第三章 ~『食糧不足とハラルドの悪巧み』~
ハラルド視点です
豊かな農場が広がる畦道を、ハラルドを乗せた荷馬車が進む。彼はフーリエ公の屋敷へと向かっていた。窓の外を眺めながら、溜息を零す。
(さすがに悪いことをしたか)
負傷兵を治療すると約束しておきながら、反故にしてフーリエ公に押し付けたことを反省していた。謝罪すべきだと思いなおし、彼の元を訪れていた。
「ここがあいつの屋敷か」
内庭に薔薇園が広がる屋敷は贅を凝らした門構えだ。対照的に屋敷の周囲には、傷んだ建物が多い。貧富の差が如実に表れていた。
「負傷兵たちを押し付けたことに罪悪感を覚える必要はないかもな」
フーリエの資金力は健在だと、屋敷が証明していた。ほっと息を吐いて、屋敷の門を開ける。
「フーリエ公、俺が謝罪に来てやったぞ」
扉を開いた先には眉を顰めるフーリエと、怯える女中がいた。叱りつけていたのか、彼女の目尻には涙が浮かんでいる。
「はぁ~、もういい。貴様は持ち場に戻れ」
フーリエの許可を得ると、女中はその場から立ち去る。彼はハラルドと視線を交差させると、もう一度溜息を零した。
「王子、いったい何の御用ですか?」
「まるで疫病神でも見たかのような反応だな」
「まるで、ではありません。疫病神そのものではありませんか」
「ははは、いつまでも根に持つな。俺も悪いと思っているから、こうして顔を出したのだからな」
「王子の顔など見たくはありません。それよりも負傷兵たちの負担金を払ってください」
「それは駄目だ。俺は金がない」
「腐っても王族でしょう?」
「自由にできる金に限界がある。一時的な贅沢ならともかく、千名の負傷兵を養う金は与えられていない」
ハラルドは王子という立場であるが、国の財布は財務大臣や国王が握っているため、与えられた小遣いの範囲でしか贅沢を楽しむことができない。その金額は個人としては高額だが、領地経営に影響を与えられるほどではない。
「それにフーリエ公は裕福だろ?」
「それはまぁ」
「金に余裕があるんだ。負傷兵の一人や二人、養ってやれよ」
「千人は、一人や二人とは大違いです。それに儂が裕福でも、領地の財務状況は悪化しているのです」
魔物ビジネスによるアルト領への資金流出などにより、税収は大きく低下している。領主であるフーリエは領民たちから税を搾り取ることで、豊かな生活を送れているが、領地の経営そのものは悪化していた。
「こうなっては奥の手しかありませんね」
「まさか戦争か?」
「いえ、それは最終手段です。元負傷兵を抱えているアルト領と正面から衝突するつもりはありません」
「ならどうする?」
「その一歩手前、アルト領の生命線を潰します」
「つまり食料供給を止めるのか……」
フーリエ公爵領は王国最大の食糧庫である。低価格で大量に生み出された食料のおかげで、飢えずに済んでいる国民も多い。
「そんなことをして大丈夫なのか?」
「もちろん我が領地も無事では済みません。アルト領から本来得るはずだった貿易黒字を失うことになるのですから」
「……その方法には穴があるな」
「何か懸念でも?」
「アルト領は魔物肉が取れるだろ。地産地消で乗り切られるだろ」
「魔物肉は討伐が困難なため高額で取引されています。大量生産には向きません。領民すべてを食わせるためには、他に食料が必要です」
「ならフーリエ領以外から購入されたらどうする?」
「アルト領から次に近いのはグスタフ公爵領です。ここから輸入されるのを防ぐことはできません。ですが輸送費が必要になるため、高額になります。痛手を与えるには十分かと」
「抜け目ないということか」
食料が手に入らなくなれば、領主であるアルトへの不満は高まる。それは彼の評判を落とすことにも繋がる。
(折角のチャンスだ。この機会にクラリスを手に入れないとな)
ハラルドの狙いはシンプルだ。アルト領の財政が悪化し、食料が入らなくなれば、クラリスは質素な食事を強いられることになる。
ひもじい毎日を過ごす彼女に、豪華絢爛な食事をご馳走するのだ。胃袋を掴むという慣用句にある通り、美味しい食事は相手の心を魅了する。彼女を惚れさせることも不可能ではない。
(クククッ、待っていろよ、クラリス。白馬の王子様の登場は近いからな)
ハラルドは心の中で不気味に笑う。クラリスを手に入れるための悪巧みが始まったのだった。