清乃の勇気
「……すごく素敵。田見さん、自分で歌ったほうがいいのに」
「清乃。それ本人NGっぽいから気をつけろ」
「……そうだよね……変わってる、変わってるもん。どれだけさあ、人に『良い』って言われてもさあ、自分が嫌だと嫌だよね……」
そう言って清乃はカリカリと鉛筆で絵を描いた。
田見さんが作った仮歌をスマホに入れて持って来て、清乃と打ち合わせをはじめた。
清乃は曲を聴いて感動して、もう指定されたマントをかぶった小さなサクラを描き始めてる。
俺はそれを横で見ながら、
「伝えたイメージだけでコンテから描けそう?」
「うん……サクラちゃんは全然描ける。でも世界観がなあ……イマイチよく分からない」
「そうだよな。怪獣がいる世界観って……どういうのを想像してるんだろうな」
「蛇って言ってたから、暗い系なのかな。サクラちゃんがいる世界がちょっと想像できなくて、絵が浮かびにくいかな」
そう言いながら清乃はカリカリとサクラちゃんを描いた。
大きなマントには猫耳がついていて、それも動かしたい……とちょっと大きめにしたりしている。
「黒い猫といつも一緒にいるサクラちゃんとか?」
「うん。なんか黒いマントって、それだけで魔法使いっぽくて……でもサクラちゃんの可愛さってほしいなって……ひとりでぼんやりしてる絵って、描くの難しんだよ」
「そうなの?」
「絵に動きが出ないから。何かを持っている、抱っこしてる、一緒にいる……だと全然描きやすい」
「……今まで俺、清乃が描きやすいコンテ描けて無かったな」
「ううん。こういうのって責任でさあ……お兄ちゃんが考えた話でコンテ、その絵を私が描く……だと責任が分かれるでしょ?」
「ああ、そうだな。話がつまらないって言われたら全部俺の責任だ」
「それで楽させてもらってる所あったから、全然良いの。でも自分でしてみたいって思ってた。だから、すごく良いチャレンジ。頑張る」
そう言って清乃はカリカリと描いては消して……デザインを描き続けた。
集中したいだろうし、俺は部屋に戻ろうかなと思った時、清乃が俺を呼び止めた。
「あのさ、お兄ちゃん」
「おう」
「私……すっごく……すーーーっごく……田見さんに会いたくてね、打ち合わせも、本当は田見さんと……したいの」
「!! おお」
俺は頷いた。
清乃は小学校中学年からずっと家にいて、病院にいくために車で外出する以外、家から一歩も出ていない。
家から出ると同級生に会ったり、近所の人に会ったりして、それが怖いからだ。
病院でさえ予約の時間まで車の中で待っていたりする。
それくらい人目に触れるのを怖がっている。
これはすごい進歩だ。俺は黙って清乃の次の言葉を待つ。
清乃は机から部屋の真ん中にある椅子にペタンと移動して、
「……でも私……家から全然出てないでしょ……。でも田見さんは声が嫌なのに学校にちゃんと行って……すごいなって」
「うん」
「でも突然学校なんて全然無理で……でも……田見さんのスタジオなら……行きたくて……」
「うん」
「でも……家からもう何年も出てなくて……もう……本当に家から出るのが怖いんだよ。この家の中とネットだけで生きてきたから。でも……田見さんも頑張ってるし……会いたくて……だからね、コンビニに……行くのを目標にしようと思って」
「!! おお」
「あのね……今から……お兄ちゃん、一緒に行ってくれる?」
「おお! いいぞ。全然おっけー!」
「坂の下まで……出てみたい」
「おお、いいぞ、うん、じゃあ一階にいるから準備できたら来いよ」
「……うん」
清乃はコクンと頷いた。
俺は清乃の部屋を出て叫びたい気持ちをぐっと我慢して一階に向かった。
何度誘ったか分からない。それこそ小さなことから大きなことまで、ありとあらゆることで清乃を外に誘ったけど、清乃は家から一歩も出なかった。
そのうち完全に部屋から出てこなくなり、これ以上誘うのは良くない……そう判断して俺たちは誘うのを辞めた。
最後に誘ったのはいつだったか……三年前の花火大会だっただろうか……覚えてない。
俺は早足で台所にいる母さんのところに行き、
「(ちょっと! 清乃がコンビニ行くって!)」
「(!! マジで?! えっ……なんでなんで?)」
「(俺が言ったじゃん。アニメ研究部に入ってくれた子、その子に会うために練習したいって!)」
「(ええええ……!)」
小声で叫んでいた俺たちを不審に思ったのか、父さんも近づいてきて、三人で「(おいおい……! 普通にしようぜ)」と母さんは突然明日のお弁当用にミニとんかつを揚げはじめて、父さんは世界丸見えを見始めた。父さんはテレビ番組の中で世界丸見えが一番好きだ。
俺も父さんの横に座ってテレビを見る。久しぶりに見る世界丸見え……国境で捕まえる話多くない?
待っていると清乃が、なんと超久しぶりに着替えて一階に降りてきた。
病院に行くときも「病人ぽくする」と部屋着のままの清乃が、外着!! もう今日はこれだけで良いんじゃないかと思ってしまう。
三人ともそわそわしていて挙動がおかしい。母さんはさっきからミニカツを揚げすぎている。
俺の明日のお弁当、どれだけカツが入ってくるんだ……?
父さんはヤクザみたいな目つきで世界丸見えを見ている。顔怖くない?!
清乃はリビングに来て、
「……すっごく前の服、そのまま着れて草」
「着やすい服が一番良いからな。俺も今中学の時のジャージだし」
「ださ。……もうちょっと、服とか……ないと、ダメか」
そう言って清乃は玄関に向かった。
おおおおおお……! 台所では母さんがカツを口に入れてこっちを見ている。今食うんだ?
リビングを見たら、父さんが真顔で止まっている。ちょっと大丈夫か?
清乃はトコトコと玄関に向かい、いつも病院に行くときに履いている靴を見て、
「……靴さあ、実はもう小さいんだ」
「!! そうなのか」
「小さいの。なんかつっかけ……お母さんのつっかけ借りて良い? ……なんでカツ食べてるの?」
「お腹すいて。うん、良いわよ、履いて行って」
「……ありがと」
清乃は母さんのつっかけに足を入れた。
そして玄関で立ち尽くす。俺はスマホだけ持って後ろで待つ。
実は何度もここまでは来たことがある。でもここから玄関をでられない。
いつもお腹が痛くなり、部屋に戻る。その姿を何度か見ている。
俺は何も言わずに玄関で待つ。清乃は首にしていたヘッドホンをして、iPhoneの再生ボタンを押した。
画面には田見さんの366日の動画が見えた。
清乃が絵を贈ったものだ。清乃は、
「……よし」
と言って、玄関のノブを握り、押した。
正直俺は拍手喝采して泣きたかったが、オオゴトにするのは良くない。
普通のことに……それでも……清乃にとってはすごいことにしたかった。
清乃はノブを押して、外に出た。そして真っ暗な空を見上げて、
「……暗」
とだけ言った。俺も慌てて靴を履いて外に出た。
時間は22時。夏だと観光客がウロウロしている時間だけど、春のこの時期に観光客は少ない。
清乃は玄関前に立って、ずいぶん長い間空を見ていた。
別に月も星もない、真っ暗な空だ。でも今日は風が強いようで、波の音が聞こえる。
清乃はヘッドホンをしている。だからきっと何も聞こえない。
でも清乃にとって大切なのは、田見さんの曲で、そこに映っている自分が描いたサムネールだ。
清乃は、一歩、歩き出した。
夜中の庭。いつも歩いてるけど、清乃が横にいると全然違う。
俺はただヘッドホンをして歩く清乃の後ろを歩く。
清乃は美容院に行かなくて済むように、ただ髪の毛を伸ばしている。その長い髪の毛が闇夜にふわりと揺れる。
そして口からは、366日の歌が聞こえてくる。
一歩、一歩、ゆっくりと歩いて、清乃は庭から出た。
そしてヘッドホンをしたまま、ゆっくりと坂を下り始めた。
もうずっと外を歩いてない。だから恐ろしいほど清乃の足は細いし、体力も全くない。
歩いているというような速度じゃない。一歩、一歩確かめるように、今外にいるのだと自分の足に知らせるように、清乃は歩いた。
家を出て20m……次の角を左……のタイミングで、後ろから人が来た。
近所の中村さんだ、ヤバい……!
中村さんは俺と清乃を見て、
「あら、優真くんと……」
俺は口を押さえて全力で、このままじゃ首がもげて飛んでいくってほど大きく首を振って、口の前で1本指を立てて『し~~~』っとした。
絶対に、今だけは話しかけないでほしかった。
中村さんは何かに気がついたのか、静かに頷いて右側に曲がっていった。
前を歩いている清乃はヘッドホンをしていて、声をかけられたことに気づかず、トコトコと前を歩いて行く。
あああああ……良かった……! 清乃は思ったより順調に、ものすごくゆっくり……コンビニまでの道のりを歩いた。
ヘッドホンをしてフードをかぶっているから、足元しか見えてないし、音も何も聞こえてない。
それでも家から出て、歩いている……それだけで偉い。
清乃は俺だと徒歩10分の所にあるコンビニに20分近くかけて、ゆっくり歩いてきた。
初日からこんなに歩いて大丈夫なのか?! と俺は後ろを黙って付いてきたけど、ドキドキしてしまう。
そしてコンビニの前に来た。
深夜に輝く圧倒的な光。
清乃はそれを遠くから見て、フードとヘッドホンを取った。
「……さすがに人がいるコンビニに入れないや」
「いやいやいや、ここまで歩いて来られただけですげーーよ」
「……今日はここまで」
「偉い、マジで偉い、なんか……買わないほうがいいな。清乃が買うまで、一緒にきて買わないほうがいいな」
「……うん。いつか、自分で買う」
そう言って清乃はコンビニを前に、再びヘッドホンをしてフードを被り、30分以上かけてゆっくりゆっくり坂を上って家に帰った。
そして疲れ果てたのか、そのまま布団に入り眠ってしまった。
家に帰ると母さんと父さんは揚げすぎたミニカツを食べながら泣いて喜んでいた。
家から出てコンビニ前まで行けた。それはずっと家から歩いて外に出られなかった清乃に取ってものすごく大きな一歩だった。




