一の段 若殿さまは一人ぼっち
みなさん、チョンマゲは好きですかな? 拙者は大好きでござる。
チョンマゲといったら、こんな笑い話があります。
江戸時代の終わり頃、日本にやって来た外国人たちはサムライの頭を見て、ものすごーくおどろいたそうな。
「ぎょぎょぎょ⁉ 頭にピストルつけとる‼ ジャパニーズ・サムライ、やばい‼」
チョンマゲがピストルに見えたのでしょうなぁ。まあ、頭からバキュンバキューン☆と発砲されたら、色んな意味で危険なのはたしかですが。
この物語は、そんなピストルみたいな髪形をしたお侍たちが日本にいた江戸時代が舞台です。
主役は、水戸黄門みたいなしわくちゃ顔のお殿さま……だったら、女の子の読者たちからブーイングが飛ぶでしょうし、みなさんと同い年ぐらいの若殿さまにしましょう。それなりにイケメンだと思います。
ほえ? いくらイケメンでも頭がピストルだったら嫌⁉
ああー、本を閉じないで! 可愛いくノ一(女忍者)も登場するから! ちゃんと最後まで読んでぇーーーっ‼
……えー、こほん。取り乱してアイムソーリー、ヒゲソーリー。そろそろ物語を始めましょう。
今からざっと150年前まで、日本は江戸幕府という武士の政権が支配していました。
トップはもちろん徳川家康公の子孫の将軍さま。その下で、だいたい250の大名――つまりお殿さまが各地域を支配していたのです。
この物語の主人公である少年も、そんなお殿さまたちの一人でした。ただ、ちょーっと複雑な事情がある若さまみたいですよ? 一緒に見ていきましょう。
「ふわぁ~。ヒマだなぁ。誰か遊び相手はいないかなぁ……」
江戸(今の東京)のとある屋敷の縁側で、一人の男の子がだら~んと寝転んでいました。
男の子はド派手で高級そうな羽織と袴を身にまとい、これぞまさしく「ザ・殿さま」といったいでたちです。もちろん、頭はピストル……じゃねぇや、チョンマゲでござる。
ふぅ~む。物語の語り手である拙者がせっかくかっこよく紹介してあげようと思ったのに、のっけからやる気がなさそうですぞ、この主人公。そんなに暇だったら、家来でも呼んで遊びにつき合わせたらいいでしょうに。
「誰か遊び相手は……あっ、聡太。オレと将棋しようよ」
「もうしわけありません、若さま。それがし、大事な用がありまして……」
「そうか、だったら仕方ないな。……おい、六兵衛。オレと相撲をしよう」
「え? す、相撲でござるか? もうしわけありません。朝から右ひざが痛くて相撲はできそうにありませぬ……」
「……などと言いつつ、左ひざをおさえながら逃げていったぞ、あいつ。ちぇっ、どいつもこいつも殿さまのオレを無視するんだから嫌になっちゃうよなぁ。もぐもぐ……」
家来たちに遊びの誘いを断られてしまった若殿さまは、ふてくされながら大きなまんじゅうをふたつ、みっつとやけ食いしました。
おやおや。どうやらこの若さま、家来たちにさけられているみたいですなぁ。殿さまなのにぼっち属性とは、これいかに?
「オレをさけているのは家来だけじゃない。身の回りの世話をしてくれる女中たちも、何だかオレによそよそしいんだ。殿さまになるために父上と母上がいないこの屋敷につれてこられたのが5歳の時で、8年間ずーっとこんな感じだ」
ぼっちで寂しいせいか独り言が多いですね、この若殿さま。せっかく顔は美形なのに、ちょっと残念。そんなことじゃ、女の子にモテないぞ!
まだブツブツと独り言を言っているみたいなので、その間にこの若殿さまが何者なのか紹介しましょう。
この若殿さまは、土方義苗さま。伊勢の国(今の三重県)・菰野藩の大名。年齢は13歳でござる。本人が言っている通り、5歳でお殿さまになりました。
中学生で殿さまなんてすごい!
……なーんて感心したそこのあなた、ちょっとちがいますぞ?
この時代の年齢は数え年といって、おぎゃあと生まれた時点で1歳とカウントするのが決まりなのです。そして、新しい年を迎えるごとに年齢が1歳ずつ増えていきます。0歳からカウントする今とはちがうわけですな。
だから、義苗さまは、今で言うところの11~12歳。つまり、まだ小学生なのでござる。小学生で殿さま歴5年とは、なかなかすごいですなぁ。
「ぜんぜんすごくないし。毎日、部屋にこもってボーっとお菓子を食べているだけだし。そもそも、領地の菰野にまだ行ったことすらないし」
義苗さま、物語の語り手の言うことにツッコミを入れないでくだされ……。
普通、殿さまは参勤交代といって、自分の領地と将軍さまのお膝元である江戸を1年交代で行き来するものなのです。今年は自分の領地、来年は江戸、さらに次の年は自分の領地……といったふうに、住む場所を変えるというめんどくさーい決まりでござる。
ただ、義苗さまはまだ子供なので、免除されているみたいですが……。
「あの……若さま。ご隠居さまがお呼びです」
義苗さまがほっぺたについたあんこを指ですくってペロペロなめていると、女中さんがやって来てそう報告しました。
「ご隠居さまが? またお菓子かオモチャをくれるのかな? もう部屋にいっぱいあるし、別にいらないんだけどなぁ~」
「いえ、伊勢ヶ浜荻右衛門さんがあいさつに来て、若さまにお目通りを願っているそうです」
「え⁉ 萩右衛門が⁉ やったー! 会う、会う!」
義苗さまは目を輝かせて、家来と会うための広間へと走って行きました。
「お~い、萩右衛門! 相撲やろう、相撲! ……あれ? 誰もいない?」
「ひ……彦吉! ここじゃ! ここ、ここ!」
広間に誰もいなくて義苗さまが首をかしげていると、後ろから義苗さまの幼名(小さい頃の呼び名)を呼ぶ声が。
義苗さまが振り返ったら、そこにはご隠居さまとでっぷりと太ったお相撲さん――伊勢ケ浜萩右衛門がいました。
ご隠居さまと萩右衛門は上半身裸で、はっけよい、はっけよいと相撲をやっている最中……あっ、萩右衛門がドテーンとこけました。
押し倒し~、押し倒しでご隠居さまの勝ちぃ~!
「あいたたたぁ~。負けましたぁ~でござる」
「うわっはっはっ! どうじゃ、ワシの会心の一撃は!」
「やっぱり、ご隠居さまはお強いですぅ~でござる」
「そうじゃろう、そうじゃろう! かーかっかっかっかっ!」
菰野藩の前の前の藩主であるご隠居さま。お名前は土方雄年さまといいます。まだ40歳(今の38~39歳)なのですが、悠々自適の隠居生活を送っています。
(萩右衛門はご隠居さまに気を遣ってわざと負けているだけなのに。運動不足ぎみのおっさんが本物の力士に勝てるわけがないじゃん)
義苗さまはジト目で雄年さまをにらみました。雄年さまは、13歳の義苗さまから見ても子供っぽいお方なのです。
「お殿さま。ご機嫌麗しゅうぞんじます、でござる」
萩右衛門は、縁側に立っている義苗さまにへへぇ~と土下座しました。
裸と裸で激しくぶつかりあう力士とは思えないほど性格が穏やかで、人懐っこいのが萩右衛門というお相撲さんなのです。強くて優しいその人柄が、義苗さまは大好きでした。
「おいらをお侍にとりたててくださったこと、いつもいつも感謝しております、でござる」
「いやー、それはご隠居さまのやったことだから。オレ、なーんもやってないから。というか、自慢じゃないけど、大名としての仕事なんてひとつもやったことないし。別にお礼なんていらないよ」
義苗さまはちょっと投げやりぎみに言いました。まあ、この若さまはいつもこんな感じなのですが。
萩右衛門は菰野藩の領地で育ち、お相撲さんになった若者。菰野藩の先々代藩主・雄年さまに気に入られ、菰野藩のお抱え力士になっていました。
ほえ? お抱え力士とは何かって?
よろしい、説明しましょう。
この時代、お殿さまが力士を自分の家来にして、武士の身分にひきあげてあげることがありました。強い力士を家来として召し抱えるのが、お殿さまたちのちょっとしたステータスだったのでござるよ。
というわけで、この萩右衛門という力士も、足軽(下級武士)と同じくらいの給料を菰野藩からちょうだいしていました。
……ただ、まあ。武士の生まれではないお相撲さんを家来にするのは、あくまでもお殿さまの娯楽みたいなものだったので、お金に余裕がない大名家はやりたくてもできなかったでしょうな。よーっぽど金銭感覚がない、後先考えないバカ殿以外は。
「お殿さま。今日は、しばらく江戸を離れるのでお別れのあいさつに来ました、でござる」
萩右衛門は、義苗さまにそう言いました。武士らしい言葉づかいをしようと思っているのか、いちいち語尾に「ござる」をつけているようですな。そんなにござるござる言わなくても大丈夫でござるよ?
「えっ? どこか旅行にでも行くのか? オレと相撲をとってくれるのはおまえだけだから、寂しくなるな……」
「いえ、旅行ではありません、でござる。今度、菰野で江戸大相撲をやるので、ご隠居さまのご命令でおいらがその準備をすることになったのでござる」
「ええ⁉ 菰野藩が大相撲を開くのか⁉ すごーいっ‼」
現在でも日本人に大人気の相撲。江戸時代には「神さまに捧げるための行事」として日本の各地でおこなわれ、有名力士たちが技を競い合う江戸の大相撲は特に人気でした。
そんな大相撲が、自分の領地でおこなわれると聞き、無気力でちょっと冷めた性格の義苗さまもおどろいたご様子。
当然ですな。たくさんの有名力士たちが集まる大相撲を開くなんて、よっぽどのお金持ちの殿さまじゃないとできませんもの。
「菰野藩って、そんなにもお金持ちだったんだ! 道理で、ご隠居さまやオレがぜいたくな生活をできるはずだよ。貧乏な大名家に生まれなくてよかったぁ~!」
義苗さまが目を輝かせながらそう言うと、雄年さまは、
「かーかっかっかっかっ! そうじゃろう、そうじゃろう!」
と笑いながら、黄金の扇子を広げました。その扇子には、「菰野藩百万石」と大きく書かれています。
さっきまで裸だったのに、いつのまに服を着たのでしょう。雄年さまは、ものすごく高価そうな金ピカの羽織を着て、美人の女中たちに肩や腰をもませています。昼間からキラキラと輝く金箔が入ったお酒なんか飲んじゃって、うーん、すごくリッチ!
ちなみに、雄年さまの扇子に書いてある「百万石」とは、超簡単に言うと、
「うちの領地では100万人を養えるだけのお米がとれるぜ!」
ということです。
米1石は1000合(150キログラム)にあたり、これは昔の人が1年間に食べた米の量だと言われているのでござる。つまり、100万石の米がとれるだけの領地を持っている殿さまは、100万人の人間を食わせていけるだけの経済力があるわけですな。
「ご隠居さま。その扇子の百万石ってなんですか、でござる。菰野藩はたしかいちま……」
「しーっ! しーっ! 義苗の前で余計なことを言うな!」
萩右衛門が何か言いかけたのを雄年さまは慌てて止めました。でも、義苗さまは大相撲の話題に夢中でそんなこと気にしていません。
「ご隠居さま! オレ、菰野でおこなわれる大相撲を見たいです! 菰野に行ってもいいですか?」
義苗さまがはしゃぎながらお願いすると、雄年さまはニッコリと微笑んでこう言いました。
「ダーメ♡」
「ええ~……。自分の領地で大相撲があるのに、殿さまが見に行ったらダメなんですか?」
「彦吉よ。そなたはまだ幼いという理由で参勤交代を幕府から免除されている。大人になるまでは江戸の屋敷にいなさい、というお許しをもらっているのじゃ。それなのに、勝手に自分の領地に行ったら、上様(将軍)に怒られてしまうぞい。ちなみに、隠居した元殿さまも江戸にいなきゃいけない決まりだから、ワシも菰野へは行けない」
「そんなに怒られるのですか?」
「うむ。激おこぷんぷんまるじゃ」
「でも、オレももう13歳ですよ? 自分の領地がどんなところか、そろそろ知りたいし……」
「そ、そなたはまだまだ子供じゃ! わずらわしい政治なんて、大人になってからすればよい! 今は、大名としての役目はワシがかわりにやってやるから、そなたは子供らしく屋敷で遊んだり、勉強したりしていなさい!」
「ちぇ~……」
義苗さまは唇をとがらせ、残念がりました。
(家来たちは遊んでくれない。外は危険だから屋敷から外に出たらいけない。殿さまなのに自分の領地に遊びに行ったらいけない。ない、ない、ないばかりで、つまんないよ。ご隠居さまが何でも一人で決めちゃうから、殿さまらしいことをなーんにもできていないし。オレ、何のために父上や母上とさよならしてこの屋敷にやって来たんだろう?)
義苗さまは、今ごろ父上と母上はお元気だろうか、と思いました。悲しいことに、もう何年も会っていないので、二人の顔はおぼろげにしか覚えていません。
雄年さまは弟の子である義苗さまにオモチャやお菓子は買いあたえてくれるけれど、義苗さまが菰野藩について知ろうとすると、すごく嫌がります。
「菰野藩に行ったらダメ!」と言っているのも、将軍さまに怒られるのが恐いのではなく、義苗さまが菰野の地に足を踏み入れることをさけようとしているみたいです。
菰野藩は、いまだにご隠居である雄年さまのもの。
「オレなんてただのお飾りなんだろうなぁ」と義苗さまは小さな声でつぶやくのでした。