六の段 老中さまはマジメ風紀委員長
義苗さまたちの旅のシーンに行く前に、オウムの八兵衛が言っていた「菰野藩の最大の脅威」である松平定信さまに登場してもらいましょう。
というわけで、将軍さまがいらっしゃる江戸城へとワープ!
義苗さまたちが江戸を脱出した2日後。江戸城では、四人の老中たちが会議をおこなっていました。
老中とは、将軍さまの政治を補佐する幕府の最高の役職でござる。だいたい四、五人いて、重要なことはこの老中たちが会議で決めていました。
この老中たちのリーダーが、松平定信さまだったのです。
定信さまは、時代劇の「暴れん坊将軍」で有名な8代将軍・吉宗さまのお孫さんにあたり、同じく吉宗さまのひ孫にあたる今の将軍・家斉さまとはご親戚でござる。
「老中のみなさん。今日は会議のために集まってくださり、ありがとうございます。キビキビと話し合い、キビキビと決定し、キビキビと上様に報告しましょう」
定信さまはキビキビとした口調でそう言うと、他の老中たちを見回しました。
定信さまの年齢は、働き盛りの30歳(今の28~29歳)。色白でなかなかのイケメンですが、ちょっと神経質そうなお顔ですな。怒らせたら恐いマジメな風紀委員長と言えばわかりやすいでしょうか。
「今日は、何を禁止にするための会議ですか?」
老中の一人がそうたずねると、定信さまはムッとした顔になって、「私が何でもかんでも禁止しているみたいな言い草はやめていただきたい」と言いました。
「これは失礼しました。それで、今日は何の会議でしょうか」
「『幕府が認めた学問以外は勉強しちゃダメ!』という禁止令を出したいと思います!」
「やっぱり、何か禁止するんかーーーい‼」
思わずツッコミを入れてしまう老中のみなさん。息が合っていて、みなさん仲良しのようですなぁ。
「8代将軍・吉宗さまの時代のような素晴らしい政治をおこなうためには、よくないと思ったものはキビキビと禁止していくべきなのです」
「定信どの。まさか男女混浴禁止令は出さないよね? それだけはやめて? お風呂が大好きな江戸っ子たちも、すっごいがっかりすると思うし……」
「あんな風紀が乱れる習慣は、近いうちに禁止するつもりです。スケベなのはいけないと思います」
「ぎゃー! やめてー! お願いだから、それだけはやめてーっ‼」
「うるさいでござるぞ、鳥居どの! 73歳で混浴、混浴騒ぐのはおやめなされ!」
定信さまはそう言って叱り、鳥居のおじいちゃんを黙らせました。高齢者にはもっと優しく!
「……では、みなさん。『幕府が認めた学問以外は勉強しちゃダメ!』という禁止令を出すことに、『いいね!』と思うかたは手を挙げてくだされ」
そう言い、シュピーンと手を挙げる定信さま。言い出しっぺの定信さまは、当然、賛成でしょうなぁ。
老中のみなさんは、しばらくの間、ごにょごにょと話し合っていましたが、定信さまが「キビキビと決めましょう! キビキビと!」とせかすと、全員が手を挙げました。
「全員から『いいね!』をいただいたので、この禁止令は可決されました。後は私が上様に報告しておきます。みなさん、本日はお疲れさまでした」
定信さまはキビキビと会議を終わらせると、キビキビと席をたち、将軍さまがいらっしゃる部屋へとキビキビと歩いて行ったのでござる。
「……というわけで、老中たちの会議の結果、『幕府が認めた学問以外は勉強しちゃダメ!』という禁止令を出そうということになりました。来月の4月には正式発表したいと思いますので、ご許可をお願いいたします」
定信さまが将軍家斉さまにそう報告すると、上座にだら~んと座っている家斉さまは「4月は無理じゃねーの?」と言いました。
「だって、あと数日で4月じゃん。色々と手続きとかあってめんどーだし、5月でいいよ」
「で、ですが、何事もキビキビと決めていかないと……」
「めんどーごとは、後回し! 5月でけってーい。あと、その禁止令の名前、長すぎて覚えられないから、もうちょっと短めにしておいてくれる?」
(チッ……。脳みそゆるゆる将軍めが……)
定信さまは、相手は将軍なので面と向かっては悪口を言えないため、心の中でそう悪態をつきました。
11代将軍、徳川家斉さま。今年で18歳。今の年齢でいうと16~17歳なので、高校生将軍でござる。見ての通り、政治にはあまり興味がないご様子ですな。
「話はこれで終わり? 大奥(将軍の奥さんや側室、女中たちがいるところ)のかわい子ちゃんたちと遊びたいから、もう帰っていい?」
家斉さまがそう言って席を立ちかけると、定信さまが「お待ちくだされ!」と止めました。
「なんだよぉ~。オレは政治の話なんて嫌いなんだ。やりたいことがあるのなら、他の老中たちと話し合って勝手に決めておけよ」
「そうはいきません。あなたさまは将軍さまなのですから。
……今日は、幕府が出した倹約令を無視してぜいたく三昧の生活を送っている不届き者を江戸城に呼び出しているので、その者を上様自ら厳しく叱っていただきたいのです」
倹約令とは、お金のムダづかいをやめて節約をしなさい、という命令のことでござる。
「倹約、倹約とうるさいヤツだなぁ~。倹約なんてめんどーだからしなくていいよ」
「幕府の財政が危険な状態なのですぞ? 倹約を今しなくて、いつやるのです? 今でござる!」
「……わ、わかったよ。そんなマジで怒るなってば。その不届き者とやらを叱ればいいんだろう? 早くそいつをここへ連れて来い」
家斉さまが面倒くさそうに言うと、すぐにその「不届き者」が連れられて来ました。
「上様、ご機嫌麗しゅうぞんじます。土方雄年、呼び出しに応じて参上いたしました」
あちゃー、やっぱり「ぜいたく三昧の生活をしている不届き者」とはご隠居さまのことでしたかぁ~。
「おー、土方か。久しぶりだなぁ。……で、誰だっけ?」
「上様。将軍になってからもう3年たつのですから、そろそろ全国の大名たちの顔と名前を覚えてください。この者は、伊勢の国にある菰野藩一万一千石の先々代藩主です」
「一万一千石ぅ? そんなザコ大名のことなんていちいち覚えていられるかよ」
ピキピキ……。ピキピキ……。
ザコ呼ばわりされた雄年さま、怒りのあまり頭の血管が浮き出ています。
ご、ご隠居さま! 相手は将軍さまだから、我慢! 我慢!
「それで、何だっけ? こいつが倹約令を無視してぜいたくばかりしているから叱れっていう話だったよな。おい、土方。おまえ、そんなにぜーたくしているのか?」
「そんなおおげさなぜいたくはしていません。
毎日昼頃に起き、ご飯は必ず10回おかわりし、酒をあびるほど飲んでいます。
服は金ピカの羽織や最高級品の絹の着物を着て、全国から集めた高価な掛け軸や壺、屏風、異国の工芸品などを飾った部屋で一日中ゴロゴロしていますが……。
その程度のぜいたくは、天下人である上様なら別に普通のことではありませんか?」
「ぐ、ぐぬぬぅ~……。一万一千石のザコのくせして、なんちゅーうらやましい生活をしているのだ」
家斉さまは将軍さまですが、口やかましい定信さまが「キビキビと早起きして、キビキビとお仕事をしてください!」とうるさいので、そんなぐーたらな生活はできていないご様子です。
「上様。うらやましがっている場合ではありません。ちゃんと叱ってください。土方どのは、ぜいたくはダメだと幕府が命令しているのに、自分の領地で大相撲をおこなおうとしているのですぞ? 一万一千石程度の小大名が、あまりにも身のほど知らずではありませんか」
「え? 大相撲⁉ うわー、いいな、いいな! オレも見たい!」
「だ・か・ら‼ うらやましがらない‼」
定信さまは思わず怒鳴ってしまいました。おどろいた家斉さまは、肩をビクッと震わせます。
「かーかっかっかっかっ!」
「何がおかしいのだ、土方どの!」
「これは失礼しました、定信さま。しかし、定信さまは少しマジメすぎるのではありませんか? そのあまりにも度がすぎたマジメさが嫌になって、田沼意次さまが老中だった時代を恋しがっている人々は多いと思いますぞ」
「何だと? 私の政治よりも、あの田沼のじじいの政治のほうが優れているとでも言いたいのか⁉」
今、江戸幕府の政治の実権をにぎっているのは、老中の松平定信さまでござる。その定信さまの少し前に老中だったのが田沼意次という人でした。
菰野藩の土方家は、この田沼意次さまと仲良しで、雄年さまは田沼家からお嫁さんをもらったり、養子(菰野藩の先代藩主・雄貞さま)をもらったりなど、親戚づきいあいまでしていたのです。
しかし、田沼さまの政治は色々あって失敗し、老中をクビ。失意のうちに亡くなりました。
菰野藩にとって最悪だったのは、そんな仲が良かった田沼さまのことを今の老中・定信さまは大っ嫌いだったのでござる。田沼さまが亡くなった後も「田沼は人からワイロをとっていた汚職政治家だ! 許せない!」と罵倒するぐらいに。そして、
敵の味方は、当然、敵!
という理由で、菰野藩も定信さまに目をつけられるようになりました。だから、こうやってわざわざ江戸城に呼び出して叱りつけようとしているのです。
「菰野藩は、無駄に金づかいが荒かった田沼のまねごとをして、私の改革の邪魔をする気か⁉」
「そんなつもりはありません。私は、ただ、ケチケチな倹約令が性に合わないだけです」
「お、おのれ! 幕府の政治に口出しするとは、不届き者め! ……上様も何か言ってやってください!」
「そうだ、そうだ~。土方の言うとおりだ~。倹約令なんてくそくらえ~」
「上様⁉ どっちの味方をしているのですか!」
うわぁ……。何だかもう、ぐだぐだでござるなぁ……。
雄年さまは、勝ち誇ったようにニヤニヤ笑いながら、言いました。
「上様。お話はもうおしまいでしょうか。だったら、帰ってもいいですか?」
「うん。いいよぉ~」
家斉さまがかる~いノリで答えると、雄年さまは一礼して、すばやく部屋をさがりました。定信さまが「ま、待て!」と声をかける暇もありません。
定信さま、まんまと雄年さまに逃げられましたな。こっぴどく叱ってやろうとしていたのに……。
「くそっ! くそっ! 菰野藩は小さな大名のくせして、なぜ、私に逆らう⁉ なぜ、私の清く美しい政治を理解できない⁉ なぜだ!」
「なんでだろう~♪ なんでだろう~♪ なんでだなんでだろう~♪」
「上様! 変てこな歌を歌って茶化さないでください!」
定信さまは、完全に激おこのご様子。菰野藩に激おこということは、お殿さまである義苗さまにもその憎しみは向けられることでしょう。
なーんにも事情を知らない義苗さまは、大丈夫でしょうか……?
その日の夜。江戸城にある老中の仕事部屋。
「おのれ、菰野藩め。私の清く美しい政治を邪魔するヤツは、絶対に許さないぞ」
残業中の定信さまは、書類の整理をしながら、ブツブツ言っていました。老中の仕事はぼうだいなので、どんなにキビキビとやっても終わらないようです。大変でござるなぁ~。
「しかし、あの隠居は私の弱みをにぎっている。私が表立ってヤツを攻撃することは難しい。上様に叱ってもらおうとしたのに、あのざまだ。……そうだ。いいことを思いついたぞ。疾風の一郎よ、出て来い」
「お呼びでございましょうか」
仕事部屋に、音もなく、黒い装束を着た男が現れました。
「おまえに大事な任務をあたえる」
定信さまは振り返らず、そう言いました。
疾風の一郎は、定信さまが25歳で白河藩(現在の福島県白河市にあった藩)の大名になった頃から仕えている隠密――つまり、忍びの者でござる。
「ははっ。なんなりとご命令ください。この疾風の一郎、早寝・早起き・早飯、やるべきことは何でも疾風のごとき速さでやります。だから、どんな任務でも、あっという間に終わらせます」
「うむ、頼もしい言葉だ。私もキビキビと仕事をするのが大好きだ。しかし、ご飯を慌てて食べるのは体に悪いから、やめなさい」
「はい」
「それで、おまえの任務だが……。やり方はおまえに任せるから、菰野藩が近々おこなう大相撲をめちゃくちゃにしてこい。それはもう、めっちゃくちゃのくっちゃくちゃのぼっろぼろにな」
「その程度、簡単なことでござる」
「あと、菰野藩に何か弱みがないかも探って来るのだ」
「ははっ! では、早速、出立いたします!」
疾風の一郎はそう言うと、フッ……と姿を消しました。
「くっくっくっ……。菰野藩よ、わが寛政の改革を邪魔した罪はつぐなってもらうぞ」
あ、あわわ……。やっぱり、こういうことになっちゃいましたか。
しかも、今、義苗さまたちも菰野に向かっています。疾風の一郎に、義苗さまが江戸を勝手に脱出したことがばれたら、大変なことに……!
義苗さま、ピーンチ‼