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恋のアカナチオ・その2

 まあ、自分には関係ないか。と、ハンタマは本を閉じた。

 やがて自分も結婚することになるのだろうが、まだしばらくは先である。

 今は食べ盛りの成長期と、弁当の残りをかきこんでお茶を飲んだ。

 ふと、ある女の子を思い出す。

 前回のお寺修行で出会ったあの子である。

 あの子、かわいかったなあ。僕の記事が楽しみで、東赤スポーツをいつも読んでいるって言ってたっけ。

 せめて連絡先でも交換しとけば良かったかなあ。

 あのあとハンタマは、地元警察やマスコミに囲まれててんやわんやで、女の子にさよならを言う機会もなかった。

 ようやく騒ぎが収まったときには、ハンタマ以外の他の修行者たちは、もうとっくに帰ったあとだったのである。

 ハンタマは大きくため息をついた。あの女の子と肩を組んで、サッカーボールに足をかけている自分を想像してみる。

 だが、うまく足が上がらずに、ずるっとボールに滑って転げてしまった。

 想像の中でさえ、ハンタマは鈍臭い。

 ま、そんなこと起きるわけないか。

 ええと、あと5分で到着だな。サンドウィッチぐらいなら食べれるな。

 車内販売を呼び止めて、食べ物を購入した。

 ところがこのあと起きたのである。ハンタマが予想もしていなかったことが。


 赤マムシこと、赤間睦夫監督は、既に還暦を越えた人の良さそうな男だった。

 くたびれたと言っては失礼だが、そのニックネームから連想するような、ギラギラとした感じはない。

 頬はたるみ、腹はでっぷりと出て、どちらかというとハンタマ体型である。

 この人が元サッカー選手だとは、到底信じられない。

 スタジアムの外の屋台で蒲鉾を売っているおじさんではなかろうか。

 赤海に着くと、ハンタマは早速取材を開始した。

 本当であれば観光客の多い通りをうろついて、新鮮なお魚やスイーツを堪能したいところだったが、本社からあらかじめアポイントを入れてあるため、行かざるを得ない。

 オンセンロ赤海のスタジアム・ビッグスパの監督室にて、赤間は取材に応じてくれた。

「わしじゃない。赤マムシってのは、女房のことだ」

 赤間睦夫は東京の出身である。名門・赤京あかきょう高校のキャプテンとして全国制覇し、赤治あかじ大学を経て、当時の社会人有力チーム、赤産あかさん自動車に入部。

 その赤産がJリーグ発足時に赤浜あかはまサリナスに変わると、初代監督としてチームを率いて優勝。

 見事Jリーグ最初の優勝監督となった。

 その功績を買われて日本代表の監督に就任し、ワールドカップでも指揮を執っている。

 その後は引退を匂わせて赤海で隠居生活を送っていたが、オンセンロ赤海復活のために駆り出され、今に至る。

「わしはもうサッカーをするのは疲れたんだよ。ずっとやってきたし、代表監督までやった。残りの人生、温泉にでも浸かりながらゆっくり過ごそうと思っていたのに、女房が尻を叩くもんだから」

 仕方なく監督を引き受けた、というのである。

 その女房というのが、本来の赤マムシこと、赤間睦美あかまむつみ女史である。

 この睦美女史、ハンタマは知らないことだが、実業界では知らぬ者はいない女傑である。

 赤海を本拠地として全国展開するホテルチェーン、アカホテルの会長だ。

 狙った土地は何年かかろうと必ず手に入れる執念深さから、ついたあだ名が赤マムシである。

 アカホテルは元々、赤間旅館という老舗の温泉宿だった。

 それが睦美会長になってから、近代的なホテルチェーンを展開するようになり、一気に全国的な知名度を上げた。

 その睦美がどうして夫の赤間睦夫をオンセンロの監督にできたかというと、何を隠そう実はオンセンロ赤海のオーナーでもあるからなのである。

 それまではホテルの経営が忙しくて、チームの方はなにかと後回しになっていたが、そちらもひと段落ついたということで、サッカーの方にも積極的に関わるようになった。

 気がつけばチームはJ 3に降格。手始めとして隠居するつもりだった睦夫を監督に据えたのであった。

 そしてスタジアムも改装し、蹴一・お摩耶の銅像もスタジアム前に移した。

 そんなことができるのも、睦美が地元の名士であり、赤海の大実力者だからである。

「とはいえ、わしもわしで一計を案じた。幸い女房はサッカーには疎いから」

 睦美に言われて渋々引き受けたが、元来やる気のなかった監督である。ピッチにいるより温泉に浸かっていたい。

 何かエネルギーを使わずにプレーする方法はないものか。

 そこで採用したのが、カテナチオという戦法である。

 カテナチオとは、サッカーの戦術の一つで、1950年代から60年代にかけてイタリアで流行したものである。

 イタリア語で鍵をかけるという意味で、その名の通りゴールに鍵をかけたかのような強固な守備が特徴だ。

 4人のディフェンダーの後ろにリベロと呼ばれる選手を置く布陣で、攻撃は主にカウンターに頼る。

 だがこの布陣は、オフサイドトラップを仕掛けるのに不適であり、サイド攻撃にも晒されやすいという欠点がある。

 サッカーの戦術の進化とともに実際のゲームでは通用しなくなっており、この戦術を採用するチームはもはや皆無と言っていい。

 だが、守備的な戦術として現代に至るまで形を変えて生き残っており、守備重視で戦うチームの戦術に対する総称のように、カテナチオという言葉が使われている。

 その場合、チーム名を文字って◯◯ナチオと呼ばれることが多く、オンセンロで赤間監督が採用するカテナチオは、ファンの間ではアカナチオと言われている。

 まさに鍵が開かない感じがよく出ている、とハンタマは思った。

 オンセンロのアカナチオは、4人のディフェンスラインを二列に敷くというものだ。

 そのことで全体をコンパクトにまとめて現代サッカーに対応することができ、オフサイドも取れる。

 システムは一応4-4-2ということになるのだが、登録はフォワード二人にディフェンダーが八人である。

 ミッドフィルダー登録の選手はオンセンロにはいない。

 攻撃はツートップに任せて、あとの八人はひたすら守ることに専念する。

 オフサイドトラップを頻繁に仕掛け、全体をコンパクトに保つ。

 ボールを奪ったらロングボールで前線に送り、カウンターで点を取る。

 そのためにツートップはブラジル人選手である。どうぞ二人で点を取ってくださいというわけだ。

 そのとき、あとの選手はブラブラしている。

 なるべくエネルギーを使わないようにプレーせよというのが、赤間監督からの指示だ。

 そのためオンセンロの試合は、ロースコアのものが多い。

 ほとんどは1-0とか、1-1で引き分け。0-0で終わる試合も多い。

 だがサッカーは引き分けでも勝ち点1が入るルールなため、確実に1ずつ勝ち点を積み上げることができる。

 リーグには毎年大崩れして、ほとんど勝ち点を得られないチームが現れるため、降格圏内に落ち込むことがない。運が良ければ昇格できるというわけである。

 こうしてオンセンロはJ3からJ2へと昇格した。

 実に地道で消極的、というよりせこい。

 だが赤間監督は、疲れるよりマシだと割り切っていた。

 しんどいことはしたくない。試合など早く終わらせて温泉でゆっくりしたいのだ。

 このシステムをうまく機能させるために、赤間監督は睦美の財力を利用して、チーム環境を大幅に変化させた。

 まずは選手の入れ替え。フォワードやミッドフィルダーを放出して、ディフェンスが得意な選手を集めた。

 ブラジル人フォワードを獲得した。

 そしてもっとも重要だったのが、ユニフォームの変更である。

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