夕焼けのはじまり
「碧頑張れーー!!」
私は別荘近くの高台で声を張り上げた。
淡浜フェス二日目。今日は碧がトライアスロンのデモンストレーションをする。
トライアスロンの基本はショートと呼ばれるもので、スイム1.5km、バイク40km、ラン10km……これがオリンピックなどで行われる基本の長さ。
でもこれは普通に大人がしても3時間コースで、学生がすると5時間以上かかる。
今日は本当にデモンストレーションなのでスイム200m(それでも海だとすっっっごく大変)、バイク15キロ、ラン5キロの変則的なものだ。
スプリント以下の大会はほとんど開かれてなくて、日本でトライアスロンをしている学生が全国から集まってくるのだと碧は目をランランとさせていた。
スタートの合図が鳴り響き、淡浜沖に停められた船から選手たちが海に飛び込んでいく。
「碧ー! がんばれー!」
こんな所から大声を出しても届かないと分かってるけど、我慢できない、がんばれー!
「碧ちゃん、がんばれーー!」
私の横で明日海さんが叫んで飛ぶ。
淡浜フェスのメインモニターに泳いでいる選手たちが写っていて、オリンピックの実況もした方が説明をしてくれている。
実際淡浜は内海なので波が高くなくて、本当にトライアスロンに向いている環境らしい。
でも私は知っている……そういうことじゃない……。
明日海さんは海を見ながら、
「え。全然進んでない。ずっとあそこにいるの?」
「進まないんじゃなくて風待ちです。風に背中を押して貰わないと進まないんです」
「え~~~?! それまでずっとあそこで泳いで待つってこと?」
「そうなんですよ。それがすっっごく大変そうで。しかも海の真ん中あたりって、水がメチャクチャ冷たいんです……」
「やばぁ……。よく考えたら青島と淡浜の間とか泳いだことないわ。怖そう」
「あそこで水深20mだそうです」
「怖い怖い。碧ちゃん頑張れーーー!」
明日海さんは声を張り上げた。
明日海さんは配達業務をしていることも多く、淡浜で練習している碧に声を何度もかけてくれている。
でも今はお店のお仕事が忙しいはずでは……と思ってそう聞くと、明日海さんは大きなため息をついて、
「……田見ちゃんに愚痴っちゃおうかなあ……。お姉ちゃんバリクソ元気で。あんなに元気なら真広さんのヘルプ必要なかったんじゃないかなって思うくらい元気で。産後二ヶ月で、まだ派手に動かないほうが良いのに、もう仕事しまくり。それで真広さんとすんごく楽しそうにふたりでイチャイチャ……イチャイチャじゃないですよねえ? ええ、分かってますよ、別の人と夫婦だもん。あの距離感がふたりの普通なんですよね。でも見るの、きっつ……店に居たくなくて草。せっかく真広さんが店にいるのに、居場所なくて悲しくなっちゃう。昼終わったら真広さん病院の屋上に戻るから、それまで行きたくない。あのふたりを見たくない」
「見たくないものを見なきゃいけないのは、いやですね」
そういうと明日海さんは私の腕にスリ……と触れて、
「もう結婚してる実の姉に~~って言われそうで言えなかったけど、田見ちゃんなら大丈夫って思った。どーしても無理、あれヤダ」
私は明日海さんの手を握って、
「どれだけ曲を褒められても、自分を嫌いだった時は、そんな言葉さえ嫌がらせに聞こえました。嘘だろって、誰にでも言ってんだろって」
「あははは! ひねくれてる」
「それは私がずっとそう思って生きてきたからで……明日海さんはずっとふたりを見てきたんだから、結婚してても、してなくても、いやなのかなって」
「……田見ちゃんやさし」
「明日海さんのが優しいです! 碧の所に丸太ベーカリーのパン持ってきてくれるって聞きました」
「あそこのパンすっごく美味しいけど、遠いから差し入れ! あっ、動き出したよ」
話している間に風向きが変わったのか、みんなが一斉に泳ぎ出す。
スイムして淡浜に到着後、停めてある自転車にすぐに乗り込んで淡浜グラウンドホテルまで走る。
明日海さんは画面を見ながら、
「坂道いやああああ!!」
「全部坂道ですね。その後淡浜動物園まで行きます」
「嘘でしょ? 山越えるけど?」
「そこから道の駅まで」
「すっっごい遠いよ?!」
「道の駅から、ここまで走って戻ってくるルートみたいです」
「淡浜全部紹介しつつ、トライアスロンの大会誘致も狙ってるってこと? やばあ~~~」
明日海さんは拍手した。
トライアスロンにしてはバイクが長すぎるのは、自転車で走っている後ろに車が着いて淡浜の観光施設を紹介するためだ。
そこで音楽のスタンプラリーの曲を流しても良いか? と渋谷さんに聞かれたので、
「あっ、明日海さん、流れてますっ!」
「おおおお~~。流れてる流れてる。すごい、なんかそれっぽい」
「オフボーカルを渡したんです。それっぽいかなって」
「ぽいぽい。うわああ自転車はやっ!! もう道の駅ってマジで? あ、お母さんだ」
「わ、ちゃんとお店の紹介もしてくれてますね。すごいー」
「え……ここから身体で走るの? マジで?」
「チャンスがひとつじゃない所がトライアスロンの良い所だと碧は言ってました」
「へ?」
私はモニターを見ながら、
「碧はスイムは得意なんですけど、自転車は苦手で順位を下げるんです。でも最後のランがある。ランは自信があって……あっ、抜きましたね。今抜いた子は同じ年代の子でいつも大会で競ってる子なんです。何か苦手でも、何かカバーできる、それが可能なのがトライアスロンで、そこが好きなんだって言ってました」
「……なるほど。お姉ちゃんのが可愛いけど、私のが料理が上手いみたいな?」
「雪見さんより明日海さんのほうが、まっすぐに気持ちを伝えられる強さもあると思いますっ……!」
「……そうだよねえ。あのふたりは一回もお互いに告白してないんだって。そんなのもったいないよね、よし、告白してくるっ……!」
そう言って明日海さんは走って店に戻って行った。
まっすぐで強い気持ち、すごくすごくカッコイイって、いつも思ってる。
モニターを見ていると、碧が目標としていたタイムよりかなり早めにゴールしているのが分かった。
碧エライ~~~! 私は飛び跳ねて拍手した。
「え。田見さん、舞台裏に行かないの?」
「私はただ曲を作った人で、ライブで歌う人でも何でもないので……」
「でもすごく関係者なのに」
「実は配線している所をお手伝いしたんですけど、会場で一番良く聞こえるようにスピーカーが調整されてるので席で聞きたいんです」
「へええ~~。いや、このスピーカーすごいよね」
そう言って優真さんは笑った。
淡浜ライブ開始二時間前になった。
会場にはどんどん人が集まってきて、もう私のテンションはマックスだ。
ライブということで皆さん首にタオルを巻いたり、Tシャツがお揃いだったり、素敵すぎる。
私は碧のトライアスロンが終わってから、ライブの物販をひたすら手伝っている。
たくさんの人たちがライブグッズを買ってくれて、すごいっ……!
淡浜フェスという文字が入ったタオルに、Tシャツに、手首に巻くライト、そして飲んだビールを入れる網のネット。
え? と思ったけれど、チケットと引き換えにもうビールが貰えるのだ。明日海さんがデザインしたビールの瓶!
記念になるように渡されたビールには巨大なスタンプをその場で押す。日付が入った特注品だ。
そのビールをもう入場した人たちはグビグビ飲んでいる。すごい……! チケットにはビールが2本受け取れるチケットが付いていて、ライブ中に引き換えることができる。
ライブ会場の後ろには20を超える地ビールの店が集まっていて、その中から好きに交換できる。
もちろん購入も可能で、フードもたくさん売っている。
「優真~~~田見さん~~もう疲れた~~~」
「有坂。焦げたな」
「まっっじでキツい。米重たいんだって! そもそもビールと稲荷って合うのか? と思うじゃん。これがすげー売れるんだよなあ……あっ、ひとつ500円です」
肩から紐をつけていなり寿司を売って移動している有坂さんが来た。
もう暇な時間はすべていなり寿司の販売移動、そして売り切れたら店に取りに行く……を繰り返してるみたいで、肌が真っ黒に焼けている。
私たちは腕に地元高校生である腕章を付けているので、すぐに質問される。
「あのすいません、このたこ焼きはどこで売ってるんですか?」
「あっ……はいっ、これは会場を出ないと買えない店にあって、リングを付けていたら出入り自由ですっ!」
「ありがとうー!」
「ねえこの18番のビールって限定かな?」
「あっ……えっと、はい……会場限定品ですっ……!」
「ありがとうー!」
仕事をしていると延々と知らない人に話しかけられる。
私、最初はこの腕章を付けるのが怖かった。
これを付けてるってことは、色んな人に話しかけられるということだ。
でもそんなことに怯えてる暇もないくらい次から次に話しかけられてお店の場所や情報を聞かれる。
淡浜フェスのアプリで検索すれば、ほとんどの事が出てくるので、安心して教えられるのも楽だ。
慌ただしく作業していたら、会場にドラムの音がタン、タン……と響き始めて、お客さんたちが立ち上がって拍手をした。
ライブが始まる。
お昼から夕方が始まり、ゆっくりと海がオレンジ色の染まっていく空に、お父さんが叩くドラムの音が広がる。
すごく気持ちが良い。会場の拍手がそれに合わせて広がって、ひとつの大きな音になっていく。
ビールの空き瓶をピュウピュウ吹く音が響き、会場に期待がたくさん集まってくるのが分かる。
どんどんドラムを叩く音が速くなり、そのままギターが入ってくる。バラバラに始まったのにひとつの音楽になっていく。
会場外にいた人たちも戻ってきて拍手をする。
みんな笑顔ですっごく楽しそう!
そこにONEさんの長くて美しい声が響き、それをサポートするようにピアノの音が響く。
「わあ……」
会場にいた人たちが一気に音楽に集中したので、お客が減り、私も一番うしろ……それでいて特等席、巨大スピーカーの前にチョコンと座った。
私の横に優真さんが来て「食べる?」といなり寿司とイカ焼きを見せてくれた。
気がついたらお腹がぺこぺこで、お昼から何も食べてなかったことを思い出してそれをいただくことにした。
食べたいなり寿司は中に紅ショウガと甘い油揚げが入っていて……、
「すっごく美味しいです」
「田見さん、口の周りに米粒ついてる」
優真さんは横からお茶を出して笑った。
歓声が夕焼けに飲まれて風が音を空に運ぶ。
ライブがはじまった。




