ちゃんとした「はじめまして」をこれから
『はっ……ぐあっ……体調が悪い、違います熱があるとかじゃなくて、緊張でっ……』
「問題ない? じゃあ今から家出るから20分後くらいかな。母さんと兄貴からお土産あって、無駄に荷物が多くて」
『こっちは全然問題ないですっ……! はあっ……ぐえええ……』
「田見さん……?」
『あっ……トイレ磨くの忘れてました、ではっあの、到着する三分前にLINEしてください!』
そう言って通話は切れた。
いや到着する三分前、俺はきっと自転車に乗っているんだけど。
今日は土曜日。はじめて田見さんのスタジオに、俺と清乃と明日海の四人が集まる日だ。
田見さんに出る前に絶対連絡をくれと言われたので電話したら、完全に挙動不審。大丈夫だろうか。
準備を終わらせてリビングに居たら、二階から清乃が降りて来た。
「お兄ちゃん、どうかな」
「おお、良い感じ」
「なんか……最初はスカートにしようかなって思ったんだけど、なんか違うかなって思って……普通風にしてみたんだけど、それだと普通すぎて……」
「……いや、普通に小綺麗で良いと思うけど」
イオンモールで清乃がスカート試着してるのを見て、兄貴と「おおおお?!」とソファーに座りながら見てたけど、あれ買ったのか。
清乃は常にパンツを穿いていて、スカート姿はマジで全く見たことがない。
試着してるのを見て「スカート試着するんだ」と驚いたくらい。
少し見たかったけど、何を着るかなんて、全部清乃が決めることだ。
俺は家から出ようと考えて着替えてくれた事実だけで嬉しい。
家から出ると、ちょうど明日海も来て、
「清乃ちゃーーん、可愛いーー!」
「明日海ちゃん。えへへ。大丈夫かな。一緒に買ったシャンプーにしてみたよ」
「どれどれ? ん~~、良い香り! 切ったあとも良い感じでまとまってるね、あの美容院当たりで良かったね」
「全然話しかけられなかったし、仕上がりも気に入ってるの」
「良かったー!」
明日海が予約してくれた美容院はとても良かった。
清乃が髪の毛を切っているのを兄貴と外で見ていたけど、本当に必要最低限の会話のみでカットしていて、最初緊張していた清乃が、徐々にリラックスしてスマホ見ていたので安心した。
清乃と俺たちは歩くと結構遠い(というか、この前はテンションで歩いて行ったけど、よく行ったな……という距離)場所にある田見さんのスタジオに自転車で向かった。
清乃は久しぶりに乗る自転車を練習していたみたいで、母さんが昔使っていた電動自転車を器用に乗りこなしていた。
ここら辺は海から一歩内陸に入ると山ばかりなので、中学生も自転車で登校している。
だから自転車で移動しているほうが、目立たないくらいだ。
最近家に帰ってくると清乃が晩ご飯を作ってくれていることが多いんだけど、それは少し遠くのスーパーまで清乃が買い出しに行っているから……のようだ。晩ご飯を常に作ってほしいなんて全く思わないけど、出かけるきっかけになっているなら嬉しい。
田見さんのスタジオがある入り江近くの信号で、俺は田見さんに向けてLINEを打った。
正確には五分くらい前な気がするけど、ここでLINEするだけで褒めてほしい。
それはすぐに既読になって『わかりました!』と返信が来た。
俺がスマホをポケットに戻すと、それを見ていた清乃が、
「……田見さん、いるって?」
「待ってるよ。朝からかなり緊張してるみたいだけど」
「そんなの私も一緒だよ。あーー、なんでこんなに緊張するんだろ、よくわかんない」
清乃は首を小さくふるふる振って、首くらいまでに切った髪の毛をサラサラと揺らした。
緊張するのは、嫌われたくないからだ。
もうすでに少し関わり合いがあって、良いなあ、深く友だちになりたいなあと思っている人とはじめて対面で話す。
それはワクワクして楽しみで、それでも恐怖のほうが大きい。
明日海はツイと横に自転車を動かして、
「今回は明日海ちゃんも居ますよ?」
「……うん。そうだよね、分かってるんだけど……緊張するなあ……」
信号が青になり、俺たちは自転車を動かしてスタジオがある方へ向かった。
六月にしては全く雨が降らない日々で、いつもジメジメしている別荘地の地面はサラサラに乾いている。
夏本番を前に大きな木は海風にその葉を揺らしている。海風に揺られてザワ……と大きく揺れる葉の影が美しい。
スタジオに到着して自転車を止めていると、玄関ドアの横にある細い隙間……ガラスになってるんだけど、そこに田見さんがへばり付いているのが見えた。怖いって! 俺が噴き出すと、バレた! と言った雰囲気でパッと消えた。
清乃は気がついてなくて「ふー……」と細く息を吐き出している。
俺と明日海は目を合わせて「(これは清乃がピンポンすべきだよな……?)」となんとなく合意して、清乃が動きだすのを待つ。
俯いていた清乃が海風に背中を押されるように顔を上げた。
「よし」
そう言って髪の毛を耳にかけて歩き出し、チャイムの前に立った。
俺も明日海も後ろに立って待つ。
清乃は前みたいに勢いなんて全くない。ただ何度も指でチャイムを押そうとして、その手を丸めて……何度か繰り返して、えい、と押した。
ドアがカチャ……と開いて、そこにいつも通りの髪型……でも見たことないブラウスを着ている田見さんが居た。
ふたりはしばし無言で見つめあう。
いけるのか……前みたいにここでギブアップなのか……?
俺と明日海はただ無言で見つめあうふたりを、後ろから見た。
清乃は、周りに聞こえるような大きな音を立てて息を吸い込んで、
「こんにちは。二回目だけど、今日から……ちゃんと、はじめまして、蜂谷清乃です。田見さんの音楽が、大好き、です」
「こんにちは。田見笑衣子です。私も清乃ちゃんの描く絵と、アニメが大好きです。よろしくお願いします」
田見さんはいつもみたいに三つ編みで顔を隠さない、まっすぐに清乃を見て言い、そして右手を差し出した。
それを見て清乃は、おず……と部屋の中に入った。そして手を広げて、田見さんの手を、きゅ……とゆっくり握った。
ふたりはどのタイミングで手を離すべきなのか分からない。
ただ玄関でふたり、長く手を繋いでいた。
俺も明日海も、こうなると部屋に入って良いのか、それにツッコミを入れるべきなのか分からない。
ふたりは数分間手を握り合ったまま玄関に立っていたけれど、田見さんがその手をくっ……と引っ張って、
「あのっ、ス、タジオを、案内しますっ!」
「あっ……はい、よろしくお願いします!!」
田見さんと清乃は手を繋いだまま、録音ブースに向かった。
田見さん、清乃と話す時は三つ編みを持ってモジモジしていない。
しっかりと清乃のほうを見て話している。清乃も田見さんを見て笑顔だ。
ふたりは手を繋いだまま、スタジオの中を移動しはじめた。
俺はそれを見てもう……、
「泣けてしまう……」
「これで泣かない人いなくね? 見て? やわらかティッシュ持って来たの。箱で。今日はセレブになろ」
「明日海、お前ほんとできる女だな……偉いよ、よこせ」
「清乃ちゃん可愛いよ……良かったねえ……これ、蜂谷家に4DXで中継すべき光景なのに、私と優真で独占受信中? まじヤバくない? 金取れるって」
「良かった……本当に……」
俺と明日海は、手を繋いでスタジオ内を移動するふたりをただ見て、やわらかいティッシュで涙を拭いた。
柔らかいティッシュ、マジで顔が痛くなくてすげーな。高いだけあるわ。
俺たちが無言で泣いていると、スタジオの紹介を終わらせた田見さんと清乃が入り口のテーブルに戻ってきた。
俺と明日海がテーブルの上に柔らかいティッシュの山を作り終わったあとで、それを見た清乃が、
「なにこれキモい」
「いやこれもう無理だろ、なあ、明日海」
「清乃ちゃんもどうぞ使って。柔らかいから。たくさん泣けるよ」
「泣いてないし! もうキモいよ、ふたり。田見さんもドン引き……あ……あの……そうだ、私も……明日海ちゃんみたいに……田見さんのこと、田見ちゃん呼びしたくて……いいかな」
その言葉に田見さんは目をカッと開いて、
「私はもう清乃さんのことを、清乃ちゃんと呼んでいます!! 全然問題ないですっ!!」
「そっかぁ。そうだった。えっと……じゃあ、田見ちゃん……よろしくね」
「!! ありがとうございます……! ダメだ、敬語収まれ?! 落ち着け年上え?! サンキューありがとう、よく分からない!!」
田見さんの性格が分裂してる。
清乃は田見さんを見て、
「……スタジオ紹介してくれてありがとう。お父さんとお母さんが今日のためにケーキ持たせてくれたから、一緒に食べない? それで、今まで話せなかったことも、たくさん……ゆっくりでいいから、お話したいな」
「はいっ! じゃあ、あっちで一緒に紅茶いれませんか? とっても美味しい紅茶をお母さんが持たせてくれたんです」
「んで、田見ちゃん。まだ手、離さないの?」
「ごめんなさいっ……離すタイミングが分からなくて……!」
田見さんと清乃は挨拶の握手からずっと手を繋いだままだったけど、どうやら今も繋いでいたようだ。
そう言われて田見さんは清乃から手を離したが、逆に今度は清乃が田見さんの腕にしがみついて、
「手を繋いでたらお茶いれられないなって思って。あっちがキッチン?」
「はいっ、あ、そうです! 紅茶とコーヒーと番茶と緑茶とルイボスティーとフレーバーティーがあります」
「多すぎない?」
「何が好きなのか、分からなかったので!!」
「私は紅茶かなー。一緒にいれよう?」
「はいっ!」
なぜだか清乃がリードする感じでふたりで台所に消えていった。
俺と明日海はやわらかティッシュの山を量産するばかりで、何もできない。
俺はコーヒーノンシュガーでお願いします……。
これ今日アニメ作るとか無理だろ。
ふたりが仲良くしてるのを見るだけで良い。




