花には蜜を、棘には毒を
「コンスタンツァ!私はお前との婚約破棄を宣言する!」
王太子タッジオの婚約者であり、近々婚礼が予定されている相手の公爵令嬢への、突然の言葉。
それに一同が静まり返らぬ筈はない。
ここは王太子の18歳の誕生祝いの祝宴の席であり、諸外国からも賓客が訪れている場なのだから。
「殿下、それはどうしてでいらっしゃいますか?」
「それはお前が唾棄すべき悪女であり、私が真実の愛に目覚めたからだ」
見た目はいたって冷静に、コンスタンツァは王太子へと問いかける。
淡い金髪に長身の嫋やかな美女で、未来の王太子妃らしくその表情も仕草も乱れることは無い。
反対にタッジオは目を吊り上げ、彼女を指さし答える。
波打つ髪が今にも逆立ちそうなほどに感情的になっていた。
その後ろには、赤みがかった金髪の娘が控えているのが見える。
大きな緑の目をしており、男心を誘う様な雰囲気を漂わせる娘だった。
――バカ王子のあれか。
……国へ、良い土産話が出来そうだ。
これは又情勢が変わるな、次の王は誰になるやら。
まあ、今日来てよかったわ、つまらないと思っていたけど。
稀に良くあることに丁度当たったな、と客人たちは成り行きを見守っている。
タッジオは容姿はいいが余り出来は良くないと噂されており、一方コンスタンツァは令嬢の鑑とも言われるほどだ。
それは事実だと、今目の前で繰り広げられている悲喜劇を見れば誰もが思わざるを得ない。
「わたくしが悪女とおっしゃる、その理由は何でございましょう」
「まず、ビアンカ嬢に親切ぶって近づいて、嫌がらせをしていた。可哀想に、彼女がどれだけ恥をかかされたか。先日の茶会で、ドレスが台無しになったとも聞くぞ」
「あれは事故ですわ。わたくしのドレスも汚れてしまいましたし。参加していた方々に伺えばお分かりになられるかと」
「まだある。彼女の出自をバカにしていたと聞く」
「ビアンカ嬢のご実家は先年男爵家となったばかりですから、ご存じないことが多いとお伝えしただけですわ」
「しかも、私の事を馬鹿だと密かに嘲笑っていたとか」
「そんな不敬なことをするとお思いですか?少し言い方が悪かったことはあるかもしれませんが」
どう見ても、これは王太子がバカで男爵令嬢にとち狂った結果にしか見えない。
次は側室腹の第2王子か、いや正妻の産んだ第3王子か。
大穴で現王の異母弟が出て来ることもあるのでは、と客人たちは脳内で賭け始めている。
――その男爵令嬢は、俯いてただ震えていた。
可愛らしい顔も青ざめ、小さな手にはハンカチがきつく握られている。
「……お前のその態度が元々気に入らなかったんだ。私をずっと見下すような、その全てが」
「そこまで仰られるのなら、婚約を破棄いたしましょう。お望みのままに」
ゆっくりとカーテシーを取り、コンスタンツァは大広間を出て行く。
その後ろでタッジオとビアンカに従者たちが近寄って行くのも見ずに。
「……うちのバカ弟がお騒がせしたわね」
少し歩きだしたところで、不意に声を掛けられ、コンスタンツァは立ち止まった。
振り返れば、タッジオの姉であり7年前に隣国に嫁いだヴィットーリアの姿があった。
今日の祝宴に彼女も隣国から夫と共に来ていたのだ。
「少しだけ、お話させて貰ってもいいかしら。大丈夫、すぐ済むわ」
「……はい」
その言葉にコンスタンツァはうなずき、二人は近くの小部屋に入る。
「お会いするのは本当に久しぶりね、私がこの国を離れて以来かもしれないわ。さ、座って。……大変だったでしょう、あのバカと婚約しているのは」
クッションの効いた椅子を薦め乍ら、ヴィットーリアが言う。
コンスタンツァはゆっくりと頭を振る。
「いいえ、そんなことは。殿下は本来はとても快活で気さくな方ですから」
その言葉に、ヴィットーリアは僅かに微笑んだ。
「そう。あの子、バカだけど素直ないい子だったのよね。……最近、あの子が身分違いの娘にとち狂ったとか色々聞いて、少し、調べてみたの。……貴女、本当に良く出来たご令嬢ね」
指を組み、首を傾げながら、ヴィットーリアは目を細める。
「勿体ないお言葉を、わたくしが至らないばかりに、あのように殿下に恥をかかせてしまって」
「そう。……あの場であんなことをしたら、あの子は良くて謹慎、悪くて廃嫡。男爵家もお取り潰しね。大変な事態だわ本当に。……ねえ、コンスタンツァ。貴女、フェルナンドって名前に聞き覚えは?」
「……何のことでございましょうか」
実にコンスタンツァは冷静沈着だった。
「6年前、某国の公爵家が来訪したのを歓待したのが貴女の家だったわね。そして貴女はそこの子息と恋に落ちた。でも貴女はすでに婚約している身、しかも王族とでそれを自分から無かったことにするのは不可能。だから婚約を上手く解消……いいえ破棄して自分が有利に運べるようにしたかった。
上手く行けばこの国の政情を不安定に出来るし、行かなくても次期王が愚劣になるだけだし、一石三鳥くらいかしら、ねえ。
そして貴女は、あのバカを周りにもっと馬鹿だと思わせるようにした。そう難しい事じゃないわよね。そして、ビアンカ嬢を送り込んだ。彼女の実家は貴女の家と商売上の繋がりがあるそうね。
……彼女、良心の呵責に耐えかねて、すべてを喋ってしまったのは計算外?ごまかしは聞くと思ったのでしょうけど」
正直これは弟の周囲の人間をこそ責めたい事項だった。
12歳の少年が同じ年の婚約者にいいようにされているなどと、普通は思わないだろうが。
しかも異国のものと繋がって、一歩間違えば国家転覆の危機を引き起こそうとしているのだと。
立場さえ違えば、子供のたわいない初恋で済んだのかもしれない。
婚約を解消して済んだのかもしれない。
だが国と国との問題にまで発展しているのだ。
無邪気な思いが陰謀へと変質してしまったのだと。
自分が嫁ぐのがもう少し遅ければ、とヴィットーリアは思わざるを得ない。
傍に居れば何か気付けたろう。
そうすれば、ここまで行く前に何か――。
「お話は、それだけでしょうか」
淡々とコンスタンツァが言う。
「証言者は押さえてあってよ。……フェルナンド殿が、来なかったでしょう?」
「――フェリーが裏切ったのでないなら、良かったですわ」
それだけ言うと、コンスタンツァは笑った。
花が綻ぶ様に、心からのそれはとても純粋で美しく見えた。
この頭脳を、この笑顔を違うものに向けていてくれたなら、彼女はきっと幸福になれただろうに。
そう思うも、ヴィットーリアには弟や祖国の方が重要だった。
愚かな恋物語にうつつを抜かしてなどいられないのだ。
室内に用意していた鈴を鳴らす。
彼女の手の者への合図だ、この部屋にすぐに入ってくる。
今夜は長い夜になりそうだった。