24.ルドルフの独白II
《ルドルフside》
ロベールの屋敷について客間に案内された。ほとんど城のような屋敷を見てロベールはそういえば公爵閣下だったな、とふと思い出した。本来なら俺のような者が気軽に話せるような存在ではない。
でもロベールもそれなりに振る舞う事を嫌うし俺も得意ではない。
そもそもそんな事が気になるのなら俺に話かける事もしなかっただろう。
それにしても遅いな。本当に帰ってやろうかと思った所で執事がロベールの来訪を告げメイドがドアを開けた。
ロベールの後ろには小さな少女が立っていた。ロベールに似て神の祝福を一身に受けたような少女だ。
プラチナブランドの髪は絹糸の様、宝石の様なブルーの瞳は理知的で静かにこちらを見据えている。
精巧な顔立ちはまさに天使の様でロベールの言う天使とは強ち間違いでは無かったと知った。
紹介を受け美しいカーテシーをする彼女に一切の動揺は見られない。この俺を目の前にして、だ。美しく微笑んですらいる。信じられなかった。
幼い子供からすれば俺の貧相な体型もこの異形の仮面も恐ろしくて仕方がない筈なのにこちらを真っ直ぐに見つめてくるのだ。
現にこの少女、ルルノア付きの侍女は俺を見て顔を引きつらせている。不快に感じる事はなく、そもそもこの侍女の反応が普通だ。
泣き叫ばれなければマシぐらいに思っていたので動揺して己の名前だけを告げ口を噤んでしまった。
ロベールが敢えて俺の仮面の事を口にしたが少女はこんな事を宣った。
「いいえお父様。ルドルフ先生には必要な物なのでしょう?」
全てを分かっている様な口ぶりで、何でもない事の様にこの少女は言ったのだ。
この後も少女は俺を真っ直ぐな瞳で見据え続けた。時々ロベールの言葉に困った様に笑いながらも俺に対する態度は変わらなかった。
ロベールにどうせお前が言い含めて丸め込んだんただろうと問い詰めたがロベールはルルノアには今日君の事を伝えたばかりだ、と言う。
ロベールの言っていた事は間違いではなかったのだ。彼女は、ルルノアは、初めてロベールの他に俺を人間扱いして接してくれた。
それだけで俺は嬉しかった。なんの打算も無い、嫌悪も嘲笑も悲壮も無い、真っ直ぐな瞳は純粋に俺という存在を受け入れたのだ。
最後まで彼女は笑みを絶やさなかった。
強がってロベールには仕方がないから受けてやると言ったが、本当はもう一度彼女の瞳に映りたくて…もう断るという選択肢は存在していなかった。
家に帰った後もし明日彼女にもう一度会って拒絶されたらどうしようと、柄にもなく考えた。初めて人に嫌われたく無いと思った。
あんな少女1人に何を期待しているんだと思う傍で、もしかしたら彼女なら本当の自分を受け入れてもらえるかもしれないという浅ましい考えが頭をよぎり首を振った。
ありえない。俺なんかがあの天使の様な少女の隣に立てるわけがないのだ。
長く生きた所為で頭がおかしくなったのだきっと。
でも…もし許されるのならもう少し彼女の側で生きてみたくなった。
次の日屋敷に訪れると昨日の客間ではない部屋に通された。
そこにいた彼女は昨日の出会いが夢ではなかった事を証明する様に俺に向かって美しく微笑んだ。
彼女は俺に気を使って何を飲むか尋ねるが流石に仮面を外す勇気はない。
気にせず好きに飲む様に言うと少し悲しげな表情で見ない様にするから、と気を遣わせてしまった。
本当に仮面が気にならないのか気になり彼女に聞いたが本当に気にしていない様だ。
あまつさえ彼女はこう告げた、
「先生、私と先生は同じですわ…!いえ、先生の闇は深いかもしれない…。でもその闇にのまれないで…!いつか、いつか私がその深淵から先生を救い出してみせます!」
何故、出会ったばかりの俺にそんな言葉が言えるんだ。
俺と自分は変わらない人間だと言い、俺を救いたいと言う。
きっと他の人間に言われていたなら何を世迷言を、と一蹴していただろう。でも、彼女の言葉は嘘偽りなく俺の心に突き刺さった。彼女が本気だと言う事が伝わってきたのだ。
彼女は決心した様に首元のネックレスを大事そうに握り祈る様に目を伏せた。
あぁ、この少女は俺の為に祈ってくれるのだ。俺の為に心を痛めて、悲しんでくれるのだ。
なんて事だろう。こんな気持ちは初めてで手の震えが止まらなかった。
初めての高揚感に心が震えた。
動揺してしまったが講義をしに来たのを思い出して再開したが、彼女の優しい頬笑みに動悸が止まらなかった。
授業の終わりに彼女に感謝を告げると驚いた様な顔をしていた。そんな表情すらも愛らしくて一日中彼女の事が頭から離れかった。
彼女の講師をする様になって1年。
その間俺が気落ちしていると態度には表していないのに彼女は察した様に欲しい言葉をくれた。
いつのまにか彼女は俺の中で大きな存在になっていて、何時迄もこの講義が終わらなければ良いとさえ思っていた。
しかしそんな俺の思いとは裏腹に彼女は才能に溢れていて、俺が教えられる事などきっとすぐに無くなってしまうだろうと感じた。
たまに見せる年相応のムッとした表情や無邪気な笑みを見せたと思ったら年不相応に憂いの含んだ表情で聖女の様な笑みを浮かべたりする。
そんな彼女の将来が楽しみであり、その隣にきっと俺が存在する事は無いと分かっている。
それでも彼女の崇高な目的の為の踏台になれるならそれでも良いとすら思い始めていた。
今日は生憎の天気で雨すら降り出しそうだ。名残惜しいが早めに終わらせるしかない。
外に連れだって出る。横目で彼女を見ると水色のワンピース姿にお揃いのケープを着用していて肌寒さに体を震わせた姿は庇護欲をそそるが、彼女は守られるだけの存在ではない。
俺に寒くないかと尋ねる様は初めてあった頃から変わらず慈愛に満ちている。
広場に着くと何時もの様に準備を始めた。
彼女はなまじ力が強いので魔力操作を行わなければ彼女自身にも危険が及ぶ可能性がある。
出来るだけ注視しているつもりだったが少し目を離した隙に風の渦を生み出し巻き込まれる所だった。
慌てて手を引き彼女事後ろに倒れると衝撃で仮面が割れ落ちた。
あ、あぁぁあ彼女に見られてしまう。
流石の彼女でも私の顔を見れば離れていくかもしれない。
そう思うと気が高ぶって彼女を怒鳴りつけてしまった。彼女は酷く動揺していて、怖がらせてはいけないと思っても嫌われる事の方が怖くて彼女に顔を見せる事はできない。
「先生…私先生がどんな姿だって気にしませんわ!」
なにを…
「そんな事を言って俺がっ!今までどれだけ裏切られて来たと思う!わからないだろう!!愛されて生きてきた君にわかるはずもないさ!!」
こんな事言いたい訳じゃない。
傷つけたくないのに勝手に口から言葉が発される。
「たしかに…私は先生の気持ちを理解する事は出来ないかもしれない。でも、一緒にいて手を取る事はできる!!先生が悲しんでいる時、辛い時に抱きしめる事は出来るわ!いつか…いつか分かり合える時がくるっ…!」
そう、彼女はいつだって欲しい言葉をくれる。今だってそうだ。
力が抜けて地面に膝をつく。
彼女がずっと隣に居てくれたら誰だけ幸福だろう。彼女が手を取り抱き締めてくれるならきっと俺は世界一の幸せ者になれる。
でも、それは叶わない。
俺がこんな顔に、姿に生まれなければその手を取る事が出来たのに。
悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい苦しい。
雨が降ってきた。
あぁ、雨は嫌いだ。
俺から全てを奪い去っていく。
忌々しい白い髪に雨が伝ってポタポタと地面に滴を落としていくのを見つめる事しか出来ない。
彼女が私の前に立ち顔に手を伸ばした。
あぁ、終わりだ。
彼女に拒否されれば俺はもう…
「ルドルフ先生…先生の瞳はルビーの様だわ。綺麗ね。」
…今…なんと…?
仮面越しではない彼女の顔は更に美しくいつもと変わらない慈愛の微笑みを浮かべている。
「な!ばかなっ!綺麗な訳ないだろう!!そんな同情はいらん!君の…君の様な者が私に触れてはいけない!」
信じられない。
これは夢か?俺が都合のいい様に見てる夢なのかもしれない。
俺は闇の力を身に宿す者。神が地上に遣わした天使を汚してはならない。
それでも彼女は俺を真っ直ぐに見つめている。
彼女は俺の言葉に涙した。
雨のせいでその頬に流れる滴は目に見えないが耐える様な表情で鼻をすすっている。
ああ、神よ。
この方に出会う為に生まれてきたと言うのなら今までの試練も納得が行く。
この方に身を捧げたい。
この方の力となれるならこの死なない体も悪くない。この方が認めてくれるのなら何もいらない。
この差し出された手を取る事が許されるならこの仮面も過去も捨て去ろう。




