9-4:赫の強襲
「えっ……?」
不意に音が聞こえてきて、真樹は瞑想を中断する。
ふと岸の方を見ると、一人の男が立っているのが見えた。
そこにいたのは、ワインレッドのスーツの男。
この森の中には似つかわしくない、異様に目立つ赫い男がそこにいた。
背は高くて大柄、肩がモリっと膨れ上がっている。
そのせいか、スーツがやや膨れているような印象だ。
恐らくは格闘家なのだろう、鍛えた身体に無理やり仕立ての良いスーツを着せているような印象だった。
そんな男が、服が濡れるのも構わずに川に入って真樹に近づいてくる。
そもそも、この場所は滝の中腹。
滝の周囲の森も絶壁の上にあるのだ。
普通の人間には登ってくることが出来ない場所のはず。
「貴方は一体、何者ですか…?」
真樹はその男に対しての警戒感を上げる。
この目立つスーツにはなんとなく見覚えがあるのだが、この男のことは覚えがない。
「くくく……何者と来たか、猫耳闘士。
お前のペナルティにも参加したことがあるんだがな。
あの青メッシュの男のことしか、頭に残らなかったのかな?」
その言葉に、真樹の警戒度は最大まで跳ね上がる!
この男は、自分が女戦士であることを知っている。
間違いなく裏社会にも通じている人間。
それだけでなく、ペナルティにも参加したことがあるということは……
カッと目を見開いた男は、猛スピードで真っ直ぐに飛んできた。
驚異的な跳躍力。
間違いなく覇氣の使い手だ。
そのまま男は、真樹が瞑想をしていた巨石に飛び乗ってくる。
真樹はすぐさま立ち上がり、臨戦態勢を取った。
巨石の上に飛び乗った男は、そのまま拳を繰り出してくる。
合わせるように真樹も拳を突き出し、互いのパンチがゴィィンと音を立ててぶつかった。
その衝撃で互いに吹き飛び、2人とも巨石から落ちてしまう。
足元で川の水が流れる中、立ち上がった真樹と謎の男は対峙する。
「何するんですか…!?」
「くくく……男が女を襲う理由など、そう多くはないだろう?」
低い声でくつくつと笑いながら答えた男は、ニヤついた顔を貼り付けたまま近づいてくる。
ただでさえ常人には来られない場所に、わざわざやってきている謎の男。
せっかくの修行場所に、土足で上がり込んでくる不埒な男というだけでも戦う理由にはなるが…
何よりこの男、自分のペナルティにも参加したことがあるということは……
それは、自分のカラダを見たことがあるということ。
この身に触れ、弄び、汚そうとしたことがあるということ。
自分という『女』を、本気で狙っているということ。
「くくく、まぁいい。
なら改めて、このゼラのことをじっくり覚えてもらおうか。
そのカラダにな!」
「くっ……!」
舌なめずりしながらニヤつく顔を見せる男を前にして、ぞくりと寒気がする。
こんなに白昼堂々と、乙女を襲うと宣言するような輩がいるとは。
今ここで、ゼラと名乗ったこの変態男を倒さなければ、この身がどうなるか分かったものではない!
「はあぁぁっ!!」
真樹は戦闘態勢を構え直すと、ダッシュでゼラに向かっていき、拳の連撃を繰り出していく。
お得意の両手による連撃は、しかし男の腕によって受け止められてしまう。
「どうしたぁっ!!」
ゼラは真樹の拳を防御すると、そのまま右脚を蹴り上げてきた。
水に濡れて重みを増したズボンを構わず豪快に蹴り上げ、そして直後に蹴り下ろし!
「わっ……と!」
真樹はそれをすかさず避ける。
男の蹴り下ろした足が、足元で派手に水しぶきを上げる。
そんな水を浴びながら、今度は真樹が蹴りをかます。
「てやぁっ!!」
「ふんっ!」
しかし、足元を狙った蹴りは、ジャンプで軽々とかわされてしまった。
そのままゼラは回し蹴り!
「っつぁっ!」
真樹は腕で防御するも、重たい一撃により軽く吹き飛ばされる。
なんとか着地するも、距離を離されてしまった。
(くっ……!
足が上がってない…!)
さっきから自分の下半身に違和感を感じる。
本当は胴に向かって蹴り上げようとしたのだが、思うように足が上がらなかった。
足元には滝による水の流れ。
しかも悪いことに自分は下流にいて、蹴り上げようとすると水流ごと持ち上げなくてはならないのだ。
いや、それだけじゃない。
なんせ今、自分は薄い白装束一つしか着ていないのだ。
相手が男性のせいか、今着ている衣装のせいか。
いくら透けない素材といえど、無意識のうちに足を上げることにブレーキが掛かってしまったらしい。
(落ち着け、相手は加減なんかしてくれないぞ…!)
恥辱に怯えて力が発揮できないなんて、女戦士としては最悪な負け方。
武術家としての心をしっかりと思い出せ…!
真樹は軽く息を吐くと、気合を入れ直して男に向き直る。
コロシアムの外で覇氣を使うのは憚れるが、そうも言っていられない。
「だぁっ!!」
真樹は再び腕に力を込めると、腕を振るう。
「ふんっ、どうした?
映像より遅いぞ?」
しかし男は、足元の水の流れも意に介さず、綺麗なスウェーで真樹の拳をかわしてしまう。
そのままゼラは、右腕を大振りする構え。
スーツ越しでも、構えた腕が筋肉でパンプアップしているのが分かる。
「ふんっ!!!」
「ぐはぁっ!!!」
攻撃をかわされて隙をさらした真樹の身体に、男の太い腕が直撃してしまう。
ばしあゃんと派手な音をして倒れた真樹は、水が流れる地を転がっていく。
「はぁ……はぁ……!」
「その程度か?
今年いちの超新星とやらは」
その言葉を放つ男に向かって、立ち上がった真樹はキッと睨みつける。
外野によって人気を持ち上げられているとはいえ、ここまでヴァルキリーゲームズで戦ってきたのは自分の力だ。
武術家としての力を過小評価されるのは心外だ。
真樹は今度は足に覇氣を込める。
今度は真樹が、真っ直ぐにゼラに向かって飛んでいく。
「そんな馬鹿正直に……むっ!?」
男は腕で防御の構えを取る。
真樹がしようとしているのは真正面からの蹴り。
だが、その足には覇氣の光が輝いていた。
「柿ノ氣襲!!」
「ぐおぅっ!?」
光り輝く足が、ゼラの身体をぶっ飛ばしていく。
男はそのまま滝の中へと突っ込み、その奥の壁までふっ飛ばされていった。
真樹がずっと続けていたのは、自身の覇氣を身に纏い、威力を大幅にパワーアップさせる技の研究。
これまでは腕にだけしか出来なかったが、全身に纏う技の研鑽はずっと続けてきた。
まだまだ未完成ではあるものの、ようやく形になってきた蹴り技。
全身の力を乗せた強烈な蹴りが、男の防御の上からぶち抜いてやったのだ。
……だが、これで終わるような奴ではなさそうだ。
「ふん、なるほど。
アドバンスクラスとなれば、それなりに動けるというわけか」
滝の中から悠々とゼラが現れる。
びしょ濡れのスーツ姿だというのに、その顔のニヤけ面は変わっていない。
「だが、まだ甘いな…!」
男は再び向かってくる。
真樹はすぐさま腕に力を集中させる。
「葉衣・松葉破!!」
真樹の拳が、覇氣の光で溢れ光り輝いていく。
その拳で迎え撃とうとする。
だが、男はその腕を軽々と掌で受け止めてみせる。
「っ……!?」
「ぅ甘いわっ!!!」
「うわっ!?」
男は真樹の腕を取り、彼女を持ち上げ、そのまま宙にぶん投げる。
突然身体が空中に投げ出され、慌てる真樹。
そんな真樹の目に、蹴りの構えをした男の姿が映る。
「ふんぬぁぁああ!!」
「ぐっ…!」
男の全力の蹴りを、真樹は空中で受けなくてはならない。
真樹はすぐに腕を前に出し、なんとか防御することが出来た。
だが、その勢いはあまりに強く、そのまま真樹の身体は吹っ飛ばされる。
「う……うわあああああっ!!?」
ここは復路雫の滝の2段目。
大きな階段状になった滝の中腹で、後ろには下段への崖がある。
そんなところで蹴り飛ばされれば、そのまま滝壺に落とされるしかない。
ばしゃああん!!
吹き飛ばされた勢いのまま、真樹は滝壺の水の中に叩き落されてしまった。
「くっ……!」
水に叩きつけられた痛みはあるものの、滝壺はそこそこの深さがあり、真樹はなんとか無事に済んだ。
しかし、さすがに水中では戦えない。
急いで滝壺から離れ、川から岸に上がろうとした時だった。
ばしゃああんっ!!
男はすぐ傍に飛び降りてきた。
いや、真樹に向かって飛んできたというべきか。
「ぐはっ……!」
「そら、捕まえたぞ…!」
大きな手で真樹の首を掴む。
真樹は完全に男に取り押さえられてしまった。
「ぐっ……!」
立ち上がったゼラは、そのまま片手で真樹のことを持ち上げる。
足元で川が流れる中、男は女子校生の首を掴んで持ち上げる。
獲物を捕らえたという悦びが、醜悪な笑みを男の顔に浮かべていた。
(ヤバいヤバい…!)
首を締められる苦しみの中、真樹は自分の首を掴む男の腕を握り返す。
出来る限りの力を込めて、相手の腕をへし折ろうとする。
だが、相手も覇氣で身体が強化されているのか、真樹の握りにも平然と耐えて、なお真樹の首を締めてくる。
「くくく……さすがになかなか使える。
だが、所詮は世間知らずな小娘だな!」
ニヤリと笑った男は、余っている右手を真樹に見せつける。
「ひっ……!?
きゃああっ!?」
そして、なんとゼラは、真樹の衣装の裾を掴んで、思いっきりはだけさせたのだった。
真樹が今着ているのは、白装束一つである。
当然そんなことをされれば、おっぱいが丸見えなわけで。
こんなに白昼堂々と女の服をひん剥いてくる、山賊のような男が現代にいるとは。
さすがの真樹も、あまりにも堂々とした追剥行為に思わず悲鳴を上げてしまう。
恥ずかしさも込み上げてきて、顔が赤くなるのを感じる。
「くくく、何度もペナルティを経験しても、ハダカを見られるのは恥ずかしいか。
良い、実に良いぞぉ!」
「かはっ……!」
興奮した男は、そのまま真樹のことを地に叩きつけて押し倒した。
「うわわっ、ぐっ…!」
仰向けに倒された真樹に、舌なめずりをする赫の男が覆い被さってくる。
かろうじて真樹は腕を伸ばし、迫ってくる男を押し返す。
奴の顔が、ギリギリ自分の顔に触れることは避けることが出来た。
だが、自分が圧倒的に追い込まれていることには変わりない。
「……コ、コロシアムの外で襲うのは厳禁じゃなかった…?」
苦し紛れに真樹は男に対して尋ねる。
女戦士に触れて良いのは、原則としてコロシアムの中のみ。
もっと言えば、ペナルティの最中。
賭けに勝ち、敗者の女を弄ぶ権利を手に入れた者だけだ。
ラブホテルという例外はあるものの、コロシアムの外に出れば女戦士も観客もただの人。
たとえ女戦士相手でも、女を襲えば立派な強姦罪で罪に問われる。
それが分かっているからか、理性的な観客が多いとも梨花に聞かされていた。
ただし、どうやら何事にもライン越えする輩はいるようで。
「くくく、お嬢さん。こんな言葉を知ってるかね?
『犯罪というのはね、バレなきゃ犯罪になんない』んだよ!」
ニヤついた男を間近に見て、凄まじい寒気に襲われる。
バレないようにする。
つまり、このままカラダを弄ばれてハイ終わり、では済まないということ。
最悪、この場で殺されて後始末されかねない。
「くくく、なぁに。
こんないい女、簡単に殺したりはしねぇよ。
たっぷりと躾けて、じっくりと楽しませてもらうからなぁ!」
真樹の表情を読み取ったか、男はニヤニヤとしながら言葉を放つ。
どちらにせよ、真樹を逃がすつもりはないらしい。
こんな山の中では、誰も助けになんか来ない。
そんな場所をわざわざ修行場所に選んだのは自分だ。
自分の浅慮に嫌気が差す。
まさかこんな真昼間の山中で襲われるとは。
だが、考えてみれば、観客だって裏社会の人間。
あのヤミトもそうであったし、女戦士と戦える男がいても、全然不思議ではない。
そんな男が、欲しい女を手に入れようと襲い掛かってくることは十分ありえるのだ。
もっとも、そんな迷惑な客だと分かればコロシアム側も対応はするだろう。
裏社会なりの秩序にはうるさいヴァルキリーゲームズのこと、迷惑客にはきっちり灸を据えるのが流儀。
そのためにも、この場はなんとしても切り抜けなくてはならない。
「っ……うああああああああああああっ!!」
身体中の覇氣を全力で高める。
また暴走する恐れはあるが、この場で好き放題されるくらいなら派手に暴れてやる!
真樹の身体が光に包まれていく。
暖かな白い光が強烈な金色の光に変わり、真樹の身体から波動となって放たれる。
「うおおおおおおおっ!!」
「ほう……!」
真樹の身体から、強烈な力が放たれる。
男は真樹の首から手を放して軽く飛びのくと、感心したように真樹の姿を眺める。
真樹を取り巻く光が、獣のような姿を形取る。
覇氣の光で包まれ、猫のような獅子のような、獣の姿を形取る。
「はぁぁっ、おおぉ……!」
イズモ・コロシアムでの戦いで見せた、獣を形作る光の鎧。
それを纏った真樹は、息荒く男に敵意を向ける。
イズモで見せた時はまさに狂乱という状態であったが、今回は幾ばくか冷静さは保って居られているようだ。
「神氣の発動が出来るか。
だが、まだ不安定なようだな…!」
そう言うと、男の手からも光があふれてくる。
やはりこの男も、覇氣の放出が出来るのであろう。
ふわりとした光、だが何か黒のような紫のような色に見える。
どこか淀んだ色合いの、どす黒い意志を孕んだかのような、そんな覇氣を男は放っている。
「ふんっ…!」
男は、そんな黒い覇氣を氣弾にして放つ!
真樹の松葉破のように、黒い光の弾として飛んでいく。
そして……
パァァァンッ!!
黒い氣弾が真樹の神氣に触れた途端、真樹の光の鎧が消し飛んだ。
「…………え?」
真樹も思わず呆然となる。
絞りだした切り札が、あまりにも呆気なく消されたのだから。
「なん、で…………」
「……この程度か、お前の意志は」
男は淡々と言い放つ。
「くくく……どうやら、自分の心は誤魔化せないようだな。
今ここで、負けたいと!」
「なっ……」
ゼラのあんまりな言葉に、真樹は言葉を失ってしまう。
「覇氣とは己の心、己の欲望を力に変えたもの。
覇氣同士のぶつかり合いは、互いの心を表すのだ。
くくく、お前の覇氣は随分とあっさり砕けたなぁ。
この意味、分かるかぁ?」
ニヤつきながら近づいてくるゼラ。
呆然としたままの真樹に、男は言葉の凶器を放つ。
「俺の心に負けたんじゃない。
俺に負けることを、お前が望んでいるのだよ!」
それは今の真樹にとって、一番言われたくない言葉。
「ここで俺を倒すことよりも、この場で倒されて、俺に弄ばれるのを!
お望みのようだなぁッ!
お前のッ、心のッ、奥底でなぁ!!」
畳みかける男のその言葉に、真樹はどさりと膝をつく。
嘘だ、と言い返したい。
それでも確かに、頭の中に、自分の心の中に、常に存在しているものがあるのだ。
身体が、恥辱を求めていると。
全力で否定したくても、自分の身体から放たれる覇氣は、相手の覇氣にあっさりと屈した。
それを裏付ける戦果が、今出てしまったのだ。
自分の身体から力が抜けていっている。
覇氣の消滅が、そのまま戦意喪失となったように。
嫌でもわかる。
今ので完全に戦意が折れた。
白装束をはだけさせたまま、真樹はへたり込んでしまう。
力でも、覇氣でも。
自分ではこの男に敵わないと、理解してしまったのだ。
「くくく……ははは、はぁーーっはっはっはっは!!!
所詮は小娘の粋がりに過ぎんか!!
結局お前は、男に飼われて生きていくのがお似合いのようだな!!
んぐふふふはは、はーっはっはっはっは!!」
高笑いする男を前にして、身体を隠すことにすら気が回っていない。
ニヤつく男が近づいてくるのを呆然と見上げるだけ。
そんな哀れな小娘を手に入れようと、男が手を伸ばしてくる。
(勝てない……?
もう立てないの、私は……?)
「安心しろ、たっぷり調教してやるからよぉ!
これからは俺の飼い猫として、可愛がってやるからなぁ!」
ゼラの下衆な言葉に、反論する気力も無い。
このままこの男に、この身を好き放題されてしまうのだろうか。
それが自分の終着点になってしまうのだろうか……
(私は、何のために……)
……そんな考えが頭によぎった、その時だった。
「荒涼脚!!」
「むぅっ……!?」
聞き覚えのある声がした。
真樹と男の間に、一人の人物が乱入してきた。
猛スピードで男に迫ると、非常に低い体勢から凄まじい風圧を放つ強烈な後ろ蹴りを放つ。
それだけで、男は吹き飛ばされていった。
「ぁ……」
へたり込んだ真樹が見上げた先にいるのは、美しい黒髪をなびかせた一人の女性。
すらりとしたモデル体型ながら、戦うための力強さが秘められている身体。
こんなに間近で見たのはいつぶりだろうか。
ヴァルキリーゲームズ、現チャンピオン。
またの名を、『無敗の女王』。
この国で最も強く、最も美しいとされる女性。
瑠璃亜が、そこ立っていたのだった。
お待たせしました、続きです。
初めての男性キャラとの対決、そしてようやくチャンピオンの本格登場となります。
いやここまで長かった……
9章は色々と転換点にする予定なので、頑張って書いていきますよ。




