恋のアカナチオ・その6
「それとね、赤間旅館には、もう一つミステリーがあるのよ」
「えっ、な、なんでしょう」
ミステリーと聞いて震え上がる小心者のハンタマである。
さっきまで掻いていた大汗が一気に引いた。
女の子はまだ何も話してないのであるが。
「『蹴球夜叉』の名場面、あの銅像になってるシーンね。あそこに出てくる赤海の秘宝ってのが、実在してたっていう噂があるのよ」
ああよかった、おばけじゃなかった、とハンタマは思った。
「あの、海賊が隠したという」
「そう。赤海の秘宝というのは、架空の財宝とされているんだけど、小説にはそれが何なのかはっきり書かれていないのよね。昔の小判なのか、それとも宝石か何かなのか。一応、物語では赤海の秘宝を売って得た大金を使って蹴一はサッカーチームを作って、スタジアムを建設するわけだけど、それでもまだ莫大な財産が残っていたことになっているの。でもそれまでに秘宝を巡ってドロドロと血生臭いこともあったから、蹴一は残りを全部海に流しちゃったのね。そうしてお摩耶さんにこう言うのよ。『本当の赤海の秘宝はここにある。それはお摩耶、お前だよ』ってね。それが小説のラストシーンなの。ロマンチックだと思わない?」
「は、はあ。そうですね」
生返事をしたが、ハンタマにロマンチックなどという言葉の意味はよくわからない。マロンクリームの親戚か何かだと思っている。
「それがね、赤崎の研究者の中には、赤海の秘宝が実在していたっていう人もいるの。ハンタマさんも知ってのとおり、赤崎紅葉はオンセンロ赤海の前身となる、赤海蹴球倶楽部を創立しているでしょ。スタジアムだって、今のは近年になって同じ場所に建て替えられたものだけど、大正時代に日本初のサッカースタジアムを作ったのよ。これだけのお金がどこから出てきたのか、不思議に思う人もいるのよ」
「それは大文豪だから」
「そうなのよって言いたいところなんだけど、実はそうでもないのよね。赤崎は当時名の知られた流行作家ではあったけれど、同時に大浪費家でもあったの。現実には、お摩耶さんに借金までしてたそうよ」
そうなのか。確かに昔の文豪というと破天荒なイメージがある。
そう言われてみると、その方があり得そうな気がする。
「小説では海に流されたことになっている赤海の秘宝を探すために、調査が行われたこともあったわ。そうそう、昔テレビ番組にもなっていたわね。でも見つからなかったの。それで、やっぱり赤海の秘宝は架空のものだったってなったんだけど」
「だけど?」
「研究者の中には、今でも赤海のどこかに眠っていると主張する人もいるわ」
何やら壮大な話である。
でも自分には関係ないなと、ハンタマは思った。
難しい話を聞くと頭がうまく回らなくなる。
炭水化物が不足しているなと思って、追加でミートドリアも注文した。
「やれやれ。あいつ俺たちのこと全然覚えてなかったな」
ハンタマが帰ったあと、急にそこにいた客が足を崩した。
「まったく、記憶力が陳腐なのにも程がある」
もう一人の客がそれに応じる。
「あら、私のことは覚えていてくれたわ」
店の女の子は親しげに客の会話に加わった。
読者諸君は既におわかりであろう。
この女こそは、全世界を震え上がらせる大泥棒・怪盗赤ずきんちゃんのリーダー・赤ずきんである。
そして最初に口を開いたのは、凄腕のスナイパー・狩人で、もう一人はマッドサイエンティストのオオカミだ。
ハンタマの温泉饅頭を奪って、彼をこの店に導いたカラスは、オオカミの作ったロボットである。
「だから変装しなくても大丈夫だと言っただろう」
厨房からマスターが出てきた。
この人物はもちろん、正体不明の変装の達人・おばあさんである。
今日は中肉中背の中年男性に扮して、ご丁寧にもちょび髭までつけている。
狩人とオオカミは、なんの変装もせずにそのままそこにいたのだが、ハンタマはとうとう思い出すことはなかった。
修行体験で苦楽を共にしたといっても、その程度である。
「しっかし、全部食っていきやがったぞ。ほんとに辛くしたのか?」
狩人がおばあさんに聞く。
「とびっきりのスペシャルに辛くしといたよ」
と、おばあさんが答えた。
ハンタマは恋に落ちたせいだと思ったのだが、実は彼が食べた料理には、全て唐辛子がふんだんに使われていたのであった。
怪盗赤ずきんちゃんメンバーのいたずらである。
「君は何も感じないのか。こっちまで目が痛くなってきたぞ」
オオカミは目を抑えた。離れていても、刺激が伝わってくる。
「まったく、あいつ、どんな胃袋してやがんでえ。おお、痛え」
遅れて狩人も目を抑えた。ハンタマの胃袋は世界最強である。
「それにしてもあいつ、随分とお前にお熱だったじゃねーか」
「あら、唐辛子のせいだわよ」
と、赤ずきんはとぼけた。彼女はちゃっかり水中眼鏡をかけている。
「それに、熱があるのは悪いことじゃないわ。ブタもおだてりゃなんとかっていうしね」
狩人は、やっぱりこの女は腹黒いなと思うのであった。
ハンタマは熱に浮かされて旅館に向かった。
まだ体が火照っている。よっぽどあの女に惚れてしまったようだ。
「ありがとう、ハンタマさん。またきてね」
と、最後にニコッと微笑んでくれた顔が脳裏に焼き付いて離れない。
食べることにしか関心のないハンタマの心をこれほどまでに奪ってしまうとは、さすがは世界を股にかける大泥棒である。
今日は汗をびっしょりとかいた。早く旅館に行って温泉にでも入ろうと、編集長から渡された地図を見る。
観光客の多い通りまでは、さっきの女の子に教えてもらった。
旅館はメインストリートから離れた、侘しい通り沿いにあった。
通りの様子から察するに、おそらくここは昔の中心地だったのではないか。
戦後赤海も観光客誘致のために、区画整理によって街を発展させた経緯がある。
そのときに当時の国鉄、今のJRの駅に合わせて再開発したのだ。
「えーっと、赤間旅館、赤間旅館っと。あった、ここだ」
古い門を通って中に入っていった。
狭い庭をあっという間にまたいで、年季の入った玄関をくぐる。あまり繁盛しているようには見えない。
さて、読者のみなさんはとっくにお気づきのことと思う。
今夜ハンタマが泊まる宿こそ、赤間監督の奥さん、赤間睦美が経営するアカホテルチェーンのもととなった、赤間旅館である。
アカホテルは近代的なビルのシティホテルだが、睦美は赤間旅館は大正期のままの姿を残したいようで、赤海の老舗旅館といっても、今となっては侘しさを感じさせる佇まいだった。