四の段 決断の時
翌日の朝。
義苗さまは、菰野藩のアホみたいに多い借金について問いただすため、雄年さまの部屋に行こうとしました。
しかし、廊下で会った家来たちに止められてしまったのでござる。
「若殿さま、もうしわけありませぬ。ご隠居さまは昨夜の爆発騒ぎでお疲れになり、まだ眠っていらっしゃいます。お昼すぎにまたお越しください」
「今すぐご隠居さまにうかがいたい話があるんだ。そこをどけ!」
「お菓子がなくなったのなら、女中に用意させますが……」
「そーいう話じゃない! 菰野藩が借金まみれできゅっ、きゅっ、きゅう~♪ という話だ!」
義苗さま、まだちょ~っと壊れぎみのようでござる。
「ええっ⁉ 若殿さま、なぜ借金のことをごぞんじなのですか⁉」
家来たちはおどろき、顔が真っ青。
おやおや? もしかして、家来たちもご隠居さまとグルになって、義苗さまに隠しごとをしていたのでしょうか?
家来や女中たちは、ご隠居さまの命令で若殿さまに隠しごとをしていたから、気まずくて、よそよそしい態度をとっていた……ということですかな。
「大変だ! 若殿さまが、菰野藩が貧乏だということに気づいてしまった!」
「ご隠居さまに『誰が彦吉に本当のことを教えたのじゃー!』と怒られてしまう……」
「よくて切腹、悪くて切腹、どっちみち切腹……。それがしの人生終了のお知らせでござる……」
どうやら、ビンゴのようですな。みんな、義苗さまをだましていたのです。
義苗さまもそのことに気づいたご様子で、ムッカー! と顔が真っ赤になりました。
「どいつもこいつも殿さまのオレをだましやがって! 早くそこをどけ! ご隠居さまを問いつめてやる!」
「わー! わー! おやめください! いくら若殿さまでも、ご隠居さまに逆らったら、どんな目にあうかわかりません!」
家来たちは、義苗さまを必死になって止めました。
「ご隠居さまは、オレの父上の兄――オレにとっては伯父上にあたる人だぞ。甥のオレをどうこうするわけないじゃないか。第一、オレは殿さまだ。先々代の殿さまであるご隠居さまにやられるもんか」
「いいえ、それは甘い考えです。若殿さまは、先代の殿さまがどうやって菰野藩の殿さまになったかごぞんじですか?」
「え? 8代目藩主・雄貞さまのことか? そんなの、ご隠居さまから聞いて知っているさ。あの方は、ご隠居さまに息子がいなかったから、菰野藩の後継ぎとして他家から養子に来たんだろう? でも、雄貞さまは殿さまになってたった2年で急死しちゃったけど……」
そして、雄貞さまには子供がいなかったので、他の家に養子に行っていたご隠居さまの弟・俊直さまの次男である義苗さまが、病気で死ぬ直前だった雄貞さまの養子となり、菰野藩の9代目藩主となったのでござる。
「その話には、一部、嘘があります。本当は、ご隠居さまにはご子息が一人いらっしゃったのです。……しかし、ご隠居さまはある目的のためにご子息を廃嫡(後継ぎの資格を奪うこと)し、血のつながらない雄貞さまを後継ぎにしたのです。
あのお方は、目的のためなら、家来どころかご自分の息子さえも犠牲にする恐ろしい人です。殿さまがご隠居さまに逆らったら、どんな目にあわされるか……。ああ、恐ろしや、恐ろしや!」
家来たちは、ブルブルと身震いしました。
そこまで言われると、義苗さまもだんだん不安になってきたようです。
「お、おどすなよ……。ご隠居さまの『ある目的』ってなんのことだ?」
「それは……養子の雄貞さまが田沼意次という幕府の権力者の息子だったので、それを利用して……」
家来の一人がそこまで言いかけた時、
「かーかっかっかっかっ!」
という笑い声が廊下に響き渡りました。
家来たちは「うげげ、ご隠居さまだ! 昼まで寝ていると思ったのに!」とおどろいています。
「おまえたち、こんなところで何を話しておるのだ?」
「い、いえ、何でもありません……」
何でもないと言いつつ、家来の声は震えていました。さっきの会話を聞かれたのでは、と心配しているのでしょう。
(今だ。今こそ、ご隠居さまを問いつめてやらなければ……)
義苗さまはそう思いましたが、家来たちの「ご隠居さまに逆らったら、どんな目にあうかわかりません!」という言葉が気にかかり、思うように声が出ません。
ちょっと、ちょっと、主人公! かんじんなところでビビらないでくださいよ!
……でも、まあ、仕方ないでござるな。昨日まで何もせずにボーっとお菓子を食べていたのですから。まだまだ根性が足りないのでしょう。
「ぐ、ぐぬぬ……」
義苗さまは自分の意気地のなさが情けなくなり、拳をにぎりしめてうつむきました。
「彦吉。元気がないみたいだが、どうした? 腹でも痛いのか?」
「い、いえ……。別にどこも悪くありません」
「そうか、それはよかった。……ところで、彦吉よ。おまえのために京都から優秀な学者を呼んでやった。すぐ近くまで来ていると思うから、明日か明後日には江戸に到着するだろう。その先生の言うことをちゃーんと聞いて、しっかり勉強するのじゃぞ」
「えっ、オレの学問の先生……?」
つまり、家庭教師ということですな。
義苗さまが菰野藩の政治に口出しするのを嫌がっている雄年さまが、いったいどういう風の吹き回しでしょう? 義苗さまがお勉強をして頭が良くなったら、政治に関わりたがるようになって、雄年さまは困るのでは?
どれどれ、雄年さまの頭の中をのぞいてやりましょう。
(菰野藩の政治から遠ざけるために、お菓子を山ほどあたえて食っちゃ寝の生活をさせていたが、彦吉もそろそろ政治に口出ししたがる年頃だ。
だが、菰野藩はワシのものじゃ。彦吉には渡さん。彦吉を朝から晩まで勉強づけにして、「もう政治の勉強なんて嫌だぁ~! 毎日遊んでいたーい!」というヤル気のない若者にしてやるぞい! かーかっかっかっかっ!)
うわっ、性格わるっ‼ そーいう企みだったのでござるな⁉
あ、あわわ……。どんなスパルタ教師がやって来るのやら……。
次の日、噂の家庭教師が江戸の菰野藩屋敷にやって来ました。
「お初にお目にかかります。私の名は、南川文蔵。父の代から菰野藩にお仕えしている儒学者です」
広間の上座に座っている義苗さまは、自分の家庭教師となる南川文蔵先生の顔を見て、おどろいていました。男でもドキッとしてしまうほどのイケメンだったからでござる。
目は切れ長で、鼻はほどよく高く、優しげな甘いマスク。中性的な美男子で、女の子がキャーキャー言いそうです。
「南川はまだ20歳(今の18~19歳)じゃが、京都で儒学を学んだ優れた儒学者じゃ。彦吉よ。南川を先生と呼んで、たくさんのことを教わりなさい」
「はい、ご隠居さま」
義苗さまが素直に返事をすると、雄年さまは南川先生にもこう言いました。
「南川よ、彦吉にみっちりと学問をたたきこんでやってくれ。ワシは少し甘やかしすぎたので、きびしーく指導してやってほしい。泣こうが、わめこうが、明け六つ(今のおよそ午前6時)から暮れ六つ(今のおよそ午後6時)まで、食事の時間以外はずーーーっと勉強を教えてやってくれ」
「はい、わかりました」
(ええー⁉ そんなに勉強させられるの⁉ 死んじゃうよ!)
義苗さまは心の中で悲鳴をあげました。
そりゃ、誰だって嫌でしょう。学校の先生が「12時間、ほぼ休みなしで授業をするぞ!」なんて言い出したら、みなさんもブーイングするはずです。
(た、大変なことになっちゃった。ご隠居さまに菰野藩の借金のことをまだ聞けていないのに……)
義苗さま、ピーンチ! 受験戦争もない江戸時代で勉強ノイローゼになってしまうのでしょうか⁉
……と思ったら。実を言うと、別にそんなことはなかったのでござる。
「では、殿さま。早速、授業を始めましょう。今日の授業内容は、お昼寝です。夕飯まで、しっかり惰眠をむさぼりましょう」
義苗さまのお部屋で二人きりになると、南川先生はそんなことを言い、大の字に寝転びました。
「え? え? ええぇぇーーーっ⁉ 南川先生、勉強はしなくていいのか⁉」
「うるさいなぁ。そんな大声を出さないでくださいよ。耳が痛いじゃないですか」
ご隠居さまの前では丁寧な話し方だったのに、今の南川先生はずいぶんとくだけた口調です。そこらへんにいる現代の高校生や大学生と変わりません。
「朝から晩まで勉強づけだなんて、勘弁してください。教える側にも体力の限界があります。それに、私が殿さまに教えることなんて、何ひとつありませんし」
「え? それはどういう意味だよ?」
「どうもこうも、あらしまへん」
南川先生はそう言いながら、むくりと体を起こしました。京都に長くいたせいが、京言葉がなかなか流暢でござる。
「菰野藩の殿さまとしてがんばろうという気持ちがない人に、勉強を教えるなんて時間のムダ、努力のムダ、筆や紙にかかるお金のムダ。三拍子そろって、バッテンみっつです」
「な……な……何だと⁉ ぶ、無礼者め!」
義苗さまは顔を真っ赤にして激怒しました。
お殿さまである義苗さまは、誰かに面と向かって悪口を言われたことが今までありません。だから、煽り耐性がゼロだったのござる。
それに対して、南川先生はめっちゃ煽りスキルが高い様子。ニヤリと微笑みながら、激おこ中の義苗さまを見つめています。
「おまえは儒学の先生なんだろ⁉ 儒学というのは、主君に忠義をつくしなさいとか、目上の人を敬いなさいという教えのはずだぞ。それなのに、なんで主君であるオレにそんな無礼な口をきくんだ!」
「儒学の根本的な考えは、『己を修めて人を治む』です。努力して自分を磨いた人間こそが、人々を救い、正しい道へと導く立派な人間になれるという意味です。あなたみたいにご自分の領地や農民たちのことを考えず、ぼーんやり一日をすごしているバカ殿になんか、礼儀正しくする必要はありませんよ」
「む、むきぃーーーっ‼」
煽る! 煽る! 南川先生、義苗さまをめっちゃ煽ってます!
「だ……だって、仕方ないじゃないか! 何もかもぜんぶご隠居さまが決めちゃうし、オレの話を聞いてくれる家来が一人もいなかったんだ! 何かしたいと思っても、止められちゃうんだ! 自分の領地が気になっても、行ったらダメだって言われるんだ! 何の力もないオレに、どうしろって言うんだよ!」
義苗さまは、狂った獣のように吠えました。
すると、ずっと意地悪そうな笑みを浮かべていた南川先生が、急にマジメな顔になり、こう言ったのです。
「本当に、『何かしたい』と思っていたのですね? 『自分の領地が気になって』いたのですね? 殿さまとしての自覚が、ほんの少しでもあったと……」
義苗さまは涙をグッとこらえつつ、小さくうなずきました。
「……父上と『人を愛し、人に愛される、立派な殿さまになる』と約束したのに、ぜんぜんその約束を守れていないのが悔しい……。ご隠居さまの言いなりになってばかりで、自分では何ひとつ決められない弱さが恥ずかしい……」
「そうです、そこですよ、お殿さま。このままずる賢い大人の言いなりになっていては、一人では何もできない無気力な子供になってしまいます。あなたは、ご隠居さまのオモチャではありません。ご自分の人生は、ご自分の足で、しっかりと歩まなければ!」
「オレの足で、オレの人生を歩く……。で、でも、自分の息子すら見捨てたご隠居さまに逆らったら、オレも大変な目にあわさわれるんじゃ……」
もー! まーたそんな弱気を言っちゃって! ちょっとはしっかりしなさい、主人公!
「気持ちはわかりますよ。あのじじい……げふん、げふん、ご隠居さまは本気で怒ったら何をするかわかりませんから。しかし、菰野藩の家来や農民たちが国元(領地)で今どんなに苦しい生活をしているかその目で見たら、殿さまも『ご隠居さまと戦わなければ!』と思うはずです」
「菰野のみんなは、そんなにひどい生活をしているのか?」
まあ、当然でしょうな。9千8百両の借金があるのに、雄年さまはぜいたく三昧の生活をしているのですから。他のところにしわ寄せがくるに決まっています。それが、菰野藩の領地で暮らしている家来や農民のみなさん……というわけでござる。
「殿さま。私と一緒に見に行きましょう、殿さまのご領地がどんなところなのかを」
「オレだって見に行きたいが……。幕府が参勤交代を免除してくれているのに勝手に領地に行ったら、将軍さまが激おこぷんぷまるで大変なことになるらしい」
「たしかに、大変なことになるかも知れませんね。最悪、菰野藩はお取り潰しです」
「げーっ⁉ そ、そんなに厳しいの⁉」
「しかし、一日も早く殿さまが菰野藩の現状を知り、立派な藩主として覚醒してくれなかったら、どっちみち、借金まみれの菰野藩はあと数年で破産するでしょう」
「え、ええーっ⁉ もう破産寸前のところまでいってるのぉー⁉」
どうあがいても絶望とか、なんちゅう罰ゲームでござろう……。
「け、けど、幕府に見つかったらダメだし、ご隠居さまに見つかっても止められちゃうし、どうやったら江戸から出られるんだ?」
義苗さまがそう言いながら頭を抱えていると、背後から「そーいうことなら、私にお任せくださいですぅー!」という元気な声がしました。
「うわっ、ビックリした! くノ一のミヤじゃないか。今までどこに行っていたんだ?」
「女中のふりをして、ずっとここの屋敷にいましたよ? 今朝の殿さまのお食事をお運びしたのも私ですし。命の恩人である殿さまをお助けできる時を待っていましたです」
おお! 伊賀忍者であるミヤが協力してくれたら、こっそりと屋敷をぬけ出して、伊勢の国へと旅立つことができるかも知れませんな!
「本当に手伝ってくれるのか?」
「はい! くノ一ミヤにお任せあれ!」
「ありがとう、ミヤ。オレにはちゃんと味方がいてくれたんだな。もう一人じゃないんだ」
義苗さまは嬉しくなり、心から感謝しました。ミヤは照れながらニヘヘ~と笑っています。
南川先生は、そんな二人を見つめながら、穏やかに微笑んでいました。そう、子供たちを見守る教師のような穏やかな笑みを……。
(ふっふっふっ~。計画どおり! 「殿さまをわざと怒らせてヤル気を出させる作戦」は成功ですね。殿さまが単純な性格でよかったぁ~)
……ぜんぜんそんなことはなかったでござる。
これはなかなか手強そうな先生ですぞ、義苗さま!