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ラ・カンパネラ  作者: マコ
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私はその人に出会った。優しい、柔らかいを纏ったひとだった。空想の人なのかしら

3.出会い


 学内の演奏会用のホールで実施される公開実技試験、1年と3年、2年と4年の2つに分けて前期と後期の年2回それぞれ2日間行われる。大学の試験ということで、入場は無料、通常の試験だと聴くことができない友人の演奏を聴くことも、外部から知り合いを招くこともできる。周囲には人家はないはずなのに、なぜかご近所の住人だというご夫婦や、散歩をしていたら看板を見て入ってみた、という人もいてそれなりに客席は埋まっているのだ。

 大学生の『おさらい会』のようでもあるが、そこはやはり試験会場、最前列には試験官が陣取り、上目遣いにステージを睨みながら、エントリーシートの採点欄に何やら書き込んでいくのだ。少しばかり華やいでいる後方の客席とは全く異なる空気が最前列には漂っている。


 試験は来週、そのせいか練習室は朝から晩までなかなか空かない、練習室も使えず、授業もなかった私は正午に合わせて礼拝堂に向かった。

 今日も静まりかえっている。友達はこの古ぼけた外観と静けさが不気味で、暗くなると何か出そうだ、と近づくのを嫌がる。私も入学当初は近づくことはなく、正午だけに鳴り響く霞んだ鐘を音を教室からなんとなく聞いていた。


 1年生の冬にあったクリスマスのミサで初めてこの礼拝堂に入った。どんなに寂れた礼拝堂もミサともなると教職員や少しばかり学生が集い、それなりの賑わいとなる。正午にしかならない鐘もミサに合わせて鳴らされた。でも私も含めて多くは即席のクリスチャン、結局はその日ポッキリの祈りでしかない。次の日からはまた寂しいだけの礼拝堂に戻るのだ。


 友人からは『物好き』だと言われているが、私は礼拝堂が好きなのではなく、鐘の音を聞きに来ている。古いのは建物だけではなく、鐘もさびや埃でまみれている。音感の悪い私でも決して響きが良いとは思えない音だ、でも初めて礼拝堂でこの鐘の音を聞いた時になぜか懐かしい気持ちになったのだ。ずっと昔の記憶を掘り起こすような音だったと思う。

 正午まであと数分だ、夏休み明けあたりから鳴っていないのに、また鳴るのではないかと、つい時計を確認し、椅子に座った。

“ギシッ”

私が椅子に座った振動の音かと思ったが、すぐにそうではないことに気がついた。

“ギシッ”

 鐘のある屋根裏に続く階段の方から明らかに木の軋む音が聞こえてきた。私はギョとして階段の方を振り向いたが誰もいない、恐怖におののきながらも、階段の方に近づき、耳をすませた。すると“ガサガサ”という音とともに、今度ははっきりと人の気配とともに“トン、トン、トン”と階段を降りてくる音がした。

 私は逃げだそうと出口を振り返ったが、あまりの恐怖に足がもつれ、転けてしまい、立ち上がれなくなった。幽霊に捕まる恐怖もさすがに身体を打ち付けた痛みには勝てなかったのか、その場にうつぶせに倒れ混んだまま幽霊が私に近づいてくるのを待つしかなかった。

 階段を降りきったのか、私の足下あたりで幽霊の足音は止まった。このままどこか魔界にでも連れ去られるのか、と絶望した。

「大丈夫ですか?」

幽霊に話しかけられた。

「えっ?」

私はとっさに顔を上げ振り返った。そこには人間の男の人が立っていた。

「人ですか?」

幽霊ではないことを確認した。

「えっと、僕は人ですけど、・・・・・・えっと、あなたこそ大丈夫ですか?」

そう言うとその人はひざまずいて私に手を差し出してくれた。

「あ、ああ、あの、大丈夫だと思い……痛っ!」

その手を借りて立ち上がろうとしたが、手と足に力が入らない。すると

「失礼だとは思うけど、抱き上げてもいいかな」

その人が聞いてきた。

「だ、抱き上げるって……」

「変なことを言ってすまない、でもとりあえず椅子に座ってもらえれば、と思って」

私は今あったばかりの正体の知れない男の人に抱きかかえられることに抵抗はあったが、そんなことを言っている限り私は床を抱っこし続けなければならないのも理解できた。

「お願いします……」

その人は軽々と抱きかかえて私を椅子に座らせた。ほんの数秒の出来事、考え込む必要は全くなかったようだ。

「足、擦りむいたんだね、血が出てる。まさか骨折はないと思うけど」

椅子に座った私の前に再度ひざまずいて話しかけてくれた。

「……」

「僕が驚かせてしまったせいだね、本当にすまなかった」

「いえ……」

「ここの学生さん?」

「はい」

「僕は野崎匠、君の学部と名前、聞いていいかな?」

「ピアノ科4年、佐伯花音です」

野崎と名乗ったその人に警戒することなく私は自分の名前を名乗った。

「佐伯君か、そう……、手は大丈夫?」

「あっ」

「ピアノを弾くのに、手をけがしたら……」

私はその言葉にハッとして手をグーパーしてみた。転けた時に咄嗟に手をついたのは覚えているし、起き上がろうとしたときに力が入らなかったので、突き指でもしたのかと慌てたが、椅子に座って落ち着いてみると、指は普通に曲がる、手のひらに親指の付け根の辺りが青タンになってはいるが、どうやら突き指はしていない。

「大丈夫みたいです」

「よかった、ピアノ科の学生さんの手に怪我をさせたりしたら僕は仕事がなくなるよ」

「仕事?」

「ここの礼拝堂の鐘の修理、といっても僕は修理できるような状態かどうか見に来ただけ、実際に修理する人は別の人」

「鐘の修理屋さんなんですか?」

「いや……」

野崎さんは少し困ったように頭を掻いた。

「……この鐘は時計技師だった僕のおじいさんが取り付けたものらしいんだ、それで修理できるか、僕に家に相談があったらしい」

そう言いながら、私の膝から出ている血を作業用のものと思われるバッグから新品の布を出して拭き取ってくれた。

「あなたのおじいさんがこの礼拝堂の鐘を?」

「そうらしい、僕が生まれるずっと前の話だけど、父はよく僕をここに連れてきてはこの鐘の仕組みを話して聞かせてくれていたよ。この鐘のことで学校が始末に困っていたらしく、その頃のことをここの前学長が覚えていたようでね、でも父親は入院してて、それで僕が来たってわけ」

「始末?」

野崎さんは少しばかり考え込んだ。

「8月頃から音が出なくなって、辞めた職員に修理を依頼したら、電気設備の部品がすでに絶版になっていて修理は無理だってわかって、じゃあ撤去しよう、って話になったらしい、でも撤去にもけっこうなお金がかかるみたいで、いっそ元々の時計の技術で修理できないかって……」

「この鐘って……」

「どうかした?」

「チャイムだったんですか?」

私は我ながら間抜けな質問と思いながら聞いた。

「そう、鐘の音のチャイム、音響機器だよ」

「……」

「と言っても、最近はケーブルの劣化のせいで、淀んだ音になってきていてかえって古い鐘の雰囲気があったかもね」

「……」

「興ざめかな、でも世界中探しても、古典的な時計の技術、調律の技術を駆使して人がメンテナンスして鳴っている鐘は観光名所になっている所くらいで、個人の礼拝堂はね……ここも時計と鐘を切り離してずいぶん経つし」

「私、耳が悪いとは思っていたけど、電子音の鐘の音に気が付かないなんて……」

私は恥ずかしさで顔が赤くなるのがわかった。

「無理もないよ、ここが電子になったのはずいぶん前だし、鐘の音と思って聞けば当然そう聞こえるよ」

山崎さんは当然のように言ってくれたが、鐘はハンドベルの巨大版で、その音色と電子音、その違いがわからないとは……、とても素直に受け入れられない。

「実は僕も春に来て、小さいとき以来だったけど、鐘の音を聞いた時、こんな音だったなぁって思ったんだよ、きっと懐かしい気持ちが当時の鐘の音として聞かせてくれたんだと思ったよ」

「……」

「だから、電子音でもおじいさんに不満はないと思うよ、直すにしても、父はもう体力的に無理だし、僕は原理はわかっても技術はない、もし昔の姿に戻すなら、家に保存してある図面をおじいさんがいたフランスの会社に送って依頼するしか方法はない、仮にその修理がうまくいったとしてもその後のメンテナンスをどうするかっていう問題が残る。無理をして残すより撤去するのが時間の流れかも」

「フランス?」

「そう、この鐘の構造はフランスの技術が使われていて、おじいさんはこの学校を作る時にフランスから日本に来たんだよ」

「フランスから?」

「えっ、じゃあ、おじいさんってフランス人なんですか?」

「そう、おばあさんが日本人」

そう言われて改めて野崎さんを見ると、肌の色はあまり日本人と変わらないが、髪の色は赤みがかっていて、目の色も少し青みがかった黒で、日本人ではない、と思わせる容貌だ。

「外国人は珍しい?」

野崎さんは笑いを浮かべて私を見た。

「あっ、いいえ、すみませんジロジロ見てしまって、一見だとわからなくて」

「ハハハ、そうだろうね、僕も自分は日本人だと思っているしね」

野崎さんの笑い声は礼拝堂に響いた。

「傷、保健室に行って消毒してもらうといい」

そう言って作業用のバッグと思われる手提げを肩にかけると、礼拝堂を出て行こうとした。

「鐘の音はもう聞けませんか?」

「どうだろう、でも……、聴けるかな」

彼はそのまま出て行った。

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