しく流れ出て来た。
壁一面の書棚には、古代史から戦術論まで、分厚い書物がぎっしりと詰め込まれている。その中央、窓際の椅子に腰掛けたフェルマント侯爵がいた。
彼は席から立ちあがると、ゆっくりと直美の前までやってきて口を開いた。
「直美艦長、この度はセレナを助けここまで連れて来てくれてありがとうございます。先ほどモニター越しでは、碌に挨拶もせずに大変失礼なことをしてしまいました。どうか、お許しを……」
彼は、そう言うと直美に深々と頭を下げた。
「あわわ、いえ、いえ。大丈夫ですから。どうか顔を上げてください」
直美が慌てていると、ソファーに座っていたセレナが横に来てくれた。
「おじい様、直美は、そんな事で怒ったりはしませんわよ。さぁ、それよりも、ちゃんと自己紹介が先よ」
「ああ、そうだったな。またまた、失礼した。私はグレゴール・リュクシアン・フェルマントと言います。ペルセウス流の西方を統治している侯爵領の当主を勤めています」
「あ、ご丁寧にありがとうございます。私は高坂直美と言います。高坂が家名で、直美が名となります。直美と呼んでください。グリムリーパーという軽巡の艦長をしています。特に職業は無いのですが、“職探し”と言うか、壊れかけの船で彷徨っている時にセレナ様の救命カプセルを拾ったので、お連れした次第です」
直美は、職業というモノを未だ決めていなかった。前々から何をしているのか、何をしたいのかが曖昧なまま、ここに至ってしまっていた。もっとも考えている余裕が無かったというのも事実であったが、こうして、誰かと挨拶するときに困ってしまう。
「ほう、職探しとな。なかなか異なることをおっしゃる。いや、直美殿は既にセレナの護衛をしてくださったでは無いですか、今となっては、この侯爵領の後継者でもあるセレナの近衛騎士という事ですからな。このままセレナの近衛騎士を勤めて頂けないですか?」
侯爵はニヤリと笑りながら言った。どうやら、直美が来るまでの間にセレナと二人で色々と状況を話し合っていたようだ。
「へ? 近衛騎士……ですか? しかもセレナは後継者ですか? あ、失礼しました。セレナ様が後継者とは、どういう意味ですか?」
「ふっふ。おじい様。だから言ったでは無いですか、直美は貴族社会には疎いので、いきなり言っても分からないと思いますよ。もう少し順を追って話さないと。それに直美、ここでは、様は要らないわよ。今まで通り、呼び捨てで構いませんわ。今更、他人行儀で変の感じがしますわ」
「フハッハ。そうだな。まずは、セレナの立ち位置じゃが――」
フェルマント侯爵は直美をソファーに誘導して座らせると、セバスを呼んでお茶と菓子を用意させた。そして現在の侯爵家の立場と合わせてセレナの立場について、ゆっくりと直美に説明していった。
「なるほどね。元々の予定ではセレナの弟を貰い受けてフェルマント侯爵家の後継者にする予定だったけど、ヴァルディス帝国の事変で、その弟も亡くなって、残された身内はセレナだけとなっていると……侯爵閣下にとって、ノイ=ヴァルド皇帝は、主君の仇であり、娘の仇であり、後継者の予定だった孫たちの仇という事ですね」
「うむ。そう言うことだな。ところで、ワシの事を閣下と呼ばんでくれ。直美殿はセレナの友人で命の恩人だ。ワシの事はグレゴールかフェルマントで呼んでくれんか? おじい様でも良いがな」
侯爵は、最後は少しおどけるように言った。娘の事や孫たちの事で、話が暗くなりそうだったので、あえて、おどけてくれたのだろうと直美は思った。直美としても、侯爵閣下というのは呼びにくく感じていたので、素直にお言葉に甘えることにした。
「えっと、それでは、フェルマントさんと呼んでもよろしいですか? あ、私の事は呼び捨てにしてください。この若さで殿は何だか背中がムズムズしますよ」
「うむ。お互い、その方が良いな。それでは、直美と呼ばせてもらうとしよう」
「はい。それでお願いします。それで、私は事変の事が分かっていないのです。セレナは十年も救命カプセルで宇宙区間を漂っていたので詳しくは聞いていないのです。当時、何があったのか教えてもらえますか?」
直美は、今回の事件の裏で何が起きたのか、聞いておきたいと思った。そのうえで、先ほど侯爵から話の出た近衛騎士なるモノについて考えたいのだ。
「ふむ、そうだな……セレナ。これからは、お前にとって酷なものになるが、どうしても話しておかねばならんな」
侯爵がそう言うと、セレナは一瞬、姿勢を正した。
侯爵の声音は、先ほどまでの穏やかな響きとは違っていた。鋼のように硬く、同時に深く沈んだ色を帯びている。まるで、その言葉の奥に長年閉じ込めてきた何かを解き放とうとしているかのようだった。
「お前の母上……ラフィーネと……お前の兄姉を、ワシは救えなかった」
セレナは静かに侯爵を見つめた。侯爵は視線を逸らすことなく、まっすぐに彼女を見据えている。その眼差しは苦渋に満ち、だが揺らぎはなかった。
「当時、ワシはペルセウス流の端にあるル・アバツアという小さなコロニーに向かっていた。お前も名前くらいは聞いたことがあるだろう。昔から気性の荒い連中が多く、複数の権力者が勢力争いを続けている場所だ。些細なきっかけで流血沙汰になる……そんな土地柄だ」
セレナは小さく頷く。侯爵は続けた。
「ゴルディア・セントラルから見れば、銀河の中心を挟んで反対側……距離にして、長距離ワープを駆使しても片道十七日。そこで大規模な暴動が発生したとの報が入った。しかも、ル・アバツアを含む宙域全体で通信が途絶していた。治安維持艦隊を派遣するにも、現地の状況が一切分からぬままだ」
侯爵は執務用の机の端に置かれた古い戦術マップ持って来て、ソファーの前に置かれたテーブルに広げた。
そこにはペルセウス流の外縁に位置するル・アバツアと、その周囲の宙域が示されている。事件当時の地図なのだろうか、点線で通信不能区域と示され要る部分が広がっていた。
「本来なら皇家の直轄地だ。だが、ペルセウス流という立地のせいで、中央の手が回らん。だからこそ、以前から皇家はたびたび我がフェルマント侯爵家に問題解決を依頼してきた。この度もワシは銀翼艦隊を率い、暴動鎮圧のため出撃した」
そこまで言うと、侯爵は一瞬、言葉を切った。
瞳の奥に、記憶を辿る色が宿る。
「……だがな、今にして思えば、あれはすべて仕組まれていた。暴動は見せかけにすぎん」
直美の胸が、ざわめく。侯爵は低く続ける。
「現地に到着すると、暴動は確かに起きていた。だが、不自然だった。衝突していたはずの二つの勢力が、ワシらが到着した途端に手を組み、こちらに兵力を向けた。通信障害の原因とされた中継衛星の故障も、調べれば爆破痕があった。その時は、どちらかの勢力が中央の介入を失するためにやたと思って居たが、おそらく、ワシらの動きを封じるために仕組まれた障害だったのかもしれん」
侯爵は拳を握りしめ関節が白く浮かび上がる。
「我々がル・アバツアで足止めを食らっていたその時だ……帝都でテロが勃発した。お前の父上の艦隊が視察先で襲われ、母上と兄姉は宮殿ごと包囲された」
横で、セレナが息を呑んだ。侯爵の声はさらに低くなる。
「報が届いたのは三日後だった。しかも、全てが終わった後だ。ル・アバツア宙域から帝都までは、最短ルートでも五日かかる。どんなに急いでも、間に合うはずがなかった」
彼は椅子から立ち上がり、窓の外に目を向けた。遠く、星々がきらめいている。その光景を見つめながら、侯爵は言葉を絞り出す。
「ワシは嵌められたのだ。誰が仕組んだかは、先ほどセレナから話を聞いて明白になった。セレナの伯父――グランツ・ノイ=ヴァルドと、その取り巻きどもだ。ワシを帝都から遠ざけるため、ル・アバツアで暴動を起こさせたのだ。そのうえで、帝都で起きたテロ事件の実行者どもは、奴らの艦隊ごと始末されていた。生きて捕らえられた者はいない」
「そうですか……セレナから、戦艦セレスティアルが襲撃された時の話は聞いたのですね」
「ああ、セレナが持っていたペンダントも預かって解析しているが、奴らが首謀者で間違いないだろう」
侯爵は一旦話を区切って、視線を直美からセレナへと移した。
「奴らとしては、セレナが何か知っているかどうかも重要だが、それ以前に、帝国の正当な後継者であるセレナ皇女が生きていては困るのだ。何としても秘密裏に口を封じたいところだろう」
侯爵の言葉を聞いて、セレナがゆっくりと頷く。彼女も自分の存在が如何に現在のノイ=ヴァルド銀河帝国にとって邪魔な存在となっているか理解している。
「だが、これ以上奴らの好きにはさせん。ワシはセレナを擁護して奴らと戦う。可愛い孫を易々と渡してなるものか」
侯爵の目には強い光が、その強い意志と共に爛々と光り輝いていた。




