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五章 雷帝の離脱

 精霊王とレイシを巡る、あの後味の悪い事件から、半年が経っていた。

風の城は平静を取り戻していたが、元通りとはいっていない状態だった。

ゴタゴタしているだろうと、遠慮していたのだろう。久しぶりに、スワロメイラが尋ねてきていた。

「はあ?セリアが行方不明?」

「そうなのよぉ。もしかして、ここにいるんじゃないかと思ってきてみたんだけど、いないみたいねぇ」

スワロメイラはがっかりした様子で、ソファーに深く背を埋めた。

「どうして、ここにいるって思ったんだよ?」

あのとき太陽の城、次元の牢獄、一瞬断崖の城、そして太陽の城ととんぼ返りしたリティルは、殆どセリアとは接することができなかった。宝石三姉妹の名は知っていたが、正直、印象にない。

スワロメイラは、キョロキョロと辺りを見回すと、質問に質問で返してきた。

「インファちゃん、今日はいないの?」

「ああ、インファなら仕事だ。今日は戻らねーよ」

狩り自体は大したことはないが、その後は休暇にしてあった。インファは知識欲が半端ではない。大いに見聞を広めて帰ってくるだろう。

「そう。相変わらず忙しいわねぇ。今いるのは、待機組とあなた達だけ?」

シェラは今、紅茶のおかわりを用意するといって、席を外していた。待機組とは、インリーとレイシのことだ。

「そうだぜ?どうしたんだ?聞かれちゃマズイことなのかよ?」

スワロメイラは、正面に座るリティルの方へ身を乗り出した。

「セリアね、インファちゃんに振られたらしいの」

しばらく聞かなかった言葉を聞いた気がした。いや、気がしたのではなく、今聞いたのだとリティルは耳を疑った。

「……はあ?ちょっと待て……セリアがインファを?なんていうか、チャレンジャーだな。あいつ、寄ってくる女、寄ってくる女、バッサリバッサリ斬り捨てるぜ?もうな、見てて清々しいくらいだよ」

有無を言わさない迫力は、インファのせめてもの慈悲だ。どうせ皆、インファの容姿に惹かれて、群がってきているにすぎないのだから。それも大昔の話で、今は群がられることはない。イシュラースは噂が回るのが早い。絶対になびかない風という印象がついているため、今はそういう意味で群がられることはない。だが最近、ちょくちょく休みを与えてやれるようになり、別のことで群がられているらしい。インファはどうやら、精霊達の魔法の相談に乗っているようで、噂が噂を呼んで生徒がどんどん増えているらしかった。

 そんなこんなで、インファのこんな話を聞くのは、リティルも一五〇年ぶりくらいだ。

「あの容姿だものね……。でもね、セリアとはちょっと違うのよ!」

スワロメイラは、インファの空白の二ヶ月間のことを話した。

「あのインファが?信じられねーな……。セリアはエネルフィネラの妹でもあるだろ?ますます信じられねーよ」

魅了。しかも、淫魔の力を持つ宝石三姉妹のことを、インファが知らないはずはない。長女であるエネルフィネラに散々な目に遭わされて、そのすぐ後にその妹と懇意になるなど、意識体だったとはいえ、あの警戒心の強いインファからは考えられなかった。

「そうよね。それが普通だわ。でもねぇ、確かに恋人関係だったのよあの二人は」

確信しているスワロメイラを見ても、リティルは信じられなかった。だって、あのインファだぜ?とその思いから抜け出せなかった。

「現実に帰ったインファは、セリアに心が動かなかったのか?夢の中のあいつ、どんなだったんだろうな?悪い。想像つかねーよ」

リティルがソファーに深くもたれたところで、扉が開き、シェラとインリー、レイシが入ってきた。どうやら、お茶のおかわりを用意しに行ったシェラから、スワロメイラが来ていることを聞いたようだ。

「スワロ!いらっしゃい」

「……どうも」

いつも元気なインリーと、雰囲気がトゲトゲしているレイシに、スワロメイラはお邪魔様と笑って返した。

「おーい、インリー、お兄ちゃんの恋人のこと何か聞いてるか?」

悪いとは思ったが、リティルはインリーに聞いてみた。彼女も、何のこと?とてっきり目を輝かせるかと思っていたが、その期待は裏切られた。

「セリアのこと?でも……お兄ちゃんにそれ、禁句だよ?うっかり聞いたら、もの凄く怖かった……」

インリーは身震いした。

「どう怖かったんだよ?」

「え?うーん……拒絶?触れてくれるな感がすごくて……あと……あとね、痛い?ねえ、スワロメイラ、お兄ちゃん、どうしてセリアに振られちゃったの?」

インリーは心配そうに首を傾げた。

「逆だろ?インファが振ったほうだろ?」

「違うよ?お兄ちゃんが振られたの!」

リティルは確信を持っているインリーを前に、口を噤むしかなかった。リティルは助けを求めるようにシェラを見た。リティルの視線を受けて、シェラは困ったように微笑んだ。

「上手くはいかなかったということは、わかったわ。たぶん、あの子は、セリアを好きだけれども身を引いたのね」

「どうして?お互い好きなら、一緒にいればいいのに」

「お兄ちゃんは、感情より論理だからなー。スワロメイラ、わかったよ。セリアはオレが捜してやるよ」

リティルはあまり飾らないが、シェラにしか見せない子供達の知らない顔がある。弱さも欲望もさらけ出せる相手。それが妻であるシェラだった。

理性的なインファは、普段理性で隠しているその二つを他人に見せることに、抵抗があるのだ。それに、この城にいるかぎり、イチャイチャしにくいよな?とリティルは、インリーとレイシを盗み見た。レイシの心は読めなかったが、インリーがインファの心情を理解していないことは明らかだった。好きなら、好きって言えばいいのにと、どこか悔しげだった。

「心当たりあるの?」

スワロメイラの瞳に希望が灯った。本当に妹を心配しているのだ。

「ねーよ。ねーから、風を使うんだよ。ちょっと待ってろよ?ただ、この方法だと、オレがセリアを捜してることがインファにばれるんだよな……」

そう言いながら、リティルは、ソファーの背もたれに頭を乗せると瞳を閉じた。そよそよと、どこからともなく風が吹いてくる。リティルの金糸のような髪を、そよ風が僅かに遊ばせていた。

「……いたぜ。ただ、厄介なことになってるな」

「厄介って何?セリア、無事なの?」

スワロメイラは途端に不安そうな顔で、リティルに先を早く早くと促した。

「インリー、お茶のお代わり淹れてくれねーか?」

インリーははいと返事をすると、ポットを持って部屋を出て行った。

「レイシ、ケルゥに終わったら即戻れって、ツバメ飛ばしてきてくれ」

リティルはふてくされているような雰囲気のレイシに、ツバメを飛ばした。レイシは表情とは裏腹に、素直に頷くと中庭へ出て行った。それを見届けて、リティルは視線をスワロメイラに合わせた。

「スワロ、これは風の案件だ。オレ達に任せろよ」

真剣な眼差しのリティルに、スワロメイラは戸惑った。一瞬で王の顔になったリティルの様子から、何か大変なことに巻き込まれていることに気がついたからだ。

「それは、従うけど……手伝っちゃいけないの?ウチね、あの子のこと放っておけないのよ!」

スワロメイラはそう言って、心配そうに俯いた。

「……シェラ、インファのところへゲートを開いてくれねーか?オレが連れ帰る」

「わかったわ。でも、インファになんと言うの?」

勿体つけないで話してと、そう言いたげなシェラにリティルは口を開いた。別に、隠そうと思っているわけではない。しかし、これは少し、気を使わなければならない事態だった。

「ありのままだよ。……スワロメイラ、セリアな、精霊王の魂の欠片に取り憑かれてるんだよ。あのとき、ルディルが無理矢理力を奪ったとき、欠片が逃げたみてーだな。ルディルは魂を消滅させてた。それから欠片でも逃げるなんて、凄い執念だよ。あれはもう、邪精霊だな。オレがやってもいいけど、関係があるなら、あいつも知りてーだろ?」

リティルはソファーを飛び越えると、シェラに頷いた。頷き返したシェラは、リティルの前にゲートを出現させた。リティルはさっさと潜って行ってしまった。シェラはそのゲートを開いたまま、置いておいた。

「愛なんてない」

リティルと入れ替わるように、中庭から戻ったレイシは、窓に寄り掛かってぽつりとつぶやいた。一瞬聞かれてしまったかな?とも思ったが、リティルがそんな愚行犯すはずがないかと思い直した。

「精霊王はそう言ってた。母さん、兄貴とセリア、どうして上手くいかなかったんだろう?」

レイシの瞳は、鋭く、笑顔を忘れてしまっていた。フワフワとして、この殺風景な応接間に似つかわしくなかった、丸い雰囲気のレイシはもう、どこにもいなかった。

「別れは哀しいけれど、それを当人同士納得しているのなら、見守ってあげなければね。ごめんなさい、レイシ、セリアを知らないわたしには、何も言えないわ」

それもそうだなと、レイシは変なこと聞いてゴメンとあまり抑揚なく言った。

 レイシの脳裏に、白い百合の花の装飾で飾られた、金色のナイフが浮かんでいた。ガラスの専用の箱に収められたそのナイフは、今もインファの部屋にある。あれが誰からの贈り物なのか、レイシは誰に聞かなくとも察しが付いていた。

そして、インファがあのナイフを大切にしていることは明らかだった。それこそが、答えじゃないのか?とレイシは思っている。

半年前、太陽の城で、インリーが遠慮なくセリアを突いたとき、インファの片思いだ、お兄ちゃんを好きかと問われたセリアは、ただ光栄だと答えた。そう言った彼女の心は、どこにあったのだろうか。

レイシは、窓越しに空を見上げていた。


 インファは、黒い大きな猿の姿をした魔物と交戦中だった。三メートルはあるかと思われる大きさで、妖精達の多い地域から離すために、火山地帯まで引っ張ってきたところだった。ここは、セクルースの炎の領域。砂漠やマグマの川の流れる灼熱の大地だった。

大きな手がインファを掴もうと迫る、その指の間を通りインファは上空へ抜けた。

「インファ!」

さて、一番被害の少ない倒し方は……と思案し始めたところで、インファは父の声を聞いてさらに上空を見上げた。金色の巨大な刃が降ってきて、魔物を一刀両断していた。遅れてゴッと風が吹き荒れて熱波が上空のインファを襲った。インファは顔を庇って風をやり過ごすと、地上を見下ろした。魔物は跡形もなく吹き飛び、その場所にはポッカリ穴が開いていた。その穴も、ドウドウと流れるマグマがすぐに埋めてしまった。

「父さん、どうしたんですか?」

「ああ、あのな、おまえに話があるんだよ」

槍を収めると、インファは首を傾げた。リティルの通って来たゲートは開いたままだ。すぐに帰ってこいということだと、インファは理解していた。城に何かがあった報告は、風からも鳥からももたらされていない。とすると、急ぎの仕事だろうなと、インファは当たりをつけた。しかし、それにしても王自ら迎えにくるとは何事だろうか。今日はノインも出ている。不穏なモノを感じて、インファは神妙な様子のリティルを窺った。

「セリア」

インファは父の口から出た名に、思わず瞳を見開いた。取り繕えなかった。

二度と会うまいと思っていたその精霊の名に、インファは思わず百合の花を思い出した。

──思い出して……インファ!

そう懇願した左右で色の違う瞳。思い出せないと、バッサリ斬り捨てた。

思い出すと、今でも罪悪感を感じる。そして、胸が苦しくなる。痛みが、消えない……。

「……その顔見れば、どういう関係なのか、オレにもわかるぜ?」

探られていたことに気がつかないほど、傷が深いのかと、インファは自分をあざ笑った。しかし、インファはあっさりリティルの言葉を否定した。

「違いますよ。彼女とは何もないです。ただ、次元の刃を会得するのを、手伝ってもらっただけです」

嘘ではない。セリアとは始まる前に終わったのだから。そうであるのに、女々しくあのナイフを捨てられない自分がいた。手放さなければならないことを、わかっているのに、持っていることを、セリアに知られていないことをいいことに、持ち続けていた。

誰かに知られて尋ねられたら、特殊な魔法のサンプルだと答えるつもりだった。そんな答えまで用意して、告げられないこの心を、あのガラスの箱にナイフと共に封じていた。

「彼女がどうかしたんですか?」

もう欠片も心を見せないんだな?と、リティルは普段通りのインファの様子に思った。

リティルは、風が教えてくれたことをそのまま伝えた。

「精霊王の魂の欠片、ですか?そんなもの、彼女ならば即消し去れると思いますよ?」

「それが、持ったまま、放浪してるみたいなんだよ。スワロが行方不明になったって、血相変えて城に来てな、それで発覚したんだ。どうする?オレが行ってもいいんだぜ?」

インファはしばらく思案していたが、ふと顔を上げた。

「レイシは聞いていましたか?」

「いや、精霊王の魂の欠片なんて危険ワード、聞かせられるかよ。ちゃんと遠ざけた。心配するなよ」

「そうですか……わかりました。ですが、オレが行きます。場所を教えてください。これから向かいます」

「レイシのことより、おまえのことだろ?インファ、セリアに会いたくねーなら、無理するなよ!」

リティルは、インファが愛情に対して疑心暗鬼になっているレイシに、配慮していることを感じた。インファが言うのだ、本当に何もないのだろうが、あれだけ振った振られたと話題になるほどだ。半年前、断崖の城で二人は微妙な距離感だったのだろう。

「大丈夫です。本当に、彼女とは何もないんですから」

これ以上押し問答する気はないと、インファは風を集めると、セリアの居場所を自分で調べてしまった。

「いってきます」

インファは微笑むと、引き留める間もなく、イヌワシの翼を広げて行ってしまった。

リティルは、ハアと溜息をついた。

「インファ……何もないって顔じゃなかったぜ?参ったな……」

どういう関係だったのか知るために、名を聞かせてみたが、あんな、鈍い痛みを伴った、切ない表情をされるとは思わなかった。

シェラが言った、心があるが身を引いたが正解だったのだ。

 インファは明らかに、風の城の面々を思って遠慮していた。ケルゥとカルシエーナのように、必然の関係ではない。リティルやシェラのように、すでに始まっている関係ではない。風と宝石では、本当にただの恋愛だ。まだ繋がれるかどうかもわからない。

レイシが心を閉ざしてしまい、万年年頃のインリーがいる城では、確かにくっつきづらいだろう。

だが、それでいいのか?誰かと手を繋ぐことは、そんなに後ろめたいことなのか?本当に終わってしまうものだとしても、始まりにすら背を向けて、本当にいいのか?

リティルは、インファの飛び去った方を見つめていた。


 セリアが放浪しているというのは、本当のようだ。インファは、風の囁く新しい情報に耳を傾けながら、セクルースを飛んでいた。境界のそばだったが、セリアは水の領域から、現在は大地の領域へ入ったようだった。眼下には、一面の森が広がっている。今は夏の森の上空だ。ここには、四季の森があり、広大な草原や山脈などもある。風が絶対に近づいてはいけない、花の精霊達の住まう花園もここにあった。

 セリアは、心の示す方へ向かってひたすら進んでいた。

このことは、誰にも話せなかった。ルキはもちろん、気にかけてくれているスワロメイラにも話せなかった。話せば、風の城に伝わってしまうから。

セリアのこの状況を解決するのは、命の生き死にに関係している風が適任だった。わかっていたが、レイシのいる風の城に行きたくはなかった。きっと、彼はまた傷ついてしまうから。半年経った今でも、傷が癒えていないことを小耳に挟んだから。

精霊王の魂の欠片──初め、どうして取り憑かれたのかわからなかった。弱々しい思念体で、消し去ろうと思えば簡単に消し去れるような代物だ。

しかし、セリアはそうしなかった。気がついてしまったからだ。気がついた時点で、リティルに伝えなければならないことはわかっていたが、そうすると、インファにも伝わってしまう。それが嫌だった。

幸い、弱々しい思念体だ。聞きたくないことをつぶやいているが、まだ耐えられる。一人ででも、何とかやれそうだった。

──愛などない

セリアは囁く声に、ハアと溜息をついた。まさか、失恋で傷心の心をつけ込まれたなどと、そんな恥ずかしいこと、インファに絶対に知られたくない。

この心に引導を渡してくれたインファには、ちゃんと愛があった。だから、一分の隙も与えずに拒絶してくれたのだ。それでもなくならない。往生際が悪いのは、セリアの心だ。

次元の刃を使い、リティルを助け出したインファは、まだ、霊力が回復しきっていないにもかかわらず、弟達の為に太陽の城に駆けつけた。

あの気怠げな瞳。無理をしていることが見て取れた。それでも、レイシの為に飛んだインファは父と共に、見事弟を助けた。荒々しいインファを、セリアは知らない。だが、あのインファは格好良かった。現在が思い出を凌駕した瞬間だった。

もっと、インファを知りたいと思ってしまった。だからこそ、会えない。未練のあるこんな惨めな心まま、彼の前に立ちたくなかった。

「もお、本当にバカよね……」

「まったくですよ。邪精霊の魂に霊力を喰われますよ?早く滅してください」

自嘲気味につぶやいたセリアの目の前に、バサバサッと金色の鳥が舞い降りた。まったく気がついていなかったセリアは、ヒッと喉の奥で悲鳴を上げると、慌てて距離を取っていた。風の精霊顔負けの素早さで、インファは苦笑した。これで中級精霊だというから、信じられない。

「インファ……?どうして、あなたが……?」

幻?声をかけられる寸前まで彼の事を考えていたから、それで?けれどもここは、ルキルースではない。想いが具現化することはない。では、本物?なぜここに?疑問は次から次に湧いて、セリアは心臓の鼓動が早くなった。

「スワロメイラが、あなたを心配して父に泣き付いたんですよ。さあ、魂の欠片を滅しますから動かないでください」

「ダメよ!」

風を放とうとしたインファを、セリアは鋭く牽制していた。インファは訝しがりながらも、話を聞いてくれる気があるようだ。手の平に集まった風が消え失せた。

「精霊王の魂の欠片は、これ一つじゃないわ。わたしは、他の欠片を探してるの」

「どういうことですか?」

「魂の欠片は互いに引き合うみたい。わたしは、取り憑いたこの欠片を使って、探して滅しているの。だから、壊さないで」

儚げな容姿で、けれども、この意思のある瞳がインファを惹きつける。この雷帝を恐れずに、瞳を見返して逆らってくる気の強い女性。本人を前にして、可愛い人だなと唐突に思ってしまった。

「一人で行うつもりですか?」

「レイシのいる風のお城を頼れないわ。この欠片はヒドイの。愛などないって繰り返してる。風に知られる前に終わらせたかったのに……インファ、見逃して。お願い」

「なぜ、レイシの為に?」

セリアがレイシを思って、こんな行動に出たことに意外だと感じた。そんなにレイシと接点があっただろうか?

「やっぱり、レイシと精霊王を会わせちゃいけなかった。行かせちゃいけなかった。そう思うからよ。我を失っても、ハル様を守れるレイシを、これ以上傷付けたくないの」

──あなたにも、会う勇気がないわ……それなのに……それなのに……

セリアはゆっくりと後ずさった。逃げる気満々だった。風相手でも、それが出来る自負があった。

「あなたという人は……ついでに、オレに会いたくなかったからと言うつもりですか?」

え?セリアは驚いて顔を上げた。一気に距離を詰められていた。幻惑の暗殺者と呼ばれている、宝石三姉妹のわたしが反応出来ないなんて!と、セリアは背中を木の幹に阻まれ退路を断たれていた。

見下ろす金色の双眸は鋭く、セリアは射抜かれていた。動けなかった。

なんて瞳なの……瞳を逸らせない。これが、風の王の副官……インファルシアの本当の姿なの?

これが、上級精霊なのに、実力は最上級に手が届くと言われている風の王の右腕なのだと、セリアは痛感した。こんな人を出し抜けると思った自分が、恥ずかしい。

言いたくないことを、言わされてしまう……。セリアはもう抗えなかった。

「しかたないでしょう……?心が終わってくれないの。あなたに会ったらまた、続いてしまう……インファ、なぜ来たの?リティル様が来られないなら、ノインでもよかったはずなのに……」

セリアは泣いた。その瞳で、そんなに見つめてほしくない。こんなに近くにいるのに、触れてはいけない。あの頃と違って、肉体があるのに!でも、心がない……。なぜ苦しめるの?拒絶したのは、あなたなのに!

ドクン!セリアは自分の物ではない鼓動を感じて、ゾクッとした。しまった!魂の欠片に力を与えてしまった。

「インファ離れて!ダメ!ダメダメ!なくしたいのは、愛じゃない!わたしは、想いが終わってほしいだけ!この気持ちをなくしたいだけなのに!」

ダメだ止まらない!魂の欠片が、セリアの霊力を喰らって力を増し始めていた。セリアはインファを見上げた。意思のある強い瞳で。

「宝石は不死身よ。インファ、わたしを斬って!早く!」

なんて瞳で、なんてことを懇願するのだろうかと、インファは呆れた。オレは生き死にの守護者・風の精霊ですよ?と改めて教えた方がいいだろうか。それにしても、気の強い人だなと、インファは思わず笑みがこぼれてしまった。

さて、では、意趣返しといきますか?風は怖い精霊なんですよ?と、インファはセリアを解放して、自分が欠片を探す方法を瞬時に思いついていた。

「もっといい方法がありますよ」

え?

セリアは抱きしめられて、唇を奪われていた。あまりのことに、思考が追いつかない。

わたしは今、インファと何をしているの?魅了の力を持つ精霊が情けないことに、口づけ一つに混乱していた。

インファは忘れたと言っていたが、もっと甘く優しい口づけをしたのに、あれは平気だったのに、こんな強引で奪うだけのキスに動揺するなんて、どうかしている。

でも……突き、放せない……。

「セリア、今後魂の欠片探しはオレが引き継ぎます。そもそも、これは風の仕事ですよ?なるほど、確かに探知機みたいですね」

「インファ……あなた……」

インファに手を離されたセリアは、何とか木の幹に縋って座り込まずに留まった。邪精霊へ変質しかけた魂の欠片は、口づけ一つでインファに奪われていた。なんて手際の良さだ。心が乱れていたとはいえ、セリアはこれでも魅了の力を持つ宝石の精霊だ。その精霊から、身持ちが堅いで有名な、風の精霊にキスで奪われるなんて思いもよらなかった。

「危険よ!それはもう、滅した方がいいわ!」

「セリア、風の城へ行ってください。この魂は愛情に否定的です。風の城には心を繋いだ者が多いので、オレは帰れません。今、あなたのことも引き裂きたくてしょうがないんです。行ってください。セリア、オレはあなたを傷付けたくありません」

インファは笑っていた。攻撃的な衝動に心を襲われているはずなのに。セリアは、インファから視線をそらすと、走り始めた。

彼の想いを、無駄にしてはいけない。彼を強がらせたまま、去らなければ、申し訳ない。

「ごめんね……インファ。ごめん……」

セリアは涙を拭いながら、ルキルースへの扉を開いた。ここから走って風の城へ行くより、断崖の城の扉を通った方が近道だ。

セリアの気配が消えるのを確認し、インファはその場にくずおれた。セリアの霊力を喰らい育った魂の欠片は、思いの外凶悪にインファの心を掻き乱していた。

──愛などない。あの女を殺せ!殺せ!

「セリア……風の城から出ないでくださいよ?この魂が、あなたを欲していますから」

──どっちの魂が?

そんな問いかけが聞こえた気がして、インファはさあ?と答えて小さく微笑んだ。


 セリアは、風の城のバードバスにあるルキルースへの扉を抜けると、中庭の芝生の上にドッと倒れ伏した。

「セリア!ちょっと、大丈夫?インファちゃんは?インファちゃんは一緒じゃないのぉ?」

この城へ来るのは初めてだった。何とか上半身を起こしたセリアは、駆け寄ってきたスワロメイラに堪らず抱きついていた。

「姉様……!インファが、インファが……うう、ああああ!」

スワロメイラは、人目を憚らずに泣きじゃくる妹を、そっと抱きしめた。その様子を、少し離れて見ていたリティルの肩に、ツバメが舞い降りた。ツバメのもたらした言葉に、耳を傾けていたリティルは、僅かに瞳を見開いた。

『父さん、セリアの中にあった、精霊王の魂の欠片が変質を始め、やむなくオレが引き受けました。愛などないと繰り返すこの魂は、心を繋いだ者を見境なく攻撃するかもしれないため、城には戻れません。欠片はこれ一つではないようで、互いに引き合う性質があるらしく、他の欠片の場所がわかるので、一つずつ滅していきます。終われば戻るので、ご心配なく。蛍石の精霊・セリアセリテーラが風の城へ向かうと思います。彼女を保護してください。すべての欠片を滅するまで、城で守ってください。オレに殺されないように。彼女はオレの──』

リティルは、スワロメイラに縋って泣くセリアを見つめた。幻惑の暗殺者と呼ばれる割に、儚く清楚に見える娘だ。しかし侮れない。宝石の精霊には、魅了の力があるのだから。

「彼女はオレの、愛する人です……。父さん、ビックリだぜ?」

リティルはつぶやくと、小さく溜息をついて温かく微笑んだ。

あいつがそこまで言うんじゃ、しょうがないと、リティルはセリアを探ることをやめた。

幻惑の暗殺者に関する、穢れた数々の噂。魅了の力。彼のことだ、インファはすべて知っている。それでも、魅了されていいと、彼女を疑わないでという心を、愛する人という言葉に込めてきたのだ。どんな娘なんだ?とリティルは興味が湧いた。そして、あいつの代わりにしっかり守ってやるか!と、リティルは笑った。

 しかし、インファ一人にやらせるわけにはいかない。けれども、あまり人員は割けない。

さて、どうするかと考えていると、中庭に、適任者が姿を現した。

「カルシエーナ、ちょっといいか?」

「なんだ?いい話?」

何事だ?とのっそり現れた、ケルゥの肩に頬杖をついて乗っていたカルシエーナは、リティルの言葉に、トンッと飛び降りてきた。

「どうかな?でも、たぶん、君にしか頼めねーかな?」

「お父さんが頼ってくれるの嬉しいから、わたし、何でもやる!」

カルシエーナは内容も聞かずに、目を輝かせた。

「ハハハ、ありがとな。ケルゥ、しばらく借りるぜ?」

「ああん?なんだぁ?オレ様留守番かぁ?」

リティルはツバメを二人の肩に乗せた。もちろん、最後の部分は削って。こんなこと、言いふらすことではない。それに、おそらくセリアはインファの気持ちを知らないだろう。誰かの口から、想いが伝わることがないようにしてやらなければ、インファが可哀相だ。

「兄ちゃん……!なぁにやってんだぁ!精霊王の欠片だぁ?タチ悪いぜぇ」

ケルゥは憤った。インファのところへ行きたそうだったが、それは許可できなかった。風の通常業務も、こなさなければならないからだ。インファもそれをわかっている。おそらく、誰が遣わされるか、それもわかっているだろう。

「お父さん、わたし、何すればいいの?」

瞳を輝かせるカルシエーナに、リティルは言った。

「インファと一緒に魂の欠片掃除に行ってくれ。君は無敵だからな。それで、インファがおかしくなったら、どついてやってくれよ」

「わかった。お兄ちゃん、どこにいるの?」

「ああ、今捜すよ。シェラ、ゲートを開いてくれ」

「どうしたの?……まあ、そう!ええ、すぐに開くわ」

リティルにインファからのツバメを回してもらったシェラは、どこか嬉しそうに驚くと、リティルの示した場所へゲートを開いた。カルシエーナはヒラリと、躊躇いなくゲートを潜っていった。


 ゲートが開くのを感じたインファは、立ち止まってそれを見ていた。

「お兄ちゃん、助太刀に来たぞ!」

空に開いたゲートから現れたカルシエーナは、躊躇いなくインファの背中に負ぶさった。いつもケルゥの背にいるためか、翼が邪魔だろうに器用に負ぶさっている。そして、おんぶするには大きな娘だというのに、体重をまるで感じなかった。

「カルシエーナ、あなたが来てくれると思っていましたよ。では、いきましょうか?」

「うん。進め!お兄ちゃん」

カルシエーナは赤い瞳に楽しそうな笑みを浮かべて、前を指さした。

愛とは、何も男女間でだけあるものではない。インファは、兄と慕ってくれるカルシエーナの体温を背中に感じながら、歩き始めた。


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