二の段 くノ一です、にんにん
その日の夜。
一人で部屋にいた義苗さまは、しょんぼりと背中を丸めて、カステラを食べていました。
またお菓子ですか。甘い物ばかり食べていると太りますよ?
「オレは、いくら食べても太らない体質なんだよ。もぐもぐ……」
きぃー! うらやましい!
……いやいや、だから拙者(物語の語り手)の言うことに反応しないでくださいってば。
「あーあ。見たかったなぁ、大相撲。……それに、菰野がどんなところかも気になるし。いちおう、形だけは菰野藩の殿さまだから」
義苗さまは、両親と別れて菰野藩の殿さまになった5歳の時のことをあまり覚えていません。ですが、「父上や母上がいない屋敷になんか、行きたくない! 寂しいよー!」と言ってわんわんと泣いた別れの前日のことは、今でも不思議と記憶に残っていました。
幼い義苗さま――当時は彦吉さまという幼名でしたが――を膝の上に座らせ、母上の小夜さまが義苗さまの頭を優しくなでてくれたこと。
そして、父上の俊直さまが、
「彦吉、そばにいてやれなくてすまない。許してくれ。他家の養子となってしまった父は、菰野藩に戻ることができないのだ。……人を愛し、人に愛される、そんな立派な殿さまになってくれ。そうしたら、おまえのまわりにたくさんの仲間が集まり、きっと寂しくはなくなるはずだ……」
そう言い、形見の脇差(武士が腰にさす大小の刀のうちの小さいほう)を手渡してくれたこと。
その当時のことはほとんど忘れてしまっているのに、このふたつの記憶だけは今でも義苗さまの頭から離れないのです。
「父上、ごめんなさい。オレ、父上に言われたことをぜんぜん守れていないです。……だって、一人ぼっちのオレに『人を愛し、人に愛される』ことなんてできっこないよ。味方が一人もいないんだもん。立派な殿さまになんか、なれっこない」
家来たちは、義苗さまになぜかよそよそしい。
ご隠居の雄年さまは、義苗さまに菰野藩の政治に関わってほしくない様子。
義苗さまは、毎日何もせずボーっとしているしかありません。
うーむ、そりゃ投げやりな性格になっちゃいますよねぇ……。
「せめて、一人でもいいから、オレの話を聞いてくれる味方がいてくれたらいいのに……」
義苗さま、さっきから独り言が止まりません。よほど寂しいのでしょう。
仕方ありませんねぇ、特別サービスで拙者が愚痴を聞いてあげま……。
ぎゅるるるるぅ~!
おや? この音はなんでしょう? あっ、拙者のおならではありませんぞ⁉ 本当でござる!
「さっきの音は、床下から聞こえたな。も……もしかして、幽霊?」
ぎゅるるるるぅ~! ぎゅるるる~! お腹減った……。
「お腹減った⁉ 幽霊がお腹空くか⁉」
たぶん幽霊はお腹空かないと思いますぞ、義苗さま。怪しいヤツだったらいけないし、床下を調べたほうがよろしいのでは?
「く、曲者だったら、オレがとっ捕まえてやる」
義苗さまは勇気を出すと、太刀(武士が腰にさす大小の刀のうちの大きいほう)を片手に持って庭におり、屋敷の床下をのぞいてみました。毎日ヒマなので、いちおう剣の修業はそれなりにやっているのです(一人でブンブン木刀を振り回しているだけですけどね!)。
「床下は真っ暗だ。ロウソクで照らしてみよう」
義苗さまは、闇がうごめく屋敷の床下にほのかな光を差し入れました。すると、そこにいたのは――。
「ふ、ふえぇぇ……。お腹が減って、もう一歩も動けないですぅ……。私みたいに優秀で可愛いくノ一がこんな場所で野たれ死にするなんて、世の中はクソですぅ……」
なんと、小柄な女の子が倒れていたのです。ぎゅるるる~と鳴っているのは、この女の子のお腹のようです。
「おい、しっかりしろ。お菓子を食わせてやるから、そこから出て来い」
なぜ床下に女の子がいるのかわかりませんが、自分の部屋の真下で野たれ死にされてもらっても困ります。義苗さまがそう声をかけると、女の子はぎょっとおどろきました。
「か、完璧な忍びの術で隠れていたのに、なんで私がここにいるとわかったですか⁉」
「なんでって、めっちゃ鳴いてたじゃん。腹の虫」
「くっ……。伊賀の里での厳しい修行で身につけた忍びの術が通用しないなんて、あなたなかなかやりますね!」
「おまえ、優秀な忍者がたくさんいることで有名な伊賀の国のくノ一なのか」
「うげげ⁉ ふ、普通の町娘のかっこうをしているのに、私がくノ一だとなんでわかったですか⁉ し、しかも、私の出身地まで見ぬくなんて、おそろしい眼力の持ち主ですぅ!」
「いや、さっきから自分でペラペラしゃべっているじゃないか。そもそも、普通の町娘が大名屋敷に忍びこまないし。……何でもいいから、早くそこから出て来いよ。お菓子、あげないぞ?」
噛み合わない会話にだんだん疲れてきた義苗さまがそう言って立ち去るそぶりを見せると、くノ一は「わー! わー! 待ってぇー! お菓子ぃ~!」と叫び、床下からかさかさとクモみたいな動きではい出て来ました。
「おまえ、忍者ならもっと華麗な動きで出て来いよ……」
「お腹が死ぬほど減っていて、そんなこと気にしている余裕なんてないですよぉ! ほ……本当にお菓子をくれるですか?」
くノ一が泣きべそをかきながら義苗さまを見上げると、義苗さまは「あ、ああ……」と言いながら顔をプイとそらしました。
どうやら、月明かりに照らされたくノ一の顔が思いのほか可愛かったので、照れちゃっているみたいですな。
それから、四半刻(30分)後。
「ばくばくばく! おいひぃ~! ばくばくばく! おいひぃ~!」
「よく食うなぁ~……」
義苗さまは、くノ一の豪快な食べっぷりに圧倒されていました。いや、拙者も圧倒されて、震えているでござるよ……。
くノ一は、両手にカステラを持ち、次から次へと口にほうりこんでいきました。
30個ぐらいあったカステラを食べつくすと、雄年さまが義苗さまに買いあたえた他のお菓子――ようかん、だんご、せんべい、桜もち、金平糖などなど――もぜーんぶ食べちゃいました。お相撲さんの萩右衛門でも、きっとこんなには食べられないでしょうなぁ。
「げぷぅ~。まだ腹八分といったところですが、これぐらいにしておきましょう。女の子があまりガツガツと食べたら、女子力が低いと思われちゃいますもんね!」
「……いや、もうお菓子ないからな? ぜんぶ食べちゃったからな?」
「助けていただき、ありがとうございました! このご恩は一生忘れませんです!」
「まあ、オレ一人じゃ食べきれなかったから、オレも助かったよ。捨てるのももったいないし。……そういえば、おまえ、なんで菰野藩の屋敷の床下になんか倒れていたんだ?」
義苗さまがそうたずねると、くノ一はぶわっと泣き出し、「聞いてくださいよ、若殿さま!」と叫びながら義苗さまにせまりました。
義苗さまは、急に女の子の顔が間近に寄ってきたので、慌てて後ずさります。うぶでござるなぁ。
「私の名前はミヤ! 14歳(今の12~13歳)! とーっても優秀で可愛い伊賀のくノ一なんですぅ!」
「み、みゃー? 猫っぽい名前だな……」
「忍者としての実力はピカイチなはずなのに、どーいうわけかどこの大名家も私を雇ってくれないのですよぉ~! だから、ご飯が食べられなくて、忍者の携帯食もぜんぶ食べつくし、半日ほど飲まず食わずでいたらめまいがしてきて……」
「半日でたえられなくなったのか。殿さまのオレでも、もうちょっと辛抱できるぞ」
「仕方ないからどこかの大名のお屋敷の台所からおにぎりでも盗もうと思い、ここのお屋敷に忍びこんだのですが……。
『忍術はお仕えする主君をお守りするために使いさない。泥棒のために使っちゃいけません』
というお師匠さまの言葉を思い出し、やっぱり泥棒なんてできないやぁ~、でもお腹空いちゃったしぃ~、と悩んでいる間に動けなくなっちゃったんですぅ……」
「なるほどな。忍者にも守るべき正義があるのか」
義苗さまは、やはり男の子なので、忍者の世界に興味津々のご様子。くノ一ミヤが語った忍びのお師匠さまの話を興味深く聞きました。
(屋敷でボーっとしている殿さまよりも、忍者になったほうが、刺激があって毎日がワクワクするかも。……でも、ミヤみたいに空腹で死にかけるのは嫌だなぁ~)
なーんてことを考えていると、ミヤはおどろくべき爆弾発言をしたのです。
「いやぁ~、それにしても、くっそ貧乏で有名な菰野藩の殿さまにまさかこんなにもたくさんのお菓子を恵んでもらえるとは夢にも思いませんでしたよぉ~! 感謝感激ですぅ!」
「別にそこまで感謝しなくても……うん? 今、なんて言った?」
「感謝感激ですぅ、と言いましたです」
「ちがう、ちがう。もっと前」
「くっそ貧乏で有名な菰野藩……」
「はぁぁぁ~⁉ うちの菰野藩がくっそ貧乏だって⁉ そんなわけないだろう‼」
義苗さまは興奮して立ち上がりました。どうどう、落ち着いて、落ち着いて……。
「あ、あわわ……。ごめんなさい、ごめんなさい! いくら本当のことでも、助けていただいたのにくっそ貧乏なんて言ったらダメですよね! くっそ貧乏だなんて!」
ミヤは慌てて謝りましたが、どうやらこの子、天然キャラのようですな。言ったらいけないワードを無自覚で連発しております。
「うちの藩が貧乏なはずがないだろう! 菰野藩は百万石だぞ⁉」
「ほえ? そんなわけありません! 殿さまはご自分の領地のことを何も知らないのですか? 私は菰野からわりと近い伊賀の生まれなので、菰野藩が何万石なのか聞いたことがありますけど」
(そ……そんな、まさか、百万石じゃない? ご隠居さまが「菰野藩百万石」と書いた黄金の扇子をいつも広げて、「かーかっかっかっかっ!」と大爆笑しているから、てっきり百万石だと思っていたけど……)
よくよく考えてみたら、雄年さまは一言も「うちの藩は百万石じゃ」と言っていない! そのことに義苗さまは今ようやく気づきました。
(もしかして、あれってただのハッタリ? 本当はもっと低い? 五十万石? それとも三十万石? いやいや、ひょっとすると、十万石ぐらいなんじゃ……)
だんだん不安になってきた義苗さまは、「な……何万石なんだ、菰野藩は?」と聞きました。ミヤは、あっけらかんとこう答えたのでござる。
「一万一千石ですぅ。一万石以上なかったら幕府から『大名』と認めてもらえないので、菰野藩の土方家はぎりぎり、かろうじて、大名ですねぇ~」
「い……一万一千石……。オレは、ぎりぎり、かろうじて、大名……」
義苗さまは頭がくらくらして、危うく倒れそうになりました。