毒にも薬にも、君にも
「お兄ちゃん、おかえり」
「おっ……今日も行く?」
「うん。お兄ちゃんが帰ってくるの、待ってたんだ」
「わりー。田見さんの新曲かなり仕上がってて」
「え~、楽しみ! お散歩から帰ってきたら聞かせて」
「りょ。行く?」
「うん!」
田見さんのスタジオから帰ってくると清乃がリビングで待っていた。
着替え終わっている状態で、コンビニまで散歩に行きたくて俺を待っていたようだ。
清乃はあれ以来、俺がいない時も家から少し出て散歩……を繰り返している……と思う。
俺は日中ほとんど居ないから見てるわけじゃないけど、靴が玄関に出ているから、そうなのかな……と思っている。
少し前までは靴が下駄箱から出されることもなかったから。
俺が玄関で待っていると清乃はちょこんと座り靴を履いた。
見るとみたことがない靴で、俺は横に座り、
「新しく買ってもらったの?」
「うん。お父さんが買ってきてくれた、踵を引っ張ってスッって履ける靴なの」
「そっか。良かったな。へえ~紐がないんだ」
「紐を結んでる時にイヤにならないように……って選んでくれたの」
「さすが父さんだ。おお、カッコイイ、行こうか」
俺は清乃と一緒に家を出た。
日曜日の夜10時。この前は土曜日だったけど、日曜日のほうが人が少ない気がする。
風が強く、波音がドンと響いて聞こえてくる。空を見ると雲の流れが早い……明日は天気が崩れる。
スマホの天気予報を見るとやはり雨だった。
清乃は前と同じようにヘッドホンをしてさらにパーカーをかぶって、下を向いてトコトコと歩いている。
相変わらずだけど、前と違うのは歩く速度が二倍くらい速くなったことだ。
前は本当に一歩一歩……なんとか歩いている程度の速度で、コンビニまで一時間かかった。
でもこの速度なら普通のお散歩くらいだ。
清乃は家から一歩出ると一言も話さない。まだ緊張してるのだろう。
家から出られるだけで嬉しいので、帰ってきたばかりで家から出るのも全くイヤじゃない。
むしろ嬉しい。田見さんのスタジオ……碧ちゃん可愛かったなあ……と思う。
ハキハキと話すしっかりした小学生で、田見さんのほうが妹みたいで、でも姉で、新鮮すぎた。
春日先生はここら辺りでは有名な海泳の先生で、トライアスロンではかなり有名な人らしい。
夏になると淡海海岸のライフセーバーをしていて、ものすごく泳ぐのが速くて判断も正確。
淡海海岸は春日先生が来て10年、一度も死亡事故を出していないので有名だ。
普段は国道沿いにあるスイミングクラブで働いているけど、碧ちゃん、あそこにも入ってるのかな。
今度会ったら聞いてみよう。
家だとペラペラ話す清乃だけど、外だと一言も話さない。だから俺は無言で歩くことになるんだけど、こうしていると考えがまとまって面白い。
田見さんが「曲を作る時は深夜の散歩」だと言っていたのを思い出す。
なんだか気持ちが分かる……と思いながら歩いていたら前に人影が見えて、俺と目が合った。
「優真さん……あれ……ということは、え……」
セーラー服の女の子はまず俺に気がついて、すぐに清乃に近づいた。
「清乃、清乃だよね?! 私だよ、真純、佐藤真純! えっ……清乃だよね?」
セーラー服は淡海中学校のものだった。つまり小学校の同級生……いや、清乃はほとんど小学校に行っていない。
それに佐藤真純という名前に俺は聞き覚えがない。淡浜の子じゃない?
清乃は前に立たれても、ヘッドホンもフードも取らないで俯いたまま。
どうしよう……ここで俺が前に出るべきか……でも清乃がせっかく家から出られたのに、下手にかばって、心を折ることにならないか?
わからない、どうしよう、どう動こう。
真純さんは清乃の前で少し腰を折って、
「清乃、春岡の通信行ったんだよね。お散歩してるってことは病気は治った? 私、学校に通えるようになったんだよ」
それを聞いて清乃は微かに俯く。
これは俺が前に出るべきだ。
俺は清乃の肩を抱き、
「今、体力を戻すために散歩中なんだ」
「お兄さん! お久しぶりです、私何度かご挨拶したんですけど」
「ごめん、記憶が曖昧で」
「プリントを何度か持って行っただけなので、覚えてなくて当然かも知れません。先生に同じ絵が趣味だろって言われて。ねえ清乃ちゃん、まだ絵描いてる?」
そう聞かれて清乃はクルリと回って家の方向に戻りはじめた。
ごめんなー! と俺は真純ちゃんに声をかけて清乃と一緒に家に帰りはじめた。
トコトコと清乃は無言で歩く。
こういう時に声をかけるべきか、かけないべきか、ものすごく悩む。
今もこの対応で良かったのか、分からなくてメチャクチャ怖い。
全く気にしてない……という顔をするのは嘘だし、気にしすぎてるというのもアウトだ。
でも佐藤真純という名前に俺は全く覚えがなくて……と思ったけど、小学校三年生以降学校に行ってないから当然か……と少し思った。
歩いていると清乃が小さな声で、
「……小学校三年生の時に同じクラスで……同じ保健室登校だったの」
「そうなのか。ごめん、俺全然知らなかった」
「言ってないから。ただ、悪い子じゃないよ、むしろ小学校で一番仲が良かった子。でも、あの子は普通に学校に通えてるんだ……あの子すっごい虐められてたのにさ。……私よわ」
それだけ言って清乃は再びヘッドホンとフードをかぶって歩き、家に戻った。
そして部屋に入って、それから一度も出てくることはなかった。
俺は聞かせようと思っていた田見さんの曲を送るか、もしくはサーバーの場所を知らせるか悩んだけど、声をかけられなくて黙った。
同じように保健室登校だった子が、学校に通えているのを見るのが一番キツいのかも知れない。
でも清乃だって……ってそれも他の子と比べていることになるか。
……むずい。どうやって対応したら良いんだろう。
何も言えなくて俺は田見さんの曲をただヘッドホンで聴いた。
「おはよう」
「あっ……おはようございますっ……あの、清乃ちゃんの反応はどうでしたかっ?」
次の日、登校するともう席にいた田見さんが俺を見て聞いていた。
俺は少し頭をかきながら昨日のことを話した。
そして最近は毎朝起きてきて「昨日はここまで進んだ」と見せてくれていた清乃が、今日は起きてこなかった。
母さんと父さんも軽く話したけど、表に出られたことで少し頑張りすぎたのかもしれない。
田見さんは三つ編みを掴んでうつむいて、
「……別の国の人たちのことには興味がなくて」
「うん?」
「私からすると、普通に話せて普通に学校通えて普通に話せる相手がいる……そういう普通に暮らせている人たち……あ、もちろん、そういう人たちに迷いや悲しみや苦しみがないとは言わないですけど……学校に来られている人は別の国の人なんです。でも、この人は同じ国の人なんじゃないかなって思ってた人が、そうじゃなかった……というか、そこにもう居ない。自分だけがそこに残されている……と知った時が一番来ます。しかもそれは、自分だけが悪くて、国を出て行った人は偉くて、何も悪くなくて、誰も責められません。責める先は自分だけ。だからとてもキツい」
「なるほど」
俺は横の席に座って静かに聞いた。
その理論で言ったら俺は別の国の人だ。どうしたらいいのか分からないし、ずっと困っている。
対処法とかあるかな……なんて簡単に答えを求めてしまうけど、田見さんも気持ちが良く分かると言うことは、同じようなことがあった……ということだろう。つまり聞くのは酷だ。
席に戻ろうと立ち上がっても田見さんのほうが落ち込んでしまったようで、本も机に置いたままうつむいている。
悪いことをしたかな……。
「そんじゃ今あるデータだけでもまとめてパネルにしよっか」
グループワークが始まり、芝崎は乱雑に描かれたメモの山を見て言った。
現時点では問題点、改善点、アイデアなどがグチャグチャに出されている状態で、ここから更にアイデアを出して結論までパワポにまとめないといけない。日付ごとに議事録状態で書いてあるんだけど、この作業を最後に回すと地獄を見るのを、中学の時からグループワークしてきた俺たちは知っている。
メモが増えれば増えるほど、収拾が付かないし、結末が遠ざかる。
でも現時点でめんどくさいなー……という空気になった時、田見さんが顔の前で小さく手をあげた。
俺は「どうぞ」と促す。
田見さんは、
「あの……議事録を全部プリントして……意見ごとに切り分けていくと、まずは良いの、かな、と思うんですけど」
俺は頷いて、
「なるほど。これは問題点、これは疑問点、みたいに?」
「そうですっ……そしたら、今どんな発言が集まっているのか、一目瞭然では……と」
有坂は、
「いいねー。それなら手分けしてできるし」
みんなが賛成して、現時点で結構な量がある議事録を全部プリントすることにした。
学校のiPadは全部ネットワークに繋がっていて、紙は一階にある資料室から出てくる。
俺と田見さんは、プリントされた紙を取りにいくことにした。
俺は田見さんの方をみて、
「自分から発言したの、はじめてじゃない?」
「あっ……はいっ……あの、清乃ちゃん、今きっと家で、心つらくても頑張ってると思うと、私もちょっと、頑張ろうって思うんです。あっ……でも、私が頑張ってるって清乃ちゃんに言わないでください。あの、人の頑張りって毒ですから」
「毒? ……へえ。そうなんだ」
「そうです、人の頑張りを知るのは心が元気な時にしか栄養にならないです。状態がいいと薬になるし、状態が悪いと毒です。だから……」
田見さんは階段を下りながら俺の方を見て、
「蜂谷さんの元気は心にためておいてください。清乃ちゃんが元気になったら、きっと伝わる。私にとって蜂谷さんは、ちゃんと薬です」
「!! 田見さんの状態が良いんだね」
「そうです」
そういって田見さんは踊り場でふにゃと微笑んだ。
なんだかこう、全体的に元気付けられた気がして、俺は軽く頷いた。
人の頑張りは、心が元気な時しか栄養にならない。
それはきっと田見さんしか言えない言葉だ。
なんだか救われた気がして、階段を下りた。




