音を含んだ雲と空に
「よし、朝だ」
私はむくりと起きてカーテンを開けた。
予報通り晴れ。最高気温31度の真夏日だ。
スマホで天気予報を見ても一日晴れ。よっしゃーー!
私は布団から出て背伸びした。今日は淡浜でONEさんのライブが行われる。
ずっとこの日を楽しみにしていた。二日前からONEさん、浮遊0さん、カルマさんは淡浜のホテルに泊まっていて、ライブ会場で調整をしていた。優真さんの話を聞くかぎり、浮遊0さんはずっと釣りをしてたみたいだけど。
でも青島の釣り……わかる……半日で良い……やってみたい……。
部屋から出ると、もうお父さんは家から出る所だった。
初日みたいに変なアロハシャツじゃなくて、上下真っ黒な作業服だ。
「おはよう、お父さん。早いね」
「おはよう、笑衣子。本番だねー! 15時には来られるか?」
「うん、もっと早く行く。会場の準備も仕事だし」
「本番の時、浮遊0さんがバックに来ても良いって言ってたけど」
「お客さんとして音楽聞きたいかも」
「了解。とりあえず現場で」
そう言ってお父さんは家から出て行った。
昨日私は朝から青島に椅子を運んでいたけど、淡浜にはずっと音が流れていた。
音は風に乗って響くんだな……って、船の上でずっと思っていた。
船で移動している時、ONEさんの曲が流れてきていた。それは私が一番好きな曲で心地よくそれを聞いていたんだけど、風向きが変わった瞬間に何も聞こえなくなった。音は風が運んでいるのだ。目の前で歌っていても、そこには風があって、だから伝わるのだと青島で思った。
昨日晩ご飯を食べながらそれを言ったら、お父さんは「だから野外フェスの音響は面白いんだ」と微笑んだ。
スタジオやホールはすべて計算し尽くされた状態で音を鳴らすけど、野外はそうじゃない。
その日の気温、風の強さ、お父さんは曇りだと音が籠もると言っていた。
きっと雲に音が包まれて丸くなるんだ。それはちょっと可愛い。
その音を包んだ雲は、青空の下どこにいくんだろう。
その先で雨になった音を降らせていると良い。
世界で降っている雨は、どこかで音楽を吸ってきたのかもしれない。
「お姉ちゃんおっはよー! 今日夕方にはライブ見に行くから!」
「碧、家からその服装でいくの? 完璧だ」
「超楽しみにしてたから! 勧誘するよ、勧誘! じゃあ行ってきます!」
碧はトライアスロン用の水着を着て、上にジャージを羽織って家から出て行った。
今日は碧が所属するトライアスロンチームに、四国チームが合流する。
そしてこの淡浜フェスで、デモンストレーション的にミニトライアスロンを開催するのだ。
なんと青島付近の海から淡浜まで泳ぎ、その後自転車で淡浜周辺を走り、ランまでする。
それはライブカメラでずっと淡浜ライブの会場にも中継される。
四国のトップの、いつも大会で戦っている子も来るので、碧は気合いが入っている。
実際淡浜が本気を出して青島を観光地にしたいと思っている理由のひとつにトライアスロンがあるみたいで、あの島を練習の拠点にして、トライアスロンの有名チームを誘致したい……という考えもあるとコーチから聞いた。
四国にも練習する海はあるけど、砂浜がある所が少なく、砂浜があっても島がない。
でも淡浜なら全て揃っていて、世界大会を開ける基準を満たしているのだと言う。
そうなったらすっごく楽しそう。
「おはよう、笑衣子」
「お母さん。おはよう」
「天気良さそうで良かったわね。ライブ楽しみ~~」
「お母さんONEさん聞いてたもんね」
「そう好きで! お母さんがお父さんに淡浜に呼べないのかしら~って東京に居た時に言ったのよ」
「え、そうだったんだ。自分の手柄風に話してたよ」
「あははは! いいのよ、お父さん仕事してるとき最高にカッコイイんだから。それを見てるのがお母さん楽しくて」
「うーん、確かに音楽してる時だけ人間っぽい」
笑衣子ひどい! とお母さんは笑いながら朝ご飯を作ってくれた。
そして朝ご飯を食べる私を見ながら、
「……淡浜に来て良かったわね。笑衣子の顔が変わった気がする」
私はなんだか恥ずかしくなってほっぺを引っ張りながら、
「太った……」
「海鮮も山の物も美味しいから仕方ないわね。はい、これ昨日もらったイカの塩辛。すっごく美味しいの」
「……うわ……すごい、味が濃くて美味しい~。えー、ご飯お替わり!」
私は朝からお母さんが出してくれた塩辛でご飯をもぐもぐ食べた。
そして日焼け止めを塗って淡浜に向かう。
淡浜はもう今日の夕方から始まるフェスの準備でたくさんの人が集まっている。
舞台からもうONEさんの声が聞こえてくる。わああ……準備のお仕事はもっと先だけど、近くで聞きたい!
私は秘蔵のスタッフタグを首からぶら下げてウロウロと中に入っていく。
すっごく大きなスピーカー……私の身長くらいある! がゴロゴロ持ち込まれていて、スタッフの人たちがそれを運んでいる。
そして舞台裏から無限のケーブルが伸びていて、現場の監督みたいな人が舞台上で指示を出している。
わあああ……フェスの準備見るのはじめて!
私が目を輝かせていたら、その監督さんみたいな人が、
「そこのバイトさん、ケーブル持って奥まで行ける?」
「はいっ?! あっ、ケーブル、これを! はいっ」
「あれ、変わった声だね。演者?」
「えっとバイトではないですが淡浜の音楽の人です!」
音楽の人? 自分で言いながら、この返しで合ってるのだろうかと思う。
でもこの場所にいるなら、なんでも手伝うのが流儀だろうと思った。
監督は「これ奥」と私にケーブルの束を渡した。
おおお……! 私はそれを椅子の裏を移動しながら這わせていく。
なんとケーブルを砂に埋めるのだ。スタッフの人たちが穴掘りに苦労していたので、私は交代した。
淡浜の砂はサラサラしていて、一気に硬い層まで持っていかないと、延々と砂が落ちてきて進まない。
慣れた私がザクッとスコップを入れると、砂が落ちて来なくてスタッフの人が「すげえええ」と拍手してくれた。
生かされた陰キャな趣味……! 私、穴掘るのだけは自信あります……!
楽しくなってしまって、延々と会場の穴を掘りつつケーブルを埋めて移動する。
ケーブル自体は断線しないようにテープで巻かれていて、それが何十本もあるんだからとんでもない作業量だ。
しかも今日淡浜に来てこの作業をして、明日は違う砂浜で作業するのだとスタッフさんは話していた。
すごーい!
巨大スピーカーの裏には海みたいにケーブルが来ていて、それをスタッフさんが配置していく。
どうやら繋がったみたいで、それが監督さんに伝えられると、舞台の上でONEさんが手を上げた。
そしてONEさんがゆっくりと手を動かして、ブン……とギターを鳴らした。
その瞬間、身体が響いた。
身体の中の水が、全部が、脳みその先から、足の爪まで、全部震えた。
音が身体を突き抜けて、今私を支配した。
「……すごい」
動けなくなって、私の身長より大きなスピーカーの前に座り込んだ。
ONEさんがギターを鳴らして音楽を弾き始めた。後ろのスピーカーから巨大な音が私を殴る。比喩でも何でも無い。
私は本当に音に殴られて、それを顔から浴びる。
まるでプールで泳いだあと、塩素を身体から落とすために最大力のシャワーを浴びているような感覚。
音を顔から浴びるのが気持ち良くて動けない。
「おい、スピーカーの前で座り込んでいる砂だらけの女、田見笑衣子。舞台裏に来て」
「ひゃいっ?!?!」
巨大スピーカーの前に座り込んでONEさんの音を満喫していたら、突然フルネームを呼ばれて叫んだ。
舞台を見ると、舞台上に浮遊0さんがいた。横にはカルマさんが立っていて爆笑している。
あっ……違うんです……ご挨拶に向かおうと思っていたんですけど、穴掘りの仕事が楽しくて、音が素敵で。
私は身体に付いた砂を払いながら舞台裏に向かって走った。
「はじめまして、ONEです」
「はっ……はじめまして田見笑衣子ですっ……! ONEさんの曲で一番好きなのは『ダークチョコとラズベリー』ですっ……!」
「おお……マニアックな曲だ」
「お邪魔かと思いますが、よろしくお願いしますっ……!」
「えー、本当だ。楓がいう通り声が面白い、すごいな、ね、普通に話して。絶対にバカにしないから」
「あっ……えっと……はい。ONEさんの曲の深層のスケールのピアノがすごく好きで。何度も練習しました。あそこだけ完璧に弾けるようになりましたっ!」
「おおー。良い声だね。本当に良い。俺は好きだな」
そう言ってONEさんは目を細めた。
うわあああ……。子どもの頃から聞いていた方に「好き」とか言われちゃって、もうどうしよう。
私は次の言葉が出てこなくて自分の唇を両方の指でモニモニと揉んだ。
ONEさんは、
「スタンプラリーの曲、好きにさせてもらっちゃったけど、大丈夫だったかな」
「あの、すごく素敵なギターとドラム、ありがとうございました」
「ドラムは君のお父さんが入れたんだけどねー。あははは、素敵だった? あ、後方腕組み偉そうドヤ顔お父さんになってるよ」
「えっ……あ、ギターだけ良かったです!」
「娘だ~。これがリアル娘だ~。楽しんでいってね」
そう言ってONEさんは舞台に戻っていった。
その奥で腕組みしたお父さんがドラムスティックを持ってドヤっている。
……なんだお父さんか。あの曲お父さんも作業してたんだ、素で褒めちゃった、ちぇ。
昔はもっとお父さんのことを素直に褒めていた気がするけど、音楽をやればやるほど素直に褒められなくなっていく。
なんだかムカつく……よくわかんない……。私はむー……とした表情で舞台上でドラムを叩いているお父さんを見た。
「なにその顔笑う」
「浮遊0さん! おつかれさまです」
「あれ? ドラムはお父さんだって言わなかったっけ。ONEの曲の半分くらいお父さん叩いてるはず」
「そうなんですかぁ……」
「その顔! どうしてひょっとこみたいになっちゃうの?」
「わかりません」
私がむくれながら舞台を見ていると、奥のほうにカルマさんが見えた。
赤いチェックスカートは右側がロング丈で、左側がミニスカート。たくさんのスカートが重なってフリルのようで、動くたびにふわふわと揺れている。
上のTシャツには恐竜の絵が描かれていて、銀色の歯はリアルなパーツが盛り上がって付いている。
首にはチョーカーと十字架のチョーカー、頭にはすっごく大きなピンクのリボン……!
私の視線に気がついてカルマさんが来た。
「やっほー、加音ちゃん」
「か、可愛いっ……、服装すっごく可愛いですっ……!」
「ライブは気合い入るよね」
そう言ってカルマさんは笑った。
すると大きなリボンはふわりと揺れて、それにメイクは顔がキラキラしてて、口紅は真っ赤で、可愛い……!
私はこれからも作業作業の連続なので、TシャツにGパンというシンプル極まりない服装だ。
私を見たカルマさんはチョイチョイと私を椅子に座らせて、いつも通りのツインテールにカルマさんと同じチェックのリボン、そして首にチョーカーを付けてくれた。
そして私をのぞき込んで、
「うん、加音ちゃんに似合う! 私とお揃い! 今日これがしたくて作ってきたの」
「ええっ、これ手作りですか?!」
「そう、趣味でね。欲しい小物はわりと作る。うん、良い感じ」
「あ、ありがとうございます!」
私は頭を下げた。
カルマさんとお揃いっ……!
嬉しくて首元のチョーカーに触って、リボンを調整する。
え、可愛い、嬉しい。カルマさんとお揃いのリボン。これが取れて紛失したら死にたい。細いゴム家から持って来て固定するっ……!
触れていたら浮遊0さんが来て、
「ねえ、スタンプラリーの曲ってタイトルあるの? わりと聞かれて困ってるんだけど」
「あっ、全然考えてなかったです……いつもタイトルは適当に最後につけます。私が考えたほうが良いですか……?」
「なんか、この曲は笑衣子ちゃんが決めたほうが良くない?」
そう浮遊0さんが笑った瞬間に再びリハが始まり、すぐ横のスピーカーから大きな音が響く。
私の身体にまだ付いていた砂が振動でパララ……と落ちてリボンが揺れた。
私は顔を上げて、
「『真夜中のダイナソー』でどうでしょうか」
「あははは、カルマが恐竜の服着てるから?! 面白いから良いけど」
そう言って浮遊0さんは笑い、それをONEさんに伝えた。
ONEさんはケラケラと笑い同意という感じでギターをかき鳴らした。
タイトルと言われて、ずっと真夜中に歩いて曲を作っていたこと、そしてまるで恐竜のように私の心に訪れた日々をタイトルにしたいって思った。
きっと私も真夜中のダイナソー。
音が私の身体を貫く。




