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思い出のスイーツ・その3

 横須賀レッドリボンズは、歴史と伝統のある球団である。

 まだ太平洋戦争が始まる前の昭和11年に、早くもその産声を上げている。

 以来、80年以上もの長きにわたって、横須賀の地にプロ野球の歴史を刻み込んできた。

 当然その歴史はチームの歴史であると同時に、チームを彩った名選手たちの歴史でもある。

 とりわけ球団創生期に活躍した選手たちは、不幸にもその若くたくましい命を戦争によって奪われた悲劇のヒーローとして、ある種の伝説とともにファンの間で語り継がれている。

 中でもエースだった赤村栄治あかむらえいじは、当時世界最高のピッチャーとうたわれた。

 その右腕から投じられた球は、鉄砲よりも速いと言われたスーパースターだった。

 彼が投げれば絶対に打たれない、神のごとき存在として、レッドリボンズファンから、スカの大魔神というニックネームを頂戴していた。

 ところが、戦争の魔の手は、そんな赤村のもとへも伸びてくる。

 兵隊として前線に送られ、あえなく戦死を遂げた。

 彼がつけていた14番の背番号は、レッドリボンズ最初の永久欠番である。

 戦後、彼を悼んだファンによって、横須賀スカジアムがある赤下公園の敷地内に、赤村栄治を祀って神社が作られることになった。

 それが、スカの大魔神社である。

 できた当時は、現役時代の赤村栄治を知るファンが、列をなして参拝に訪れていた。

 だが、だんだんとその数は少なくなり、戦後75年を経た今では、赤下公園の片隅にひっそりと小さなお社があるばかりである。

 時折、デート中のカップルがお社の前に立ち止まり、立札を見てこんな会話をしている。

「へえ、スカの大魔神社だって。この人、鉄砲よりも速い球を投げてたって書いてあるよ。凄くない?そんな人がレッドリボンズにいたんだ」

「いや、ただの伝説だよ。記録も記憶も曖昧な、昔の作り話さ。確かにその当時、赤村栄治という選手はいたけど、今のレベルで見れば、そんなに大したことない選手だと思うよ」

 残念なものである。

 歴史とは語り継がれなければ失われてしまうものである。

 赤村が本当に鉄砲よりも速い球を投げていたかどうかは、今となっては知るすべはないが、偉大な先人をリスペクトする精神は忘れてはならない。

 このままでは、戦前のレッドリボンズに素晴らしいピッチャーがいたという記憶が、ファンの中からも消え失せてしまうのも、時間の問題である。

 ところが、このスカの大魔神社、訪れる人がいない割には、なぜかいつも綺麗に掃除されていた。

 そればかりか、時々お酒のカップや、お菓子などがお供えされていることもある。

 そのスカの大魔神社の前で、先月不思議なことがあった。


「おばあちゃん、いつもお社を綺麗にしてくれて、ありがとうね」

 レッドリボンズの赤い帽子を被ったファンの女の子が、腰の曲がった老女に声をかけた。

 おや、という目で老女はその若い女を見た。

「まあ、こんな若い人がお参りにきてくれるんだねぇ」

 久しく絶えていた参拝客である。

 戦後ここができて以来、足繁く通っているが、最近は自分以外の他の人がお参りにきているのを見たことがない。

「あったり前じゃない。だって私はレッドリボンズのファンだもん。おばあちゃんでしょ。いつもお菓子のお供えをしてくれているのは。それって赤屋の羊羹よね」

「おや、若い人でも知っている人がいるんだね。そうだよ。これは赤屋の羊羹さ」

 赤屋とは、横須賀に店を構える老舗の和菓子屋である。

 創業は明治年間で、昭和初期の頃には、横須賀を代表するお菓子屋さんとして賑わっていたが、ここ最近は若者のお菓子離れもあってか、めっきりお客さんが減り、もはや廃業寸前となっていた。

 時代に合わせて変わっていけばよかったのだろうが、本物の材料にこだわり、頑なに昔ながらの製法を守っているため、値段も高いし作るのにも時間がかかる。

 そのため大量に生産してデパートに卸すことができない。

 添加物や保存料を一切使わないため、インターネットで通販することもできず、細々と店頭販売のみを続けていた。

「わしはのぅ、赤屋のおばばじゃよ。こう見えて昔は看板娘なんて言われたこともあったが、今じゃすっかり年をとって、店も寂れたわい」

「私、赤屋の羊羹大好きよ。だって他のは安っぽい味がするんだもん。やっぱり本物は違うわよね。私がピッチャーだったら当番前にあれを食べれば、何球でも投げられそうな気がするわ」

「ああ、昔にもそう言ってくれた人がおったのう。あの頃はまだわしはほんの娘っ子じゃったが。あの人、それはそれはカッコいい人でのう。レッドリボンズのエースじゃった。恥ずかしいが、わしの初恋の人じゃった」

 と、老女は年甲斐もなく顔を赤らめた。

「おばあちゃん、それってもしかして」

 その子はお社の奥を見た。

「そうじゃよ。赤屋の羊羹は、赤村栄治の大好物だったんじゃ。当番前にはいつも店によって、赤屋の羊羹をひと竿食べてから球場に向かっていた。これを食べれば、何球でも投げられそうな気がする、と言ってくれてな。じゃから今でもこうやって一週間に一度はお供えしにくるんじゃよ」

「そうだったんだ。おばあちゃん、もう一度赤村栄治のピッチングが見たいんじゃない?」

「ほんに、夢でもいいから、もう一度あの豪速球が見れたらいいのぅ」

「おばあちゃん、その夢叶うかも」

 女の子はニヤリと笑った。

「そういえば、もうすぐ赤村栄治の命日よね」

「ほう、よく知っているね。そうじゃよ。来月は赤村栄治の命日じゃよ。毎年その日にはあの人が一番好きだった、紅羊羹をお供えしているんじゃよ。でもそれも今年で最後になるかねぇ。百年以上続いた赤屋も、来月で店じまいする予定なんじゃよ。わしとしては、あの人が好きだった味をずっと残していきたいと思っとるんじゃが、仕方ないのぅ。来月お供えする紅羊羹が、赤屋の最後の一本になるねぇ」

「それは残念だわ。私、赤屋の紅羊羹、大好きなのよ。そうだ、赤屋さんが店じまいしなくてもいいように、大魔神さまにお願いしとこっと」

 二人は揃って手を合わせた。パン、パンと柏手を打って目を閉じる。

 そのとき老女は不思議な声を聞いた。

「赤屋の娘よ。我が命日に紅羊羹を供えること、ゆめゆめ忘れるでないぞ。我が最後のピッチング、しかとその目で見届けよ」

 驚いて顔を上げると、さっきまで隣にいたはずの女は、どこにもいなくなっていた。

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