その時を決めるのは、
「笑衣子、この辺り……夏休み入ってすぐ辺り、スタジオ一週間使うから」
「え。ヤダ」
「ヤダじゃない、あそこ父さんのスタジオだぞ、古い知り合いに頼まれたんだよ! 断れないから!」
家で朝ご飯を食べていたら、お父さんが突然夏休み頃、スタジオを使うと言ってきた。
え、ヤダ。
あそこはずっとお父さんがこっちに単身赴任で居た時に住んでいた所だ。一階はスタジオ、二階は簡単な居住スペースになっている。
最初きた時は埃っぽくて、布団も臭くて、トイレも悪臭がしていた。それを全部私がせっせと掃除して、布団も絨毯もカーテンも全部捨てて、トイレも毎日掃除して、人が住める空間にしたのだ。
私はご飯をもくもくと食べながら、
「私がキレイにしたんだから、私の場所なの! それにあそこが無いと曲作れないもん」
「そんなことないだろ、部屋には前笑衣子が使ってたものが一式あるんだから、結局最終MIXこっちでしてるだろ。プラグイン共通じゃないし、あっちソフト古いし」
その通りすぎて唇を尖らせる。
私はもともと部屋で作曲をしていたので、全ての環境が部屋にある。
最新のプラグインは自室のPCに入っているし、寝る直前まで作業できるのもあって自室で作業する事も多い。
お父さんのスタジオは録音に特化してて、機材は全然使ってないけど「あ!」と思ったらピアノが弾けてギターもあって楽しいもん!
なにより、
「清乃ちゃんとか、蜂谷さんとか、明日海さんとか、集まれる場所だもん。そう使って良いってお父さんが言ったんだもん!」
「もちろんそう使って貰えて嬉しいよ。だから一週間だけ。古い知り合いに頼まれてさ。そいつ今会社で偉くなってるんだよなー。いやー出世、出世。笑衣子もお父さんに出世してほしいだろ?」
「あのスタジオ私のなの」
「笑衣子ーー! 話を聞けーー!!」
お父さんは朝から大声を上げて、時間がないからって飛び出して行った。
夏休み中だからこそ、あのスタジオに皆で集まれると思ったのに……。
でもこうなると無理っぽいなあ……とむくれる。
実はお父さんはわりと有名な作曲家&ミキサーで、作ってる曲は素敵だ。
主に昔ながらのバンドソングで、シンプルにギターにベースにドラムとアカペラの歌声。
子どものころに連れて行ってもらったライブハウスは楽しかった記憶が濃い。
だから本当は「はい」って言うべきなんだけど。ちぇ。
私は朝ご飯のお茶碗を片付けて、スタジオに向かうことにした。
今日は日曜日で、一日作業できるし、夕方にはバイト終わりのみんなが来てくれるみたいで、楽しみ。
「お姉ちゃんスタジオ行くの? 自転車に荷物乗せてー! 淡浜まで走りたい気持ち」
玄関で靴を履いていたら妹の碧が来た。
碧は上下スポーツウエアで巨大なリュックを持っている。
トライアスロンをしている碧も、日曜日は朝から夕方までひたすら練習だ。
私は「いいよ」と頷いて、
「今日はスイム? 昨日雨だったから波高そう」
運動系は全部好きで、特に泳ぐのは私も好きだったから、最初は碧と一緒にシースイムのトレーニングに入ってみた。
その日は風が強くて波が高くて大変だった。そこに進行方向を奪われるのはさすがに怖い。
碧は私の自転車に大きな荷物をドンと入れて、
「すっごく泳いだーと思って位置みたら、1mも進んでなかったりするんだよ」
「えー、それはすごいね」
「前に進まないのはしんどいんだけど、ずーーっとそこに居たらね、突然波が変わって背中を押してくれたりするんだよ、一気に数秒で入れ替わるの」
「おーー。それは面白そう。波が押してくれると泳ぐの楽しいの分かる」
「でしょう? 向かい風の間に体力なるべく温存、追い風の瞬間を掴め。そこが勝負のポイントなんだ」
碧は笑いながら海に向かって坂を下った。
私も碧も海が好きで、体力を使う遊びも好きなので、ここに引っ越してきて本当に毎日楽しい。
私はスタジオへ。碧は練習するため淡浜横にある教室へ向かう。
スタジオに入ってパソコンを立ち上げて、部屋の空気を入れ替える。
夕方にみんなが来るから、ソファーにかけてある布と、ラグを外に干そうと決めて軽く掃除をする。
立ち上がったパソコンから今編曲しているカルマさんの曲のリズム部分だけかける。
RMIXするためにこの曲を無限に聴いてきた。だからリズム部分だけ聞くことで、上の曲が自動的に頭に流れる。
それを自分流にするために、ただひたすら聞いてスタジオの地味な掃除を続ける。
これが一番効率が良い。スタジオもキレイになって、私は歌いながらポエムを載せていく。
声に出して見ると「この言葉じゃないほうがいい」「もっと入れたほうがいい」「長すぎる」が分かる。
「……ふっとんでふっとばして塞ぎ込んで……のが上手にはまりそう」
私は掃除しながら思いついた言葉を吹き込んで入れていく。
パソコンにデータを入れていたら、メールが届いているのに気がついた。
それはカルマさんからだった。おう……。実は『作業はどう? 楽しみにしてるんだけど』とDMが来てたんだけど『まだです』とだけ返していた。
何度もDMが来るので、SNSにログインを止めていたら、ついにメールが……。うぬう……。
それを開いて私は叫んだ。
「淡浜のイベントにカルマさんが! ……というか、ONEさんと知り合いなんだ……」
淡浜で夏に行われるイベントに、二十年くらい前に有名だった歌手……ONEさんがライブをする……とは蜂谷さんから聞いていた。蜂谷さんは「全然知らない人」って言ってたけど、私は結構ONEさんを知っていて「おおーー、聞きに行こう……」と思っていた。
喉を痛めたらしく、今は二年に一度くらいしか曲を出してないけど、コード進行がキレイで私は好き。
ONEさんとカルマさんは知り合いみたいで「淡浜のイベントに誘われたから、別名で出るけど会いたいな! 加音ちゃん淡浜に近い高校じゃない?」と言っている。
「……そっか……春岡高校アニメ研究部∞で出てるから、高校がバレてるのか……!」
私は呟いた。
ネイロ組に高校名が入っている状態で参加してるから……。
私はメール画面を閉じて、
「えーーー。そうかあーー。そっかあ……よく考えたらそうだよなあー……」
でもなんかそういうのって、メルカルで知った住所だけど無視するみたいな、現代のルール的みたいな所だと思っていた。
わりとネットで「ここで活動してる」みたいのが知れても、そこに凸するのはマナー違反……みたいなものかなって。
こうライブ終わりに飲み会があって、どこのお店か分かるけど近づかない……みたいな……。
椅子から立ち上がろうとして、また一瞬で椅子に座った。
まさかここで無視したら学校に凸してくる?! それだけは勘弁してくださいって言うべき?!
あっ……清乃ちゃんはカルマさんのファンだから会いたいかなあ……総評でもカルマさん清乃ちゃんの絵褒めてたし、RMIXもサムネだけじゃなくてアニメも作りますって運営に連絡したら、カルマさんから直接DM来て「楽しみ」って言ってたしなあ。
私は運営が「連絡は私たちを通してください」って言ってるから、そうしてるのに、カルマさんは今まで一度も守ってない。全部直接くる……それを私が運営に伝えてる……これも伝えたら運営さんが怒ってくれるかな……いや関係ないな……。
「どうしたら……」
私は今度こそパソコンから離れて、洗濯が終わったソファーのカバーを外に干した。
洗剤の匂いと海風がものすごく気持ち良い。
ここは風が強いから洗濯物がすぐに乾いてそれが最高。
私はふと思い出してスタジオから海に向かって歩いた。
碧が少し離れた所を泳ぐって言っていた。
スタジオから出て森を抜けて海が見える所までいく。
そこは蜂谷さんに助けてもらった足場が最悪な所なので、その後教えて貰った安定している場所へ。
そこから海を見ると、遠くに小さなボートが見えた。
あの横を碧が泳いでいる。絶対聞こえないと思いつつ、思いっきり息を吸い込んで、
「碧ーーーー! がんばれーーーーーー!!」
と叫ぶと、ボートに乗っていた春日コーチが私の方をみて、手を大きく振ってくれた。
おおおおお……! あそこまで私の声は届くんだ。わーー!
嬉しくなって何度もジャンプしてアピールして声を出した。
私の声は大声だと逆に低くない。普段使っている超小声と超大声。これなら普通の声だ。
泳いでいるのは10人くらい。ここら辺でトライアスロンをしている子たちが全員集まっているのが春日コーチの教室だ。
見ていると確かに今日は波が高くて、全く進んでない。
「……大変すぎる……」
私は海風で暴れる三つ編みを両手で掴んでそれを見ていた。
真っ正面から殴りつけるように流れていた風が10分後……一気に背中から押すような風に変わった。
その瞬間、船が進んで泳いでいる集団が前に進み始める。
これが碧が言っていたやつだ……!
「がんばれーーー!」
私は遠くから何度もジャンプして声をかけた。
すごいすごい! と思ったらまた風が変わって、またボートも泳ぐ集団も止まった。
えー……。これを繰り返して淡浜まで……? すごく大変だよお……。
私は森の先に座り込んで淡浜に着くまでずっと応援してしまった。
一時間くらいかかって、10人は泳ぎぎった。そしてすぐに走り出す。すごおおいい……!!
碧はずっと「ちゃんと海で泳ぎたい」って言ってたけど、まさかここまでトライアスロンにはまるなんて!
お母さんは昔マラソンをしてて、すっごく足が速かったみたいだから「運動良いわよね」ってすごく理解があって碧を支えてる。
一時間泳ぐの、私もキツいと思う。
「すごいすごい……」
と呟きながらスタジオに戻ったら、またカルマさんからメールが来ていた。
なんでえ……? と椅子に座らずメールを開いたら、
「……冒頭が出来たんだ。え……気になる……」
なんと交換MIX、私の曲の冒頭をカルマさんがUPしてくれた。
ダウンロードして聞いてみると、
「っ……!! カッコイイっ……!! うっそ……やっば……やばすぎる……ラップ……私の歌詞がラップにっ……うっそ……」
私の地味な歌詞がカルマさんによって、めちゃくちゃカッコイイラップになっていた。
テンポも全然違うし、メチャクチャ派手にされているのに、
「……私の曲だ……すごい……すごくカッコイイっ……わあああ……すごいいいい!!」
私は両手でパチパチと叩いて、すぐに『超かっこいいですっ!!』だけ返信した。
すごいすごいすごい、私のメンヘラ曲がアップテンポで気持ちが良い曲になっていた。
この曲、ここまでテンポ上げても壊れないんだ。あ、ドラム……ドラムが追加されている。
そうか下支えしてるから、ここまでテンポ上げても大丈夫なんだ。もう構造が違う。
え~~、サビ前で終わっちゃう。もっと聞きたいっ……!
何度もリピートしていたら、すぐにカルマさんからメールが返ってきた。
『でしょう?』
「……かっけぇ……」
かっけぇです……かっけえ……。
私はたぶんすごくカルマさんの曲が好きで、尊敬してるからこそ、会って幻滅されたくないんだ。
私は椅子の上で膝を抱えてカルマさんがRMIXしてくれた自分の曲を聴いて「かっこよ!」と叫んだ。
ただ泳ぐ碧を思い出していた。海の彼方、光る姿、進まないカタチ。
私の向かい風の間に体力、もう溜まったかな。
私はマウスを握った。




