Fairy? You’re joking!
この短編を土台に、もう少し長めに書いた本編が存在します。
自分自身、もう少し長くこの少年たちの日常をみてみたくなったキッカケの短編です。
アイルランドに連れてこられて8日目、僕は相変わらず不機嫌だった。
ロンドンのコンプリヘンシヴ・スクールが夏休みに入るとものの1週間でこちらに引越し。休みが明けると9月からはこちらのセカンダリー・スクールに通うことになる。
うちは父親がアイルランド出身で、母親とはイギリスへ教員として渡ってきた際に知り合ったとか何とか。詳しいことはよく知らない。だって親の馴れ初めを聞くなんて妙に照れくさいじゃないか。
それから僕は母方の縁者とはろくに会ったことが無い。というのも、そもそもプロテスタントである母の家系はカトリックである父との結婚に反対だったらしく、結婚後も親戚付き合いは皆無に等しかった。
父方の縁者もアイルランドにいるため幼少期に何度か訪ねたことがあるという程度の認識しかない。僕が大きくなるにつれてアイルランドへの里帰りは父のみというケースがうちの定番となっていったからだ。
そして今回、父の父、つまりは祖父が天に御座します我らが父の元へ旅立たれたため、祖母は一人暮らしを余儀なくされた。
ここで問題になってくるのが父の実家がB&B(ベッド&ブレックファースト)であるということだ。自宅の何部屋かをお客に充てて寝室と翌日の朝食を提供するこの商売は、御歳66歳になる祖母が1人で切り盛りするには些か厳しいものであった。
というわけで、もうそろそろ事情はお分かりだろうが我がカールトン家は、ロンドンはマーガリー・ストリートから祖母のB&Bを手伝うためにレンスター州バグナルズタウンヘやってきたのである。
もっともB&Bを仕切るのは女性の仕事となるので、手伝うのは主に母である。父は近辺のプライマリー・スクールで教員として働くこととなっている。
結婚後にも付き合いがあったことと、この8日間の母と祖母の雰囲気で判断するにおそらく父の家系にはプロテスタントに対する嫌悪感はないのだろう。でなければ一緒に住むなど考えられない。
ちなみに僕は一応父親の宗教にならってカトリックである、が近所に聖ペテロ&聖パウロ教会があったにもかかわらずろくに通ったことはない。
しかしそれでも一応カトリックとして育ててくれたことを父に感謝する機会は、この後いくらでもあった。こちらではたいていの人がカトリックだ。この町では仮に僕がプロテスタントだったとしてもいじめられたり蔑視されたりということは無かっただろうが、よそに出れば話は違う。そのことを身をもって知るのは僕が大学生になってからの話だ。
ともかく「少しでも早くお友達と馴染んだ方がいいから」という両親の提案で夏休みも早々に引っ越してきたのだが、その「お友達」がいないのだからどうしようもない。そりゃそうだ。だってこちらも今は夏休み中なのだ。まだ
学校にも通っていない状態でこちらの同年代たちとどこで親しくなれというのだ。あげくこの田舎町。首都ダブリンから電車で二時間もかかるような場所。都会育ちの僕の気分を盛り下げるには十分過ぎた。
そんな不機嫌最高潮の中出会ったのがパディ少年、当時15歳であった。
雑貨・デイリー用品店を兼ねたパブ≪カーリーズ≫に母に頼まれた小麦粉を買いに行ったときの話だ。
物言いたげに僕の顔をちらちら見ていたカウンターの店主が、小麦粉を計りながらついに話しかけてくる。
「もしかしてエルマリーさんとこの息子さん家族かい?」
さすが田舎町。異分子の闖入は引越し8日目にして町中に筒抜けである。いや、それ以前に前もって僕の祖母ことエルマリーが町の人々に話していたはずだ。
「はい、ウィリアム・カールトンです」
「やっぱり、息子夫婦が帰ってくるって嬉しそうにしてたからね。ロブ・カーリーだ、よろしく」
ほらビンゴ。どうして分かったか、なんて質問はしない。町中皆が顔馴染みみたいな土地で、見かけない顔と出会ったらそれはエルマリーの家の新参者だ。
「俺はパディ・オブライエン。君、今年からこっちでセカンダリー・スクールに通うんだろ?俺ら同い年だからもしかしたら同じクラスになるかもしれない」
先ほどから僕と店主の会話を横で眺めていた男の子が話しかけてくる。僕が入ってきた時からカウンターでロブと談笑していた少年だ。袋を抱えていることから既に買い物は終わっているのだろう。
「ウィリアム・カールトンです。よろしく」
先ほどの自己紹介をもう一度繰り返す。今度はパディに向けてのものだ。
彼のようにファミリーネームに「O’」や「Mac」が付くのは古くからのアイルランド土着家系だそうだ。
「パディはアコーディオンが上手でうちのパブでよく演奏してもらっているんだ。お客も盛り上がるし、何より演奏料がタダってところが助かる」
「そのうちいくら払ってでも演奏してくれって頼むようになるさ」
「それはイーリアンパイプをマスターしてからの話だな」
二人の親しげなやりとりを眺めながら曖昧な笑みで返すのが精一杯だった。非常に居心地が悪い。酒場に未成年を入れるということ自体、親しさの表れだ。ここには僕の知らない空気が漂っている。早く家へ帰りたい。
じゃあ、と小麦粉を受け取って代金を支払うと僕はすぐさま出口に向かおうとした。しかしそれはパディの呼びかけによって阻まれた。
「なあリアム、っと、こっちじゃウィリアムはリアムって言うんだけど、そう呼んでも構わないかな?」
「ああ、いいよ」
そう答えるしか無いだろう。生憎、僕の愛称はウィルであってリアムなんかじゃないと抗議出来るメンタリティは持ち合わせていない。
「よし、じゃあリアム。改めて、ようこそ妖精の国へ。妖精たちにはもう出会ったかい?」
まずい、妙な奴と知り合ってしまったようだ。どこのクラスでも一人は居る変わり者。こういうのと友達だと思われれば、自然と自分まで周りから白い目で見られるのが世の常である。
「いや」
見てないなぁ。何とか乾いた笑いを返す。
「なんだまだ会ってないのか」
驚いたように言うと彼はジーンズのポケットから茶色い小瓶を取り出した。
「アイルランドには昔から妖精が見えるおまじないっていうのがあるんだ。これはその一つでオリーブ油とバラの花びら、マリーゴールドで作った薬。こいつを瞼に塗れば妖精さんとお友達ってわけだ」
そう言いながらおまじないだか何だかの薬が入った小瓶を僕に差し出してくる。
「え、あの」
「いいから早く」
なかなか受け取らない僕に痺れを切らしたパディは自ら僕の瞼に薬を塗りつけてきた。ふわりと香った薬とやらは凄くいい匂いだった。
「どう、妖精は見えた?」
答えは否だ。相変わらずロブの後ろにある棚にはずらりと酒が並んでいるし、このカウンターを右奥に進めば4人がけテーブルが5つ並ぶくらいの小さなパブスペースが広がっている。景色は先ほどと何ら変わりない。
しいていうならパディが少し危ない奴に見えてきたというくらいだ。見えないと答えるとパディはにんまり顔になって、ぐいっと僕に顔を近づける。
「ほら、良く見てみろよ。目の前には何が見える?」
目の前にはパディが見える。
ああ、そうか!そうか!分かった途端おかしくてたまらない。先ほどまでの不信感は一気に吹き飛んだ。
僕はげらげらと笑いながらパディに文句を言う。
「君、男を口説くのが趣味なのか?悪いが他を当たってくれ、僕にそんな趣味は無い」
ぷっとパディも吹き出す。
「俺の兄貴はこれで今の彼女を手に入れたんだ」
「大学で出逢ったカナダ人の女の子をな」
店主のロブも笑っている。
どうやらパディがこの流れに持っていくことを分かっていて今まで黙っていたようだ。
「いやぁ、小瓶を持ち歩いてて良かった。同い年の男の子がくるって聞いてから、家を出る時は絶対ポケットに入れてたんだ」
「わざわざ準備してたのか?」
「ちょっとしたフェアリージョークだよ、それで?口説かれてくれないのか?」
にやりと口元を歪ませるパディ。蛍光灯の明かりでヘーゼルの目が緑に透ける。
「それこそシャレにならない」
くくっと収まりかけた笑いがまた込み上げてくる。
新顔歓迎にここまで仕込んでくれているとは。全く、なんてセンスの持ち主だろう。どストライクだ。
もしかして、もしかしたらだけど、ひょっとしてアイルランドも悪くないかもしれない。
パディと知り合ってからの僕の機嫌は超低空飛行から徐々にコードを上げ始めた。彼のおかげで学校が始まる前に結構な数の友達も出来た。
そういえば、あとになってから聞いた話だが小瓶の中身はおまじないの薬でも何でもなくただの香水だったそうだ。
「フェアリー」は妖精という意味であると同時に、「男色家」の隠語でもあるという余談をとある映画で見かけたのがキッカケで書きあげた短編です。
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